卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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715金吾中納言
さて、これらの改正を加え、「特型駆逐艦」をより新式かつ強力にせんとした海軍ですが、特に「B型砲架」の開発完了までにはかなりの時間が必要でした。
こういった事情から、海軍は新規建造について、翌年(1928年・昭和3年)から開始する方針であったようです。
ところが、その海軍を慌てさせる事態が起きました。
1927年(昭和2年)に開催された、ジュネーヴ海軍軍縮会議です。
ジュネーヴ会議の主要な議題は、補助艦艇保有量の制限だったのです。
交渉の進展状況から、どうも日本に思わしくないと感じた海軍は、急遽「特型駆逐艦」の増産を開始することにしたのです。
これはワシントン軍縮会議の際の戦艦「陸奥」と同様の手法でした。
つまり、会議が結論を出す前に建造に着手しておき、既得権として保有を認めさせようという手段です。
これを受けて、1927年(昭和2年)4月末、「浦波」が起工されます。