卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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700金吾中納言
米海軍軍人の本型に対する憧憬の情を、端的に表すエピソードがあります。
後のロンドン軍縮条約に出席した米海軍提督が、日本代表員にこう漏らしたと言うのです。
「『特型』50隻と交換なら、我が駆逐艦300隻と喜んで交換しよう」
「特型」駆逐艦、後に24名を数える戦乙女たちの絶頂期でした。
このエピソードが示すとおり、リタイア寸前の旧式駆逐艦を我慢して使用する米海軍にとって、本型「吹雪型」は垂涎の的であり、同時に国防への圧倒的なる脅威にもなったのです。
そして結局、本型の登場が、その優秀さが、補助艦保有量制限を目的としたロンドン軍縮会議の引き金になったのです。
ところで、いざ建造を始めようと言っても、予算がつかなければ建造は出来ません。
そこでその予算措置なのですが、その経緯を見ると、ワシントン条約後の海軍軍備計画改定のどたばたが浮かんできます。
というのも、本型のうち最初の5隻分は、大正12年度に建造が認められた「睦月型」を含む1400t級駆逐艦24隻のうち、建造を中止した8隻分の予算を充当しているからです。
この予算流用は毎年要求されていたそうですが、その都度、政治的な理由で認められなかったのです。
それでもようやく1926年(大正15年)に認められ、また同年度分として更に4隻分の予算が通ります。
この9隻分の予算を執行したものが、本型「1型」になります。
建造はその年の内に開始され、5隻が起工。
1927年(昭和2年)に残りの4隻が起工されました。
余談ですが、唯一の「改1型」である「浦波」は、予算措置が「1型」各艦と全く異なる艦であり、その艤装上は「1型」に近いものの、どちらかと言うと「2型」先行艦という色彩が濃いように思えます。
従って、「改1型」の解説は、「2型」と共に行うこととします。