継体天皇は、百済第22代王の弟の「昆之」?

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1朝まで名無しさん
★韓国で「日本語起源は百済語」説、中国で「またか!」の声

  環球時報は22日、韓国・檀国大学の金容雲首席教授が「日本語の起源は百済語」とする著書を著し、
8月に日韓同時に出版されると伝えた。同記事に対して、中国人ユーザーによる韓国・韓国人批判が相次いだ。

 金首席教授は、朝鮮半島の三国時代(新羅・百済・高句麗)の歴史をしるした「三国史記」や
高麗語資料の「鶏林類事」を研究し、「現代韓国語の主な起源は新羅語で、
日本語は主に百済語が発展したもの」との説をたてた。
また、日本の第26代継体天皇は、百済第22代王の弟の「昆之」と同一人物と主張した。

  これまで韓国で、「孔子は韓国人」、「漢字は韓国で作られた」、「イエス・キリストは韓国人」などの説が発表され、
韓国に伝わる「江陵端午祭」がユネスコの世界文化遺産に登録されたことなどから、
中国では「韓国人は歴史をゆがめ、横取りする」との反感が強い。

  同記事を紹介したインターネットサイト環球網のコメント欄には、韓国・韓国人を批判する書き込みが相次いだ。
「中国に続いて日本。次はどこにする?」、「韓国人は実に“創造的”だ。日本人も目まいを起こしているだろう」、
「天なる神も、韓国人だろう」、「太陽系も韓国人の発明」、「こういうのを見ると、日韓併合は正しかったと思う」などの声がある。

  「韓国語と日本語は近い言葉。それほど突飛な説ではない」との書き込みもあるが、少数だ。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0723&f=national_0723_034.shtml
2朝まで名無しさん:2009/07/30(木) 10:49:11 ID:oa9ZRzWZ
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku247.htm
継体天皇と磐井の乱
>....戦後、継体天皇が応神天皇の5世の孫というのは、後世の造作であるとする見方が有力
>であった。すなわち、皇統譜に神経質な『古事記』『日本書紀』が天皇の出自を書きもらす
>はずがないから、「5世の孫」というのも、それ以前には4世までを王としていた皇親の範囲が
>5世にまで拡大された慶雲2年(705)以降に案出されたものではないか、というのである。
> しかし、今日では、こうした継体天皇の出自を疑う諸説はほとんど否定されているといってよい。
> それは、用語・文体などから推古天皇朝前後の時期(おそくとも7世紀末まで)に成立したと
>推定される『釈日本紀』所引の「上宮記曰一云(じょうぐうきいわくいちにいう)」に、応神天皇
>から継体天皇に至る系譜が記されているからである。
> 『釈日本紀』に引用されたこの文章の文字の使い方を見ると、「ひこ」を「比古」で表したり、
>「ひめ」を「比弥」で表したり記紀よりも古い形を残していることから、その内容も古い伝承を
>伝えているものと思われる。
> 「上宮記曰一云」の内容によると、継体天皇は応神天皇の4世の孫、汗斯王(うしのみこ)を
>父とし、垂仁天皇の7世の孫、布利比弥命(ふりひめのみこと)を母とする天皇家の血筋である。
3朝まで名無しさん:2009/07/30(木) 11:02:41 ID:oa9ZRzWZ
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/nihongo_chosengo.htm
比較言語学から見た日本語と朝鮮語
>
>万葉集が朝鮮語で読める?
>・・・・・
>そもそも15世紀にハングルが作られる以前、 朝鮮では全ての文書は漢文で書かれており、
>当時の朝鮮語がどんなものであったかごく一部しか資料は残っていない。ハングル以前には
>吏読(りとう)、口訣(こうけつ)、郷札(きょうさつ)という、漢字で朝鮮語を表す方法があったが、
>それらはごく一部分で断片的しか残っておらず、漢字の音と訓を複雑に交えた表記法なので、
>どの漢字がどう読まれたのかなどは正確にわからないとされ、またそれらが音韻の複雑な
>朝鮮語を正確に書き表したかどうかすら定かではない。特に、万葉時代に相当する古朝鮮語
>の資料が朝鮮半島にほとんど残されていないのは致命的であり、その点、万葉集だけでなく
>多くの古典が後世まで連綿と継承保存されている日本とは全く状況が異なるのである。
4朝まで名無しさん:2009/07/30(木) 13:01:00 ID:oa9ZRzWZ

