死刑制度議論 その8

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709朝まで名無しさん
>>706
659でも言ったが、目的刑としての刑罰はプラトンに起源を求めることができるが、そこから死刑廃止論は何ら進歩がみられない。
(プラトン自身も死刑を否定している訳ではない。)
また「人は人を裁くことができるか」という命題(冤罪を廃止理由に挙げる場合に多い)に対してのキリスト教的廃止論は近代に起きたものだが、そもそも新約聖書には同害報復を否定するどころか、神の裁きと人の裁きを別けて考えている記述もある。
(それを否定してしまえばすべての国家を否定しかねないことにすらなり、今日のキリスト教の趨勢も有り得なかったであろう。)

その間に存置論は単に同害報復だけでなく社会秩序の防衛(すでにプラトンの弟子・アリストテレスによって確立されていた)や一般予防としての効果といった概念を取り込んできた。
また「自らの死と向き合うことによって罪とも向き合う」とする目的刑的な意味合いをも持ち得る。

それをへリクツと切り捨てるか存置論の進化とするかは各々のスタンスによって異なるであろうが、存置論のそれに取って代わるものを廃止論が未だ提示しえない以上、「最終的な到達点」どころかスタートラインにすら着いていない…とするべきかと。