【謝罪か?】 昭和天皇の戦争責任を問う6 【退位か?】

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768tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/26(火) 23:26:24 ID:Z6IZMSeZ
>>761
>詳しいんだ?

詳しい訳じゃない。
ただ、ナチスに対する「人道上の罪」などの概念が、
戦後に登場したことを知ってるだけって話。(誰でも知ってること)

これ遡らせると、第一次大戦ではフランスとドイツで毒ガスの応酬なんで、
どっちを裁けばいいのか、って問題になるぞ。
(第一次大戦で敗戦したドイツ・ルール地方をイギリスやフランスがかってに占領するなど、
 当時の国際法まで無視してると思うぞ。)

戦時債務(1320億マルク1921年4月27日)を背負わされたドイツは、
否応なしにやがて戦争へと向かわされた状態だ。
(その他の国家間の債務関係・・・・・[木村靖二氏の研究による]
 ロシア・イタリア→34億ドル→フランス  ロシア・イタリア→81億ドル→イギリス
 フランス→30億ドル→イギリス  フランス→39億ドル→アメリカ
 イギリス→46億ドル→アメリカ  その他の国家→32億ドル→アメリカ)
769春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/26(火) 23:27:30 ID:8rTitAYD
>>765
御聖断は天皇は判断ですよ。
それ以外の意味はない。

そこまで日本語をゆがめられると、混乱するばかりです。
770春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/26(火) 23:30:15 ID:8rTitAYD
>>766
承認は決断の一形式ですね。
案をみずから作らないというだけで。

> 天皇は国務大臣らの決定を覆したりはしない。

公式な決定の前に打ち合わせをして、天皇の意思を反映させていると
何度いえば・・・
771tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/26(火) 23:35:05 ID:Z6IZMSeZ
>>767 :春畝堂 氏
昭和天皇と御前会議は、国民(有権者)の意思に背いてまで戦争を実行したんですか?
どうなの?

現在の研究だと、ひたすらマルクス史観を維持する井上清を覆すようなものばかりですよ。
ヒットラーユーゲントのように云われたマスコミの圧制者も、
その実、戦後の潮流の中で形成された虚構に過ぎなかったことも、俎上になってる。
772tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/26(火) 23:39:47 ID:Z6IZMSeZ
ひたすら亀ですが・・・・・イチオ m(__)m
>>312 :春畝堂 氏
>国民は言いたいことも言えない
>斉藤隆夫「粛軍演説」 (1936年5月7日)
>  今回の事件に対しては、中央といわず
> 地方といわず、上下あらゆる階級を通じて衷心非常に憤慨しております。・・・
> ことに、国民的尊敬の的となられたところの高橋蔵相、斉藤内府、渡辺総監の
> ごとき、誰が見たところが温厚篤実、身を以て国に許すところの陛下の重臣が、
> ・・・軍人の銃剣によって虐殺せらるるにいたっては、
> 軍 を 信 頼 す る と こ ろ の 国 民 にとっては、
> 実に耐え難き苦痛であるのであります。
> それにもかかわらず彼らは、今日の時勢、言論の自由が拘束せられておりま
> すところの今日の時代において、公然これを口にすることは出来ない。

あの〜、誤引用(?w)いただきましたよ〜に、代議士斉藤隆夫は、2・26に対し、
ちゃあんと歯に衣着せぬ意見、議場で展開させて意見しちゃってんですけど・・・?

(上の斎藤隆夫の演説は、2・26に対する国民の憤怒を代表するものであったが、
 軍への信頼が、直後に、現役武官の大臣登用制度復活を許してしまったことに
 注意しなくてはならない。→2・26を利した状態の陸軍統制派)

