卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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747金吾中納言
試運転を開始した「初春」は、およそ37ノットをマークし、優秀な性能をアピールします。
しかし同時に、大きな欠陥を露呈してしまいました。
わずか10度の転舵(船の最大舵角は35度)で実に38度の傾斜を記録したのです。
諸元で見ても新造状態での復原範囲は当時59.2度(公試状態)となっており、「特型駆逐艦」で最も後期の「暁型」の値76.9度(公試状態)に比較しても相当に悪化していました。
これは実戦においてはもちろん、平時ですら無視し得ない大問題でした。
本型は就役前にして早くも失格の烙印を押されかけたのです。
そこで海軍は、両舷に30cmずつのバルジを追加して復原範囲を70.6度にまで増し、就役させることにします。
ここで打たれた対策は、当時としては理論上正しい対策でした。
現在であれば更に動復原力(艦を傾けるのに必要な力)をも考慮しますが、当時は静復原力(船が元の姿勢に戻ろうとする力)については理論研究がある程度進んでいたのに対し、動復原力についての研究はほとんど認知されていませんでした。
後にこの点を突くような重大な事件が発生することになります。

「初春」の異常傾斜事件の影響は、後続して建造中であった同型艦にも及びました。
まず、計画時の設計での完成は「初春」と「子日」に止まり、この2隻も就役する前にバルジが装着されてから就役することになりました。
また既に建造中であった「若葉」「初霜」については、建造中にバルジの装着が行われています。
続く「有明」以降の艦は、当時まだ工事がさほど進んでおらず、このバルジ分だけ艦そのものの幅を広げるように設計を変更しました。
また異常傾斜対策として舵を包丁型と呼ばれた形状のもの2枚とし、それぞれプロペラ(スクリュー)の後ろに配置されました。
このせいか「有明」以降の艦は本型とは区別され、「初春型」とは別個の「有明型」に区分されることになりました。