【雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★10

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325朝まで名無しさん
週刊紙立ち読みレポ
週刊現代 [ 2009年06月27日号]
・平成5年6月9日、マスコミはお祝いムード一色だった。
・江藤淳はアメリカの新聞に雅子さんを「反米主義者江藤淳の従姉妹」と書かれたことに不機嫌だった
・徳仁氏と雅子さんの出会いはエレナ王女の歓迎パーティーだったと言われ、
 その後4回、東宮御所・高円宮邸で会ったが小和田家側が断ったと言われている。
 しかし徳仁氏の強い要請により再び会うようになり、やがて鴨場でのプロポーズへと。
・東宮夫妻の現在の問題の始まりは平成12年にあるということでは一致する向きが多い。
 香淳皇太后のれんそうの儀を夏バテのようなモノで欠席しながら、直後のインターハイ開会式には出席したため。
 東宮職との軋轢があるのでは? 前年12月の懐妊は宮内庁官房も把握しておらず、
 一部の東宮職員のみが知っていたはずであったにも関わらず一部マスコミが報道したことに対して
 雅子さんは不信を抱いていたとされている。
・しかし、東宮職員に不信を抱いていたとしてもれんそうの儀を欠席する理由にはならないだろう。
 またこの頃から東宮夫妻と小和田家との距離が問題になり始める。頻繁に東宮御所に上がるため。
・美智子様はご成婚後、正田家を(東宮)御所に7回しか招かなかった。その禁欲無私的な心遣いはありがたいが
 雅子さんにも同じことを求めるのは酷かも知れない。が小和田家とのつきあいを巡って両陛下と東宮夫妻との間に
 距離が出来たのは間違いないだろう。
・愛子ちゃん誕生で関係は好転したように見えたが、雅子さんが帯状疱疹で入院した頃から再び暗雲が。
・「なるべく早く公務に復帰したい」 として静養に入った雅子さんは「適応障害」と発表され「治療の一環として」
 テニスや乗馬・徳仁氏へのご進講同席が行われるようになる

今週号はここまでです