【雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★12

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635朝まで名無しさん
エリーザベトは人の好き嫌いが激しく気難しい性質だったので、ゾフィー大公妃の選んだ気に入らない
女官を全員解雇して周囲をお気に入りのハンガリー人女官のみで固め、女官にはあくまでも控えめに振舞う事、
ウィーンから離れた生活に耐える事、自分の旅行について来続ける事、生涯独身を貫く事などを要求した。
また自分とは正反対の、良妻賢母として知られる女帝マリア・テレジアを敬愛し、病人や障害者、貧しい民衆に
同情するなどの一面もあったが、最後まで皇后・妻・母としての役目を果たすことを一切放棄かつ拒否し続け、
自分の心の快楽や平安のみを求める極めて自己中心的で傍若無人、我儘、尊大かつ傲慢な人物であった。
最期まで欲望のままに放縦な生活を送り続けた。
皇族でありながら君主制を否定していたとも「進歩的な女性」と評されることもあるエリーザベトだが、
実際の彼女は尊大、傲慢かつ権威主義的であるのみならず、皇后・妻・母としての役目は全て放棄かつ拒否しながら
その特権のみ欲しいままに享受し続け、皇后としての莫大な資産によって各地を旅行したり莫大な額の買い物を
したりするなど自己中心的で傍若無人な振る舞いが非常に多かった。当時のベルギー大使夫人は、
「この女性は本当に狂っています。こんな皇后がいるのにオーストリアが共和国にならないのは、
この国の国民がまだ寛大だからです」と書いている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%88_(%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%9A%87%E5%90%8E)

コヴァは雅子さんが皇后になることに都合の良い夢を見ているようだけど、
彼女の生き様を見れば見るほど、シシーと被る点がいくつもあるよ。
そういえば、彼女が暗殺されたとき、オーストリア民衆は皇帝の嘆きに深く同情したけれど、
彼女自身の死を悼む者はもはや一人もいなかったらしいね・・・。