>>951 答えられていないし間違いがあるので続いているわけで
君も早く間違いを認める素直さを身につけなきゃ。
>>1 日本が立憲君主制だと思ってる墓゛w
ルソー曰く、「君民供治が存在するはずもない」
正にその通りだね。
日本には君主は居ないw
天皇はGHQの戦後統治の都合で生き延びたただの飾り。
1が挙げた国は全部ヨーロッパ系の国ばっかりw
1は非常に白人コンプレックスの有る人間だと思われます。
君主がいる国
サウジアラビア王国、ヨルダン王国、アラブ首長国連邦、タイ、ブータン、
ネパール、カンボジア。
日本は内閣総理大臣が実質的国家元首なんだよ。
戦後日本に独裁者が現れなかったのは、世界に誇る責任内閣制度のお陰。
国民に選ばれた国会議員により選ばれた国家元首(内閣総理大臣)が国を司る間接選挙方式と
万一首相がバカな事を始めても、たちまち内閣不信任を食らう抑制システムの成果である。
日本が評価されているのは世界に誇る憲法第9条のお陰。
天皇などものの数に入っていない。
日本の民主主義の発展を阻害している天皇制を入れたら評価は地に落ちる。
1の様に天皇を元首だとか君主だとか勘違いしている者が居るから
象徴であっても天皇が居た為に日本の民主主義の発展が阻害され
形式民主主義国になってしまった。
ただの飾りの天皇を君主だとか元首だとかにしている1のような輩は
民主主義を否定する危険な存在と言えよう。
954 :
朝まで名無しさん :2007/02/17(土) 13:11:59 ID:QQsWobdM
>>950 >日本は列強と並ぶ大国として国際連盟で拒否権を持つ程の国だった事とか
国際連盟で「拒否権」を出すのが、もう日本史の知識がいい加減な証拠だろ。
全会一致で反対することは、拒否権とは呼ばない。
日清日露、条約改正で日本が列強の仲間入りしても、欧米によるアジア植民地化は
続いているし、ロシアの脅威は依然としてある。
日本以外のアジア・アフリカがほとんど植民地になっている時代に、
日本に植民地化の恐れが皆無だったと断言するのは、歴史音痴の最たるものだろ。
H・スペンサーなんかどう思う?
>>952 明治大帝が発布された憲法を蔑ろにする事など
昭和天皇は考えもしない
あくまで明治大帝が定めた憲法の範囲と解釈できる中で
親政を行った
つまりは、大日本帝国憲法と当時の天皇制には
軍政に雪崩れやすくそれを止める術を持たないという
重大な欠陥があった訳だ
>秩父宮の「憲法を停止し、天皇親政を実施してはどうか」との建議
本庄日記あたりによると
書式書面があった訳でもなく。意見として述べたって事だね
時期も2.26の将校とのつき合いがあった頃
以降、大日本帝国憲法の元で天皇親政が謳われていった現実を見れば
昭和天皇が望まなかったのは大日本帝国憲法の廃止であった事も明白でしょ
957 :
朝まで名無しさん :2007/02/17(土) 13:20:50 ID:5DxrDlim
>>946 人権人権っていうけど、(世襲ゆえに)君主の人権が侵害されているなんて珍説は聞いたことがない。
欧州の立憲君主国はむしろ人権先進国だろ?
>>954 全会一致が原則の国際連盟で常任理事国がヤダという重みは
相当なものだったよね
植民地化の恐れを皆無にするために列強の仲間入りを目指し
それを果たした
日清日露後の日本で、経済問題や貿易の問題での軋轢を思う者は居たろうが
日本の本土が植民地化される懸念を持っていたものなどいない
960 :
朝まで名無しさん :2007/02/17(土) 13:26:00 ID:CxED8wYy
お勉強の目的が「言いがかりをつけること」っていうのは、 こち亀の両さんが部長に対してよくやるいつものパターンだな。
>>957 制度の違い
>>958 それに憧れ現在の天皇に象徴以上の意味を乗せようとする馬鹿に注意
というお話
馬鹿の跳ね具合が甚だしいものになるなら
それを理由とした廃止も提案されるかもしれないがね
>大日本帝国憲法と当時の天皇制には
>軍政に雪崩れやすくそれを止める術を持たないという
>重大な欠陥があった
事は理解できているんだな?
