俺、南京大虐殺肯定派なんですけど、何か反論ある?

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八杉貞利(当時、東京外国語学校教授)

 「(※1920年夏、八杉氏はシベリア出兵時の極東を訪問)

 八月二日(月)雨(曇)
 (※在ウラジオストック)
  ・・・・
  某氏談によれば、「イマン」「ニコリスク」間は、目下鉄道大隊にて、テプリウシカ〔暖炉付貨
 車〕を軍用列車として運転しつつあるが、此間をあづかる鉄道大隊長〔四字欠〕少佐の野蛮は言語
 に絶し、露国過激派の重立ちたるものは機関車の釜中に入れて焼き殺したり、野に穴を掘りて焼き
 たりして跡を晦ましたりとなり。惨虐、言語に絶するものありしやうに覚ゆ(以下略)

 八月七日(土)晴
  ・・・・
  午後島田滋氏(※ウラジオストック日本領事館副領事)来訪。(中略)種々事情談を聞く。ハバ
 ロフスクに於る日本軍の暴行、「ニコリスク」において千人の人を殺せること、行方不明の非常に
 多きこと、金鵄勲章の貰ひたさに敵無きに発砲、乱暴せること(以下略)

 八月八日(日)晴
  ・・・・・内藤中佐を訪問。識り得たる件を左に。
  (中略)
 (9)日本下級軍人が、所謂殊勲の恩賞に預らんがために、而(しこう)して他の実際討伐に従軍
 せる者を羨みて、敵無き所に事を起し、無害の良民を惨殺する等の挙に出ること。而して「我部下
 は事無き故可哀想なり、何かやらせん」と豪語する中隊長あり(島田氏談と一致)(以下略)

  (八杉貞利『ろしや路』(図書新聞社 1967)より)(※は引用者補足)