昭和天皇、“戦争放棄" を最初に表明

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1朝まで名無しさん
終戦直後の1945年9月25日、昭和天皇が海外記者と会見 

記者 「最新の武器が将来の戦争をなくすことになるのでは?」
回答 「銃剣をつきつけたり他の武器を使うことで恒久平和が
    確立され維持されるとは思えない。平和の問題を解決
    するには勝者も敗者も軍事力に頼らず自由な諸国民の
    協調によって達成されるであろう」と昭和天皇は
    のちに今の憲法に反映された考え方を明確に述べている。

こうして戦後、日本に平和と繁栄がもたらされたわけだが、、、
この大切な言葉の背後には何百万という犠牲者がいる。
今の憲法の重みを受けとめよう。         ソースは>>2
2朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 06:37:07 ID:REoPBVZe
記者と回答  by 7/26 報道ステーション

昭和天皇が海外記者と会見 宮内庁で文書控え見つかる

http://www.asahi.com/national/update/0725/OSK200607250185.html
3朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 06:48:23 ID:s/fylsPn
>>1
「軍事力に頼らず」と「戦争放棄」は、イコールではないがな。
4朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 08:39:54 ID:MBnxjE1U
北朝鮮問題で有名な早稲田の重村教授いるよね?
その重村教授の奥さんの祖父が御前会議に出た人らしい。
重村教授が言うには
「昭和天皇は開戦に反対してたが、出席者が昭和天皇の手を握って、
無理矢理に開戦承諾のハンコを押させた。
妻の祖父は帰宅後“申し訳ないことをした”とボロボロ泣いたそうです」
       ↑
関西テレビのニュース番組より


・・・・・現人神と言われた昭和天皇に対するイメージが崩壊していく
5朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 08:47:55 ID:YMs17UA+
憲法9条と一言一句同じではないと、
「違う、そんな事は言っていない、曲解だ」
って主張しそうだな。
6朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 08:57:06 ID:AId8SQ4C
通告なしにハワイ・真珠湾を攻撃したのは東条英機元首相の判断だったとする説明が事実と確認されたほか





コレ、問題あるだろ
7朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 09:03:56 ID:uRAgiPtJ
供給が需要を創る。→市場に供給されないものは買えない。これは絶対原則である。
預金の原資ベースマネーはそもそも日銀の信用創造により供給(貸出)されたものだ。
また、紙切れ(マネー)をモノやサービスにしているのは主に大多数を占める中低所得層の労働供給
に最大限依存している。→労働力は保存できない流動的な資源と考えていただきたい。

マネーは流動性の虚像(お化け)。→日銀券=国債 完全にイコールではないがイコールに向かい、日銀含む
銀行は国債の保有量を増やすことはあっても減らすことはないと専門家は予想している。

http://www.asyura2.com/2003/dispute8/msg/864.html
http://www.geocities.jp/mirai200107/

そこで、ここを見ると中低所得層の減税・高所得層の控除を盛り込んだ増税と金融政策・雇用産業政策の
マッチポンプが重要だということが良く分かる。

異論が出るのは承知の上だが、簡単に言えばあらゆる手段を使って貧乏人に金を持たせろということ。
(乗数効果の高い製造業の創出が一番であるが乗数が1に近ければ現金配布でもかまわない。)

我々は格差問題の本質を見失ってはいけない。格差が貧困の増大につながり結果として社会不安を
増大させながら今まで形作っていた秩序(民間銀行による信用創造や個人・企業の倫理、道徳)を崩壊
させる終わりの始まりなのだ。
8朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 10:50:10 ID:RVZDSrB3
「中国の「核」が世界を制す」伊藤 貫
「アメリカ政府は、日本が自主的な外交・国防ができる能力を持つ『普通の国』になることを、
絶対に許さない。一九四五年九月の対日占領政策決定時から現政権まで、日本人が真の国防能力を
持てない状態にしておくことが、日米同盟のもっとも大切な役割なのだ」米国国防総省日本部長。
「現在の日本は、核の傘やMDに依存することでは、中朝露の核ミサイルから自国を守ることが
できない状態だ。それにもかかわらず、『お前たちは核の傘とMDで大丈夫だ』と日本人に言う
アメリカ人は、日本人に自主的な核抑止力を持たせたくないから、そう言っているだけだ。これら
のアメリカ人は偽善者だ。彼らはアメリカと日本に別の基準を適用するダブルスタンダードを実践
している。彼らは、日本を故意に危険な状態に置いておこうとしている。そのほうがアメリカ外交
にとって、都合が良いからだ。」下院外交委員 ファレオマバエガ議員
9朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 10:59:04 ID:QjEOAAk6
>>3
同意だ。

この発言と戦争放棄を結びつけるのには無理がある。
あすが「テレ朝」だよな。
10朝まで名無しさん:2006/07/27(木) 11:27:30 ID:uS3TH1NY
印象操作+曲解変更訳してるな。大発見の宮内庁のメモとは

His Majesty had no intenntion to have the war rescript
used as General Tojo used it.
「陛下は宣戦の詔書を東条が使ったように使われることは
意図していらっしゃらなかった」

これが 朝日の変更解釈訳で↓

>通告なしにハワイ・真珠湾を攻撃したのは
>東条英機元首相の判断だったとする説明が事実と確認された

ここまで解釈して断定できる決定的証拠になりますか?
また朝日の訳ではあたかも天皇が自分の言葉でしゃべっている
ように書いているが原案や修正を無視
11朝まで名無しさん:2006/08/21(月) 09:09:14 ID:2fHwbZ+2
さるが木に登る
12朝まで名無しさん:2006/09/01(金) 18:46:22 ID:A2B/pZ6U
メモ公表した富田元宮内庁長官夫人の真意とは

 昭和天皇が靖国神社のA級戦犯の合祀(ごうし)に強い不快感を示されたとされるメモを
富田朝彦元宮内庁長官(故人)が書き残していた問題で、富田元長官の妻(81)は
産経新聞の取材に応じ、「こんなに大騒ぎになるとは思わなかった。
日記やメモを公表したのは、昭和天皇のお人柄を伝えたかったから」と語った。

 妻によると、メモや日記は元長官が平成15年11月に亡くなった後、東京都内の
自宅寝室の奥に残されていた。
 「読んだらとてもおもしろく、まるで富田が生きているみたいで…」

 元長官は生前、日記やメモの扱いについて何も言い残していなかった。
だが、彼女自身は「いずれ発表できる機会があればいいと考えていた」という。
 その理由については、「陛下は口数が少ないといわれていましたが、実はお話し好きでした。
日記やメモには、富田が知らないことを(昭和天皇が)教えてくださったことがつづられていました。
いろんな歴史も教えてくださったそうです。ユーモラスな方でもあって、そのお人柄をみなさんにも
お伝えしたかった」と説明した。 http://www.zakzak.co.jp/top/2006_09/t2006090155.html
13朝まで名無しさん:2006/09/27(水) 19:41:46 ID:l5tb1hqE
ユーモラス大陸
14朝まで名無しさん:2006/10/17(火) 21:32:16 ID:M+Y715eI
清掃はホウキ
15朝まで名無しさん:2006/10/29(日) 11:07:51 ID:7nsqGnnS
>>1
また捏造かw

天皇を美化する為には何でもする犯罪者集団か?
16朝まで名無しさん:2006/10/29(日) 11:38:18 ID:hGxN/Blm
美化っつーより風見鶏的な印象を受けるな
それが君臨すれども統治せず、よほどの事が無い限り最後の形式的承認するだけの立憲君主の姿勢を教育された結果かもしれんが
17朝まで名無しさん:2006/11/18(土) 17:29:42 ID:f00A6cQ2
うんざり。
18朝まで名無しさん:2006/11/23(木) 22:59:58 ID:qcc0KqyN
別スレ>>971
昭和時代末期には国事行為がらみ以外の内奏が
行なわれなくなっていたのに、平成になるとまた増えてるらしいな。
でも現状では内奏をする義務がある訳ではない。
19朝まで名無しさん:2006/11/23(木) 23:11:27 ID:QkcCPcWX
負け犬スレ tooo
>>959
日本軍の最高指導者である大元帥としての天皇の責任の話だよ
立憲君主としての天皇像こそ
シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入を当然としていた時代には
考慮の対象外と言えるシロモノだろうに

つーか、11月に天皇は自ら御前会議の開催を要望している
さらにそこで自らの方針を発言をすべきか否か迷ってもいた
天皇の発言はコレを覆す事はできないため
政治の責任が直接陛下に来るような結果を導く事を仰るべきではないと
湯浅内大臣が発言すべきで無い旨を告げているんだが
これって、天皇が自らを軍事・行政に直接介入しないタイプの立憲君主だと解して居たなら
御前会議の開催を求める事も
更には発言すべきか否か迷うといった事もあってはならないと自覚できていた筈だ
つーまり、天皇自身も自らが介入するタイプの君主であると任じていた証でもあるんだよ
20朝まで名無しさん:2006/11/23(木) 23:11:51 ID:QkcCPcWX
負け犬スレ tooo
>>995
>人口の1割を占めていた武士の一大リストラ
幕府はそんな事する必要は無かった
疲弊していたのは弱小諸藩であり
武士の体面の為、慣習として年中行事と日々の付き合いに
年収を超える出費を余儀なくされていた下級武士だったのだから
放っておけば破産し武士階層から離脱という形で陶太が進んだろうね

>当時を懐かしがってるなら
toooの認識不足を指摘しているだけだ
つーか、指摘を受けての逆ギレは10歳の子供にも劣るとも指摘済みだったよね
21tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/23(木) 23:35:20 ID:pDlZ0MRb
>>19-20:Y足らずのスケベID、末尾WX(w
>立憲君主としての天皇像こそ
>シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入を当然としていた時代には
>考慮の対象外と言えるシロモノだろうに

いまいち、言ってる意味が分からないよー。(w
だいいち、>シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入
とゆ昭和天皇側の認識があったから、今の9条に繋がっちゃってるんだろうが。
軍なんて要らん、と成ってしまった。

>シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入
とゆのがあったから、立憲君主的にしか振る舞えない昭和天皇が四苦八苦しながら、
軍を抑えながら日本を非戦にもってこうとゆ木戸幸一と近衛文麿の意見に従った。
(ついに主戦論の東條が首相に。)
(これってどんな史書にも載ってる話なんだけどな〜。反天皇論の井上清にも。
 知らんてか、意図的に瞑目してない?)
22tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/23(木) 23:42:42 ID:pDlZ0MRb
意図的に瞑目するレギュラーの西川君かよ?

>幕府はそんな事する必要は無かった・・・・・
>放っておけば破産し武士階層から離脱という形で陶太が進んだろうね

寝た子を起こす、もとい死んだ子の歳を数える、よーなことしたってしゃーないでしょ。
時間は不可逆って気がついてる?(w

>逆ギレ

あの〜、逆ギレじゃなくて揶揄なんですけど。
これにも気がつかれてないとは。);;;・・・トホホ
23tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/23(木) 23:46:42 ID:pDlZ0MRb
なので、
>11月に天皇は自ら御前会議の開催を要望している
>さらにそこで自らの方針を発言をすべきか否か迷ってもいた
>天皇の発言はコレを覆す事はできないため
>政治の責任が直接陛下に来るような結果を導く事を仰るべきではないと
>湯浅内大臣が発言すべきで無い旨を告げているんだが
>これって、天皇が自らを軍事・行政に直接介入しないタイプの立憲君主だと解して居たなら
>御前会議の開催を求める事も
>更には発言すべきか否か迷うといった事もあってはならないと自覚できていた筈だ
>つーまり、天皇自身も自らが介入するタイプの君主であると任じていた証でもあるんだよ
は新説。
発展させてくと、天皇責任論を立証できるかもよ。(w

肝心要の「天皇親政」の立証になってないとこがイタイので、
しっかりと肉付けを与えて、 
憶 測 や 邪 推 じゃない骨太の論理展開をお願いしますよ。(w
24朝まで名無しさん:2006/11/23(木) 23:47:36 ID:QkcCPcWX
>>21
>昭和天皇側の認識があった
つーまり、昭和天皇は自らの戦争責任を自覚していたという話な訳だね
で、なんでtoooは無かったなどとほざいているんで

天皇は大元帥として統帥大権を存分にふるっていた
自らを軍事・行政に直接介入しないタイプの立憲君主だなどとは
全く思っていなかったって事だね

で、10月には開戦の詔の内容を木戸内大臣を呼びだして相談もしてる
木戸日記にすら書いてある事を誤魔化そうとしているtoooの理由こそ問いたいね
25朝まで名無しさん:2006/11/23(木) 23:51:38 ID:QkcCPcWX
>>22
事実に沿った歴史など見たくないなどとほざくなら
二度と中途半端な歴史解釈のレスをつけるな

>>23
新説もナニも論文では早くから、一般の歴史書でも2002年頃には出版されている話だよ
26tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/23(木) 23:54:39 ID:pDlZ0MRb
なんか、ひでえ揚げ足取りの愚行に出たかよ!?
横柄かッ?

