卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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891惟任日向守
アッツ・キスカ島は、その占領直後から米軍の圧力を受けることになりました。
最初は航空機が、そして潜水艦隊が投入されたのです。
当初はS級潜水艦という、ほとんど退役寸前のくたびれた潜水艦が主力でしたが、追ってタンバー級やガトー級といった最新鋭潜水艦が北方海域に現れます。
そのうちの1隻、ガトー級「グローラー」(SS−215)が、キスカ湾口に忍び寄っていたのです。
「グローラー」はキスカ湾外に漂っている日本駆逐艦3隻を発見すると、それぞれに魚雷を発射しました。
その魚雷は全ての駆逐艦に命中してしまったのです。
「霰」はたちまちにして沈没、「不知火」は缶室に被雷、大破航行不能に陥り、「霞」もまた1番砲塔付近に被雷、艦首切断大破、航行不能という大損害を被ったのです。

第十八駆逐隊は、瞬く間に潰滅してしまいました。
しかもキスカには修理施設がなく、残る「霞」「不知火」の修理は内地に戻さねば叶いません。
更に悪いことに、両艦ともに自力航行どころか、曳航すら出来ないほどの損害だったのです。
そこで横須賀工廠より、造船官と工員が派遣され、両艦とも曳航に耐え得るよう応急工事の上、舞鶴にて修理となったのです。
艦首を失った「霞」の修理は、翌年8月までという大工事となってしまいました。
お陰で、昭和17年8月15日、第十八駆逐隊は早くも解隊となってしまったのです。

損傷復旧後、「霞」は再び北方へ戻ります。
今度は二水戦ではなく、一水戦の麾下でした。
しかしその時の北方は、かつて「霞」が魚雷を喫したキスカ島は既に米軍に奪還されており、千島防衛の為に細々と輸送作戦を繰り返す有り様でした。
この地味な作戦を、「霞」は、時に急用で南洋へ出されることもありましたが、暫くの間北方で続けることになります。
一水戦がその舳先を激戦区へ向けるのは、マリアナ敗北の後でした。