【小田久栄門】テレビ朝日の恥部【小林勇】★セクハラ王国

このエントリーをはてなブックマークに追加
2622
 だが、三浦の死でテレ朝の“専制政治”が終わったわけではなかった。のちに「天皇」と呼ば
れる小田久栄門の台頭だ。小田はもともと有力制作会社のオーナー一族で、その縁でNETに
入社してきた人物だ。三浦の子飼いだったにも拘らず、一足先に田代社長派に寝返っていた。
加藤元プロデューサーもこの頃はすっかり“小田派”だった。
 その小田が報道局次長として担当を任された『ニュースステーション』が始まったのは、
やらせ事件の渦中、昭和60年10月のことだった。
 当初は視聴率が6%台をウロウロする始末だったが、神風が吹く。米国のスペースシャトル
自己、フィリピンのアキノ政変をいち早く伝えたことで一気に軌道に乗ったのだ。

父親が大使だったので

 番組の成功で取締役編成局長にのぼり詰めた小田だが、致命傷になったのは、やはり「オンナ」
と「カネ」だった。
 知られているところでは、社旗を立てたハイヤーで産婦人科病院に入院している愛人を見舞った
帰りを“FOCUS”されたり、時代劇の出演女優にセックスを強要している会話を盗聴されてしまった
事件など、小田の女性問題については枚挙にいつまがない。
 そのなかでも小田にとって致命的だったのは、女性報道部員にセクハラ行為を働いた事件だろう。
 平成3年、テレ朝はパリ支局を移転するが、小田は女性報道部員を伴って現地を訪れる。
彼女は事前に小田の性癖を聞かされていた。が、現地でさっそく被害を受けた。
 深夜になると小田から「俺の部屋に来い」と電話がかかってくる。「嫌です」と断ると「業務命令だ」
と来る。思い余って東京にいる上司に相談すると、「行ったほうがいいんじゃないの」との答え。
だが、部屋に入ると案の定、パッと抱きついてきたという。
 彼女は大騒ぎして難を逃れたが、小田にとって不運なことに、この女性の父親はカンボジア大使
だった。娘からこの話を聞いた父親はテレ朝に「尾間の会社はどうなっているんだ!」とねじ込み、
社内は大混乱となった。