>>シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入
>とゆ昭和天皇側の認識
とカキコしてるだろ。

つまり、
>シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入
とゆーことを昭和天皇が認識してたってこと。

誰が、
>つーまり、昭和天皇は自らの戦争責任を自覚していた
なんて、話してるんだよっ?

>天皇は大元帥として統帥大権を存分にふるっていた
と反するのが、
>シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入
とゆことだろ!

頭整理できてる?
今、生理中?
血だらけのノーミソで考えないでね。(w
27tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/23(木) 23:58:04 ID:pDlZ0MRb
>>25
>二度と中途半端な歴史解釈のレスをつけるな

「逆ギレ」って、お宅のことなんじゃもんじゃ焼き?
ゲロゲロだぞ!

>一般の歴史書でも2002年頃には出版されている話だよ

どこの左翼の教科書?
28朝まで名無しさん:2006/11/23(木) 23:59:50 ID:QkcCPcWX
>>26
相変わらず、頭に血が上るとレスが罵倒であふれて滅茶苦茶になるな

待っていてやるから、一晩かけてレスりたい事をまとめて出直しておいで
29tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 00:09:18 ID:R8pwS+dY
>>28
あのね、
>待っていてやるから、一晩かけて
>一般の歴史書でも2002年頃には出版されている話

>をまとめて出直しておいで
30朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 00:23:12 ID:18JkeKWg
>>26追記
天皇は軍の最高指導者である大元帥だった
>>シビリアンコントロールの機能していない軍が政治介入
してしまった結果引き起こされた事態の責任者は
他ならぬ、軍の最高指導者である大元帥な訳で
天皇はむろんその責任の自覚していた

toooがそれを認めたくないあまり逆上せているだけって事だね

>>29
自分が知らないから新説だとか言い出さないでくれ
天皇が御前会議を開催を求め、それに関しての西園寺の言動と
そこで発言すべきか否かに関して、それに対しての湯浅の動きなど
1951年の原田熊雄「西園寺公と政局」あたりから既に示されていたんだよ
それ事態が、立憲君主の立場からの逸脱であるという指摘など
当たり前であり何ら目新しいものでは無いのだが

toooあたりでも大元帥であった天皇像を知らなかったように
大元帥であった事を意図して見せたくない連中の記述する歴史話には
こういった当然の解釈が示されないんだよね
31tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 00:41:35 ID:R8pwS+dY
昭和天皇が主戦論者だったり、開戦について積極的だったという
捏造された証拠はまだかいな。

井上清著『日本の歴史 下』(岩波新書)p.202〜

  41年9月6日の政府と軍首脳の御前会議は、
 「10月上旬頃に至るも尚我が要求を貫徹し得る目途なき場合においては
  直ちに対米英蘭開戦を決意す」 と決定した。
 10月に入っても日米交渉妥結の見込みは立たないので、陸相東条英機は対米開戦を強く主張し、
 近衛首相の交渉継続論と対立した。
 近衛首相は10月16日、その対立をありのままに書いて天皇に辞表を出した。
  天皇は内大臣 木 戸 幸 一 の 助 言 により、10月18日、東条を首相に任命した。
 天皇と木戸は、東条ならば陸軍中堅の 即 時 開 戦 論 を 抑 え ら れ る
 かもしれないと期待したという。
 その後、天皇は、11月29日、対米開戦について重臣たちの意見を徴したが、
 重臣のうち誰一人として明確に日米戦に反対するものはなかった。
 みな、この点は大丈夫だろうかとか、あの点は心配ないだろうかなどというだけで、
 自分の責任をもった判断を下すものはなかった。
 開戦論の先頭に立った東条首相兼陸相にも、何の清算もなかった。
 彼はただ、人間は一生に一度は清水の舞台から飛び下りる決心が必要だといい、
 個人の進退と国家・民族の存亡とを混同して得意になっていた。
 海軍軍令部総長は、日本を重病人にたとえ、この病人はこのままでは必ず死ぬるが、
 大手術をすれば万一にも助かるなどといっていた。
 海 軍 に 勝 利 の 自 信 の な い ことは、
 海軍将校である高松宮から天皇の耳にも入っていた。
 そこで天皇は11月30日、海軍大臣と軍令部総長を召し、
 日米戦に自信があるのかないのか問うと、両人とも「相当の確信を以て奉答」したので、
 天皇は木戸内大臣に、東条首相に「予定の通り進むるよう」伝えさせた(『木戸幸一日記』)。
 その翌12月1日午後2時の御前会議で、天皇は対米開戦を決定した。
32tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 00:42:26 ID:R8pwS+dY
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F
東條英機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 日米衝突を回避しようとする近衛首相に対して、東條は強硬な主戦論を唱え、
 第3次近衛内閣を退陣に追い込んだ。
 誰の説得にも応じない東條の強硬さに手を焼いた天皇の側近木戸幸一らは、
 日 米 衝 突 を 回 避 し よ う と す る 昭 和 天 皇 の 意 向 を踏まえ、
 明治維新時に政府軍に蹂躙された東北出身ゆえか
 「忠狂」と呼ばれるほど天皇を敬愛していた東條英機本人をあえて首相にすえることによって、
 陸軍の権益を代表する立場を離れさせ、
 天 皇 の 下 命 に よ り 対 米 交 渉 を 続 け ざ る を 得 な い よ う に
 追い込むことができると考えた。
33tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 00:46:55 ID:R8pwS+dY
>>30
「逆上してる」ってのは、あなたの思いこみに過ぎませんからヨロピクっ!

天皇は、重臣の意向に従うしかない状態だったことは、
>大元帥であった事を意図して見せたくない連中の記述する歴史話
だけじゃなく、
天皇制反対論者だった井上清の史書でも指摘されてることですので、
そこんとこ目を見開いてください、ヨロピクっ!
34tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 00:49:41 ID:R8pwS+dY
31
文中の「清算」は「成算」の間違い、ヨロピクっ!
35tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 01:06:48 ID:R8pwS+dY
証拠、たのちみにしてるのに〜。

ま、
>待っていてやるから、一晩かけて
>まとめて出直しておいで

・・・・・かっこいい捨て台詞を盗用ちまちた、ヨロピクっ!(w
36朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 01:14:26 ID:18JkeKWg
>>31-34
1941年10月13日の木戸日記を参照
開戦に至る可能性が充分にある、といった事態でなければ
天皇自ら開戦の詔の内容について木戸を呼び出して相談などしない

これは1966年になって東京大学出版会がほぼ全文発行したものだから
「日本の歴史」1963年〜66年出版に際して
井上清が著述の中で反映しきれなかった部分があったのかもしれないね

で、軍人として育てられた大元帥であり、勝算があると示された戦争の実行を躊躇うような
平和主義者では無かった、と指摘をした事はあるが主戦論者などと言った事はない
開戦について、9月段階では統帥部が勝機の欠片も示せなかった事から消極的であったが
統帥部の上奏につぐ上奏で次第に見解を変えていった過程に
10月の開戦の詔の相談があったという事だね
37朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 01:18:33 ID:18JkeKWg
>>33
>天皇は、重臣の意向に従うしかない状態だった
大元帥たる天皇はその統帥大権の発動において誰の補弼も必要としない

というのも何度も指摘してるよね
38tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 01:29:09 ID:R8pwS+dY
>>36
具体的な提示をサンクス!

>勝算があると示された戦争の実行を躊躇うような平和主義者では無かった

それはそうでしょうね。
どこの立憲君主もそうでしょ。
戦乱のヨーロッパをくぐり抜けたなら。

>統帥部の上奏につぐ上奏で次第に見解を変えていった過程に
>10月の開戦の詔の相談があったという

11月ですよね。
ただ、太平洋戦争の開戦についてのオイの判断は、
日本が開戦するよう仕向けたというもので、ここを突き詰めると、
戦犯は確信犯的に誘引したルーズ●●●●となるでしょ。

イラク戦争の戦犯が、大量破壊兵器を所持してなかったフセインではなくブッ●●であるように。
39朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 01:37:57 ID:18JkeKWg
>>38
>日本が開戦するよう仕向けた
ルーズヴェルトの陰謀論は太平洋戦争が正義の戦争だと信じているアメリカ国民が疑義を呈すれば良い話であって
日本が戦争に雪崩れていった言い訳などにはならない

様々な要因が絡まる歴史の事実は、ただ事実としてソコにある
歴史をただ眺める、全体像を俯瞰するならどの切り口から掬おうが自由だが
それを歴史認識や戦争責任を考える立ち位置から解するならば
結果責任を誤魔化すような、言い訳を捜すような視点で見てはならない
という基本は踏まえてくれ
40tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 01:46:39 ID:R8pwS+dY
>>39
>結果責任を誤魔化すような、言い訳を捜すような視点で見てはならない
>という基本は踏まえてくれ

そこでも、欧米や中国が問おうとしなかった戦犯論を天皇に科せますか?ってこと。
なので自虐の極としか、日本の一般人は理解できない、ってことでもある。

>軍人であり軍の最高指揮官であった大元帥である天皇
という言葉も、虚像でしかなかったことは、各種の文献が折り紙をつけてきたことでもある。
(中国も同じ文脈。)

日本人なら誰でも日中戦争が侵略戦争だったという自覚の中にいる。(特別なバカは除外する。)
しかし、産業革命後のヨーロッパが人口の放出地を新大陸に求められたのと違って、
移民排斥法のあとに日本が朝鮮半島や満州にしかそれを求めようが無くされたのも事実でしょう。
(なので、一子政策をとりながらも資本主義化によって生じてる中国の膨張圧力を、
 いま日本が大きく引き受けてもいるんだ。
 在日朝鮮人の発生もその文脈のなかにある。)

米騒動の翌年、日本は国際連盟規約委員会で人種的差別待遇撤廃を提案し、しかし否決されている。
不平等条約の撤廃へと大きく動いた明治時代と合わせ、アジアを代表して日本は、
ずっと欧米に対し黄色人種の権利平等を主張してきました。

辞めた国連事務総長アナンが痛恨の思いでふりかえるイラク戦争の戦犯が、
大量破壊兵器を保有してなかったフセインですか?
ブッ●●でしょ。
と同様に、太平洋戦争の戦犯を突き詰めれば、誘引したルーズ●●●●でしょ。

