卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126
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惟任日向守:
マリアナ敗北後、フィリピンへの攻撃が近いと判断した日本海軍は、その邀撃の為に、「大和」「武蔵」などを基幹とする戦艦部隊を、南方リンガ泊地へ向かわせます。
その為、内地の残存空母部隊の護衛戦力が不足し、北方の志摩艦隊(第五艦隊)が呼び戻される結果となります。
一水戦も志摩艦隊に属するので、「霞」もまた久々に瀬戸内海へ戻ってきたのです。
そこで戦機を待つ「霞」でしたが、昭和19年10月15日、突然出動命令が下りました。
それは、台湾沖で日本陸海軍の航空隊の全力攻撃を受け、避退中である米機動部隊の追撃命令でした。
「霞」は、再び僚艦となった「不知火」、そして志摩艦隊と共に、撃破されたはずの米空母を求めて、台湾沖へと急行します。
ところが、どうも様子が変でした。
出撃した志摩艦隊は、連続して敵艦上機の接触を受けたのです。
どうやら、まだ艦上機を飛ばせる空母が残っていると判断できました。
ということは、発見された以上は空襲があると考えるべきでした。
志摩艦隊は、重巡「那智」「足柄」と駆逐艦7隻という小艦隊です。
空襲にはとても耐えられるとは思えませんでした。
その上、連合艦隊を震撼させる出来事がありました。
鹿屋から放った偵察機が、まだ無傷の米空母群を発見したのです。
これでは志摩艦隊程度の戦力では、逆襲されるのがおちです。
早速志摩艦隊には帰還命令が発せられ、10月17日、「霞」たちは奄美大島へ引き返しました。
結果的にはこれが大正解で、米第三十八機動部隊は志摩艦隊を攻撃せんと手ぐすね引いて待っていたのです。
台湾沖航空戦と名づけられた、日本陸海軍の航空戦において報じられた大戦果は、米重巡2隻撃破という些少な戦果がその実態だったのです。
そしてこの幻の大戦果の亡霊は、後に再び「霞」を苦しませることになるのです。