962 :
??? :2007/02/17(土) 13:31:26 ID:YvdOTRKj
日本は現在、世界に広範に拡大している新植民地化という現象に晒されている。 ワーキングプアや非正規社員の激増は新植民地化の進展を物語っているので ある。つまり、収奪対象なのである。(w この問題の解決策は神権政治の実施により、国民を神のもとで平等な臣民として 位置づけ、産学官を大政翼賛化することである。(w 臣民が快く神に仕える大日本帝国の栄光は人々を心酔させてやまないであろう。
ハーバード・スペンサーが当時の啓蒙思想家に広く支持されていたことは 云うまでもなく、伊藤が憲法を創る際にスペンサーからお墨付きの手紙を もらったことやその手紙の内容について「菊と刀」に書かれている。 日本人が欧米気にしすぎの時代に作られたもんだから その「時代には」合ったもんだったといえる。 Meiji statesmen were quite conscious about their objective. During the eighteen-eighties Prince Ito, framer of the Constitution, sent the Marquis Kido to consult Herbert Spencer in England on the problems lying ahead of Japan and after lengthy conversations Spencer wrote Ito his judgments. On the subject of hierarchy Spencer wrote that Japan had in her traditional arrangements an incomparable basis for national well‐being which should be maintained and fostered. Traditional obligations to superiors, he said, and beyond all to the Emperor, were Japan's great opportunity. Japan could move forward solidly under its ‘superiors' and defend itself against the difficulties inevitable in more individualistic nations. The great Meiji s tatesmen were well satisfied with this confirmation of their own convictions. They meant to retain in the modern world the advantages of observing ‘proper s tation.' They did not intend to undermine the habit of hierarchy. 上は原文。日本語知りたけりゃ講談社学術文庫の「菊と刀」P.102 >それに憧れ現在の天皇に象徴以上の意味を乗せようとする馬鹿に注意 >というお話 ああ俺は象徴でかまわんよ。
>>963 立憲君主としてのみ天皇を縛るものではなかった事も
大日本帝国憲法を見れば明らかだ
そしてその欠陥故に
天皇親政が謳われ天皇大権を御旗に軍政に流れていった事も
歴史が証明している
著名な人物の支持を借りて埋めようにも覆えない事実だよね
じゃ、以降
>現在の天皇に象徴以上の意味を乗せようとする馬鹿
には注意でヨロ
>>964 天皇親政は陸軍抑えるためと三国同盟に対する反対で出てきた問題。
天皇親政なら少なくとも三国同盟成立してないし、軍も暴走しなかった。
まあ2.26はちょっと違うけどね
昭和13年7月11日。統帥命令。
「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条橋の場合と言い、今回の
場合といい、中央の命令には全く服しないで、ただ出先の判断で、朕の軍隊
としてあるまじき卑怯な方法を用いるようなこともしばしばある。まことにけしからん
話であると思う。このたびはそんなことがあってはならんと思うが・・・
今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん。」(板垣に対して)
「出先の両大使(大島・白鳥)がなんら自分と関係なく、参戦の意を表したことは
天皇の大権を犯したものではないか。かくのごとき場合に、(陸将が)あたかも
これを支援するが如き態度をとることは非常によくない。」
こんな中のもの。
>>現在の天皇に象徴以上の意味を乗せようとする馬鹿
には注意でヨロ
俺は象徴でいい。つかずっとそんなものだと思っている。
>>965 天皇親政は挙国一致で戦争に向かう総動員態勢へのかけ声でもあった
>陸軍抑えるため
大元帥なんだもの、跳ね上がりを抑える気なら最初からやれた
結局、戦果があれば越権行為をなし崩しに許してしまった事が
軍の増長を招いた
>ずっとそんなもの
そこら辺の思い違いがおかしな解釈へと結びついているんだろうね
967 :
朝まで名無しさん :2007/02/17(土) 14:26:54 ID:QQsWobdM
>>965 現在の象徴天皇でも、すでに実質的に君主・元首。
憲法に君主・元首を明記したからといって、象徴以上の権限を持つわけではない。
政府見解を否定する者がいるようなら、日の丸・君が代同様、
混乱を避ける意味で憲法に明記するのもいいことだ。
>大元帥なんだもの、跳ね上がりを抑える気なら最初からやれた うんにゃ違うな。なぜそれができなかったか自分で調べるといいよ。 上の結果は板垣が「辞表を出します」といったから。で板垣がそもそも なんで選ばれたか調べたらいい。そちらの方は上とは別の「独白録」にある。
>>967 >すでに実質的に君主・元首
勘違いはお引き取りください
で、権威を夢見たい勘違い馬鹿が騒ぐ事こそが懸念材料だって話の後に
すぐこーいったレスを付けられる鈍感さに関心するよ
つかなぁ、天皇は君主・元首「である」なんて政治見解は存在しない
スレを無駄に消費するだけなんで連呼ちゃんはマジ勘弁して
>>968 できたよ、戦果を称揚するのが大元帥だとも解しており
明治大帝の戦争による領土の拡充を素晴らしい功績だとも思っていたからね
で、独白録は天皇訴追を免れるために作られたモノだって事は
理解できているよな?