被害国となったアジアの諸国に対しては責任があっても、
アメリカに対し過剰に責任が発生しますか?
挙げ句の果てには、普選法が実現していたことさえ忘却させ、
反民主主義だったと言いくるめようとしてるなんざ、自虐も自虐、
日本人の努力をバカにしたような、歴史について瞑目する態度でしかないってことです。
41tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 01:48:04 ID:R8pwS+dY
40の(中国も同じ文脈。) は(中国の歴史認識も同じ文脈。)
42朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 02:34:49 ID:IpPmCK7Q
今生きてる皇族を全員処刑しましょう
43朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 11:05:49 ID:18JkeKWg
>>40
アメリカの占領政策の効率という面や、中国の経済問題打開のために国交正常化を優先させたという面など
日本が自らの歴史認識、結果責任を考える場合において何ら考慮する必要はない
自国民300万人からの膨大な犠牲となった愚かな決断に至った
日本側の経緯と理由、その実態と事実を二度と同じ事態に至らないよう
結果責任を明らかにするこそ歴史に学ぶと言う事なんだよ
で、結果責任を問うといった大人の世界の話なんだから
○○くんが先に仕掛けようとしてたんだ僕は悪くない
などというガキの言い訳が通用するような話でない事は理解してくれ

>各種の文献が
天皇が大元帥であり統帥大権を発揮し、また作戦についても細かく検討
指示出しをしていたという事実を
天皇の戦争責任を回避するべく大元帥であった事すら隠し立憲君主としての天皇像のみ喧伝され
今に至っているという点も幾度も指摘済みだよね

>欧米に対し黄色人種の権利平等を主張
一方でアジア解放を謳いつつ、アジア諸国を植民地化したのも日本だよね
日本が掲げた耳に心地よいスローガンを語る前に実際にやらかしてしまった現実を認識すべきだろうに

>イラク戦争の戦犯が
ブッシュであると弾劾するのはアメリカ国民のやるべき事だ
で、日本人が指摘するべきは、そのブッシュに引きずられイラク派遣を決定し
中東において民間協力が長年築き上げてきた信頼をズタズタにした小泉と自民党政権の愚だろうね

>アメリカに対し過剰に責任
どこからそんな話になるんだ?
愚かな決断であった事は、膨大な犠牲を伴い歴史が証明しているにも関わらず
未だに愚かな決断だったと認識できない、結果責任に目をつぶろうとする
現在の愚か者どもへの指摘だよ
44tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 16:29:39 ID:R8pwS+dY
>>43
>○○くんが先に仕掛けようとしてたんだ僕は悪くない
>などというガキの言い訳が通用するような話でない

過剰に反省することは、雪隠詰めにあってるガキが
自問自答を繰り返してるような哀れな状態なんだと理解してくれ。
しかも虐待親にたたき込まれての雪隠詰めだと。

最近聞いた話だと、元日本海軍予科練のご老人(戦後共産党系労組長)は、
台湾の老婦人から、いつから日本人は歯を見せて笑うようになったのだと詰問されたそうです。
幼少期に見た日本人は誰もが立派で、道ですれちがっただけでも、
武士を思わせるほど凛としていたため、いつでも日本人と判ったそうです。
そう言われて、その場で笑うことも出来なくなった、とも。
んな戦前に戻りようはなくても(戻らす必要もないし戻ってはいくないけど)、
矜恃を失いながらそれを蔓延させるのだけはやめてもらいたいです。

(オイも生意気に、じっちゃんの世代の、目だけが爛々と輝いて
 ど〜見たって塀の中の懲りない面々にしか見えない異様な尋常小学校の入学写真の例を
 反証として、時代がまずかったとゆ趣旨で挙げておきました。
 ま、現代っ子のオイは、いっつもそれ見て口を大きく開けて笑っちゃってるんですけどね。);;;

毅然としたところを私たちが失うことは、
戦没者に対しても礼を失することになるのではないでしょうか?
45tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 16:30:16 ID:R8pwS+dY
>作戦についても細かく検討
>指示出しをしていたという事実

いざ太平洋戦争が始まってしまい、しかもその終盤におけるそれは、
当然の話でしかないというポイントを諒解してください。
しかもこれは識者の誰もが常識としてる事だって点も。

アメリカの大統領でも、チャーチル首相でも、戦況報告を受けながら、
意見を差し挟んで大きな決定を下していたのは同じことです。
(ノルマンディー上陸作戦決定のドキュメントにも顕著。)

>アジア諸国を植民地化したのも日本

それはそうで反省するべき点は多いんですけど、
同時期までに、特に東南アジアに対してイギリス・スペイン・オランダが、
資源収奪のためだけに植民地化していた事情とは大きく異なってて、
台湾に対しては農業振興策、朝鮮半島については加えて重工業化の政策を展開し、
さらにゆくゆくは民主化が方針だった、ってことも考慮してください。

それらすべての資産を手放せさせられ、逐われるように引き揚げてきたって点も。
インドが独立しても、イギリスの資産は守られてたし、
メキシコ領土の3分の1の割譲を受けたアメリカが、
メキシコに何かを払ったわけでもない、戦争という対価以外には、って事も。

>中東において民間協力が長年築き上げてきた信頼をズタズタにした

いまいちピンと来ないので、論理的に組み立ててみてくれませんか?
オイの認識は、中東へのエネルギー依存度の高い日本は、
将来予測から派生する権益の確保に懸命だということだけです。
(それは日本の工業の生命線でもあり、太平洋開戦へと至った原因でもある。)
46tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/24(金) 16:30:51 ID:R8pwS+dY
>結果責任に目をつぶろうとする

空襲や原爆で市民に膨大な犠牲が出たのは、日本の責任ですか?
従軍した戦争当事者が被害を受けるのは、互いにやむを得ないでしょ。
補給を考えない侵攻にも、東京都知事を始めとした多くの識者の軍隊批判に結実していること。
こと教育方面で、昭和10年代から必要以上に皇民教育が施され、
精神論で勝てると叩き込まれたという経緯こそ問題でしょ。

負けたから責任があるはずだといちいち監督が問い詰められてて、
明日の野球のゲームができますか?
戦争というゲームに二度と参加しないってことさえ決めたんですよ。
だいたい永きの将来にわたって結果を出してこその、それがホントーの責任でしょ。
すでに90年代に起きたアジアの通貨危機を救ったのも日本です。
経済的繁栄を掌中にしていたからこその実現でした。
(もちそれが潰えてく危険があるほどの財政危機状態。)

厨房だったとき、信長の比叡山焼き討ちの愚挙に怒りながら、
しかしそれを利用して、熱心な仏教信者だったお婆ちゃんを困らせたこともありんした。
よーするに、仏教なんか信じるに足りない、と。
今思うと意見としてバカでしょ、とことんの。
信じたくないから信じないならまだ良いが、屁理屈の論証を強者側の論理でくみ上げるなんて
ほとんどカスの所業でしょ。
そのばっちゃんがもう居ないんだから、反省してもしきれないよ、オイは。

そいった愚行を犯してほしくないだけです。
卑下も山々にしてくださいよ、と。
47朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 18:05:23 ID:18JkeKWg
>>44
>過剰に反省する
右派は村山談話さえ反古にしろと主張している
むしろ全く反省する気は無いと明言する連中が安倍の支持者の中におり
談話を踏襲しない旨を表明すべきだと安倍に求めている
という有様なのだが、toooにはその行動のどこら辺に反省なるモノが見えると言うのかな?

戦没者に対して、あなたが死ななければならない事態へと堕ちていった
その過程を明らかにし、二度と同じ過ちをくり返しませんと示せることのみが礼に適う行為だよ

>>45
1941年12月8日に太平洋戦争は開戦、明けて1942年1月6日に昭和天皇は参謀総長杉山に対し
作戦計画の繰り上げの必要性を示し、それを受けて杉山は参謀本部の部長会議で南方攻略差宇戦終了後の
作戦・謀略・外交の具体的方策を確立するように指示したといった具合で
大元帥である天皇は戦争開始後かた実に真面目に軍の最高指揮官としての自らの仕事を頑張っていたよ

>これは識者の誰もが常識としてる事
で、大元帥だった事を頑なに認めようとしなかった
toooの知る歴史話に記述が無いとごねていたのはtoooだったよね?

>さらにゆくゆくは民主化が方針だった
誰のための投資であり、何のための政情安定だったのか
植民地のためではなく大日本帝国のためだった事を誤魔化してはいけない
で、後に結果として植民地支配を受けた側へ益が残ったのなら
その功を言い出すのも植民地支配を受けた側であり、支配した側が言い出せば
強盗の居直りと同等のみっともなさを示すだけだ

>中東へのエネルギー依存度の高い日本は、将来予測から派生する権益の確保に懸命
アメリカ側に立ちイラク派遣を行ってしまった事で、反米傾向の強い中東での日本の信頼は揺らいだ
イランから確保を考えていた石油はアメリカの横槍で反古になった
で、この実態のどこをもって「懸命だ」などと言えるのかな?
48朝まで名無しさん:2006/11/24(金) 18:15:08 ID:18JkeKWg
>>46
重慶への無差別空爆を敢行していた日本軍なんだ
戦況が不利になれば本土への空爆の可能性もあると十二分に解っており
故に設定された絶対国防圏なんだ
>空襲や原爆で市民に膨大な犠牲が出たのは
解っていながら戦況不利になっても白旗を上げようとしなかった
日本軍とその最高指導者の責任だろうね

>負けたから責任があるはずだといちいち監督が問い詰められて
シーズン終了後に解任されるなど良く見る光景だろうに
ナニをズレまくった例えを上げているんだ

>戦争というゲームに二度と参加しないってことさえ決めた
で、せっかく示し続けてきた
>結果を出してこその、それがホントーの責任 というこれまでの過程を反古にすべく
自衛という名目で侵略戦争をやらかした国の政権与党は
その事実に目をつぶり、自衛のための戦争を行える国になろうと画策中だよね

>今思うと意見としてバカでしょ、とことんの
同じ愚を、戦争の愚を隠したい連中により操作された論説を信じ込む事でまた犯そうとしているよと
指摘してあげているのはこちらだよ
49tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/26(日) 18:12:40 ID:R6/vfe+z
>>47
>全く反省する気は無いと明言する連中が安倍の支持者の中におり
>談話を踏襲しない旨を表明すべきだと安倍に求めている

それを安倍首相は国民へと波及させたのか?
むしろ村山談話を踏襲したのでは?

>二度と同じ過ちをくり返しませんと示せること
は必要だけど、
彼らの死んだ理由さえ反故にしては本末転倒。

あなたの仰りたいのは、国を守ろうとしたのではなく、国家に騙されたという一点だけで、
それを以て犬死視、したいだけではないのでしょうか?

>1941年12月8日に・・・・・

チャーチルだって、それと類似したような、判断の指し示しはしている。
世界中どこだって元首とされる者の務めがそれだ。

>植民地のためではなく大日本帝国のためだった事を誤魔化してはいけない

それは大英帝国もアメリカ合衆国も同様。
(資源をスペインに収奪され尽くしたフィリピンは手放して独立化の方針。
 イギリスの支配するインドは人的資源を中国へ派遣され、
 中国人民を抑圧する警察などの官吏になった。)
日本はその度合いが緩やかだったから、台湾からは尊敬され、
しかし独立心が旺盛だった、日本で言えば江戸末期に併合されたような状態の朝鮮半島は、
日本側の偏見の払拭もままならなかったため、反発心を昂じさせ現在のような状態。
(歴史を誤魔化し、それが日本の歴史認識にも流入。)

・・・・・後日レスいたします。
今日はdate
50tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/27(月) 23:53:37 ID:5+LXQPSi
中座して失礼しました。

>>47
>反米傾向の強い中東での日本の信頼は揺らいだ
>イランから確保を考えていた石油はアメリカの横槍で反古になった

中東といっても広く、サウジが日本に輸出したがらなくなった点に
アメリカの横槍こそ推定されるものの、イランへは再三再四のアメリカの懸念表明があっても、
採掘権の確保に懸命だったわけだし、逆にお訊ねしたいけど、
自衛隊のイラク戦争後への治安派遣がなかったとしたら、一体全体どうなってたと想像します?
いやぁ、フセイン政権時代に7千億円貸してんだよ、その分でも何とかとか、
新政権に言えると思ってます?
苦肉の選択すら了承できないなら、現実を直視してるとは思いがたくなるよ、あなた。
51tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/27(月) 23:54:20 ID:5+LXQPSi
>>48
>戦況が不利になれば本土への空爆の可能性もあると十二分に解っており
>故に設定された絶対国防圏なんだ
>>空襲や原爆で市民に膨大な犠牲が出たのは
>解っていながら戦況不利になっても白旗を上げようとしなかった
>日本軍とその最高指導者の責任

その認識はあるべきだと思ってますが(民主主義の中に)、
それが平和な現代から成されているってこと(よ〜するに自分の足下)も
同時に認識するべきでしょうね。
当時の国民は本土決戦さえ辞さずの必死の構えだったんだから。
なので、本土空襲の1回や2回で、白旗揚げられると思います?

