卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126
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金吾中納言:
バルジ装着により実用上問題無しと判断され艦隊に編入された「初春型」ですが、事はそれほど単純なものではありませんでした。
「初春」「子日」の竣工した翌年の1934年(昭和9年)3月12日、あの「友鶴事件」が発生したのです。
佐世保を出動して訓練中だった水雷艇「友鶴」が荒天の為に転覆してしまったのです。
この友鶴転覆事件は「初春型」の存在を大きく揺るがすことになります。
しかも事件発生当時「初春」「子日」は第二十一駆逐隊を編成して佐世保にあり、「友鶴」遭難の報を受けて捜索に出動しているという皮肉ぶりでした。
この「友鶴」は水雷艇という艦種ですが実態は小型駆逐艦であり、「初春型」とほぼ同一のコンセプトで設計されていました。
すなわち「小さい船体に重兵装」です。
しかも「初春型」と同様、公試時に異常傾斜(28ノット、舵角15度で30度傾斜)を起こし、バルジ追加による対処という点まで同じでした。
それが悪天候の中、追い風・追い波の状態で低速航行中転覆してしまったのです。
しかもこの荒天が何十年に一度という予想し得ない程度のものだったわけではなく、通常予想される範囲内の荒天であったことが、海軍をして更に激しく動揺させることになりました。
戦闘で敵の砲火の中を突き進むべき海軍艦艇が、天候によってあっけなく転覆してしまったわけです。