卑劣な犯罪者、小林一美実行犯(45)に実刑を望む声多数★126
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金吾中納言:
解説
本型は、「峯風型」の改正型駆逐艦です。
1917年(大正6年)、日本海軍はある画期的な艦隊整備計画を成立させました。
後に「八八艦隊計画」に発展する「八四艦隊計画」です。
この整備計画は、日本海軍がアメリカ太平洋艦隊を迎撃する為に必要な艦艇を一挙に整備しようという、超大型軍備拡大計画でした。
およそ当時の日本の国力の限界の遥か遥か上をいく、無謀極まりない計画だったのですが、その是非はともかくとして、そこでは強力な新式戦艦群が計画されたのです。
日本の八八艦隊時代の戦艦の特徴は、全てが計画速力26ノットを超える高速戦艦であり、巡洋戦艦に至っては計画速力30ノットという具合でした。
これに対抗するアメリカ三年計画も、特に巡洋戦艦が33.3ノットという高速を発揮する予定でした。
太平洋でこれを迎撃する日本海軍は、これら新式戦艦群の性能に対抗しうる補助艦艇をも欲したのです。
従って、八四艦隊で計画される駆逐艦に要求される最優先事項は、太平洋の荒波を乗り越えられるだけの良好な凌波性能と、アメリカ巡洋戦艦を捕えるに足る高速性能でした。
この結果計画された駆逐艦が、「峯風型」です。
「峯風型」は極めて優れた性能を持った駆逐艦となりました。
同時期の諸外国の駆逐艦に比べ、特に砲力と速力において勝る成功作となったのです。
しかし完璧な駆逐艦など有りはしないわけで、やはり改装などによる重量増加などのため、重心の上昇が懸念されるようになりました。
15隻建造された「峯風型」に続き、これら改正点を吸収した「改峯風型」として計画された艦隊型駆逐艦が、本型「神風型」です。
本型は、「峯風型」の後期型である「野風」を始めとする通称「野風型」を基本にしています。
主砲配置など、艦上構造物の配置はほとんど同様であり、また機関も計画段階では同一のものを採用する予定でした。
異なる点は、改装などによる重心の上昇に対応すべく、艦幅を広げて復原性を確保した点です。
そのため、本型は「峯風型」に比べ、排水量がやや増加し、また速力が2ノットほど低下することになりました。
この「艦幅を広げて復原性を上昇せしめる」という考え方は、この後の日本駆逐艦群にも受け継がれますが、しかし「初春型」において破綻を来すことになります。