卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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699金吾中納言
その一方で最大速力は、本型は極めて満足のいく結果を見せたのです。
当初の計画では、速力39ノットを発揮する予定だった本型ですが、過大な性能要求の結果、見積もりを修正せざるを得ない状況になっていました。
1925年(大正14年)の改訂で、計画速力は38ノットに落とされたのです。
ところがいざ公試運転を始めてみると、本型の各艦は38ノットに止まらず、39ノットに迫る高速力を示したのです。
本型の数値に表れない隠れた特徴としては、居住性の大幅な向上が指摘できます。
本型以前の駆逐艦では、例えば艦橋も露天艦橋であり、波しぶきが容赦なく飛び込むような構造でした。
冷蔵庫も医務室もなく、駆逐艦乗りは忍耐を強いられる状況にあったのです。
これが本型になると、艦橋は密閉構造を持つようになり、戦闘時はもちろんのこと、通常航海時においても艦橋勤務者の疲労を軽減することが出来ました。
また冷蔵庫や医務室も備えられ、従前の駆逐艦に比して長大な航続距離を持つ本型乗組員の健康・士気の維持、向上に果たした役目は計り知れません。
これだけ卓抜した性能を持った本型は、その竣工・公開と共に、国内はもちろん、諸外国に一大センセーションを巻き起こしました。
主砲12センチ、速力34ノットと控えめに公開された数値を信じても尚、列強海軍の目にとって、本型は「理想的駆逐艦」そのものに写ったのです。
本型と比肩しうる性能を持つ駆逐艦は、当時どの海軍も持ち合わせてはいなかったからです。
わずかにフランス、イタリア両国が、巡洋艦代替兵力としての大型駆逐艦を保有していましたが、これらは排水量こそ本型を凌駕していましたが、兵装については本型の比ではなく、本型は「世界最強・最精鋭駆逐艦」の栄誉を欲しいがままにしたのです。
特に、第一次大戦以後、かなりの長期間駆逐艦の新造を行えなかった米海軍は、本型の颯爽たる登場に対し、最も鋭敏に反応した海軍でした。