卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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720金吾中納言
同型艦略歴

浦波
昭和 2年 4月28日 佐世保工廠にて起工
昭和 4年 6月30日 佐世保工廠にて竣工
昭和19年10月26日 マニラ湾内にて、空襲によって沈没

綾波
昭和 3年 1月20日 藤永田造船所にて起工
昭和 5年 4月30日 藤永田造船所にて竣工
昭和17年11月15日 第三次ソロモン海戦にて、水上戦闘によって沈没

敷波
昭和 3年 7月 6日 舞鶴工作部にて起工
昭和 4年12月24日 舞鶴工作部にて竣工
昭和19年 9月12日 海南島沖にて、米潜の雷撃によって沈没

朝霧
昭和 3年12月12日 佐世保工廠にて起工
昭和 5年 6月30日 佐世保工廠にて竣工
昭和17年 8月28日 サンタイサベル島付近にて、空襲によって沈没

夕霧
昭和 4年 4月 1日 舞鶴工作部にて起工
昭和 5年12月 3日 舞鶴工作部にて竣工
昭和18年11月25日 セント・ジョージ岬沖海戦にて、水上戦闘によって沈没

天霧
昭和 3年11月28日 石川島重工にて起工
昭和 5年11月10日 石川島重工にて竣工
昭和19年 4月23日 マカッサル海峡にて、触雷によって沈没
721金吾中納言:2007/06/01(金) 22:17:43 ID:5KUsPVBc
狭霧
昭和 4年 5月28日 浦賀船渠にて起工
昭和 6年 1月31日 浦賀船渠にて竣工
昭和16年12月24日 ボルネオ島クチン沖にて、蘭潜の雷撃によって沈没


昭和 4年11月29日 佐世保工廠にて起工
昭和 6年10月31日 佐世保工廠にて竣工
昭和17年10月17日 キスカ島沖にて、空襲によって沈没


昭和 4年10月25日 藤永田造船所にて起工
昭和 6年 7月31日 藤永田造船所にて竣工
昭和19年11月13日 マニラ湾内にて、空襲によって沈没


昭和 5年 2月21日 舞鶴工作部にて起工
昭和 7年 5月19日 舞鶴工作部にて竣工
昭和19年 1月14日 パラオ諸島沖にて、米潜の雷撃によって沈没


昭和 4年12月24日 浦賀船渠にて起工
昭和 3年 6月30日 浦賀船渠にて竣工
昭和20年 9月15日 除籍。後に解体
722金吾中納言:2007/06/01(金) 22:19:25 ID:5KUsPVBc
次回予告

暁型 【AKATSUKI class】 特3型 【Special type Model 3】
723金吾中納言:2007/06/01(金) 22:28:50 ID:5KUsPVBc
暁型 【AKATSUKI class】 特3型 【Special type Model 3】

要目(計画時)
基準排水量 1680t
公試排水量 1980t
全長 118.50m
全幅 10.36m
平均吃水 3.20m
主機械 艦本式オールギヤードタービン2基
軸数 2軸
主缶 ロ号艦本式専焼缶3基
機関出力 50000馬力
速力 38ノット
燃料搭載量 475t(?)
航続距離 14ノット−5000海里
乗員 233名
主要兵装
 主砲 50口径12.7cm連装砲3基
 魚雷発射管 61cm三連装発射管3基
 機銃 13mm単装機銃2基
 爆雷投下軌条 2基
 爆雷投射機 片舷用2基
基本計画番号 F43
同型艦
 総数 24隻
 1型(吹雪型) 9隻
 改1型(浦波型) 1隻
 2型(綾波型) 10隻
 3型(暁型) 4隻
同型艦一覧
【3型】: 暁、 響、 雷、 電
724金吾中納言:2007/06/01(金) 22:30:11 ID:5KUsPVBc
日本のみならず、世界駆逐艦史上にその名を残す「革命的近代駆逐艦」、それが本型「吹雪型」です。
「吹雪型」は、武装・船体等の仕様の差異から、更に「1型」「改1型」「2型」「3型」の4タイプに分けることが出来ます。
3項は、「3型」の詳細について解説をすることにします。
また、本項を含む「1型」「2型」の解説中において、「本型」と記した場合は、各々の項の主役たる「1型」「2型」「3型」をそれぞれ指すものとし、「吹雪型」そのものを対象とする場合は、「吹雪型」あるいは「特型」の名称を用いることにします

