拉致事件を本音で語れ!偽善排除 第四十章

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第35回秋季史跡踏査
 11月14日(火)登戸研究所跡・川崎平和館・日吉台地下壕の踏査を55
名の参加を得て実施した。

9:00登戸駅に集合し、講師の渡辺賢二氏(法政大学第二高校)の案内で
明治大学生田キャンバスにむかった。1937年11月手狭になった陸軍科学
研究所を東京から移転した陸軍登戸研究所は、生田校地から生田中学校
を含む規模をもっていた。第二次大戦が激しくなるにつれ、旧陸軍登戸
研究所では、陸軍中野学校出身のスパイや憲兵隊、特務機関員が中国、アジア、太平洋各地で使った偽札・病原菌・秘密カメラ・盗聴器・毒物・枯葉剤・害虫・風船爆弾などを、軍人が中心となり、技術者が働き、農家の人々が補助して製造した。
 正門近くの大きな動物慰霊碑前で説明を聞き、かつては本館を隠すよ
うに生い茂っていたヒマラヤ杉の木立を通る。図書館前には、陸軍の☆
印の入った消火栓が残っている。校地奥に残る平屋の木造建物は第3科
偽札工場として利用されていた。更に奥には元弾薬庫が残る。コンクリ
ート造の元第2科(毒薬・植物の細菌研究)は現在農学部の実験研究室
として使われている。当時の古い建物が壊され、新校舎に建て替えられ
ている現在学生会館2階窓には登戸研究所跡保存要望の紙が貼られてい
る。その会館前の自動販売機の所に残る陸軍☆印入り消火栓の頭部は外
され灰皿となっている。生田神社(旧弥心神社)の境内で、写真や濾過
器など当時使われていた実物を見せてくれながら説明してくださった講
師に感謝し、電車で武蔵小杉駅に向かう。