>>969 >独白録は天皇訴追を免れるために作られたモノだって事は
>理解できているよな
そんなはっきりした証拠はどこにもない。そういう風に考えるやつはいつでもいるので。
上の件は複数の内容で書かれている。だから多角的に証明でき、
上でも「別の」と書いている。
>できたよ、戦果を称揚するのが大元帥だとも解しており
できない。もっとよく調べたら?
>>965 つかなぁ、それ統帥命令じゃない
7月20日、板垣陸相が張鼓峰事件で武力行使を上奏した際
すでに外務も海軍大臣も武力行使すべきでないと上奏していた事を知らず
賛成したなどと答えた事に激怒しての言葉
だが、武力行使が許されると思っていた現場がソ連兵が現れた事を理由に
張鼓峰ではなく別の侵犯事件として攻撃、戦果を上げた
で、天皇はこの戦果に対して「御満足の御言葉」を与えている
>>970 英語版の存在が独白録がいかなる意図で作られたのかを証明した
木戸日記とか杉山メモな
つーか、日付とかどーいった状況で発せられたものだとか
その後の結果も合わせて示さないと資料にはならないよ
>>971 それ昭和14年のそれノモンハン事件のことだよね?
責任スレでさんざやった流れになっちまいそうだが 移るべき責任スレは長文の応酬でパンクしてるし ここで続きをやってもいーもんなのかね??
>>972 で、それがウソである証拠がない。「側近日誌」とも一致してる。
>>973 そっちが
>>965 で昭和13年7月11日。統帥命令。
とか書いたのは誤りだって話、どこからの引き写しか知らないけどね
1938年(昭和13年)7月の張鼓峰事件
その時の板垣陸相の欺瞞への激怒だよ
>>975 >ウソである証拠
独白録の事だよね?
そりゃまるっきりの嘘は書かないよ
つか、書くために側近の記録とか摺り合わせもするし
で、免責を勝ち得るための意図はそこそこにあった訳だね
>1938年(昭和13年)7月の張鼓峰事件 >その時の板垣陸相の欺瞞への激怒だよ そうそう。そのこと。俺はあの言葉は明らかな大元帥の統帥命令だと思ってる。 ノモンハンは山田乙蔵に対して満蒙国境の厳守という大命が下してあったから 関東軍が進入してきたソ連に対して交戦したのは理由があり、満協同防協定の 立場から正当なことであると「御満足の御言葉」を与えている
>>978 >大元帥の統帥命令だと思ってる
で、そーならそーでちゃんと手綱を締めときゃいーものを
なし崩しの称揚だからね
動かすなといっておきながら
一方で勝手に動かしても戦果があればこれを咎めない
満州事変の頃から変わらないパターンだった
やったもん勝ち、戦果さえあれば誉めてもらえると軍が増長してくのは
当たり前の事だよね
>>977 免責の割にはずいぶん不利なこと書いてるけどね。近衛の不拡大方針
を主張したが、私は逆に盛んに兵力の増加を催促したとか
比島徹底守備をしようとする山下が正しかったとか一度どこかで敵をたたいて・・とか
>>979 >動かすなといっておきながら
>一方で勝手に動かしても戦果があればこれを咎めない
戦果の話ではなく、正当性の問題。ノモンハンは国境厳守の命令を下していた。
>>980 独白録は主に対米開戦に関しての免責狙い
で、まるっきり嘘を書くわけにはいかない
大元帥であった事は紛れもない事実だったからね
>>981 あのな
大陸命第154号をもって兵力集中は許可されたが
武力行使は別名だとされていた
正当性は無かったんだよ
>>982 その大元帥が正常に機能するような政体ではなかったということだよ。
統帥部が全部決めててからもってくるんだから
>>983 >>978 の
「ノモンハンは山田乙蔵に対して満蒙国境の厳守という大命が下してあったから
