卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126
817 :
惟任日向守:
兵装面では、特に目新しい機構は採用されていません。
主砲門数が「初春型」「白露型」の5門から、「吹雪型」と同等の6門へと戻されます。
主砲の配置も、「初春型」のような、前甲板に主砲塔2基というような冒険はせず、「吹雪型」同様の前甲板1基、後甲板2基という形式を採用しています。
魚雷発射管は、次発装填装置付きの四連装発射管を採用することにより、「吹雪型」を超える雷撃力を備えています。
さて、上のような計画がまとまり、「朝潮型」の各艦はそれぞれの造船所で起工される運びとなりました。
ところが1935年(昭和10年)、本型1番艦の「朝潮」が起工して1ヶ月も経たないうちに、「第四艦隊事件」が発生してしまいます。
この事件によって、今度は日本海軍艦艇の船体強度不足が指摘されてしまったのです。
この問題点は、本型も埒外にはありませんでした。
なぜなら、本型は基本的に「吹雪型」の重心降下型、つまり「友鶴事件対応型」に過ぎなかったからです。
船体強度の再計算と、その改設計作業のために、本型の工事再開は半年ほどずれ込むことになりました。
また再設計の結果、排水量が当初見積もりよりも若干増加することになりましたが、これによって本型は艦隊行動に全く心配をする必要がなくなったのです。
818 :
惟任日向守:2007/06/03(日) 21:55:25 ID:I8YjzBN0
「朝潮型」は、1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)にかけて順次竣工しました。
初期に竣工した艦の公試運転の際、旋回圏が大きいことが判明しますが、舵面積の増加と艦尾形状の変更が行われ、この問題は解消されました。
しかし、本型は大きな問題点を抱えることになります。
1937年(昭和12年)末、中支方面へ出動していた「朝潮」のタービン翼が折損する事故が発生しました。
そこで急遽、姉妹艦のタービンを検査したところ、やはりタービン翼の折損が発見されたのです。
事は重大でした。
場合によっては、海軍の全艦艇のタービンが不良があるかも知れないからです。
海軍は急いで対策委員会(臨時機関調査委員会)を組織し、徹底した原因の究明を行いました。
その結果、タービン翼の折損が本型だけに発生することが確認され、またその原因が共振現象であると結論づけられました。
この、通称「臨機調事件」のため、「朝潮型」の各艦は竣工後すぐに予備艦に指定され、タービンの改良を行ってから艦隊に編入されることになったのです。