卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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745金吾中納言
総トン数による制限がつけられはしたものの、駆逐艦を重要な戦力と考える海軍は、艦型を縮小してでも隻数を揃えることを優先しました。
まず艦型については、ロンドン条約の最大1500t以下という制限に従うことにします。
しかし兵装については、「吹雪型」からの大幅な後退を認めませんでした。
つまり、条約の定める排水量の制限内で、「吹雪型」に匹敵する性能を持った駆逐艦を要求したのです。
この要求を受け、艦政本部が立案した駆逐艦は、基準排水量にして1400tとされ、その船体には積めるだけの兵器を積むことになりました。
この画期的中型重兵装駆逐艦こそ、本型「初春型」です。

しかしここで日本海軍は気付くべきでした。
基準排水量1680tの大型駆逐艦である「吹雪型」でさえ、あれだけの兵装を実現するには軽合金を使うなどの涙ぐましい努力を重ねたのです。
その性能を、排水量にして300t、約2割弱少ない船体で実現しようと言うのです。
計画段階からして、無理が生じることは容易に想像が出来たのです。
なぜこのような無理な設計がなされたのかは、具体的な証言のある文献が手元にないので、はっきりしたことは言えません。
恐らくは、軍縮条約という軍にとっての国難の前に、技術陣は用兵側の要求を呑まざるを得なかったのではないのでしょうか。
この危惧は完成後、即座に現実の問題として「初春型」の上に圧し掛かってくることになったのです。