歴史にifがあるとするなら、むしろルーズヴェルトの急死がなければ、
原爆の完成を日本に通告し、使用予告の脅迫もあったかも知れないとは考えますが、
そのケースでも、実害の発生を目の当たりにしないまま敗戦を受け入れるとも思えない。
と言うのも、広島に原爆を投下された後の軍の結論が、白い布をかぶれば
新型爆弾恐るるに足りずというもので、この指示に将兵の多くは戸惑ったという。
なぜならそれまで、硫黄島などから飛来するアメリカ空軍機の攻撃目標となることを避けるために
厳禁とされていた白い布の使用だったからだ。

>シーズン終了後に解任

維新以来の日本というシーズンはまだ終了していない。
52tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/11/27(月) 23:55:09 ID:5+LXQPSi
>自衛という名目で侵略戦争をやらかした

逆でしょう。
侵略戦争を開始した結果、自衛戦争することを余儀なくされた。

治安の波及と満州国の割譲が日中戦争の目的で、
太平洋戦争そのものは自衛(帝国経済の維持)が目的だった。

>自衛のための戦争を行える国になろうと画策中

当たり前のことでしかない。
自衛する権利まで放棄したわけではない。
同じく無条件降伏したドイツは、政体は失っても軍まで破棄することは拒否した。

自衛のための戦争を拒否することは、
日本人は元々死んでよい存在と言ってるも同然ですよ。

>同じ愚を、・・・・・

趣旨不明。
10年後でも20年後でも最悪のケースまで想定して国防概念はくみ上げられるべき。
あなたの死後でも、その子孫たちが滞りなく生きられるように。
そうでない憲法なら、守る道理さえ失われる。
53朝まで名無しさん:2006/11/30(木) 14:47:34 ID:0kCzQ6zE
多忙で2chで遊ぶ暇が無かった、遅くなって申し訳ない
>>49
>むしろ村山談話を踏襲した
のが気にいらない連中が湧き騒ぎ、これまでの更なる謝罪云々の建前ををかなぐり捨てて
謝罪すらいらないという主張を持ち出しており
そしてそーいう連中が安倍の支援者連中な訳で
そーいう馬鹿の言い分が通る事の無いように、toooもよく注意しておくんだよ

>彼らの死んだ理由
そういう流れにあらがえるだけの知識と自覚を持たなかった
持たせられないような教育あったろうし、自ら威勢の良い主張を鵜呑みにし
おかしいと思う気持ちを麻痺させていった
その経緯を正しく認識する必要があるという話だよ
彼らはその時なりに頑張ったのだ などという事は当たり前の事なんだ
誤った方向へ頑張ってしまったのは何故なのか、誤魔化すことなく自覚しなければ
不都合を忘れやすい人は簡単に同じ轍へと踏み込んでしまうんだよ

>チャーチルだって、それと類似したような
チャーチルの責はイギリス人が考えれば良いことだ
他国の誰がナニをどうしたかなど、日本の大元帥がナニを行ったか
あるいは為すべき為さなかったのかといった責を考える際には必要のない事だ
54朝まで名無しさん:2006/11/30(木) 15:09:16 ID:0kCzQ6zE
>>50
アメリカの尻馬に乗らず、国連主導での解決を主張し
その上での、それまで信頼を築き上げてきた民間主体の協力なり
やり方は幾通りもあったろうね
アメリカ傀儡と揶揄までされる新政権は国の安定すらおぼつかない様であり
むしろ外国の政治的影響を頑なまでに排除したい方向に動いている現状を見ても解るように
日本は最も益のない後に災いを残す手段を選んでしまった訳だ

>>51
>当時の国民は本土決戦さえ辞さず
誰がそういう流れにしたのかという点をいつも都合良く失念するね
この当時の大本営発表と情報統制については、いくらtoooでも知らないフリはできない筈だよ
>本土空襲の1回や2回で
現人神である天皇が降伏すると言えばそれで事態は大きく動いた筈だが
この時期の天皇は未だ講和のための戦果を期待する有様だった
無論、これは軍人として天皇が育ってしまった所以でもあるがね
で、ifに関しては考慮する必要を認めない

>維新以来の日本
敗戦で大日本帝国は消滅した

>>52
>侵略戦争を開始した結果
これすら認めたくないというのが右派の論陣だろうに、toooはこういった主張する連中にこそもの申すべきだろうね

>自衛のための戦争
結局やるとは侵略戦争と変わらない、まさに美辞麗句による誤魔化しだ
「日本は戦争を行える国になる」と明言しない姑息さに呆れ、そしてその美辞麗句を見破れない子達に悲しみを覚えるよ

>10年後でも20年後でも最悪のケースまで想定
最悪の事態がいかなるものであるのかなど、大空襲と原爆とその後の極貧生活で日本人は充分に理解している
だからこそ国が紛争解決手段としてお気軽に「戦争」を選ぶ事ができないように9条があるんだ
55朝まで名無しさん:2007/01/09(火) 17:00:37 ID:g7Izr5xI
  
56朝まで名無しさん:2007/02/04(日) 00:23:30 ID:ZRRnUjOn
 
57tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/04(日) 02:38:36 ID:9JnQUXuq
512k制限、超えてたので・・・・・こっちへ転居
【謝罪か?】 昭和天皇の戦争責任を問う7 【退位か?】
>861
>現代とは異なり、江戸末期の一般庶民と政に携わる場に近い者達との間にある
>世界情勢を含めた状況の変化について情報面での格差が極めて深かった点を見過ごしてどーするんだ

もう嗤うしかないですね。
歴史に造詣の深い人を相手にしているのか、カマッテ君なだけのバカを相手にしてるのか、
判らなくなってきた。
(てか、判断は下されつつあるんだけど。)w

新聞が本格的に普及するのは昭和も昭和、日中戦争が本格化してから、です。
木版で製造される瓦版は江戸期から町民には普及していたが、
大量の情報移送が可能になる活版印刷が普及していたわけではなかった。
その活版印刷の技術は、西洋伝来のものだ。

江戸時代が終わったばかりの生活におわれる庶民が、情報に飢えてたわけもないし、
(産業構造が変化して情報がそれだけで産業にまでなるようになったのは、ごく最近ですよ。
 投機が大衆化するほどの資本主義の隆盛と、コンピューターの発展が背景。
 それより前に、戦争への批判を急に出来るようになったのも、
 ベトナム戦争で即時性あるTVメディアが活躍したからです。それも世界に向かって。
 ・・・・・つまりあらゆる局面で技術が先行するということ。)
そもそも政治意識そのものが起こってはいない。
(政治意識が庶民レベルで発生した端緒も、五カ条のご誓文という「布告」によってですよ。
 もちろん、護国の使命にあった武士にとっては、開国をめぐる騒動からです。)

節穴とか言うレベルじゃないな、コレ。
時代性への考慮が全くないのは、手前勝手に独善的に歴史を脳内で組み立ててるに過ぎないってことだよ。

政治意識を醸成することさえ、西洋化と維新の結末であったことを知るなら、
本末転倒としか言いようのないバカな議論(てかイチャモンレベル)は繰り出さないはずですよ。
58tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/04(日) 02:39:26 ID:9JnQUXuq
>民草の意識は大名行列のお通りと変わらないものだったと言う事

それはそう。
どころか、庶民内部から合掌し出す者まで現れたという天皇行幸時の事実は、
維新戦争の結果とはいえ、水戸学派を超えてしまうような崇敬の感情さえ
民草の一部には与えていたということ。

>で、明治の新体制を確立するためには徳川幕府の支配体制の払拭こそが必須だった
>幕府が定めた法度を無くし土下座は必要ないとした訳だ
>つーか、欧米から庶民に土下座させる習わしを持つ国がどう見られるか
>欧米化を推進したい明治新政府の連中は良く解っていたんだよ

詭弁だって気づいてます?(w
最終的には民主主義を信用しないのに、少数派ゆえ民主主義の庇護(法)を活用しまくり、
為政者や歴史への呪詛を開始しちまう
(それが元で、いざ新体制となると、人民抑圧の反民主主義的体制をやすやすと実現させちまう)、
某●産党系が得意技としてる類の詭弁だ、と。(w
全体の流れを全身全霊てか正真正銘受け取ることもなく、個別事案への曲解を含ませることによって
為政者には悪意が常時存在していると妄想させてる事態だって気づいてます?

御上に従うことが庶民感覚でも当然で、それを個人が挙動とすることまで求められた(土下座)、
そんな封建時代から脱出していった一大ドラマだ。
欧米から
>どう見られるか
>明治新政府の連中は良く解っていたんだよ
などと、偉ぶって言えちゃう自体が、維新の上にアグラをかいてる仕草に過ぎない。

てか、>どう見られるか
だけに拘ってて、しかし諸改革を展開させてったという、あなたの認識こそ大いに嗤える代物だ。
(ぺえぺえも「極地」、みたいな意見ですよ。)
ドラスチックな改革を軽視しすぎだからですか?、矛盾した認識を平気でレスしちゃえるのは。
59tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/04(日) 02:40:22 ID:9JnQUXuq
堅固な武士「制度」を一気に解体してまで「富国強兵」を方針としたんだ。
幕末だけだと、もてあまされてた状態の留学帰国者の学習の成果を国家に活用していったんだ。
活用できるよう施策を組み立てていったんだ。
欧米が掌中としていた産業革命を日本にももたらそうと、奮闘を開始したんだ。
明治の外交のほとんどは、不平等条約撤廃へのアクションだ。
「脱亜入欧」は、欧米によってここも支配地、と日本が見なされないための、
 苦肉な努力の開始だ。
 ・・・・・不平等条約の撤廃は、明治憲法発布以来、国家と国民の第一義的な念願にまで成っていた。)

>>ワケワカメになっちゃって
>るのは、地租改正のための賤民制廃止を解放令などと誤認してたtoooの方だろうね
>・・・・・(以下グチャグチャ)・・・・・

後ろ向きの見解をわざわざご丁寧にご苦労様です。(w

地租改正がなく、解放令が無かったら良かった、とでも言ってるんですか?
ちなみに「解放令」とは、すでに識者が認識としていたことでしかないですからね。

http:www.h4.dion.ne.jp/~t-fujita/data/pdf%20file/ron6-kaihoureiigo.pdf
「解放令」以後をどう理解するか

アメリカの南北戦争の最終局面で声明として出された「奴隷廃止」も、
北部における工業化の進展が、黒人労働力の流動性を求めた結果のものだ。
じゃあアメリカにおける黒人偏見の払拭が、それで直ちに実現できたかっていうと、
1945年の第二次世界大戦の終戦から、20数年を経てようやく
映画『招かれざる客』がクランク・インしたことでも明らかでしょう。
(しかもこの映画は、偏見の存在を明確化しただけで、具体的な対処を教えはしない。
 前途多難であるという認識を提示しながら、
 それでも頑迷な偏見が存在していることを顕著にし、黒人青年と白人女性の結婚が、
 パーソナルな愛情に起因していることを謳いあげ、そこへと社会的な認知を呼びかけたんだ。)
リンカーンの奴隷解放宣言から、実に100年を経ている。
60tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/04(日) 02:43:29 ID:9JnQUXuq
日本において、部落民偏見や朝鮮人偏見がいったん払拭されたのが昭和時代だった。
もちろんそれは、残念ながら天皇制教育の普及と不可分ではない。