もち、日中間の戦争状態はすでに現実だったのだから、
戦時中のどの国でも行われてきたように、軍方面にとやかく言えないという言論統制はあった。

と・こ・ろ・が・・・・・(ジョージおじさんのことじゃないっすよ。)
http://blogs.yahoo.co.jp/sunburst_lane/19567881.html
 『言論統制』(中公新書、佐藤卓己著)を読みました。
 戦時中の言論統制というと、軍部の強力な指導や圧力により
 心ならずも新聞社や出版社は協力せざるを得なかったというイメージを漠然と持っていましたが、
 この本を読んでそのイメージは一面的なものに過ぎないと考えさせられました。
773春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/26(火) 23:40:11 ID:8rTitAYD
井上 清 『天皇の戦争責任』 172-173頁
---------------------------------------------------------------
 11月5日以降、天皇裕仁は陸海軍統帥部とともに、作戦の研究をつづけた。
いよいよ和戦の最終決定を下すべき12月1日がせまると、裕仁はまた、果たして
勝てるかどうか心配でたまらなくなった。それで26日、天皇は木戸に、日米会談
は最悪のばあいに立ちいたると思われる、ついては開戦の決定をする前にもう
一度重臣の意見を徴したらよいと思う、この気持ちを東条首相に伝えたいが、
どうだろうと相談した。木戸はつぎのように答えた。

「今度御決意遊ばされれば、真に後へはひかれぬ最後の御決定でありますので、
御不審の点、その他、こうもしてみよう、ああもしてみようというような御気持ちが
ある様であれば、御遠慮なく仰せいただき、御上としても後に省みて悔いのない
だけの御処置が願わしいと存じます。その意味で御遠慮なく首相にお申し付け
相成りまして宜しいと存じます」(木戸幸一日記11月26日)
---------------------------------------------------------------

天皇の「御決意」「御決定」に備えた処置です。
開戦には天皇の御聖断が必要だったということです。
774tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/26(火) 23:40:20 ID:Z6IZMSeZ
 本書は「日本思想界の独裁者」と言われた情報局情報官・鈴木庫三陸軍大佐の
 戦時中の活動の記録の検証を中心としています。
 鈴木大佐は超人的な苦学の末陸軍将校となり、陸大受験の機会を失うも
 東京帝大の派遣学生として教育学を専攻、やがて軍隊教育学という専門知識を縦横に駆使し、
 戦時中の言論統制の中心人物として活動しました。
 鈴木大佐は雑誌の指導から紙の配給まで絶大な権力を振るったため、
 言論統制に対する戦後の批判を一身に集めたのですが、本書ではその批判が果たして正当なものなのか、
 真実を踏まえたうえでの批判なのかが細かく検証されています。

 本書を読んで、無節操な人物というのはいつの時代も変わらないものであることを強く感じました。
 鈴木大佐にいわば取り入ることで自らは大いに恩恵を受けていながら、敗戦後に手のひらを返して、
 全ては他人事のように、あるいは嘘をついてまで、昨日の友をスケープゴートに仕立て上げる。
 このような恥知らずな行為はいつか著者の佐藤氏のような人によって
 必ず後世で批判を受けることとなることの好例です。
 もちろん鈴木大佐にも結果として日本を亡国に追い込んだ責任の一端はあるのかもしれません。
 しかし、同じく責任を負うべき人から破廉恥な批判を受けるに値するとはとても思えません。
 鈴木大佐は特に戦後は非常に無念であったと思います。
 その無念をしまいこみ、沈黙を守って世を去る人物と、
 宣伝の出来る立場にあることを利用して他者に責任をかぶせ、
 歴史を捏造してまで自己弁護を図る人物のどちらに共感を覚えるかは自明でありましょう。
 また、戦争当時身を張って鈴木大佐と対決した人物が、
 戦後の虚構の「物語」に不快感を持っていたというのも非常に印象的でした。
 
 一般的に流布されて歴史上の事実であると思っていたことが、
 実証的な検証によって修正を迫られることを体験できた、とても読み応えのある一冊でした。
775tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/26(火) 23:41:02 ID:Z6IZMSeZ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121017595/qid=1133985177/br=3-1/br_lfncs_b_1/250-1064951-8966610#product-details
 出自からして「負け組」だった鈴木が、文字どおりの苦学を経て出版検閲者にまで這い上がり、
 裕福な「勝ち組」文人たちを叱責する姿は、どこか爽快感さえある。そんな彼は、そこいらの
 エリート文人を優に凌ぐ切実さをもって、社会的弱者の救済を思っていた。そして、彼が
 考えた処方箋が、大 東 亜 の 共 栄 と、日本の 統 制 経 済 だった――

 当時、社会的にはエリートとして分類される出版・新聞業界人や文人は、鈴木「ごときに」
 とやかく言われるのを「屈辱」としか思えなかっただろう。また、戦後は特に、自らが
 おこなった戦争協力を隠したくて仕方なかっただろう。生きる上では仕方ない…。そして、
 その仕方なさのために、歴史が「捏造」されながら鈴木が「悪魔」のように描かれてきた。