>日本語と日本民族の起源
>・・・・・
>当時の日本語と朝鮮語が自由に通じるような関係になかったことは「日本書紀」(720年)の
>記述をみてもわかる。敏達天皇紀10年十月条には、「俄ありて、家の裏より来る韓婦有り。
>韓語を用て言はく−−」とあり、韓語は「からさひづり」という訓が付けられているが、
>“さひづり”とは「外国や辺境の言葉で意味が通じないこと」であると考えられている
>(坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注、「日本書紀下」、1965年、岩波書店)。
>更に、天武天皇紀9年11月条に、「乙末に、新羅、−−−大奈末金原升を遺して、調進る。
>則ち習言者三人、若粥に従ひて至り。」とあり、習言者とは“ことならひひと”を意味する。
>従って、当時、新羅から日本語を学習する者が渡来したことがわかる。また、孝徳天皇紀、
>大化5年、是歳条にある「訳語(をさ)」は通訳のことと考えられ、つまり新羅語や
>百済語と古代日本語の間には少なくとも現代日本語と現代朝鮮語との間と同じ程度の
>隔たりがあったと考えねばならないだろう。
5朝まで名無しさん:2009/07/30(木) 15:19:55 ID:jG5kWdvI
> 「天なる神も、韓国人だろう」、「太陽系も韓国人の発明」、「こういうのを見ると、日韓併合は正しかったと思う」などの声
中国にも2ちゃんがあるのか。
6朝まで名無しさん:2009/07/30(木) 15:32:40 ID:NkIs1fHv
万世一系とか言いながら、実は王朝が交代しているよね。
系図なんて皇位を簒奪した側が後付けで何でも作れるだろうし。
7朝まで名無しさん:2009/07/30(木) 22:44:30 ID:IQiOwK+/
継体天皇帰化人説は100%否定できるってわけではないのが難点。
皇統が連綿としていないと困る人が、話をややこしくしてしまうのも問題。
8朝まで名無しさん:2009/07/31(金) 11:00:09 ID:+H+eMnpO
ありがち
9朝まで名無しさん:2009/07/31(金) 13:11:04 ID:zmds8Zfw
まぁ、継体天皇しかり、持統天皇しかり、諱が分かりやす過ぎるじゃないか。
10朝まで名無しさん:2009/08/01(土) 11:00:48 ID:+/K364fw
古代は通い婚だから
母方の祖父が養育者で
母方の一族が皇子を御輿に担いで覇権争いしたわけ。

だから有力な豪族は
みんな天皇家(というか天照大神)直系の血筋の「××王」が一族にいて
事あらば御輿に担いで打って出ようと狙ってたわけ。

だから継体天皇は天皇家(というか天照大神)直系の血筋で当然なわけ。
そこに嘘があったら、天下統一なんて無理無理無理。

古代は政治と宗教と呪いが渾然一体だから、
出雲の大国主から天照大神への「国譲り」は
それくらい重い意味がずっとあったはずなわけ。
11朝まで名無しさん:2009/08/01(土) 11:41:19 ID:5YWJko74
渤海国との関係の時期ではないか
12朝まで名無しさん:2009/08/01(土) 11:54:51 ID:+/K364fw
Wikiヨリ

渤海 698年 - 926年

継体天皇 允恭天皇39年(450年)? - 継体天皇25年2月7日(531年3月10日)


三国時代 (朝鮮半島)
 日本の歴史学ではおよそ4世紀ころから7世紀ころまでを指す。
 韓国他では紀元前1世紀から紀元後7世紀をいう。
13朝まで名無しさん:2009/08/01(土) 23:33:28 ID:lBlCASry
神皇正統記 北畠親房
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6922359
http://www.youtube.com/watch?v=5tnxwHbKEbU
http://www.youtube.com/watch?v=SmyOy6HgQCk
http://www.amazon.co.jp/dp/4861810248
http://www.amazon.co.jp/dp/4003011619

