卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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738金吾中納言
さて、昭和初期に相次いで竣工した「3型」を含む「特型」諸艦ですが、1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦を迎えた時は、その艦齢は既に10年近くが経っていました。
しかし、事故で沈没した「深雪」を除く23隻全艦が、未だ第一線の水雷戦隊を構成していたのです。
その実力は、航続距離の不足以外は、新鋭「甲型駆逐艦」と比べても何ら遜色がなく、雷装の同時発射本数9本という数字に至っては、依然最有力の座を保っていたのです。
消耗と性能劣化が著しい駆逐艦の世界にあって、これは驚くべき長寿でした。
しかも、単に現役に籍を置いていただけでなく、列強の主力艦隊型駆逐艦と対等に戦える性能を保持し続けていた点は、ただただ驚嘆する以外にありません。
「特型」は、正に「10年先を行く超前衛的駆逐艦」だったのです。

開戦時、「3型」4隻は、揃って第六駆逐隊を編成していました。
緒戦の南方攻略戦の後は、北方作戦に投入されますが、そこで「響」だけが空襲によって損傷してしまい、「3型」では唯一、ガ島方面へは投入されないことになります。
残る3隻はガ島方面に進出し、「第三次ソロモン海戦」などを歴戦します。
が、晩年は他の新旧駆逐艦と同様、船団護衛に従事することになり、やはり米潜水艦が死の使い手となったのです。
しかし「響」だけは、「特型」の栄光を守るかのように、可動状態で生き残り、有終の美を飾ったのです。