 本書では、そうした「悪魔」イメージの鈴木という戦後史の定説が「破壊」されるプロセスを、
 裁判における弁護士のように証拠をたてていく著者とともに、スリリングに体感できる。
 そこには、誠実な歴史研究に裏うちされたエンターテイメントが存在している。

>言いたいことも言えない社会だったのに、tooo はどのようにして「国民の総
>意」なるものを探知してるんですかね。

氏のお言葉だと国民は常時(←所おじさんの話じゃナイッスよ)圧迫受けてて、
みたいお話になっちゃってっけど、これは統制経済から来るイメージなのであって、
最後の最後まで、真珠湾開戦の翌年まで、
一度でも選挙権を奪われたことがあるってわけじゃないんだから、
戦争遂行派の議員に投票しなけりゃ良かっただけの話。
それだけで、戦争に批判的だったという証明は充分。

ところが最後の最後には(←「結局」ともいう)、翼賛派に
ほぼ8割の得票を集中させてます。
776朝まで名無しさん:2006/12/26(火) 23:44:09 ID:Y+8jwH2w
>>770
>承認は決断の一形式ですね。

だが、天皇は大本営連絡会議の決定を承認せざるを得ない。
そこに天皇の自由も権限もないんだよ。決断とはいえない。
その証拠が、御前会議での天皇の歌による抵抗だろう。
777tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/26(火) 23:45:43 ID:Z6IZMSeZ
しかも統制経済自体もなぜだか、国民自身が支持しちゃってるんですよ。
http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r26813449
 昭和13年12月 『統制経済の理論・東京帝国大学教授/経済学博士 本位田祥男/著』

平等な国家社会主義型を選択していた、とさえ思えるほどです。
しかしこれにも、
アメリカの禁輸措置によって苦しくなってるという自覚は、国民にもあった。

なので、戦後になって、戦争に内心では反対してました、なんてのは、まやかしに過ぎない。
ちょうど、井上清が歴史を検証して近衛文麿批判を展開してみせたように。

これじゃあ、立憲君主的な立場に終始して臣民の政治を眺める状態だった者は、
動きようがないですよ。
(実際には、動いてんだけど、もはや無駄・・・・・独裁者じゃないんだから。)

そして、国民も開戦の理由については熟知していた。
それが真珠湾開戦についての新聞報道にも顕著で、
うかつにも国民が祝ったという歴史に明らかでしょう。
778春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/26(火) 23:47:46 ID:8rTitAYD
>>772
> 代議士斉藤隆夫は、2・26に対し、
> ちゃあんと歯に衣着せぬ意見、議場で展開させて意見しちゃってんですけど・・・?

議院での免責特権ですから。
以前にも言ったように、1940年の反軍演説では、斉藤隆夫は除名された。
それまでは言論の自由の最後の砦として機能していたわけだ。

> 『言論統制』(中公新書、佐藤卓己著)を読みました。

けっこう。思いこみによる理屈ばかりの議論は、こちらも疲れます。
事実をもとに論じていきましょう。
私も持っていますから、場合によっては頁数だけでもかまいませんよ。
779春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/26(火) 23:54:08 ID:8rTitAYD
>>771
> 昭和天皇と御前会議は、国民(有権者)の意思に背いてまで戦争を実行したんですか?

さあ? 国民の意思など関係なかったんじゃないですか。↓

朝日新聞 2006年12月18日 <声> 語りつぐ戦争
青森県弘前市 主婦 84歳
--------------------------------------------------------------
 18歳の高校生の「洗脳された人 経験を語って」(10月8日)を読みペンを
執ってみたくなりました。

 今思えば、学校では、どの教科でも教師が何かにつけて国粋主義的な方向
で生徒に話しかけ、導いていました。自国のことは何でも正しく、外国はそれと
比べてダメという感じでした。

 でも、明治生まれの母は自由な人で、フランスやロシアの小説を読み、反戦
的な考えを持っていました。私たち姉妹は学校で教育されていたためでしょうが、
母が日米開戦を知って思わず「ああ負けた」と言ったり、華々しい大本営発表を
「嘘ばっかり」と口走ったりするのに反発し、「非国民」となじったこともあります。
窓の外に人がいて聞かれないとも限らず、母の言動にハラハラする毎日でした。

