俺、南京大虐殺肯定派なんですけど、何か反論ある?

このエントリーをはてなブックマークに追加

重光葵(外交官・東條内閣小磯内閣外相・鳩山内閣副総理外相)
 「然し俘虜及敵国人に対する日本人の考え方は日露戦争当時の考え方とは全然異なつた方向にあつ
 た。軍及右翼を中心とする思想の動き方は戦争前、特に満州事件前後より急激に反動的となり、
 「日本精神」「皇軍思想」は無意味なる優越感となり、外国軽侮となって居った。底(低)劣なる
 唯我独尊、切り捨て御免の思想となり態度となって、支那、南方に於ける我軍隊の行為は実に言語
 道断であって、進駐当初は南京でも香港でもシンガポールでもマニラでも虐殺、殺戮、強盗、掠奪、
 強姦、暴行、収賄、不正等、殆ど悪魔の軍隊であったのは事実である。日本人が何時如何にして斯
 程迄堕落したか殆ど想像も付け得なかった。戦争による一時の昂憤(奮)として片付ける訳には行かぬ」
  ( 重光葵 『続 重光葵手記』 (中央公論社 1988) )

堀場一雄(陸軍大佐・支那派遣軍参謀、第五航空隊(支那・朝鮮)参謀副長など歴任)
 「軍の前線に於て、動もすれば行はれたる放火、掠奪、暴行等は、戦争現象として陥り易き通弊な
 りと雖、甚だ遺憾の事に属す。而して此等は単純に軍のみを鞭つべきか、招集者大部を占むる軍の
 構成に於て寧ろ国民的反省を要する点大なりとす。況んや未教育及年次古参なる招集者に於て悪質
 且多発なるを常態とせしに於てをや」
  ( 堀場一雄 『支那事変戦争指導史』 (時事通信社 1962) )

細川護貞(近衛文磨首相秘書官)
 「米兵暴行事件、二三あり、我兵が支那にて為せる暴行に較ぶれば、真に九牛の一毛なるも、その事
 実を知らざる者は、米兵のみを怨み、やがては彼等に危害を加ふるに到るべし」
  ( 細川護貞 『細川日記』 (中央公論社 1978) 昭和二十年九月三日付より)