卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126

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676金吾中納言
これは、ロンドン軍縮条約(1930年・昭和5年締結)の影響によるものです。
この軍縮条約の主たる対象が補助艦艇の保有数の制限にあったことから、海軍は駆逐艦名に不足を生じるほど保有することが出来なくなったためです。

さて、太平洋戦争における「神風型」各艦は、旧式艦ではあるものの、まだ水雷戦隊を構成しており、緒戦から各戦線へ投入されています。
そしてその活躍ぶりは、新鋭駆逐艦に負けないものでした。
緒戦ではウェーク島攻略戦を始め、マレー作戦、アリューシャン作戦にも参加しています。
また、戦史上非常に有名な「第一次ソロモン海戦」に、本型の一隻である「夕凪」が、三川艦隊唯一の駆逐艦として参加しています。
しかし中期以降は本型の旧式化は隠すべくもなく、特に対空能力の著しい不足において、本型は第一線級の駆逐艦たる資格が奪われてしまいました。
そこで本型は「峯風型」と同様、船団護衛の任務に就くことになりました。
本型による護衛作戦は、一部では極めて好成績を修めました。
既に高速性能を失っていた「峯風型」とは異なり、本型の快速は敵潜制圧には非常に有効であったと言われています。
高速の駆逐艦が護衛に参加していると、潜水艦にとっては都合が悪いのです。
潜水艦は、潜水することで隠密性を発揮するのですが、反面潜水したままでは目標を追尾することや襲撃することが困難だからです。
第一次世界大戦のUボート戦の戦訓を日本で初めて取り入れた本型は、しかし姉妹艦9隻のうち4隻を潜水艦との戦いによって失ってしまったのです。
本型の奮闘は米軍も賞賛してはいるものの、旧態依然とした対潜兵器、そして古い戦術思想では、独潜ほどではないにしても最新鋭の装備と、ドイツから実戦で学んだウルフ・パック戦法を駆使する米潜水艦に対して、互角に渡り合うにはあまりにも非力だったのです。