 「 大日本は神国也 」

 この書は日本の歴史が最も簡単明瞭に説いてありますが、殊にこの書物の開巻第一には、
極めて簡潔なる言葉を以て日本歴史の本質が明確に述べられてあります。それはかういふ
言葉であります。

 大日本は神国也。天祖はじめて基を開き、日神長く統を伝え給ふ。我が国のみ此の事あり。
 異朝には其の類無し、此の故に神国と云ふ也。

 これを活字にすればわづか二行でありますが、この簡単なる言葉の中に、『神皇正統記』
全体が要約されてゐるのであります。
14朝まで名無しさん:2009/08/01(土) 23:34:20 ID:lBlCASry
山鹿素行 『中朝事実』 (→吉田松陰、乃木希典に続く)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6938281
http://www.youtube.com/watch?v=t8zEJ6UnaiI

皇統(上) 皇統章

 故に皇統が一度(ひとたび)定まって億萬世之れに襲(よ)って変ぜず、天下皆正朔
を受けて其の時を二つにせず、萬國王命を稟(う)けて其の俗を異にせず、三綱終に沈
淪せず、徳化は塗炭に陥らず、外国の到底企て望み得ることではない。夫(そ)の支那
では天子姓を易ふることを殆ど三十で、戎狄が入って王となった者が数世ある。春秋の
二百四十余年に臣子が其の國君を弑した者二十又五もある。其の先後の乱臣賊子に至っ
ては枚挙することは出来ない。朝鮮では箕子(きし)が天命を受けて王となって以後、
姓を易ふること四氏、其の國を滅して或いは郡縣となり、或いは高氏は滅絶することが
凡そ二世、彼の李氏は二十八年の間に王を弑する者四度あった。況んや其の先後の乱逆
は禽獣の損ない合うと異ならない。唯我が中國(なかつくに)は開闢からこのかた人皇
に至るまで二百万歳にも近く、人皇から今日まで二千三百歳を過ぎてゐる。而も天神
(あまつかみ)の皇統は違(たが)ふことなく、其の間に弑逆の乱は指を屈して数ふる
程もない。其の上外国の賊は吾が辺藩をも窺ふことも出来なかった。後白河帝の後に武
家が権力を執って既に五百余年にもなる。其の間に利嘴長距が場を壇にしたり、冠猴封豕
が火を秋の蓬に縦つ類のないこともないが、それでも猶ほ王室を貴び君臣の儀を存してゐ
る。是れは 天神 人皇の知徳が顕象著名であって世を歿するまで忘れられないからであ
る。其の過化の功、綱紀の分がこの様に悠久で、このやうに無窮であるといふことは皆至
誠から流れ出たからである。三綱が既に立つときはその条目は治政の極致として著はれる。
凡そ八紘の大なるも、外国の汎きも中州に如くはない。皇綱の化文武の功、其の至徳、何
と大きいことではないか。

 →中国や朝鮮では易姓革命が度々起こり、乱臣による弑逆も度々起こった。
  一方、日本の皇統は神代以来一度も変わることなく萬世一系である、ということを示す。
  萬世一系の皇統を以て日本が中朝である事実、即ち「中朝事実」を示している。
15朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 01:58:37 ID:nMQCREeM
妄想乙
16朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 11:37:01 ID:Meu9ekSr
ケータイ天皇?
17朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 13:02:07 ID:wapSNDDN
ケータイ天皇より前の天皇は捏造。

乞食も日本書紀も天皇側が書かせた捏造本。
18朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 13:12:31 ID:v13LtmJi
★「現代日本語の起源は百済語」(下)

著書『天皇は百済語で話す』を執筆した金容雲教授

 三国統一以後、新羅は征服地の百済と高句麗の古地名を漢字語に変え、
『三国史記』地理志は変更後の地名と古地名を共に記している。
これによると、「三ヒョン(ヒョンは山へんに見)県」に名前が変わった
村の本来の名前は「密波兮」だった。

