藤原岩市(元陸軍参謀・対インド工作組織「F機関」統括責任者・元陸上自衛隊調査学校長)
「この頃、シンガポールにおいて、国軍の歴史に拭うことのできない不祥事が展開されていた。
二月二一日の午下りであったろうか。シンガポールIIL(インド独立連盟)支部長ローヤル・ゴー
ホー氏が血相を変えて、F機関の本部に私を訪ねてきた。ゴーホー氏の夫人は華僑の娘で
あった。同氏は挨拶もそこそこに「少佐!日本軍がシンガポールの華僑を、片端から引っ立て、
大虐殺をやっていることを知っているか。その惨虐は眼を覆うものがある。一体日本軍は何を
血迷ったのか。既に英軍が降服して、戦火は熄んだと云うのに」と哀訴するのであった。(中略)
私は田代氏、米村少尉を初め、二、三名の機関員に命じて、その状況を偵察させた。その
報告は、ゴーホー氏の訴えに優る戦慄すぺき状況の実在であった。イッポー以来、私が心密か
に心配していたことが、こんな形になって爆発してしまった。私は早速軍司令部に杉田参謀を
訪ねて、これが軍の命令によって行われているのかと質した。参謀は暗然たる面持ちで、同
参謀等の反対意見がしりぞけられ、一部の激越な参謀の意見に左右されて、抗日華僑粛清の
嵐が、戦火の余燼消えやらぬ環境の間にと、強行されているのだと嘆じた。私はこの結果が、
日本軍の名誉のためにも、又現住民の民心把握、軍政の円滑な施行の上にも、決して良い
結果をもたらさないことを強調した。特に私の印度人(兵)工作に、大きな影響があると指摘して
速急に善処を願った。この粛正作戦は翌日一段落となった。しかし無辜の民との弁別も厳重
に行わず、軍機裁判にも附せず、善悪混淆珠数つなぎにして、海岸で、ゴム林で、或は
ジャングルの中で執行された大量殺人は、非人道極まる虐殺と非難されても、抗弁の余地が
ない。たとえ、一部華僑の義勇軍参加、抗日協カの事実をもってしても。後日、ビルマ戦線に
転進した第一八師団の若い将校が、私に(当時筆者は第一五軍参謀に転じていた)、
ジョホールバルで、同師団が強行した華僑粛正の寝ざめの悪い、無惨な思い出を語って、
心が痛むと漏したことがあった」
( 藤原岩市 『F機関』 (振学出版 1985) )