1922年(大正11年)、ワシントン軍縮条約が締結されました。
主力艦の保有数を制限するこの条約により、戦艦の保有数を対米6割に抑え込まれた日本海軍は、米太平洋艦隊の迎撃作戦に抜本的な見直しを迫られることになりました。
そして導き出された解答の一つが、水雷戦隊による敵主力艦へ漸減作戦です。
軍令部は、この襲撃任務を満足することのできる、艦隊型駆逐艦の整備に躍起になりました。
日本の駆逐艦に求められる能力は、この軍令部の要求から察することが出来ます。
それは、決戦場と予想される内南洋まで独力で進出しうる強靭な耐波性と、敵主力艦に対する襲撃を有効ならしめる重雷装でした。

725金吾中納言:2007/06/01(金) 22:30:52 ID:5KUsPVBc
八八艦隊計画案までの駆逐艦の任務は、やはり米主力艦への魚雷襲撃でしたが、その背後には米主力艦とほぼ同等の戦力の日本主力戦艦部隊が控えていました。
万が一、水雷戦隊による襲撃が失敗に終わったとしても、日米主力艦同士の砲戦に致命的な影響が波及することはないのです。
ところが、対米6割に抑え込まれたワシントン条約後では、水雷戦隊による米主力艦への魚雷襲撃が失敗することは、即ち、6割の主力艦で10割の米主力艦を撃滅しなければならないことを意味したのです。
戦力自乗の法則によれば、36対100、日本海軍が猛訓練を積んだとしても、ほとんど勝ち目のない戦力格差がそこに生じることになるのです。
即ち、それまで単なる補助戦力に過ぎなかった駆逐艦戦力が、一躍、主力艦と肩を並べるほど重要な戦力となったのです。
726金吾中納言:2007/06/01(金) 22:31:34 ID:5KUsPVBc
この要求を明確に具現化した初めての駆逐艦が、「吹雪型(特1型)」です。
「吹雪型(特1型)」は、従来型の艦隊型駆逐艦に対して、砲撃力・雷撃力ともに5割増、航続距離の増大と強靭な耐波性を兼ね備えた、まさに「革命的」駆逐艦でした。
就役した各艦は、用兵側からも絶賛されることになり、列強海軍からも感嘆と嫉妬、そしてまた脅威の的となりました。
予期した以上の成果を「特型駆逐艦」に見て取った海軍は、米太平洋艦隊漸減作戦の切り札として、本型の増勢を図ります。


727金吾中納言:2007/06/01(金) 22:32:17 ID:5KUsPVBc
「吹雪型」は、旧式とは言え300隻からの駆逐艦を保有していた米海軍の物量に対し、個々の艦の戦力を高めることによって少しでも差を埋めようとする、いわゆる「個艦優越主義」に基づいた艦型でもありました。
従って、艦の性能は高ければ高い程よく、また戦術上の都合から生じる同型艦の必要性を損ねない範囲内での性能向上は、海軍にとっての至上命題でもあったのです。
そして当時、日進月歩だった各種技術、特に砲雷撃指揮装置技術と機関技術の向上には目覚しいものがありました。
海軍は逐次、これらの技術の導入を決定します。
この措置は、カタログ・スペックだけが各艦の戦力を計る物差しであった平時においては、全く正しい措置でした。
もっとも、多少の質よりも量が求められる戦時においても、この思想が抜けきらなかった辺りに、日本の硬直性が見て取れますが……。