【小田久栄門】テレビ朝日の恥部【小林勇】★セクハラ王国

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22【週刊新潮 06.12.21号】
権力闘争から社内不倫まで
「テレビ朝日暗闘史」[特別読物]

元「テレビ朝日」関連企業部長 ジャーナリスト 原地 隆

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 テレビ朝日の現役プロデューサーが引き起こした巨額横領事件は、同社のタカリ体質が如実に
現れた不祥事だった。そして、この事件は、同社の隠蔽体質のまた露呈してしまったのである。
テレビ朝日で36年間、テレビマンとして過ごし、醜悪な権力闘争の数々や、オンナとカネへの欲に
まみれた様を目の当たりにしてきた原地隆氏が、その暗闘史を綴る。
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 恥を知らないとは、まさにこのことではないか―。
 私の古巣・テレビ朝日で1億3700万円にのぼる所得隠しが発覚した事件で、会社が下した処分
は本当にお粗末なものだった。
 事件の“核心”加藤秀之元プロデューサーは、制作会社に架空発注や水増し発注を繰り返し、
その見返りに銀座などでの豪遊、大名旅行の費用を肩代わりさせ、また制作会社に買わせた
外車を乗り回していた。
 国税はテレ朝に追徴課税を命じ、隠し切れなくなった会社はついに加藤に懲戒解雇を発表した
が、社長・会長が20%減俸3ヶ月、専務が30%3ヶ月というのは大甘の処分だろう。
 何しろテレビ朝日社長の年収は約7000万円もあるのだから生活に困るはずもないし、役員
3人の減俸分を合わせても1000万円にも満たない。
 何よりも、会社はなぜ加藤を刑事告発しないのか。君和田正夫社長は、「現金を授受した証拠
がないから横領で刑事告発しない」と釈明したが、これが横領でなくて何なのだろう。
 一介のプロデューサーがいとも簡単に億単位のカネを操作し、それを隠蔽する上層部。「業界の
体質」だからと済まされる問題ではない。私には、事件の背後にテレ朝の“不幸な歴史”が横た
わっている気がしてならない。それは、私自身が目の当たりにしてきたテレビ朝日の36年間その
ものでもあるのだ。
2322:2006/12/29(金) 05:14:14 ID:Mxx4aNS2
 ―昭和45年、私がテレ朝の前身・日本教育テレビ(NET)に入社した当時、会社は朝日の完全な
支配下にはなかった。主要株主は日経新聞(日本短波放送)と東映、旺文社、朝日の4社で、
影響力は今ほど強くなかった。ネットも大阪では毎日系のMBSが準キイ局だった。
 いわば“寄り合い所帯”だったわけだが、人事もいい加減で、縁故で入ってきた旺文社オーナー
の息子が、いきなりパリの駐在員に抜擢されるというようなこともあった。
 加藤は私と同い年だが、私より1年ほど後輩である。四国の放送局の経営者一族出身だという
加藤は、もともと大阪の毎日放送にいたものの問題を起こして辞め、途中入社してきた人物だった。
 その加藤が入社する際の身元引受人になったのが故・三浦甲子二だった。テレ朝社員でなくとも
この人物を覚えている人は多いだろう。かつて「テレビ朝日のドン」といわれた権力者だ。

