俺、南京大虐殺肯定派なんですけど、何か反論ある?

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75もういらねえって南京スレはw

「筆者は48年昔のこの事件のあった頃、陸軍大学校の学生であったが、すでに南京戦線である種の
「不法行為」の行われたことを耳にしていた。大学校の学生の耳にも洩れてくるほどこの問題は軍中
央部を悩ましたのであったのだった。従っていわゆる「南京事件」については日本軍が「シロ」であ
ったとは筆者は初めから認識していない」
( 加登川幸太郎 元陸軍参謀・軍事評論家 『偕行』掲載「証言による南京戦史」 )

「戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵
を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、
指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
 皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は一地を占領
する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、敵に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲
に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した」
 ( 上砂勝七 元柳川軍憲兵隊長 『憲兵三十一年』 )

「南京占領後における日本軍の南京市民に加へた暴行が相当にひどいものであつたことは、蔽ひ難き
事実である。当時私は北京に住んでゐたが、南京虐殺の噂があまり高いので、昭和十三年の夏、津浦線
を通つて南京に旅行した。南京市街の民家が概ね焼けてゐるので、私は日本軍の爆撃によつて焼かれ
たものと考へ、空爆の威力に驚いてゐたが、よく訊いてみると、それらの民家は、いづれも南京陥落
後、日本兵の放火によつて焼かれたものであつた」
 ( 滝川政次郎 法学者・東京裁判日本側弁護人 『東京裁判をさばく(下)』 )

「そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦
争がすんでホッとしたときに、食料はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはが
して燃やす前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「御苦労さん」とい
う代りに撃ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった」
 ( 日高信六郎 元イタリア大使 (当時、南京駐在参事官) 広田弘毅伝記刊行会編 『広田弘毅』 )