俺、南京大虐殺肯定派なんですけど、何か反論ある?

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矢次一夫(国策研究会主宰)
 「女房もちの多くの兵たちが、突然動員され出征させられるのだから、中国各地で性犯罪が頻発す
 るであろうことは自明だったのだが、これを抑制したり取り締まったりする方法はなかったわけだ。
 事実当時の逓信事務次官だった小野猛は、極秘だが、お目にかけよう、といって、数冊の分厚い写
 真帳を貸してくれたので、ひらいて見たら、暴行のかぎりをつくした写真が一杯ある。血刃を指し
 上げている一兵士の周囲に、数十箇の中国兵の首級が陳列されているものだとか、近衛に相似した
 中国兵の首級を木の枝にひっかけ、葉巻をくわえたような形で切断した男根を口にさしこんだもの
 だとか、今や正にエイッと中国兵を打首にしようとしているものだとか、筆紙につくしがたい残虐
 写真が満載されていた」
 「私はこれをちょっと貸してくれ、と頼み、正午の国策研究会常任理事会にもちこんで、食事が済
 んだら大変な資料を見せる、と言ったら、下村海南、大蔵公望、今井田清徳、大橋八郎などの役員
 たちが、食事前でもよいから、見せろ、といって聞かない。私が、食事がまずくなる、というのに、
 下村海南など、思わせぶりをするなよ、早く見せろ、というので、では、といって写真帖を開いた。
 一同はこれを取り囲んで一見するや否や、さすがに顔色が変わり、ううんと唸ったっきり、しばら
 くは一言を発するものもない。これらの写真は、小野の説明によると、出征兵士たちが、自己の武
 勇?を誇示するためかどうか、写真に撮って家郷に送ったものが、途中検閲によって押収されたも
 のだということだ。日本民族に潜在する残虐性が戦場という異常状態で爆発したものであるにせよ、
 かつて外国人によって書かれた『泰天二十年』に見られる日露戦争当時の、軍規整々、を謳われた
 ものと同じ日本人、しかも私共の祖父の時代であるだけに驚きは大きく、とくに下村海南は、日露
 役当時逓信省の局長として活躍した人物だけに、痛恨の情は、ひとしおであった」
   (矢次一夫『昭和動乱私史 上巻』(経済往来社 1973))