【他スレ転載禁止】
女性自身昭和40年8月9日号
兄弟/両殿下への提言
・旧家族たちのあまりにひどい腐敗ぶりを知った皇太子は、自らの信念で
「旧華族からは妃を迎えない」と決めた。
・それなのに、皇室の民主化の象徴である美智子妃がやせ細り、病気がちになった事実は
何を物語るのか。
・美智子妃が入られた皇室はイバラの世界であった。
・しかも、弟宮である義宮の結婚について皇太子は相談を受けず、
義宮妃は旧華族出身になってしまった。
・皇太子の御結婚には両性の合意があったが、義宮と華子さんとの間に本当に合意があったのか。
【他スレ転載禁止】
女性自身昭和40年8月30日号
皇太子インタビュー
「欧米から帰って(1953年英国女王戴冠式)、それは非常に早い時期だったと思うが、
私は上流貴族の本家からは妃をとらないということを小泉さん(東宮参与・小泉信三)に話している」
「これは、私の将来の皇太子妃選考の一条件として、具体的にどういう人がいいかという問題を抜きにして
一般的な理想の線として考えたことだった」
「国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。
これは、旧華族上流以上の人には求められない姿であった」
「現在、美智子の、常に日本国民のことを考え、自分の務めに忠実たらんとしている姿をみて、
この自分の考えが間違っていなかったと感じている」