 思想や発言の自由が統制され、違反すれば連行されて殺されるかもしれない。
殺されてまで自分の考えを語る人は、当時あまりいなかったのです。ドラマや
小説で反戦運動する人が出てきますが、そんな勇気のある人がいたとは、とて
も信じられない時代でした。
--------------------------------------------------------------
780春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/26(火) 23:59:24 ID:8rTitAYD
>>776
> だが、天皇は大本営連絡会議の決定を承認せざるを得ない。
> そこに天皇の自由も権限もないんだよ。決断とはいえない。

いつまで事実に目をつぶるつもりですか。
天皇の意思は事前の打ち合わせの過程で反映され、御前会議の決定という
形で確定した。御前会議の決定は天皇の決断でもあったということです。
781春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/27(水) 00:01:23 ID:8rTitAYD
tooo へ

議論の流れを無視した、その爆弾みたいな長文引用はやめてほしい。
後で読みますが、レスは明日にでも。おやすみ
782tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/27(水) 00:13:31 ID:Rjz5G5wm
>>778 :春畝堂 氏
>1940年の反軍演説では、斉藤隆夫は除名された。
>それまでは言論の自由の最後の砦として機能していたわけだ。

そう、そして除名までしたのは、当時の国民の意思を反映した代議士たちだ。
いわば国民が望んでいくような格好で、軍国体制を用意させた。
その背景には、日中戦争の長期化と、それを完遂する固い国民の意志があった。

>>773 :春畝堂 氏
井上清の歴史研究は精緻なので、一聴(?)に値すると思いますが、
(それが戦前の国家体制への反省にもつながるから)
大きな動きと捉えれば、結局、歴史の些少に他ならない。

(よく、マルクス主義方面で、なぜ革命後の社会が非人道の極地のような独裁制に陥ったのか、
 が、自問自答的に問われたりするが、原因を革命の最中の些事に求めても、
 結論など決して導き出せないように。
 つまり、そうしたことをあげつらってまで無謬性infallibilityを証明しようとするすることが、
 ひいては新体制を残虐無比なものとして完成させていく、とまで結論づけられる。)

>>779 :春畝堂 氏
なので、考え方における世代間の差があっただろうことは既出。
そして軍国教育の影響については、無視できないと言える。

ただし、30代を中心とする社会の中心世代が、
太平洋戦争についても主戦論であった例は、氏からご呈示いただきましたとおりですし、
その趨勢が日中戦争に起因し、こっちについては国民の大半が主戦論だったことは、
井上清も指摘するとおりです。

この感覚を失ってるどっかの党派は、戦前に反戦だったのは良いが(てか立派)、
現実の世論からは、永遠に乖離しっぱなしなのではないですか?(w
783tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/27(水) 00:18:57 ID:Rjz5G5wm
>>781 :春畝堂 氏
うおっ・・・・・グッナイ!

戦争が国民一丸だったこと、普選法施行後の世論形成の前には、
政府や天皇がけっこー無力だったこと(なので、対英米戦開戦)、
それを証明したいだけなのす。

長文爆弾攻撃、ごめんなさいす。××);;;
(性懲りもなくくりかえすかも知れませんが、それも含めて。)
784朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 00:47:29 ID:aiWMCLef
>>780
>いつまで事実に目をつぶるつもりですか。

そちらの方が、事実を歪めているんじゃないのか。
奏上・御下問を経ていれば、国策は全て天皇の意思といえるのか?
そうではないだろ。

奏上・御下問の内容は確認や激励が主だった。
昭和天皇は御下問が「命令」にならないように特に慎重を期していた。
だから、奏上や御下問があったからといって、国策が全て天皇の意思だったと
決め付けることはできないんだよ。
785朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 00:49:52 ID:aiWMCLef
>>780
>天皇の意思は事前の打ち合わせの過程で反映され

事前に天皇の意思が反映されていたのなら、あの歌を詠むことはないだろうが。
意思に沿わないことも承認せざるを得なかったということだよ。
786朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 00:59:35 ID:IIk5Iphk
戦争なんて勝てば官軍、負ければ賊軍でしょ
負けたから戦争責任ってか?
そもそも、資源に乏しい日本に勝算はあったのかね
ある意味、負けるとわかっていた戦争だったのでは

787朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 11:30:12 ID:/eSQ6jLk
>>747
君こそ下手な逃げはやめろ。
明らかに日本には専門家責任のような、一般の責任よりも重い責任を認める実務は
無いんだよ。いわんや、君たちのいうような、より重い指導者の責任なるものは、
どこを探してもその根拠はない。
そのことだけ認めればいいんだ。

対比のために持ち出したアメリカの実務についてどうこう言うな。
788朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 11:39:39 ID:/eSQ6jLk
>>756
不作為につき、その責任を問う、というロジックなら、まだ話は分かる。
「指導者としての責任」みたいな漠とした考えよりはね。

不作為につきその責任を問うというのならば、
作為義務の存在
作為の容易性
が少なくとも立証されねばならないが、昭和天皇の場合にどうか?
特に後者。
789tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/27(水) 12:44:12 ID:Rjz5G5wm
>>788
うおっ、見事な展開、サンクス!

>作為の容易性
>が少なくとも立証されねばならないが、昭和天皇の場合にどうか?

歴史本は、戦争への作為より非戦への作為が昭和天皇に存在していたことを
言って裏付けるものばかりだ。(井上清の東條英機首相誕生についてさえ)
790tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/12/27(水) 12:47:22 ID:Rjz5G5wm
既にご存知の方も多いと思うけど、
天災まで自己の責任とした聖武天皇の登場から「天皇」が始まった、
としては言いすぎだろうか?

http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200603100142.html
聖武天皇、仏教への深い帰依 きっかけは大地震? 2006年03月10日

 国分寺や東大寺大仏の建立を命じたことで知られる聖武天皇(701〜756)が
 行幸した直後にその一帯で阪神・淡路大震災級の大地震が起きたとみられることを、
 岡山大の今津勝紀・助教授(日本古代史)と隈元崇・助教授(地震学)が明らかにした。

 地震は734年4月に起きた。
 大阪を南北に走る生駒断層帯が動いた直下型とみられ、
 マグニチュードは7.0〜7.5で、7.3の阪神・淡路大震災並み。

 聖武天皇は地震直前の3月に難波宮(現在の大阪市)を訪れ、
 竹原井頓宮(かりみや)(大阪府柏原市)をへて平城京(奈良市など)に戻っている

 天皇は地震後の7月、「最近天変地異が多く地震もあった。責任は自分一人にある」として大赦を実施。
 同じ年には「人々の命を全うさせるために」と写経を、翌年には読経も命じた。

 京都女子大の瀧浪貞子教授(日本古代史)は
 「皇太子の夭折や光明皇后の影響など、聖武天皇が仏教に帰依する下地はすでにあったが、
  この地震によっていっそう強まったことは十分考えられる」と話している。

昭和天皇の実感したという責任も、この系譜の上にあるでしょう。
つまり、否応なく日本の一大事に重責を感じなければならない存在なんだよ、天皇って。

日本で民主主義を志向すれば帰結は人間天皇論なのに、なんで責任が問えることになる?
791朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 12:52:02 ID:DizJTN6E

>米の実務では、こういうケースに対しても、一定の責任を負わせられるんだよ。
アメリカの話など関係ない。
日本の天皇の話であり、しかも708でおまえは日本では議論もはじまっていない」「君たちは責任を」と書いたではないか。
ここは、米国では無いし、天皇もアメリカとは関係ない。
下手な逃げを打つより、素直に誤りを何故認めないのか。

>天皇の地位にあったというだけで責任を問おうという
>態度
天皇は明治憲法で「天皇自らが、天皇の祖先神に対して、永久に日本を統治」、さらに
「天皇は神聖不可侵」であり、「天皇は宣戦を布告し」、「軍隊を統率」する、と自ら宣言している。

また国体明徴宣言で、天皇は立憲君主的国家機関である、と説く「天皇機関説」を、
「不敬の極み」として排撃、「日本は天皇親政の神国である」と明示した。

これらの状況から天皇に責任が無い、とするほうがムリだ。
しかし、これらのことは高校教科書程度の、日本史の基礎事項であって、
ワザワザ列挙するまでも無いのだが、天皇教徒は知らぬフリか。
792朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 12:52:41 ID:DizJTN6E
「統治権の総攬者」の「攬」と742の書いた「覧」は全く意味が違い、単なる誤用。
略字ですらない。
因みに総攬、とは「全てを手に取る、まとめて取り扱う」という意味。
覧は「見る」という意味で、「まとめて」という意味はなく、誤用。

