卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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787惟任日向守
こうして計画がまとまった本型は、合計で10隻が起工されることになりました。
前述の通り「初春型」を巡るどたばたで計画は二転三転しており、途中経過は大変わかりにくいのですが、本型は第一次軍備補充計画(マル1計画)において6隻建造されることになります。
次の第二次軍備補充計画(マル2計画)において計画された1400t級駆逐艦14隻も本型として建造することになり、合計20隻の建造が計画されていました。
しかし、日本海軍はロンドン条約の脱退を半分決定していたため、条約型駆逐艦の計画に拘る必要が無くなっていました。
排水量1500t以下という制限が外されたのです。
こうなれば当然、より安定した性能を望める「吹雪型」並の大型駆逐艦を建造した方が有利です。
ですが、本型の分の予算は既に執行されてしまっている部分がありました。
マル1計画艦6隻と、マル2計画艦4隻については、1400t級駆逐艦として既に機材の発注が終了していたのです。
このような経緯から、本型は10隻の姉妹艦を持つことになったわけなのです。
ちなみに、マル2計画艦の残りの10隻については、「朝潮型」となりました。
788惟任日向守:2007/06/03(日) 01:30:39 ID:I8YjzBN0
「白露型」はようやく起工の運びになりましたが、ところが竣工までの間にもう一波乱発生してしまいます。
1935年(昭和10年)の「第四艦隊事件」です。
この事件によって、今度は日本海軍艦艇の船体強度不足が指摘されてしまったのです。
この問題点は、本型も埒外にはありませんでした。
なぜなら、本型は基本的に「初春型」の重心降下型に過ぎなかったからです。
船体強度という点については、電気熔接の広範な採用などに見られるように軽量化を徹底しており、「初春型」と同様に改正すべき点が極めて多い駆逐艦となってしまったのです。
特にマル1計画艦については、ほとんどが進水後の工事になったため、竣工が大幅に遅れる結果となりました。
マル2計画艦は、逆にまだ建造がさほど進んでいなかったため、抜本的な改正を施すことができ、安定した性能を得ることが出来たそうです。
789惟任日向守:2007/06/03(日) 01:37:10 ID:I8YjzBN0
本型のことを海軍はどう評価していたのでしょう。
本型は艦型からすると中型駆逐艦です。
ですが砲力・雷撃力に関しては、海軍としては特に不満を持っていた様子はありません。
速力に関してもカタログ上は34ノットでしたが、実績は35ノットに近く、過負荷全力であれば35ノットを上回ることが出来たため、全く不都合はありません。
更に凌波性、船体強度に関しても、「友鶴事件」「第四艦隊事件」に対応しているので、世界水準の一歩上を確保しています。
本型に対して不満だったのは、その航続距離でした。
18ノットで4000浬は、用兵側としては不満だったのです。
しかしこれは艦型に起因する限界値であり、それ故に本型の計画が10隻に止まったのだとも言えます。
ただ実績では5000浬近い航続距離があることが確認されており、計画段階でこれが判明していたら「朝潮型」がどうなっていたのか興味があります。
790惟任日向守:2007/06/03(日) 01:42:54 ID:I8YjzBN0
さて、太平洋戦争を迎えた本型は、より新型の「朝潮型」や「甲型駆逐艦」と共に、一線級の水雷戦隊の一員として、常に前線で活躍します。
1942年(昭和17年)前半に早々と沈没してしまった「山風」を除き、ソロモン海域の激闘には本型の残り全艦が参加しています。
そこでの活躍は、実に華々しいものです。
確かにカタログの数値上は、「甲型駆逐艦」に比べて主砲砲門数が1門少なかったり、速力が1ノット遅かったりします。
しかし実戦においては、その程度の差異などあって無きが如しであるということが、本型の活躍から良く分かると思います。
ですが、残念ながら日本駆逐艦に共通する対空・対潜能力の欠如は覆うべくもなく、そしてそれら勢力の進出と共に、本型の活躍の場は奪われていったのです。
本型は、「時雨」のような強運艦を輩出しつつも、最終的には10隻全てが戦没という結末を迎えています。
791惟任日向守:2007/06/03(日) 01:48:38 ID:I8YjzBN0
同型艦略歴

白露
昭和 8年11月14日 佐世保工廠にて起工
昭和11年 9月 7日 佐世保工廠にて竣工
昭和19年 6月15日 ミンダナオ島北東にて、油槽船と衝突、沈没

時雨
昭和 8年12月 9日 浦賀船渠にて起工
昭和11年 9月 7日 浦賀船渠にて竣工
昭和20年 1月24日 マレー半島東岸にて、米潜の雷撃によって沈没

村雨
昭和 9年 2月 1日 藤永田造船所にて起工
昭和12年 1月 7日 藤永田造船所にて竣工
昭和18年 3月 5日 クラ湾にて、水上戦闘によって沈没(ビラ・スタンモーア夜戦)

夕立
昭和 9年10月16日 佐世保工廠にて起工
昭和12年 1月 7日 佐世保工廠にて竣工
昭和17年11月13日 第三次ソロモン海戦にて、水上戦闘によって沈没

春雨
昭和10年 2月 3日 舞鶴工作部にて起工
昭和12年 8月26日 舞鶴工廠にて竣工
昭和19年 6月 8日 マノクワリ北西にて、空襲によって沈没
792惟任日向守:2007/06/03(日) 01:54:15 ID:I8YjzBN0

五月雨
昭和 9年12月19日 浦賀船渠にて起工
昭和12年 1月29日 浦賀船渠にて竣工
昭和19年 8月26日 パラオにて、米潜の雷撃によって沈没

海風
昭和10年 5月 4日 舞鶴工作部にて起工
昭和12年 5月31日 舞鶴工廠にて竣工
昭和19年 2月 1日 トラック島北方沖にて、米潜の雷撃を受け沈没

山風
昭和10年 5月25日 浦賀船渠にて起工
昭和12年 6月30日 浦賀船渠にて竣工
昭和17年 6月23日 房総半島沖にて、米潜の雷撃を受け沈没

江風
昭和10年 4月25日 藤永田造船所にて起工
昭和12年 4月30日 藤永田造船所にて竣工
昭和18年 8月 6日 ベラ湾海戦にて、水上戦闘によって沈没

涼風
昭和10年 7月 9日 浦賀船渠にて起工
昭和12年 8月31日 浦賀船渠にて竣工
昭和19年 1月25日 カロリン諸島にて、米潜の雷撃を受け沈没
793惟任日向守:2007/06/03(日) 02:00:18 ID:I8YjzBN0
次回予告

朝潮型 【ASASHIO class】