卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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732金吾中納言
改良は、「特型」第二陣である、昭和2年度計画艦に大々的に採用されることになりました。
導入された新技術には、以下のようなものがあります。
主砲の高角砲化(B型砲架の導入)、方位盤照準装置の追加、発射発令所の独立、お椀型吸気孔への改正などがそうです。
新規技術の導入に当たって、ジュネーヴ条約との兼ね合いから、「改1型」という中途半端な艦型を生み出すことにもなりましたが、その他の計画艦は順調に起工され、これらは「2型」と呼ばれることになります。
尚、「改1型」を含む「2型」についての詳細は、当該項目を参照して下さい。
更に、「2型」の新造時にはなかったものの、後に追加装備となったものに、魚雷発射管の防盾もあります。
これらの新装備の追加により、「特型駆逐艦」は、より一層強力になりました。
しかし、ほとんど非の打ち所がないかに見えた「特型」ですが、海軍には唯一点、非常に不満に思っていた点があったのです。
それは、機関部の性能不良です。
いえ、正確に言えば、機関部の性能不良等から来る、「特型」の航続距離です。
要求性能では、最大5000海里を目指していたのですが、完成艦では4500海里に止まってしまったからです。
この航続距離だけが、海軍の要望を満たさない点でした。
そしてもちろん、このただ一つの欠点を消し去るべく、海軍は行動を起こしました。
機関部の性能不良とは、馬力や信頼性という問題ではありませんでした。
不良であると認められたのは、その重量です。
「1型」でわずかに触れましたが、「特型駆逐艦」は、厳しい要求を満たすために、計画時からかなり贅肉を削ぎ落とした艦型にならざるを得ませんでした。
その為、船体はもちろん、船に搭載する兵器や艦橋などの艦上構造物、更には主機すら厳しい重量制限を課せられていたのです。
ところが竣工した「1型」を調べてみると、重量が当初の計画を上回っていたのです。
殊に機関部の重量超過は重大で、およそ100トンも超過していたそうです。
これは、艦本第五部(造機部)部長が懲罰を受けたほど、海軍にとっては看過できない問題だったのです。