天皇が統治権の総覧者とされたのは、
国体思想の内実である「天壌無窮」から来ている。

また付言しておくと、天皇は総”覧”者であるという言い方をする場合、
「見ていただけで」実質的政治責任を負っていなかった、
という文脈で故意に誤解させるように使われることが多い。
793朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 12:53:43 ID:DizJTN6E
もっとも、
>御前会議での国務大臣の決定を天皇が覆したことは一度もない。
が事実であったところで、社長は取締役会で役員提案の案件を一度も拒否したことは無いので、
社長に責任はありません、なんて通る訳も無いんだが。
単に監督責任のほか、同席していて止めるべき立場、地位にありながら止められなかった「不作為責任」を、
追及される。
またそのほかにも、そういった失敗を犯した役員を選任した責任もある。

とはいえ天皇だけでなく、不祥事が露見したとき、日本では上の者が下の者に因果を含めて責任を負わせ、
自分は知らぬ顔、と言うのが当たり前の社会でもある。
794朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 13:00:38 ID:/eSQ6jLk
>>791
またか。

・・・・。さっぱり日本語の通じない相手と議論するのは、非常に苦痛なんだがね。

米の実務に言及したのは対比のため。
専門化責任すら認められていないのに、専門化責任よりさらに重い責任を
負わせようというのは何に淵源があるのかということだ。
明確に説明してみろ。

>天皇は明治憲法で
主体は明治天皇であって、昭和天皇ではない。
昭和天皇はその地位を継承しただけであって、責任は明治憲法を制定した明治
天皇および明治政府にある。
この責任を昭和天皇個人に負わせようというのなら、昭和天皇自身の責任を
明らかにしなければならない。
もし不作為でそれを説明しようとするのなら、昭和初期の段階において明治
憲法が改正されるべきであった必然性を立証し、その義務についても立証す
ること。さらに、それが容易であったことを証明すること。

もうひとつ付け加えるが、私は君たちの魔女裁判を糾弾しようというので
あって、昭和天皇を庇おうというのではないので。お間違いなく。
795朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 13:10:38 ID:DizJTN6E
>専門化責任すら認められていないのに、専門化責任よりさらに重い責任を
専門化責任・・・?
バカですね。
796朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 13:14:59 ID:DizJTN6E
>主体は明治天皇であって、昭和天皇ではない。
無教養。
天皇というのは、常に今の天皇だけが天皇であり、故に名無しで「今上」と呼ばれるのだよ。
また、代替わりしても「天皇」の主体は不変で、肉体という外部が変ったに過ぎない、
とされるのが明治憲法の拠って立つ、「天皇」理論だ。
明治天皇は昭和天皇でもある、と説いているのだ。

こんな基礎知識も無い人間が、えらそうに「ボクちゃんの天皇」論を語る、というのも2ちゃんならでは。
797朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 13:26:43 ID:DizJTN6E
>閉塞した局面を打開するのが目的だったのかもな。
その通り。
天皇は、自らを頂点とする神権天皇制国家と、軍国主義、帝国主義を破壊して、
多くの国民を犠牲にして、民主的「新秩序」を建設せよ、というカミの啓示を受けた。

だから、あの狂った戦争に踏み切った。やはり、カミの内なる声でも無い限り、
あんな凶行は常人には不可能。
798朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 13:28:20 ID:DizJTN6E
>たちはこの専門家責任よりもさらに重いものを政治的指導層に求めようとしてい
>るのに
責任は取らないのに「指導層」って何だ?
最終的、最高の責任を取るから「指導層」だろ。

それにしても、おまえ楽しい奴だな。
どうして、そんなに天皇を必死に庇うの?
笑っちゃうよ。
799春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/27(水) 13:37:15 ID:fBP+lMkh
>>788
> 不作為につき、その責任を問う、というロジックなら、まだ話は分かる。
> 「指導者としての責任」みたいな漠とした考えよりはね。