>大震災時の朝鮮人への虐殺の背景は、その13年前の朝鮮併合に伴う朝鮮への弾圧があり
>首都を襲った災厄に乗じて弾圧への反発が起こるのではという恐れでもあった

だ〜か〜らッ、
>弾圧への反発が起こるのではという恐れでもあった
というなら、それを立証すればいいでしょう。(部分的には立証できるでしょう。)

てかそもそも、朝鮮人への虐殺、が悪いこととちゃんと理解してる?
庶民感情の自由にまかせた結果で、それがあまりにも残虐だったから、勅令での対処だ。

こと朝鮮人偏見一つとってみても、
関東震災時の虐殺行動(それが自発的だったことは遺憾とすべき)のようなものが
影を潜めたのが昭和時代。
帝国臣民という自覚が徹底したことによってなし得たことであって、
これがあって初めて朝鮮・満州方面への莫大な投資も可能となっていった。

部落解放運動方向をみても、大正デモクラシーの高まりの中で、
内務省が200万円の部落改善費を拠出し、それが水平社の創立につながっている。
北原二等兵が軍隊内の部落差別を天皇に直訴したのが1927(昭和2)年。
臣民的平等の実現が理念となり、行政が解決へとのりだすようになった。
http://homepage1.nifty.com/kakogawa/wakaru/nenpyou.htm

行政も、相手が天皇の「臣民」であるから、教育や学校給食の普及や厚労省の創設など、
国民の福祉向上を図っていったわけだし、現実に諸施策がくりだされたのが昭和の初期だった。

もちろんどんな時代だろうが、他者の不自由を自分の自由と感じてしまう者は後を絶たず、
政治と行政がいかなる努力を惜しまずにいても、文化に起因しているところを正すのは難しい。
なので、政治がいったん統率的な意志を発現させてでも、方向を明示することが嘱望されてくるってこと。
61朝まで名無しさん:2007/02/04(日) 08:46:11 ID:DYg31Ymm
天皇擁護の都合の良い事だけしか耳に入らない
toooが常駐したので、このスレはおしまい。
62朝まで名無しさん:2007/02/04(日) 23:39:49 ID:RyU+Ntpc
>>57
>政治意識そのものが起こってはいない
庶民にそれを持たせないようにするってのが封建制度の基本
江戸末期、生活に密着した利害意識以上の政治意識を持っていない庶民と
藩校で学ぶなり世界情勢を知り欧米列強の脅威を感じ取れる立場にあった者達との間に
どれほど意識の差があったかなど、敢えて説明する必要すらないだろうに

>>58
>庶民内部から合掌し出す者まで現れたという天皇行幸時の事実
一般庶民が水戸学など知る筈もない、庶民が知っていたのは神仏を束ねる宗教的権威としての天子さんだからね
天皇を現人神として庶民へ教え込む素地はあった事も理解できている と
で、明治維新を断行した連中は、一般民衆向けに教育勅語や修身教科書などを通して絶対主義的な天皇観を教え込み
一方で知識階層や政治家に対しては君主制限説をもって明治憲法を解釈し 憲法論に通じた民権学者をも抱き込むという
本来矛盾する筈の二つの天皇観を操り明治新体制を固めていったという事は理解できたんだな

つことで、>そんな封建時代から脱出していった一大ドラマ を演出して見せた
>>59> 堅固な武士「制度」を一気に解体して 武士はそのまま官吏となった
門地や家柄故に無能力でもエラスな地位にありそれが生涯変わらない事への不満を持つ実力ある下級武士の反乱
明治維新は政権内クーデターだって基本を忘れるのも勘弁してくれ

>欧米が掌中としていた産業革命を日本にももたらそうと
明治政府がはじめた事じゃなく徳川政権下で既に取り組みははじまっていた
つーか、攘夷掲げて徳川幕府の政策に過激な反対闘争をおっぱじめたのは
後の明治政府側の連中だったでしょに

>地租改正がなく、解放令が無かったら良かった、とでも言ってるんですか?
>ちなみに「解放令」とは、すでに識者が認識としていたこと
本来「解放令」などでは無かった事は賤民制廃止令を見れば一目瞭然なのに
明治政府はこんなにスバラシスでした、つーよな誤魔化しに用いられている事が問題だってお話
で、一般にそう膾炙されているから解りやすいよう用いるが
本来「解放令」などと解すべきではないと指摘してるのがその参考サイトで引用されてる上杉聰
63朝まで名無しさん:2007/02/04(日) 23:40:14 ID:RyU+Ntpc
>>60
>庶民感情の自由にまかせた結果
で、庶民がなぜ誤った排他意識侮蔑意識を持つに至ったのか、背景となる朝鮮併合と
独立運動への弾圧という歴史の動きを見ようとしないtoooへの指摘だよ

>朝鮮人偏見がいったん払拭された
国家総動員態勢で背に腹は代えられないという状況となり、労働力として利用しようとした
根っこの特に為政者側の意識が変わっていなかった事は戦時下においての賃金格差からも解る
朝鮮からの徴用が遅れた理由も、徴用に伴う日本人同様の雇用保障を行いたくなかったからでもある
つーか、>影を潜めた とかドコを見ればそんな寝言が言えるんだ??

>政治と行政がいかなる努力を惜しまずにいても
toooは自ら張る参照サイトを読まないのか?
「公的な権力が中心となって、公然と法的に差別政策をおこない、一般民衆の中にあった
 「差別意識・賤視観念」を増幅させ、洗脳し教化してきた歴史的経緯を考えれば、
 「解放令」の一文だけでは、真の対等な社会関係を結べないことは容易に予想できたはずである。
 にもかかわらず、明治政府は、そうした社会通念あるいは慣習的に差別意識を日常生活化させてきた民衆への
 教育や啓蒙をおこなわなかった。このことが、現在においても部落差別の残存する最大の要因である。」

>政治がいったん統率的な意志を発現させて
「戦時下の運動は、「挙国一致」を合言葉とする戦争協力の代償としての差別解消運動が展開されました」
水平社博物館のサイトにもあるように、軍や政府にあったのも戦争遂行というご都合
本気で差別解消に取り組む意志など無かったという事だね
で、>他者の不自由
を敢えて残しあるいは示す事で、それよりはマシだろうともう一方の不満のはけ口に利用できる
政治や行政が、自らが何の努力もしなくても庶民を御せる有効な手段を手放す事があるなどと
庇う事に熱心なあまり、かつての政治に理想ばかり見ているのはtoooの方だろうね
64tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:36:30 ID:WiTJCAB7
>>62
>江戸末期、生活に密着した利害意識以上の政治意識を持っていない庶民と
>藩校で学ぶなり世界情勢を知り欧米列強の脅威を感じ取れる立場にあった者達との間に
>どれほど意識の差があったかなど、敢えて説明する必要すらないだろうに

げにも。
それは江戸時代が庶民に長く強いてきたしきたりに起因しているのであって、
そのことを直ちに維新政府のせいに出来ちゃう、という
アナタのとんでもなく飛び越えちゃってる、本末転倒な神経を疑ってるわけですよ。(w

維新がなかったら、政治意識の醸成
その根本の大元の発端の端緒の始点というものがないということ、微塵も。

>>庶民内部から合掌し出す者まで現れたという天皇行幸時の事実
>一般庶民が水戸学など知る筈もない、庶民が知っていたのは神仏を束ねる宗教的権威としての天子さんだからね
>天皇を現人神として庶民へ教え込む素地はあった事も理解できている と・・・・・

バカでしょう、アンタ。
>庶民が知っていたのは神仏を束ねる宗教的権威としての天子さん
にもなってないよ、維新直後は。
封建社会が長すぎたので、ただへつらう、ことが庶民には定着してたの。骨の髄まで。
そこに持ってきて、最高権威が将軍家から天皇にとってかわったの。
「錦の御旗」(とそれによる薩長軍の勝利、および平和的な江戸開城)の伝聞はすでに喧伝されてたから、
庶民にはそれが自身の安寧の保障でもあったわけ。
神仏分離令も江戸末期からすでに出されてたの。
65tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:38:07 ID:WiTJCAB7
教育勅語は、維新から23年を経た1890年10月30日
(大日本帝国憲法(明治憲法)が明治22=1889年2月11日公布)
なんだし、じゃあそれで自由民権の動き(帝国憲法後は不平等条約撤廃の国権回復の運動へと直結したが、
 反政府派議員の選挙運動と、さらに大正デモクラシーへの運動へと形態変化
 ・・・・・国際政治用語?wで言うところの「民主化要求」の拡大概念)や
普選法要求の動きが否定されたか、っていうと歴史はまったく逆なわけ。

最初の帝国議会からして、天皇派(てか国権派)なんか少数派になったわけ。
(それに懲りた明治天皇が私費を選挙に投じても、
 その動きに歯止めがかからなかったことは、言ったはずだけどな。
 ・・・・・バカだと、即忘却なんだろうか?)

「現人神」と庶民が本気で思ってたかも知れないのは、
昭和に入っての軍国教育体制の完成からで、たぶんそれ以降の話。
それを待たないと、「現人神」信仰があったとは言えないし、
「現人神」信仰の顕著な例なんか明治・大正期には発見できないわけ。

明治期では、明治天皇が議会で正統ではないと謝罪までしてるわけだし(南朝正統論が新聞などを席巻)、
大正期は、家族を大事にする大正天皇をあろう事か、「脳病」と決めつけ、
宮内省がわざわざ発表するなんてことを犯している(正しい漢字は「冒している」だが敢えて遣う)。

(たとえそれが北朝鮮だってそうだろ。
 表向きは金正日崇拝が凄いと伝聞されてるけど、脱北したり北朝鮮の官憲の及ばないところで
 一個人一個人に問い訊ねて、過度の崇敬観を保持し続けられるか、っちゅーと疑問中の疑問。
 ただし、北朝鮮のケースは、いわゆる社会主義で生殺与奪権まで国家に牛耳られてるわけで、
 戦前の日本より切実で酷な状態。
 飢餓の96・97年にもなってない、金日成が存命の時点でも、
 官憲による突然の家宅侵入と、連れ去りが多発していたことは有名な事実。
 ラジオで西側放送を聴取していただけで、その有様。
 ここらへんはソビエト仕込みの警察国家。
66tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:38:41 ID:WiTJCAB7
 戦前の日本は、日中戦争の拡大と恐慌からの脱出する経済の建て直しが同一歩調だったので、
 民族意識の発揚も自発的なものだったこと、それに教育勅語の教育が加わったこと、
 そこらへんを勘案しないと、正しい戦前への理解にならないでしょ。
 ま、鼻から自己理屈への独善的な陶酔を目的としてるなら、何言っても無駄でしょうけどね。)

今だって同じなんですよ。
都会の人には解せないかも知れないけど、田舎じゃ相・変わらず。
農作業にいそしんだり公務員となって、真面目に着実に定収入を得てるの。
反抗するのは、(と言っても、保守派の分裂だったりけど)、
ひとり自分のことだけじゃなく、自分を超えて地域や団体、
さらには子孫や知己が損失を被ると予測されるときだけ。
抽象的に過ぎないことの理由で、御上に反抗しよう、だなんて思いもつかないの。
わずかでも念頭にすることもないの。
苦労はしても、果実がよく育ったりのささやかな喜びを大切にして生きてんの。
無事であること、健康であること、そして調和を乱さないことを誇りとしてるの。
(ただし経済政策の失敗や失態は、自分に波及する如何を問わず、憤激の対象になることもある。)

>門地や家柄故に無能力でもエラスな地位にありそれが生涯変わらない事への不満を持つ実力ある下級武士の反乱

違うだろ。
各地で蜂起した主因は、武士という身分が剥奪されたからだ。
特権を失わされ、現実の経済社会への対応が、一気に難しくなったからだ。
(「武士の商法」などの揶揄する言葉まで生まれている。)
また、上級下級を問わない明治体制への移行だったわけで、
幕末の激動期に下級武士と密着し、それを中心勢力とした状態での維新だったから、
かなり大きく変革させることも可能となった。
(これ以上の変革だと、より多くの血が流されちゃってるだろ、もう。)
67tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:39:15 ID:WiTJCAB7
>明治維新は政権内クーデターだって基本を忘れるのも勘弁してくれ

あのさ、民衆蜂起の、血で血を洗うような事態になったら良かったとでも言ってるわけ?
リアル虐殺社会がお好み?
どういう意味で、政権内クーデターと言ってるわけ?
封建体制は明治維新以降も温存された、とでも言いたいわけ?

