264 :
リッキー○ ◆PZHuhNBLO6 :
善だとか聖だとかは正が内包しているので、しばしば勘違いして用いられる。
たとえば「君はこれらを正当化するのか」というのを「君はこれらが善だというのか」の意で使ったり・・・
正当化とは一般化の事であり、「常識」「普通」「当たり前」とかと同義だよ
暴漢に襲われて反撃し、逆に相手を殺してしまった。
人を殺すのは悪、自己防衛の為に殺すのは善・・・・ではない。
その様な状況(暴漢に襲われる)でその様な行為(殺人)は、「常識」「普通」「当たり前」
で【正当】防衛が認められる。(やり過ぎた末の過剰防衛は除く)
「自己防衛の為に殺すのは善」としたならば、
善行をしたい者はわざわざ危険な地に出向き、殺しまくって徳を積むなんて事をしかねない。
パール判事の言葉
「ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう。」
パール判事は日本の対米戦を正当化したね
美化したわけじゃない。
265 :
リッキー○ ◆PZHuhNBLO6 :2010/07/20(火) 21:40:04 ID:obP70nuJ
>>259 あ、この問いに答えれば分かるってのが浮かんだ。
いいかい?
現在の日本国民が憲法を改正したいと考えたとするね。
で、憲法がその国民の意志を跳ね返すというわけだね?
しかし憲法自体は意志を持った生物ではない。
その跳ね返す力を説明してごらん。
憲法を作った当時の人間に現代の人間は逆らえないというわけかな?
=============================
改正
正(正しい)=常識・普通・当たり前
時代が変われば常識は改まるし普通だったものがそうじゃなくなる
だから改正=正しいを改める
正しいが時間を超えて絶対的なものだと思っている人はいないよね?
266 :
リッキー○ ◆PZHuhNBLO6 :2010/07/26(月) 05:48:02 ID:xUs7hfF4
>>263 >今から書き込む、といってもコピペだが
「コピペ」といっても前に書いた私のレスのコピペな
ちょっと分かりやすく言おう
>善だとか聖だとかは正が内包しているので、しばしば勘違いして用いられる。
例えば「重い荷物を持って横断歩道渡ろうとしているおばあちゃん」の荷を持って
あげるのは「善」と感じるだろう?
それは「道徳」などによって(その行為が)善ということが常識(正しい)になっているからだ。
では強盗が非常に多い国の事で考えてみよう。
南アフリカはワールドカップを終えたばかりだが、大会前からいろいろと犯罪事情が報道されていた。
たとえば「車は赤信号でも止まるな」止まったら強盗にやられる。
ヨハネスブルグ駅から100メートル歩いたときに強盗に遭う確率150%
これは一度は必ず被害(100%)にあって金を取られるが、二度目は50%の確率で
さらに身ぐるみはがされる、というもの。
なんともはや凄まじい世界だが、あなたがそこで
上記した善行、つまり横断歩道を渡ろうとしてる老人の荷物を持ってあげようとしたら
どうなるだろうか?
この場合は「あまりにも多い犯罪(強盗)」という事実によってその行為が「強盗」と思われるのが
常識(正しい)。
つまり周りにいる人は常識的行動(正しい行動)を取ろうとしてあなたを取り押さえるだろう。
最悪の場合、警官がいたら撃たれるかもしれない。
どうだろうか?内包という言葉を使ったが
善というものが正に担保されていなければ意味はない、というのが分かってもらえただろうか?