「密(ミル)」は、まさに日本語の「みっつ」の語源と同じ、というわけだ。
「七重県」という村は本来「難隠別」という名前だったが、「難(ナン)」は日本語の「ななつ」の「なな」と同じ。
『三国史記』で「タソッ」は「于次」と表記されているが、これが日本語の「いつつ」になったという。

 また金教授は、終結語尾は百済語に由来すると推定する。
現在の全羅道の方言「…ダンッケ」は、伝聞・推定を意味する日本語「…だっけ」に当たり、
忠清道の方言「…ソラウ」は謙遜の日本語の終結語尾「…候(そうろう)」として残っているというわけだ。
「…ヘッタンマシ」「…ムッセ」といった韓国語の語尾は、日本語の終結語尾「…ます」「…ませ」「…まし」「…もうす」などに変形した。

 金教授は「忠清道や全羅道では、“…マシ”“…ソラウ”などが今でも日常的に使われているのとは異なり、
日本では過去に身分の高い貴族たちが使い、現在もなお格式ある言葉として残っている」と推定した。

http://www.chosunonline.com/news/20090726000008
19朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 13:13:28 ID:v13LtmJi
◆謎の存在「継体天皇」は百済の王弟・昆支 

 日本の歴史書『日本書紀』『古事記』には、第26代「継体天皇」が
第15代「応神天皇」の5代目に当たると記録されている。
しかし、この二つの文献では、継体天皇の先祖については具体的に言及しておらず、
ただ、天皇の娘を妃にしたとだけ書かれている。

 金教授は、『三国史記』に百済の第22代国王・文周王の王弟として
登場する「昆支」が、継体天皇と同一人物ではないかと主張する。
『日本書紀』に出てくる天皇の名前は、通常は万葉仮名を使って
書かれており、継体天皇の名前は「男大迹(おおと)」だ。

 金教授は、「これは“大きな人”を意味する“大人(おおと)”で、
昆支(コンジ)もまた“大きな人(クンチ)”を意味する。
ここから、昆支と男大迹(継体天皇)は同一人物だと解釈した」と語り、
さらに「日本で百済を“くだら”と読むのは、“大きな国(クンナラ)”という意味。
倭(日本)は百済の分国だった」と主張した。

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/news/20090726000008
20朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 13:14:13 ID:v13LtmJi
「現代日本語の起源は百済語」(上) | Chosun Online | 朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/news/20090726000007
21朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 13:14:26 ID:v13LtmJi
「現代日本語の起源は百済語」(上) | Chosun Online | 朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/news/20090726000007
22朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 16:52:06 ID:kng1e+7N
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku13/yamaic34.html
『邪馬壹国の論理』ー古代に真実を求めてー III
七支刀と年号の論理
>・・・・・
>長らく『日本書紀』の神功紀の七枝刀記事にもとづいて読解され、評価されてきた
>(たとえば福山敏男説)。これは“百済王が倭王に七支刀を献上した”とするもの
>である。(銘文の泰和四年を東晋の年号(三六九年)とする。)
> ところが近年、逆の解釈が出された。“この刀は百済王が倭王に下賜した”とする
>ものである(金錫亨説 ーー泰和四年は百済の逸年号(史書に伝えられていない年号)
>とする)。「献上」と「下賜」では正反対だ。それだけではない。東アジアの政治情勢
>への理解も逆転する。
> 前者の場合、近畿天皇家がほぼ日本側の統一を成就し、百済をも服属させていたこと
>となる(従来の日本側の理解)。これに対し、後者の場合、日本列島は百済など朝鮮
>半島の国々を本国とする、その「分国」(いわば古代的植民地)だったというのである。
> わたしは右二説のいずれにもくみすることができなかった。両者とも、それぞれの
>先入見もしくは理論(一は『日本書紀』天皇中心主義、一は分国論)に立ってこの銘文を
>読む。しかし、肝心のこの銘文自体には「献上」をしめす語句も、「下賜」をしめす語句
>も、共にないのだ。この点、金氏が「宜供供侯王」の「供」の字を「与える」という意味
>だとして、倭王に下賜した「下行文書」の一証とされたのは、史料処理上、穏当でない。
> したがって、東晋の天子を原点とし、倭王と百済王は大義名分上、あくまで対等の
>立場にいる。すなわち、両者とも中国の天子の下における侯王なのである。
23朝まで名無しさん:2009/08/02(日) 16:54:45 ID:kng1e+7N
http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-241.html
激動の朝鮮半島(4)―「七支刀」(2)
・・・・・
> この銘文が「東晋」の年号から書き始められているということが重要なポイントとなる。
>「侯王」とは東晋の天子の配下の侯王ということになる。年号の使い方から見ても、この
>銘文の文章の原点は中国の天子ということになる。つまりこの文面では、「百濾(百済)
>王」と「倭王」は同格である。両者とも中国の天子の配下の侯王ということである。
> 侯王を百済王の配下と見なし、この七支刀を「百済王が倭王に下賜した刀」であると
>する説を退ける理由を、古田さんは次のように述べている。
>>これは無理だ。なぜなら、もしそうなら、冒頭が「百済王、誰々の何年」といった形で
>>書きはじめられねばならぬ。ところが事実はさに非ず。東晋の年号からはじまっている。
24朝まで名無しさん:2009/08/04(火) 23:19:19 ID:F0ellE7L
ケータイテンノーより前が全て捏造というのが濃厚なので、
捏造したのはケータイテンノーか?
25朝まで名無しさん:2009/08/05(水) 18:51:28 ID:ClJmHoLn