関東軍が進入してきたソ連に対して交戦したのは理由があり、満協同防協定の
立場から正当なことである」
のここまでは昭和天皇の言葉そのまんま。つまり「理由があるから正当だ」
との判断をしている。「戦果をあげたのでよかった」などとはいっていない。
>>983 追記
天皇の激怒を受けて、翌21日大陸指204号で
厳ニ紛争ノ惹起ヲ防止スヘシ
「ソ」連軍ヲ刺戟スルコトナキヲ要ス
と武力行使を強く戒めてもいる
>>986 国境内に侵入してきた敵を撃退するのは「刺激」ではなくて常識。
>>986 追記
張鼓峰は満州領が朝鮮とソ連領の間に食い込んだ部分にある標高150メートルの丘陵
>>984 >統帥部が全部決めててからもってくる
嘘吐かない、現に激怒された後
参謀総長は上奏の上、武力行使厳禁の指示も出してる
>>986 厳禁と言っていたのに動かした戦果があった誉めなきゃ
勝手に動かした事を不問にする理由はこれにしよ
てな感じが満州事変勃発から延々と繰り返されていた訳だね
>>987 という解釈をこじつけて誉めた訳だ
戦果さえ上げれば命令違反だって許され称揚されるなんて実例を
大元帥が率先して示していれば軍が増長するのは当然だよね
>>989 だから張鼓峰は満蒙国境からソ連領にはみだしたところ。
つまり日本側からの侵犯。 これは「刺激」
ノモンハンで賞めたのは国境内に進入してきたソ連軍の撃退。
質が違う。
>>987-988 つか、具体的にどれほどの国境侵犯だったかどうかすら微妙
隣の沙草峰に数名のソ連兵現れたを理由にしての攻撃だからね
>>992 筋違ってる訳だ
張鼓峰事件ですら誉めてるって話をしてるんだがなぁ
>>992 >具体的にどれほどの国境侵犯だったかどうかすら微妙
本人は事後報告受けて知っていただろうね。
論理は明確で国境を厳守すること。進入軍に対して攻撃するのは許せるが
こちらから進入してはだめ。ということ。それが理由。
「勝ったから賞めた」というのは微妙通り越してる。
>>994 厳禁されていた言い訳の余地のない侵犯すら戦果故に誉めている
満州事変も同じだよ
戦果こそを重要視した、これは太平洋戦争にあっても変わらなかった
>>995 その賞めた文章は誰が作ったの?
それと存在するならその分をそのまんま出してくれよ
7月31日、葉山ご用邸に滞在中の天皇に対し赴いた多田参謀次長が 事件を報告 「出来たことは致し方ない。然しよく止まった。第一線の将兵に定めし苦労であろうが、 しっかり国境線を固めて絶対それ以上出ないようにせよ、と伝えよ。」 10日前に板垣が叱責された事に怖じけていた次長は 天皇が拍子抜けするほどあっさりと事態を容認し、国境線に留まった という事で称賛までした
ことに安堵した 途中送信してしまったスマン
>>997 そこがよくやったと賞めてるの?「よく止まった」ということを賞めてるんだろ?
そんなものなら
「張鼓峰の急襲はこれで沙汰やみとなったが、その後、ソ連の方から
射撃してきたので一戦に及んだようである」っていう自身の言葉から
内容が納得できるし、問題はない。
要はこちらからの国境侵犯には怒り、国境内に進入してきた敵を撃退するのは
当たり前という話で、勝ったから賞めたという話ではない。
分捕った新たな国境線で止まったのは兵員の問題だった で、張鼓峰事件は後にソ連の猛反撃により独断武力行使の第十九師団は壊滅 モスクワでの外交交渉で停戦となったが、8月15日事件終結の報を聞いた天皇は 自重隠忍克クソノ任務ヲ完ウセルハ満足ニ思ウ といった御言葉を与え、天皇の結果優先の論理により 本来処罰対象となるべき独断専行の挑発者は英雄となってしまった訳だ
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