相変わらず詭弁臭が漂うレスですね。あなたの本能ですか。
不作為の対概念は<作為>でしょう。
<「指導者としての責任」>ではないです。

あなたと違って、私は天皇の開戦決断という「作為」に着目して責任を考えている。
そして天皇の開戦決断という作為の存在は、事実の問題ですから、<漠とした考え>
ではない。
多大な戦争犠牲に対して、天皇の開戦決断がどのような責任を負うべきか。
それが論点です。
天皇が開戦について何もしなかったという不作為論は、事実の問題として、出て
くる余地がないですね。
800春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/27(水) 13:42:19 ID:fBP+lMkh
>>789
> 歴史本は、戦争への作為より非戦への作為が昭和天皇に存在していたことを
> 言って裏付けるものばかりだ。(井上清の東條英機首相誕生についてさえ)

陸軍を抑えて開戦を回避するために東条を任命したことか?
とすると、tooo は、首相任命という重要な国務行為が天皇の意思で行われたと
認めるわけか?
従来の、輔弼機関の言うままに振る舞う人形天皇論からは一歩進歩したわけだ。
ならば、天皇が開戦について実質的な決定に関与したということも肯定しやすく
なったはずだね。
801春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/27(水) 13:45:22 ID:fBP+lMkh
>>790
自由に声をあげられなかった国民にとって、大東亜戦争は天災のようなもの
だと思うが、開戦を決断した天皇にとって、戦争は自己の行為の結果であって、
天災といって逃げるわけにはいかんだろ。

昭和天皇の開戦を聖武天皇の責任感に結びつけるのは間違ってると思うよ。
802春畝堂 ◆FI2q1GecFA :2006/12/27(水) 13:46:19 ID:fBP+lMkh
残りは、また夜にレスします。
803朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 14:40:27 ID:aiWMCLef
>>793
天皇は社長とは違い、国務大臣の輔弼が必要であり、独自の判断で決断する権限はなかった。
天皇が自ら判断したのは、内閣が機能不全に陥った2・26と終戦時のみだ。

さらに、明治憲法下の天皇に国務大臣の監督責任はないし、「止めるべき立場、地位」でもない。
しかも、戦争は「止めるべき」ものでもない。
その何重にも間違っているコピペ、いい加減やめれ。

804朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 14:47:00 ID:aiWMCLef
>>799
横レス失礼。
オレも上で詭弁といわれたがねw

当方の主張は、
>>803で述べたように天皇には国務大臣に逆らって作為できる権限はなく、
またその立場でもない。
過失がなければ責任を問うことはできないというもの。
805朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 14:58:04 ID:LdSntjOu
最近、右翼が幅を利かせているスポーツのイベントでは
視聴覚効果を利用して観衆の心に君が代日の丸を植え付けようと
必ずと言って良いほど国歌斉唱日の丸振り振りをするね。
この頃じゃぁ調子こいて起立まで求めるようになった。
バッカみたいw

日の丸君が代が何を意味しているかも知らない低脳だなwwww

漏れは、自分の子供には君が代日の丸が何を意味するかをチャンと教えているから、
低脳馬鹿ボンには成らんだろう。
806天ノ川 創:2006/12/27(水) 15:08:13 ID:5aLvMq6h
807朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 15:27:06 ID:/ABQ4qqS

国体が変わったら国旗国歌も変える、これ世界の常識。

天皇万歳のキチガイ国家から民主国家になったのだから、
それに相応しい新しい国旗国歌を定めよう!
808朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 15:46:39 ID:Rojig9V3
主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう。 
                 カール・シュミット
809椰子の実を国歌にする実行委員会:2006/12/27(水) 15:50:45 ID:+5toT1Gf
椰子の実こそ国歌に相応しい。

私達日本人の祖先は、海を越えて船に乗って、或いは氷の海を家族集団で渡って来た人達です。
椰子の実をその船や家族集団に見立てると、とても趣のある良い歌だと思います。

遥か昔に思いを馳せつつ、実社会の自分の故郷を思う。
日本と言う国を実に良く表した、日本人の心の歌です。
810朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 17:29:22 ID:DizJTN6E
リクエストにお答えして再掲。

もっとも、
>御前会議での国務大臣の決定を天皇が覆したことは一度もない。
が事実であったところで、社長は取締役会で役員提案の案件を一度も拒否したことは無いので、
社長に責任はありません、なんて通る訳も無いんだが。
単に監督責任のほか、同席していて止めるべき立場、地位にありながら止められなかった「不作為責任」を、
追及される。
またそのほかにも、そういった失敗を犯した役員を選任した責任もある。

とはいえ天皇だけでなく、不祥事が露見したとき、日本では上の者が下の者に因果を含めて責任を負わせ、
自分は知らぬ顔、と言うのが当たり前の社会でもある。
811朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 18:53:37 ID:/eSQ6jLk
>>796
要するに、生身の個人としての昭和天皇ではなくて、ちょうど機関説における天皇
を仮定しているの?実体の人間ではなく、理念としての存在として?