架空の天皇を創作する必要はないから
歴代「天皇」が全くの捏造とは思えない。
天下を統べていたか、分家扱いだったかどうかは分からんけど。

天武天皇系と天智天皇系の皇統争いで
天智系が復活した時に、桓武天皇あたりが、
日本書紀とか焚書したとか改竄したとか言われてるけどね。

http://bittercup.blog81.fc2.com/blog-date-200812.html

http://blogs.yahoo.co.jp/dokatakayo/folder/1113376.html
26朝まで名無しさん:2009/08/05(水) 23:57:00 ID:RqgmLdeQ
ケータイの前の武烈が重患で妊婦のおなか裂いたり・・
残酷なことをしたからっていう史実も捏造と決め付ける証拠がないように思う。
27朝まで名無しさん:2009/08/07(金) 11:10:02 ID:9/jrqkqV

Wiki - 武烈天皇 より
>『古事記』と『日本書紀』とでは、武烈天皇の伝承にかなりの食い違いが見られており、
>武烈天皇自身が実在したかどうかについても疑問が残る。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1220251588/l50
武烈天皇は実在したか

http://mentai.2ch.net/history/kako/1012/10120/1012081783.html
武烈天皇の悪行について

http://mentai.2ch.net/history/kako/973/973375624.html
ずばり古代の天皇の実在性を
28朝まで名無しさん:2009/08/08(土) 14:34:37 ID:IDxghVCX
やっぱ南方の海洋民族系の要素が強いだろ
さもないと琉球語と兄弟言語という事実の説明がつかなくなる;

http://members.e-omi.ne.jp/ichhan-h/
日本語の起源
>日本語の動詞活用・連濁・係り結びなど今まで未解決であった問題を解き
>あかすことによって、日本語は唯一、インドネシア語やハワイ語が属する
>オーストロネシア語族に源があることを皆様に示していきたい
http://members.e-omi.ne.jp/ichhan-h/first.htm
「日本語起源論」解決に向かって
>日本語は二つ、もしくはそれ以上の言語が混じりあってできた
>混合言語などではなく、ただ唯一オーストロネシア語族に血を引いている
29朝まで名無しさん:2009/08/08(土) 14:40:40 ID:EC2l5Pcy
携帯天皇か。

詔勅とかメールで済ましそうだなwW
30朝まで名無しさん
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1249642680/l50
【鳥取】但馬に数々の伝説を残したとされる新羅の王子、天日槍(アメノヒボコ)をテーマにした展覧会 【朝鮮半島】