>徳川政権下で既に取り組みははじまっていた

そりゃそうだよ、ただし、徳川家以上に島津家でね。

初期に、香港や東南アジアとのレートの違いから、
銀の海外への大放出がおこっちまってる。
これには対処できずに、途方に暮れてたのが幕府だった。

>攘夷掲げて徳川幕府の政策に過激な反対闘争をおっぱじめたのは
>後の明治政府側の連中だったでしょに

てか、元々異国船打ち払い令とかおふれ出してたの幕府じゃん。
攘夷思想のまんまだったら良かったとでも言いたいわけ?
そのまんま東さんだって名前を変更したでしょ。
幕府が開国の方針の徹底をできなかったから、
その後の中央集権的開国意思の明治(明示の洒落)になってんじゃん?
68tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:39:50 ID:WiTJCAB7
>明治政府はこんなにスバラシスでした、つーよな誤魔化しに用いられている事が問題
>本来「解放令」などと解すべきではない

内実を伴わせるように、民意を即、動かせるかってーの!
神様でもンナ事は不可能。
しかも民意というレベルより、意識レベルではもっと下位の、
定着しちゃってる「偏見」のレベルなんだぞ。
潜在意識に植え付けられるようにして、「体制」は歴然として民衆の心の中に存在してたの!
「体制」はそのまま「安寧秩序」を意味してたの。
社会の流動性が否定されてきた封建体制からの脱却も、
流動性が個々人にまで何らかの恩恵をもたらす段階にならなけりゃ、
ほんちょいの理解さえ得られようもない、ってーの!
それだって納得や合点には、ほど遠い。

ボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争を知らないのか?
「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言葉、五つの民族、六つの共和国、七つの国境線」
と言われてきたユーゴスラビアが、一つにまとまって来れたのは、
皮肉にもソ連という巨大国家の圧力と、それに対抗して国内を纏めた
共産党による一党独裁体制のせいだったんですよ。
連邦でも、影的な中央集権が確立していたの、社会主義国のご多分に漏れずにね。

しかしチトーという大統領も、自民族(チトー自身はクロアチア人)の権利を特別に主張することなく
どころか自民族に対しては多少不利益にしてでも、全体を優先させた、その結果が、
民族相互が対等で尊重しあう状態での、連邦国家の創設と類い希なるその持続だったわけ。

ところがチトーという文字通りの重鎮を死亡で失い、自由化で共産党による一党独裁もなくなり、
ソ連が崩壊して外圧を失った瞬間、対ソでまとまってきた団結心も見事に崩壊させながら、
「民族浄化」という内戦の無惨な状態へと突入してったわけ。
69tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:40:23 ID:WiTJCAB7
この時、「連邦大統領」は1年任期の各共和国(と2自治州)の持ち回り制となってたんだから、
民主化が完全に裏目に出ちゃったわけ。
また、ソ連の侵略を本気で心配してたから、住民に武器持たせちゃってきたわけだけど、
それも住民同士が殺傷しあうことに拍車を掛けたの。

しかしそれもこれも、コソボ自治州へ
調停役として派遣されたはずのミロシェビッチ(セルビア共産主義同盟幹部)が、
セルビア人だけを擁護して、アルバニア系が多数を占めていたコソボの自治権を剥奪したことに
端を発してるわけ。
簡単にセルビア民族主義に席巻されてしまった結果が「民族浄化」だったんだ。

明治維新で過去の身分制を払拭しようにも、それに反旗を翻したのは民衆自身なわけ。
それが宅の引用、
>公的な権力が中心となって、公然と法的に差別政策をおこない、一般民衆の中にあった
 「差別意識・賤視観念」を増幅させ、洗脳し教化してきた歴史
の江戸期が長すぎたせいなんだし、
>社会通念あるいは慣習的に差別意識を日常生活化させてきた民衆への
 教育や啓蒙をおこなわなかった
明治政府への、悔恨的な非難になってるわけ。

でもちょいと、たとえ頭の片隅にでも考慮に入れてほしいのは、
明治初年から教化啓蒙を全国的に展開できるレベルだったのか?ってこと。
(対応の不充分と不手際さは、多くの史書の指摘しているところ)
教育の普及だってままならなかったのが、明治の初期(〜大正前期)。

リンカーンの「奴隷解放宣言」が、まったく実態にそぐわないとしても、
そのように語られ模範とされてきたように、賤民廃止令も身分「解放令」だったわけ。
先行する理念もなかったなら、現実も動きようがないわけ。

ベクトルの始点が因習だらけの囲いの中にあったとしても、
ベクトルの終点が正しい方向を指し示しているのなら、結果オーライなの。
70tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:41:11 ID:WiTJCAB7
てか、リンカーンの宣言とは違って、賤民廃止令は直ちに身分解放を意味していたの。
穢多非人は平民となり、平民は華族・士族の垣根なく通婚も許可されたの(1871年8月)、
いったん。
ただみんなに職業選択の自由が保障されちゃったから(←アンタの意を酌むとこういう表現)
それまで保護されてきた皮革加工などの産業も開放され、
伝統的・独占的に行ってきた穢多非人は圧迫を受け、
さらに土地への税制を含んで税の取りたてが施行されちゃったから、
困窮を余儀なくされ、穢多非人までもが賤民廃止令反対一揆を起こしちゃってるわけ。

じゃあ、アンタは江戸時代をそこだけ続行させときゃ良かったとでも言ってるわけ?
身分制を維持してればいいとでも言いたげ?
んなわけにはいかないでしょ。
それは差別の続行に外ならないからね。

俸禄を失った士族が困窮化するのと歩調を一にしてるんだよ(てか、やや早いが。
 ・・・・・1876年が秩禄の廃止のため)。
第一、江戸時代の差別のすさまじさは、
生命価値さえ一般人(てか農民)と等価となることを許されなかったという話で立証済みでしょ。

それが「身分」っていうものなんだろ、だいたい。
食うに困っての部落民側からの解放令反対は、まだ理解のしようもあるけど、
政府が行使した賤民廃止、そこへの反旗を部落襲撃で露わにした農民のそれは、
どうやって理解するわけ?
弾圧でしか国家は意志を明示できないじゃん。(しかしそれはしなかった。)

続行だったんだよ、私たちの心の中に。
官吏も一般人が登用される状態になっていったんだから、
これ以降は、基本的には我々の責任。
もちろん、それ用の施策を部落民が主体となって要求していくのは部落民の責任だし、
それを応援するのは我々の責任。
(ただし、逆差別状況は願い下げにしたいけどね。)
71tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:41:41 ID:WiTJCAB7
よく社会主義者は、偏見が存在することの理由を、
社会機構の責任にしちゃって思考停止状態を呈しやすいんだけど、
そうしたオメデタイほどの無責任さが民族浄化を招いたのは、火を見るより明らかなわけ。
しかも世界各国の実証例は経済を破綻させてのそれだったりするから、
いざ噴出するともう歯止めなんか、絶対と言って良いほど、かからないわけ。

そして、思考回路では自己の思想防衛に走るから、
こんな筈では・・・?????、の、またも思考不可状態。
個人の資産的自由を認めないって思想をいつまでも振り回してるから、
その体制来たりなば、解決するはずという、夢想にふけってるだけ。
(これも他山の石の場合であって、偏見当事者になる)
ところがその体制が来たりなば、イナバウアー級ののけぞり状態。
もともと民意の勘案という発想が皆無だから、独善的な経済施策を繰り出して、
遂にはダメージをより大きく巨大化させるするだけの犯罪者。
だいたい、商品の多様化や流通量の大小を用意できない社会で、
どうやって人的資源の流動性を確保できるの?
人が移動しなきゃ摩擦もない代わりに偏見の解消も期待できないんですからね。

最近のイジメ問題でも同じでしょ。
要は、他者の自由を奪う自由なんか、制度でも思想でも認められないってこと。
なので、イジメ(た側の)児童の就学一時停止が発案されてくる。
自由主義の正しい結論。

>軍や政府にあったのも戦争遂行というご都合
>本気で差別解消に取り組む意志など無かったという事だね

本気かどうかは知るよしもないけど、本気で戦争遂行だったから、
一時的でも差別の大部分が解消した状態にはなったでしょうね。
それが顕著なのが、台湾や朝鮮人の義勇兵の出現で、
大東亜共栄圏の夢を信じながら、自民族が認められることに精力を傾注した。
72tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 09:42:20 ID:WiTJCAB7
この時代のエリートはまず軍人だったから、韓国の朴大統領のように
大日本帝国で学び、そのことを誇りとしていた人も多かったみたい。
良くも悪くも、自負心を与えたってことにはなるんでしょうね。
志願兵にしか許されない特攻隊員もいたわけだし、二度と帰らない人も多かった。
謝らなければならないとしたら、第一に
一命を賭けてまで日本に尽くしてくれたこの人たちでしょう。

>庶民がなぜ誤った排他意識侮蔑意識を持つに至ったのか、背景となる朝鮮併合と
>独立運動への弾圧という歴史の動きを見ようとしないtoooへの指摘だよ

あのさ、どう話して良いかワケワカメになってんだけど、オイが。(w
併合が悪だというなら、話は単純だよな、うらやまスウィート。

初期の朝鮮半島への進出を、『植民地朝鮮の日本人』(高崎宗司著・岩波新書)から
ひもとくと、江戸時代末期の日本に来た白人のように、日本人は朝鮮人からの襲撃を受けてた。

韓国の併合は、日本の資本主義化が進行して貿易相手先を近隣に求めたことに起因するけど、
社会学の常識で、産業革命が起こった各国の住民が飛躍的に人口を増やし始めることからすると、
日本もまた余剰人口の排出地を求めたという側面があった。
事実、釜山開港の1877年から日露戦争の1904−05年(年末に4万2460人)までの
在朝日本人の人口増加は緩やかだが、日露戦後から一気に増え始め、
1910年の併合直後には17万1543人を記録し、
30年の約53万人、太平洋戦争末期の約75万人まで増加の一途。

逆に在日朝鮮人(現代で言う北朝鮮系のことではない、念のため)の人口も、
1920年の約3万人が、30年には約30万人に激増した。
これには、総督府の政策「産米増殖計画」が施行され、競争に敗れた朝鮮人が
日本内地や満州へと移動したことが大きいという。
73tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 10:01:55 ID:WiTJCAB7
注意したいのは、日露戦争が日本の重工業を飛躍的に発展させ、
それが各種製造業の発達を促し、貿易や資本の投下を促進させていったという事実。
朝鮮半島は日本に併合された状態だったので、経済発展を約束されていた。
資本投下に支障が出なかったということ。
で、内地日本以上に発展のスピードは急だった。(日本も国費を大きく投じていた。)

もち労働争議などに代表される労使間の摩擦も多発するし激化する。
日本国内でさえ大正期から多発しているのだから、
文化的な変動まで強要された状態の朝鮮で、独立運動が起こらないわけがない。
(近代的自意識を呼び起こさせる階級闘争が、独立運動まで招来させたということ。
 ・・・・・ここらへん、アナタのお得意分野なのでは!?)w

3・1運動時の日本憲兵の卑劣さは、ただ見せしめのために、
住民を教会堂に集めて放火し銃撃し23人を惨殺した一件で明らかなの。(水原事件)

