小泉は、やることなすこと米国ユダヤ様のご命令通り。お犬様二十匹目

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277朝まで名無しさん
意外や 金正日と文鮮明の 親密な関係 
                           河信基 正論05/03号
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1991年12月6日に文鮮明は韓国政府の許可を得ないで腹心の朴普煕と共に秘密訪
問し、金日成と会談することになるが、訪朝には相当な覚悟を要したようだ。
 統一教会関係者によると、文鮮明は側近に「命をかけて訪北」すると言い残した。だが、
金日成から「虎の巣窟」に来たのかと尋ねられ、「虎の口に入りました」と答えるなどす
っかり意気投合し、文は金日成を「兄さん」と呼んで「義兄弟」の契りを交わしたという。
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 そうした中、1994年のいわゆる朝米核危機が起きるが、カーター元米大統領の訪朝
で事なきを得、南北首脳会談が日程に上った。だが、同年7月、金日成が金泳三韓国大統
領との首脳会談を一ヶ月後に控えて急死し、事態は二転三転する。金泳三大統領が葬儀参
加を見合わせたため、北朝鮮側は非礼と激怒し、南北関係は再度冷え込む。
 その当たりを見抜いて巧く立ち回ったのが文鮮明で、金日成追悼式に名代として朴普煕
「世界日報」社長を送り、後継者の金正日に弔意を丁重に伝えた。朴普煕は米市民権を有
しており、韓国政府の渡航許可がなくても訪朝が可能であった。
 金正日はその義理堅さに痛く感じ入り、以後、新年の贈り物を欠かさず送ってくる、と
文鮮明は側近らに誇らしげに語る。
 朝鮮の伝統的観念からすれば、父親の金日成と義兄弟である文鮮明は、金正日にとって
「義父」同然ということになる。