芸能界ロッキード事件

 当時、三浦は取締役編成局長という立場だったが、私が入社してきたときには編成・報道・制作
の主要3部門を統括しており、すでに雲上人だった。
 この頃、朝日新聞は自前のキイ局を持ちネットワークを拡大することが急務だったが、その頃の
NET系列といえば10局足らずの弱小ネットだった。広岡知男・朝日新聞社長(当時)の強力な後押し
を受けていた三浦はその尖兵として奔走し、地方局の経営者一族出身の加藤を採ったのは系列
局対策ともいえた。
 加藤が入社すると、三浦は彼の一族の経営する放送局に出張するたび同行させていたが、この
頃から加藤の勘違いは始まっていたといえる。
 彼は自分が担当していた『川口浩探検隊』のロケ先で仕事を放り投げて女性タレントとデートした
り、お座敷ソングで有名な人気歌手S・Mに交際を迫るなど、トラブルは日常茶飯事、それでも、
上司は注意ができなかった。
「俺の保証人はジャガイモ(三浦の愛称)だ!」
 この一言が免罪符になったのである。
 昭和50年代に入ると三浦の権力はいよいよ強くなる。「芸能界ロッキード事件」が起きたのは
そんな時だった。これは昭和51年、無名歌手だった大原みどりを売り出す名目で、事務所社長が
大原の両親から2億2000万円を詐取したという事件である。
24ひみつの検閲さん:2024/08/15(木) 09:57:38 ID:MarkedRes
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削除日時:2015-05-12 00:51:25
https://mimizun.com/delete.html
2522:2006/12/29(金) 05:18:34 ID:Mxx4aNS2
 ところがその三浦に、思わぬ落とし穴が待っていた。ソ連のアフガン侵攻をきっかけに日本が
オリンピックをボイコットしたため、番組がまったく売れず赤字に陥ってしまったのだ。三浦の責任で
はないが、権勢を振りかざしていたぶんだけ親会社・朝日の見方は厳しかった。
 この問題をめぐって朝日新聞でも責任問題が持ち上がり、昭和55年、三浦の後ろ盾だった朝日の
広岡会長が退任する。
 それでも、三浦は相変わらず意気軒昂だった。子飼いの部下を麻布の料理屋に集め、
「今から中曽根(康弘)を呼ぶぞ」
 といって電話すると、30分ほどで鳥打帽と革ジャンを身に着けた本人が現れた。
「おう、中曽根。総理になりたいか。俺が近いうちに必ずしてやるからな」
 三浦はそう吼えていたが、その2年後、本当に中曽根政権が誕生する。
 だが、昭和58年、田代喜久雄副社長がテレ朝社長に就任すると三浦は権力を剥奪されてしまう。
無任所のまま専務にタナ上げされたのだ。
 本人は石原プロの忘年会で、「俺は今や何もセンム」と冗談を飛ばしていたが、昭和60年5月、
心筋梗塞で亡くなる。60歳だった。
 三浦は当時、妻と別居中だったことから、どこで死んだのかに関心が集まった。諸説あるが、私
は同僚の警視庁詰めキャップが耳打してくれた話が本当だと思う。
「三浦さんは倒れた時、六本木にある演歌歌手Nのマンションにいたんだ。麻布署も確認している」
 その名を聞いて、私は少なからずショックだった。
 その演歌歌手は三浦とは親子ほども年が離れていたし、男好きのする美人で、ワイドショーが
マーク、まったく別の芸能人を“彼氏”と睨んで追い掛け回していたのだから。もちろん彼女は今も
現役で、歌や芝居で大いに活躍している。
 ちなみに、三浦が無くなった年の10月、世にいう「やらせリンチ事件」が起きる。
 これは多摩川べりで少女がリンチを受けているシーンを“スクープ映像”として流したのだが、
実はディレクターが金品を渡して仕掛けた“芝居”だった。この事件ディレクターは逮捕されるが、
社内では「三浦さんさえ生きていれば事件にならなかった」と真顔で言う社員もいたのである。
2622:2006/12/29(金) 05:19:53 ID:Mxx4aNS2
 だが、三浦の死でテレ朝の“専制政治”が終わったわけではなかった。のちに「天皇」と呼ば
れる小田久栄門の台頭だ。小田はもともと有力制作会社のオーナー一族で、その縁でNETに
入社してきた人物だ。三浦の子飼いだったにも拘らず、一足先に田代社長派に寝返っていた。
加藤元プロデューサーもこの頃はすっかり“小田派”だった。
 その小田が報道局次長として担当を任された『ニュースステーション』が始まったのは、
やらせ事件の渦中、昭和60年10月のことだった。
 当初は視聴率が6%台をウロウロする始末だったが、神風が吹く。米国のスペースシャトル
自己、フィリピンのアキノ政変をいち早く伝えたことで一気に軌道に乗ったのだ。

父親が大使だったので

 番組の成功で取締役編成局長にのぼり詰めた小田だが、致命傷になったのは、やはり「オンナ」
と「カネ」だった。
 知られているところでは、社旗を立てたハイヤーで産婦人科病院に入院している愛人を見舞った
帰りを“FOCUS”されたり、時代劇の出演女優にセックスを強要している会話を盗聴されてしまった
事件など、小田の女性問題については枚挙にいつまがない。
 そのなかでも小田にとって致命的だったのは、女性報道部員にセクハラ行為を働いた事件だろう。
 平成3年、テレ朝はパリ支局を移転するが、小田は女性報道部員を伴って現地を訪れる。
彼女は事前に小田の性癖を聞かされていた。が、現地でさっそく被害を受けた。
 深夜になると小田から「俺の部屋に来い」と電話がかかってくる。「嫌です」と断ると「業務命令だ」
と来る。思い余って東京にいる上司に相談すると、「行ったほうがいいんじゃないの」との答え。
だが、部屋に入ると案の定、パッと抱きついてきたという。
 彼女は大騒ぎして難を逃れたが、小田にとって不運なことに、この女性の父親はカンボジア大使
だった。娘からこの話を聞いた父親はテレ朝に「尾間の会社はどうなっているんだ!」とねじ込み、
社内は大混乱となった。
2722:2006/12/29(金) 05:21:42 ID:Mxx4aNS2
 この事件は、やがて社長の耳にも届くところとなり、平成7年、ついに小田は関連会社のテレビ朝日
映像に出されてしまう。これで局内にも平穏が訪れたかと思われたが、その実、加藤のような残党が
しぶとく残っていたのである。
 ところで、この小田の不祥事には後日譚がある。
 平成12年、関連企業部長の職にあった私は、テレ朝の株式公開にあたり関連企業の役員報酬を
調べていた。上場されれば、そうした報酬もガラス張りにしなくてはならないからだ。
 ところが、小田はまたもやっていた。
 子会社に移ってから自分の報酬を勝手に吊り上げ、おまけにテレビ朝日に払うべき4200万円を
ちゃっかりネコババしていたのだ。私は小田の復讐を恐れる役員たちを説得して、平成13年にようやく
退任に追い込んだが、この頃になるともう会社にいる意味が感じられなくなった。定年までしがみつく
ような人生を送りたくないと思い、今年、この会社を去ることにしたのだ。
 最後になったが、この会社にはとんでもない醜聞がほかにもある。コネで入社した政治評論家
の娘のSM不倫写真が社内に流れた事件、部下の妻に手を出した専務etc.そして、一番の問題
はそういう問題を放置してきた事なかれ主義の朝日新聞からの天下り社長たちである。
 以前、広瀬会長(当時社長)は株主総会で「もっと質問してください」と株主たちに求めたという。
それならば、一株主になった私は来年の総会でぜひ聞いてみたいと思うのだ。テレ朝に自浄能力
はあるのかと―。(敬称略)

(了)