でも、アナタの見解はあまりに一方的で偏向してます、ってばさ。
朝鮮人と日本人は必ずしも鋭く反目しあってたわけではないの。
資本主義の進展とともに、個人主義も進展していくのだから、
個々人の思慮や素養に裏打ちされた、非偏見や反偏見、
あるいは偏見の強化が育っていってると考えるべきなの。ワカリル?
74tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/07(水) 10:02:48 ID:WiTJCAB7
と同時に、国家(てか、公権力をつかった治安要員)も卑劣なだけじゃないの。
関東大震災時、「総督府の警務局長であった丸山鶴吉は、
 虐殺を逃れて釜山にたどり着いた朝鮮人を懐柔するために、
 愛国婦人会などを動員して、親身に彼らの世話をさせた。
 また、各地の警察署長には帰郷した者の見舞いに行かせた。
 また、朝鮮に在住する日本人の間にも、・・・(朝鮮人が毒薬を投下したとか近々蜂起の)
 流言が飛び、・・・自警団を組織・・・(するに至ったが)、
 丸山は自警団の解散を命じた。
 ・・・流言を聞いた浅川巧は、・・・日記に、『(流言を)信ずることが出来ない・・・
 自分は・・・朝鮮人の弁護をするために行きたい気が切にする』と書いた。」
(高崎宗司著、前掲書)

総督府の宇垣総督の方針を読んでも、段階を追って民主化を実現する方向だったと解ります。
日本を卑下したいアナタには理解不能かも知れませんが、
そんなに捨てたものではありませんよ。
(ま、併合時と途中の虐殺行為は、併合の不当性をこれからも立証し続けるでしょうけどね。)
75(○´ー`○)はカワイイ ◆a7G9QH2uOQ :2007/02/08(木) 09:53:14 ID:egs5pyIl
>「総督府の警務局長であった丸山鶴吉は、
個人の裁量で行った例外的な事例を出してくるのは、良く言われる
「詭弁」の類だよな。そりゃ良心的な人間も少なくなかったろう。

しかし問題はそんなコトではない。中国大陸では初年兵に対して、
「度胸を付けるため」と称して中国人捕虜を銃剣で刺し殺すとゆ〜
残虐非道な行いが常態化していたが、それを実行した本人は良心の呵責を
背負っていたという。良心を持った個人が狂気に走るコトこそを直視し、
現在及び未来への教訓とすべきだろ。
76(○´ー`○)はカワイイ ◆a7G9QH2uOQ :2007/02/08(木) 09:55:35 ID:egs5pyIl
いずれにしても、toooのいう
>でも、アナタの見解はあまりに一方的で偏向してます、ってばさ。
とは、tooo自身の偏向であり己を省みることが出来ない愚かさの証明だよ。
77朝まで名無しさん:2007/02/08(木) 10:09:30 ID:xh5+u41R
ウヨ脂肪wウヨ脂肪wあばばばばwウヨ脂肪wwwwwwwwwwwwwウヨ脂肪wウヨ脂肪wあばばばばwウヨ脂肪wwwwwwwwwwwww

キタ━━━(´∀`) ━━━!!!!( ;∀;) イイハナシダナーm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒーーーーー( ´∀`)ほすほす

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   〉 と/  )))       ウヨ脂肪♪
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   〉 と/  )))       ウヨ脂肪♪
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   〉 と/  )))       ほすほす♪
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78tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/09(金) 01:47:50 ID:OeZAHEuX
>>75 :(○´ー`○)はカワイイ 氏
>個人の裁量で行った例外的な事例を出してくるのは、良く言われる
>「詭弁」の類

そうじゃないでしょ。
維新は、個人を封建社会から解放し、
裁量権を付与(=自由・個人主義化)することだったわけだし、
その後の資本主義の展開は、裁量権の拡大さえ含意してるのだから、
最終的に個々人が問われる状態が生じている、としかみなしようがないよ。
個々人がその職責をどうまっとうするかが問われてくるんですよ。

てか、勅令を用いて虐殺を止めさせ(虐殺関与者は刑事処分へ)、
その勅令が奏功しての、総督府の措置だよ。
無責任性を表出させた民衆に釘を刺した格好ですよ。

>中国大陸では初年兵に対して、
>「度胸を付けるため」と称して中国人捕虜を銃剣で刺し殺すとゆ〜
>残虐非道な行いが常態化していたが、それを実行した本人は良心の呵責を
>背負っていたという。良心を持った個人が狂気に走るコトこそを直視し、
>現在及び未来への教訓とすべきだろ。

戦時にある兵隊の、特殊事例を持ち出すほうが、よっぽど詭弁でしょうに。

一時を万時(当て字)と判断したいんでしょうか?
それほど、喪失しっぱなし、論拠まで。(w
79tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/09(金) 01:49:26 ID:OeZAHEuX
>>76
>>アナタの見解はあまりに一方的で偏向してます、ってばさ。
とまで言ったのは、
>>63
>>他者の不自由
>を敢えて残しあるいは示す事で、それよりはマシだろうともう一方の不満のはけ口に利用できる
>政治や行政が、自らが何の努力もしなくても庶民を御せる有効な手段
と断定しながら、
何も傍証を用意しない態度を表したわけ。

本質的に自由主義にとって、偏見の存在は迷惑以外の何者でもない。

江戸時代や社会主義体制などの固化された体制が、
身分制を上記のように利用する例証は、枚挙にいとまが無くても、
こと維新以降の日本は、あるいは因習との闘争を内部にしなければならなかった。

優れた個人を認める態度が定着したとき、台湾人だろうが朝鮮人だろうが
正しく評価して登用する体制も築かれていた。
80朝まで名無しさん:2007/02/09(金) 02:29:23 ID:ZiY37Lis
坂本龍馬ってユダヤとつながりあったんだろ?
明治維新ってユダヤ主導なんだろな
明治以降の日本は操られてる
81(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/02/09(金) 08:22:48 ID:BvjUL3X6
>戦時にある兵隊の、特殊事例を持ち出すほうが、よっぽど詭弁でしょうに。
特殊事例が「常態化」するかよw
だからオマイはバカ扱いされるんだぜ?
82朝まで名無しさん:2007/02/09(金) 13:54:07 ID:jvONmKSg
>>64
で、明治政府は、庶民に対しては絶対主義的な天皇観を示し
一方で知識階層や政治家に対しては君主制限説をもって明治憲法を解釈してみせるという
本来矛盾する筈の二つの天皇観を操り明治新体制を固めていった
というこちらの指摘が理解できないと泣いていたtoooに対し順序立てて理解できるよう
説明をしてきた訳だが、それをどー脳内変換したら「直ちに維新政府のせい」とか読めるんだ??

>>庶民が知っていたのは神仏を束ねる宗教的権威
帝が奉じる事をもって伊勢の霊験あらたかなる事を示し、庶民では一般に奉じる事ができない
有り難いものなのだと伊勢の御師の口上やら暦により宗教的権威として全国に知られていた
つーか、神道が教義を持たないのは稲作が根幹である民族宗教であったからであり
稲作が金融も含めて産業構造の主体であった時代、天皇の宗教的権威は軽いものじゃなかった
>ただへつらう、ことが庶民には定着してたの。骨の髄まで
一揆や争乱、打ちこわしなど無かったとでも?
確かに百姓町人には国際情勢を含めた政治的大局を見るための情報が圧倒的に欠けており
近視眼的な利権をめぐる争乱が主体だった事は確かだろうが、庶民の自治の精神は高かった
庶民を軽んじ馬鹿にしきっているのはtoooの方だろうな
83朝まで名無しさん:2007/02/09(金) 13:54:40 ID:jvONmKSg
>>65
教育勅語や軍人勅諭が何のために出されたかを学んでから出直してくれ
で、これらへの批判は不敬罪、場合によっては大逆罪にもあたるとされていた事は理解できているんだよね?

つーかなぁ、当時の議会の有り様が現在のそれと同様だとかは解していないよね?
内閣は衆議院に対し責任がなかった事、貴族院の存在とか踏まえた上で、議会の権限だの影響だのは
言うべきだろうね
で、日露戦争に勝利した後、列強に並ぶ日本としてプライドを肥大化させはじめた時代
庶民が得る情報も増え、政治への参加意識が高まって後施行されたのが1925年の普通選挙法
が同時に治安維持法も成立した事を失念しちゃイケナイ
大正デモクラシーにより自治意識の発露としてかつて一揆や争乱で訴えていた庶民の不満を
選挙を通じて示せる時代が来た訳だが、それまで制度に反対していた貴族院側や藩閥側である
政治指導者の側が庶民の政治参加を歓迎する筈はなく、厳しい規制と弾圧の抱き合わせであり
藩閥から軍閥へと政治権力が移行した時、規制と弾圧のみが生き残っていった訳だ

>「現人神」信仰の顕著な例なんか明治・大正期には発見できない
御真影を守ろうと亡くなった校長の話など明治からある
84朝まで名無しさん:2007/02/09(金) 13:55:05 ID:jvONmKSg
>>66
>戦前の日本は、日中戦争の拡大と恐慌から
toooの言うトコロの戦前って何? 対米戦争限定だとかいう細切れは解釈は勘弁してくれw
神国日本であるとする教育は明治からはじまり、日露の勝利による肥大しすぎたプライドとともに
昭和維新となって暴発していったんだ

>抽象的に過ぎない
当時の為政者も、経済の拡大は情報の拡大でもあり考慮すべき事は目前の事だけではない
地球の反対側で起こっている現象が今の我々の明日を左右するという現実を
抽象的とか言ってしまう程度の頭だったって事だね

>>門地や家柄故に無能力でもエラスな地位にあり
かつて武士であっても無能なヤシはいらないってのが明治政府の意志
江戸時代が続く限り下級武士の家に生まれた連中が日の目を見ることはないからね
で、蜂起しちゃったのはそーいう胡座組か時流を読めなかった連中

>>67
>良かったとでも言ってるわけ?
で、明治維新に理想ばかりを見すぎだという指摘のドコを読めばこーいう解釈が湧くんだ??
形を変え、本質的には>封建体制は明治維新以降も温存され たと言えるだろうね
幕末、徳川政権は方針変換をはかっていた、生き延び続けた長期政権の底にあるしぶとさを
薩長は甘く見ていなかったからこそ、武力での攻勢を主張したんだよ
85朝まで名無しさん:2007/02/09(金) 13:55:35 ID:jvONmKSg
>>68
>民意を即、動かせる 
つーか、動かす気など無かったと言う話、抜本教育も何もしなかったからね

>ソ連という巨大国家の圧力と、それに対抗して国内を纏めた共産党による一党独裁体制
長々書いてるけど結局、外圧と強権でなく地道な基本教育が必要だったって事だよね
で、toooも認める通り明治以降政府はそれに真剣に取り組もうとはしなかった

> 明治初年から教化啓蒙を全国的に展開できるレベルだったのか?
あのな(呆
一方で教育勅語と御真影と奉安殿とといった教育をやらかしてたって事をどこに置き忘れた?