だったら勝手にしたら。

ちなみに現憲法下の天皇は、明治憲法下の天皇とは異なる存在です。昭和天皇は明治
憲法が規定する天皇の地位を放棄したのだから、その意味において既に責任はとった
といえるわけだが。
一体何に対して責任を問うというのかな。さっぱりわからない。
812朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 19:02:28 ID:/eSQ6jLk
>>799
詭弁という云いが理解できない。
私は責任を問うということの淵源を問いているんです。

例えば工事現場で事故が起こったとしよう。現場監督は安全を確保することにつき、
責任がある。しかし、事故が起こったからといって一意的にその責めを負わねばな
らないわけではない。負わせるとするならば、過失が立証されねばならない。

もちろん、過失だけがその淵源とは限らない。昭和天皇の場合は何なんだと。
813朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 19:04:18 ID:/eSQ6jLk
天皇だからといって、無限責任を負わねばならないとしたら、それは理不尽でしょう。
しかも、この天皇の地位は世襲であって、本人は回避しようがない。
本人の好むと好まざるとに関らず、無限責任を負わされるなど、非人道的にもほど
がある。
814朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 19:11:50 ID:/eSQ6jLk
>>805
日の丸は、日本を表わすマークであって、船旗として既に江戸時代には利用されていた。
それ以上でも以下でもない。
君が代の歌詞は正月等で利用されるおめでたい唄であって、これに西洋風のメロディ
をつけて日本の国歌にアレンジされたもの。
それ以上でも以下でもない。

>>809
日本人の祖先は海洋民族だけじゃないぞ。氷河期に陸続きになったシベリアから歩いて
渡ってきた民族もいれば、縄文時代の終わりに朝鮮半島や大陸の江南から渡ってきた
民族もいる。椰子を象徴にするなど、不公平だ。
815成仏出来んぞ:2006/12/27(水) 19:43:18 ID:viX37J7v

戦時中、島嶼では玉砕と称して日本兵はお互いに足を引っ張り合いながら団子になって死んでいった訳だが、
生き残った人が「彼らの死を無意味だったとは遺族には言えない」と言っていた。
どうすれば彼らの死を無駄にさせないことが出来るか、思い悩んでいる様でもあった。

日本では、未だに戦争の張本人、責任者である天皇の戦争責任が問われていない。
これを明らかとし、二度とこの様なことが起きない様に天皇制を廃棄する事こそが、彼らの死に報いることではないだろうか。
そうして初めて、戦争で死んでいった数百万の日本人の死が無駄ではなくなるのである。
816朝まで名無しさん:2006/12/27(水) 19:55:55 ID:/eSQ6jLk
>>815
まず第一に、誰かに責任を取らせることによって無意味な死に意味を持たせる
ことはできない。
次に、責任を取らせる対象として昭和天皇が妥当か。君の論からは妥当性が見出
せない。

せいぜい、行き場のない感情に対して、一時的なカタルシスを提供するに過ぎな
い。考慮するに値しない議論。
817朝まで名無しさん
>>811
>ちょうど機関説における天皇
>を仮定しているの?実体の人間ではなく、理念としての存在として?
きみは変なプライドばっかりだね。
君が天皇という制度について、
知ったようなことを書くから「それは、君の無教教というモノ」と指摘してあげたんだよ。
そしたら、天皇機関説がどうしたって?
実体の人間?
きみは人間の行為について、個々の人間性だけを見て、類型的な判断はしない、というのだな?
ならば、刑法も責任論も、全く否定するのだな。
まぁ、そういう考えが過去に無かったわけじゃない。
つまり、「この犯罪者は殺人を犯しているが、過去の行状が優れているので罪に問わない。
しかし、コイツは万引き犯だが、過去の行状が悪いので無期刑に処す。」という、
行為より人間に着目し、評価するというモノだ。
いわゆる刑法新派主義だ。
現在は全く支持を喪っているがな。

>だったら勝手にしたら。
教養が無い、といわれたのが悔しいのか。
きみは進歩しないな。
ダメだね。