拉致事件を本音で語れ!偽善排除 第四十章

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こうした日本の戦略は、当然、国際社会から多批判を浴びました。
イギリスは既に、インド産アヘンの中国輸出をやめており、日本が
その後を襲ったからです。しかし日本は国際阿片条約をことごとく
破棄しました。こうした中で、二反長音蔵が活躍しました。音蔵は、
自分の立場は良く理解していたはずです。自分たちが作り、栽培を
奨励しているアヘンが、中国人を廃人に追い込んでいることは知って
いました。音蔵は満州国に招かれたとき、住民のアヘン吸煙が野放し
になっている状況をつぶさに見、阿片窟の探訪記まで書いています。
ですが、これを読んだ倉橋は「彼は安東の阿片窟で、多くの阿片中毒者
を見ても、彼等が、自分が下支えをしている日本の阿片政策の犠牲者
であるという認識をついに持ち得なかった。自分の仕事と、目の前で
阿片を吸っている中毒者との関係を認識しなかった。……中国人など
のアジアの人々に対する同情心が基本的に欠如していた」と書いていま
す。