拉致事件を本音で語れ!偽善排除 第四十章

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ところが、満州事変以降、音蔵は内地から招かれるだけでなく、外地か
らも招聘される様になります。それも朝鮮総督府・満州国から招聘され
ます。音蔵はすでに56歳を超えており、蒙古連合自治政府(日本の傀儡
政権)に招かれたときは、70歳になっていました。それでも、ケシ栽培
の第一人者であり、アヘンの増産には不可欠な人物だったのです。
「戦争中、彼はむしろ晴れがましく、また得意な気持ちで世を過ごす
ことができた」(倉橋)のです。

(2)アヘン政策の目的

 日本は朝鮮でケシ裁判を奨励します。また満州ではケシ栽培を管理
し、アヘンを専売制にします。その戦略を倉橋は次のように述べていま
す。すなわち、日本は中国大陸に100万の軍隊を8年間も派遣し続けます
。その費用は「現地調達」しなければやっていけません。「現地調達」
とはつまり掠奪です。しかも長期にわたって収奪できなければなりませ
ん。日本の傀儡政権は徴税機構が弱体だったので、税収はタカが知れて
いました。