卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126
756 :
金吾中納言:
さて、1934年(昭和9年)3月12日に友鶴事件が発生し、4月8日に臨時艦艇性能調査委員会が設けられ、海軍艦艇の安定性能やその改善策の検討が始められます。
「初春」「子日」は同年5月10日から7月20日までの日程で復原性能改善工事を受けていますので、「初春型」については遅くとも5月10日には改善策が出来ていたことになります。
「有明」「夕暮」は進水後この改造後の設計に従って艤装されることになります。
進水したのは「有明」が9月23日、「夕暮」の方が早くて1934年(昭和9年)5月6日、「有明」が9月23日ですが、バルジ分の60cmを船体構造から削って進水したとなると、
特に「夕暮」については対策決定から進水までの工事期間がいかにも短いです。
「有明」がバルジ装着とすればバルジの取り外しは簡単に済みますので、工期にも無理はなく、庭田回想を信じたくなります。
しかも進水から竣工までの期間は、「有明」で約6ヶ月、「夕暮」は11ヶ月弱もかかっています。
ここで再び線図が改正されたはずですが、この辺で恐らく四連装発射管の設計か製造が間に合わないことがはっきりしたのでしょう、この2隻は三連装発射管2基6門に変更されています。
また主砲については重心降下策と風圧面積抑制のためでしょう、単装砲塔に変更され、配置は後部デッキハウス上ではなくデッキハウス撤去後の後甲板に降ろされています。
つまり「有明」と「夕暮」は「初春型」と全く変わりがなくなってしまったわけです。