>賤民廃止令は直ちに身分解放を意味して
なかった事も、高知県となった土佐藩のお触れ書で示したよね
実態は土地税制の改革でしかなかったモノを解放令などと必要以上に賛美しては
実状を見誤るよと言うお話
>反旗を部落襲撃で露わにした農民のそれは、どうやって理解するわけ?
豊かな部落民が財を背景に百姓町人の職を奪う懸念
地域によっては犯罪者逮捕と処罰を担う司法側であった部落民への反抗
異なる存在と信じていた者と同化する事を強要された事への恐れ
地域により部落の定義すら様々であり職能もまた多様だった、地域ごとに異なる
様々な要因が背景にあった事を抜きにして、これこそ庶民が差別を求めた証など
雑ぱくな解釈を語るのは勘弁してくれ
86朝まで名無しさん:2007/02/09(金) 13:56:09 ID:jvONmKSg
>>71
>一時的でも差別の大部分が解消した状態に
押さえ込まれる事は解消へと通じる道から最も遠いものだ
つーか、>>70から延々と個人の心の中の問題で個人が自ら立ち向かい責任を見つめ
行動すべき事柄だと非常に頷ける論を吐きながら
一方で強権こそ解決になったとか強権でこそ解決する的な全く相容れない話を並べてしまえる思考回路が不思議だよ

>>72 >>73 >>74
>台湾や朝鮮人の義勇兵の出現で、大東亜共栄圏の夢を信じながら、自民族が認められることに精力を傾注
つーかなぁ、朝鮮の人たちが併合された状態で生き延びるために、積極的に日本に協力した事をもって
だから併合はイイコトだったんだとか言い出す程、馬鹿ではないとは思いたいがな

朝鮮支配は日本のご都合だった、周辺の小国を侵略し領土化し国力の充実を図るといった思想は
吉田松陰あたりから明言されている、明治における思想背景の一つでもあった
で、支配の思想をもって支配に臨んだ側と弾圧の果て被支配側となった側
被支配となった側から支配側に迎合する動きがあったからといって、支配していた側が
>必ずしも鋭く反目しあってたわけではない など傲慢以外のなにものでもない意見だわな
87朝まで名無しさん:2007/02/09(金) 13:56:42 ID:jvONmKSg
>>78
>個人を封建社会から解放し
国家神道を国教として、庶民に新たな制約をかけた大日本帝国の創成って視点はキレイに抜けるんだねぇ

で、書籍の引用で「為めに内地同様の自警団を組織し、」あたり中途半端な端折りは勘弁してくれ
つーか、その書籍自体どれほどの差別や虐待が日常的になされていたか
日本人側の慢心ぶりを指摘している書籍だって点は解っているんだよね??

>>79
一方の不自由を敢えて残しあるいは示す事で、それよりはマシだろうともう一方の不満のはけ口に利用する
なんてのは為政者側の常套手段
で、日本人、朝鮮人、満州人と一等、二等、三等国民と区分けしていた政権側にとって偏見の存在は
神国日本の国民の優位性の証明でこそあっても真に解消すべき問題だとは映らなかったという事だね

>因習との闘争を内部にしなければならなかった
かつて全国の17万6000の神社のうち8万を減らし、伊勢神宮を頂点に神社を統廃合するといった具合で
政権運営に支障となる因習はコレを破壊、一方で新たな因習を創成した訳だ
朝鮮を併合し続けたまま、独立させる意志など一片も示さずにおいて
朝鮮人であろうと日本の意に沿い、日本の益になる人物ならこれを用いた事をもって
平等意識の現れだなどとお目出度いにも程がある夢想家だね
88tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/15(木) 02:44:48 ID:uC+iRzFZ
>>81 :(○´ー`○)はカワイイ 氏
>だからオマイはバカ扱いされるんだぜ?

(´ヘ`;)ハァ・・・・・ついにキレた?
しかも他人の言葉を装うという姑息さで。(w

どうでもいいけど、「バカ」というのは定見を持たず、
かつ米騒動が昭和に連なる言論弾圧の発端のように言いたててみたり、
ときに社会民主主義=社会主義とトンデモを言ってみたり、
歴史的な勘違いをセンター試験受験生に起こさせ、
人生を破綻させようとするヤツのことを言うんじゃないの?
たぶんこのケースの「バカ〜」は怒号だぞ。(w

てか、ご指摘の箇所は、良心を麻痺させ戦争に臨ませたという事例でしかなく、
じゃあベトナム戦争〜イラク戦争にも類似例はあるだろうし、
なんでそれが日本全体を規定しているかのように錯覚させたいわけ?

アメリカの歴史教科書にも書かれているソンミ村の虐殺行為が
アメリカ人一般の当時のベトナム人に接する態度を言い当ててるとでも言いたいわけ?

てか、どうして朝鮮総督府の話に、戦争が激化している状態の日中戦争混ぜるかな?
わけわからん。
やっぱ、キレたの?(w
89tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/15(木) 02:48:29 ID:uC+iRzFZ
>>82
>明治政府は、庶民に対しては絶対主義的な天皇観を示し
>一方で知識階層や政治家に対しては君主制限説をもって明治憲法を解釈してみせるという
>本来矛盾する筈の二つの天皇観を操り明治新体制を固めていった

だからさ、証拠を出して筋道立てて話を進めてみてよ、オッサン。
それが出来なきゃ観念論でしかないじゃん。
>こちらの指摘が理解できないと泣いていたtooo
なんて下手な煽りはいいからさ。

>稲作が金融も含めて産業構造の主体であった時代、天皇の宗教的権威は軽いものじゃなかった

何言ってんだよ?
ふざけた歴史観、披露するのもええかげんに西洋!
幕府をなめとんのか?
仏法僧が『禁中並公家諸法度』を制定し布告していた時代、
>天皇の宗教的権威は軽いものじゃなかった
とまで言うなら、実例あげてくださいよ。(w

>確かに百姓町人には国際情勢を含めた政治的大局を見るための情報が圧倒的に欠けており
>近視眼的な利権をめぐる争乱が主体だった事は確かだろうが、庶民の自治の精神は高かった
>庶民を軽んじ馬鹿にしきっているのはtoooの方だろうな

誰が自治の話してんだよ、ジジイ耳が遠いんとちゃうか?
政治だろ!
幕末には志士を中心として政治談義は白熱してただろ。
なんせ開国で国家の一大事的状況になっちゃったんだから。
庶民をかるんじてんじゃなくて、政治に参加する体制になかったことを言ってんの!
90tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/15(木) 02:56:34 ID:uC+iRzFZ
>>83
>大正デモクラシーにより自治意識の発露としてかつて一揆や争乱で訴えていた庶民の不満を
>選挙を通じて示せる時代が来た訳だが、それまで制度に反対していた貴族院側や藩閥側である
>政治指導者の側が庶民の政治参加を歓迎する筈はなく、厳しい規制と弾圧の抱き合わせであり
>藩閥から軍閥へと政治権力が移行した時、規制と弾圧のみが生き残っていった訳だ

またまた延々と観念の書き連ねを・・・・・OTL

>庶民の不満を選挙を通じて示せる時代が来た
けど、
>厳しい規制と弾圧の抱き合わせ
だっただあ?

具体的にいわねーで、理解できるかってーの!(w

>>「現人神」信仰の顕著な例なんか明治・大正期には発見できない
>御真影を守ろうと亡くなった校長の話など明治からある

それって戦前の国家の宣伝に踊らされっぱなしって図?(w
規範意識の話でしかないと思うよ。
天皇崇敬が強まったのは、日中戦争の長期化と軍国支配が強まった結果。
つまり後付で当時の世相を考えるからそうなるの。

天皇は政治は政治に任せていたのだから、何か特別に権限を発揮してたわけではないの。
91朝まで名無しさん:2007/02/15(木) 11:19:30 ID:b5U74Yoo
>>89 >>90
教育勅語と軍人勅諭、それへの異論反論は不敬罪として断罪された
御真影と奉安殿、それを拝み奉じる事を全国の小学校で義務づけた
あたりはすでにさんざ説明もしてるがな

>仏法僧
帝が位を譲って上皇となり、号したのは「院」だって事くらいは理解できているよな?

>政治だろ
地方自治は政治に関係ないと?
庶民は自らの知る範囲で自治を行っており情報発達とともにより大きな範囲で考えるようになっていった
それが大正デモクラシーに続くという事だね

>具体的に
「庶民が得る情報も増え、政治への参加意識が高まって後施行されたのが1925年の普通選挙法
 が同時に治安維持法も成立した」
すんげく具体的に説明してる

>>「現人神」信仰の顕著な例なんか明治・大正期には発見できない
とか物知らずを語るから、明治からの教育のせいだって事例を説明した
御真影を守った校長が臣民としていかにスバラシスだったかとか当時から喧伝された訳だね
で、小学校の時からそういう環境にあったものが、後に皇軍として兵士になった訳で
>天皇崇敬が強まったのは、日中戦争の長期化と軍国支配が強まった結果
強まるのは当然の結果だった

>何か特別に権限を発揮してた
ように教え込んでいた、というお話だよ
で、理想化され神格化された明治大帝を手本として育った昭和天皇は
大正天皇の御代となり軽んじられつつあった天皇の権威と権力を高める事こそ
自らの行うべき事であり、成るべき天皇像であるとも考えていた訳で
統帥大権を御旗に、軍国主義へとなだれ込む状況に乗ってしまったという事だね
92tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 02:55:40 ID:wNlfwfl+
>>83
だからさ、天皇崇敬をそんなに強調したいなら、
文学とかで「天皇を思って泣きました」なんて表現の一つでも拾ってくればいいのさ。

無いだろ! 昭和初期の文学のどこにも。
北朝鮮のブタに対する北朝鮮公民の洗脳された態度みたいのは。
褒めちぎったウソごかしの言辞の書き連ねみたいのは。

戦争の必要が名目上、天皇万歳を叫ばせた、というのは事実だそうけど、
それだって、お母さんと言って死になさいと言った上官の例もあるわけ。
じゃあそれが不敬罪で裁かれたかっていうと、そんな事態にはなってないわけ。
崇敬概念も戦時の必要から来たタテマエに過ぎない、ってこと。

なので、2・26の首謀者なんかから、天皇への恨み辛みも聞こえてきたりするわけなんだよ。
実際問題、青年将校の要求通りに決起書は昭和天皇の御前で読み上げられ、
しかし天皇は即座に、「反乱軍の鎮圧が先」と取り合わなかったわけだ。
崇敬されてうれしがる、どっかのブタカスとは全然ちゃうわけ。
93tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 02:56:27 ID:wNlfwfl+
>>ソ連という巨大国家の圧力と、それに対抗して国内を纏めた共産党による一党独裁体制
>外圧と強権でなく地道な基本教育が必要だったって事だよね

あほちゃう?
外圧があるから纏まったわけだし、それが一党独裁を成立させたんだよ。
戦前の日本も同じ。日中戦争が長期化したから、
対中国を旗印に国内を纏めようとする力学が働いたわけ。過剰に。

「基本教育」が可能になるのも、国家が纏まってこそなんだし、
昭和まで温存されちゃってきた民族蔑視状のものは影を潜め、
ブロック経済化を推し進める世界に対抗して大東亜という理念が生じ、
それがあって初めて、朝鮮人や台湾人の志願兵も出現したわけだし、
事実、ユーゴスラビアも民族宥和的な教育は行われてたわけ。
日本も、貧しくても初等教育が津々浦々にまで徹底されたのは昭和に入ってから。
(それまでは就労の児童が多すぎた。)

>教育勅語と御真影と奉安殿といった教育をやらかしてたって事

道徳観念の育ってない、か、他民族との切磋琢磨がないために育たせようもない状態だと、
どうすればいいわけ?
忠君愛国の権化のように語られてる教育勅語なんか明治22年だぞ。
その後の国民は、みな一様におとなしくなったか?
労働争議の多発とか大正デモクラシーと昭和初期の世相の混乱を見たって、逆じゃねえか!

だいたい教育勅語12徳のたった1文だけだぞ。
 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
丸ごと否定するところか?
94tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 02:57:01 ID:wNlfwfl+
とはいえ、福沢諭吉らと自由主義の啓蒙にいそしんでた森有礼が構想していた道徳教育は、
教師の個性に任せた談話中心のもので、修身の教科書使用についてはこれを禁じたという。
統一的価値観の強制とは、遠く隔たった地点に立っていた。
もともと発展しすぎで国民から奇異の目で見られてた森有礼は、
伊勢神宮での「不敬事件(本質的に不敬ではなく、そのように喧伝されてしまった)」がもとで
暴漢に刺殺されてしまった。
(いつも思うのは、他者の自由を丸ごと否定してのける右翼には予め死んでてもらいたいって事。)
この偉人が長命だったなら、ちったー毛色の変わった自由主義が日本を席巻していたかも知れない。
ただしそれは、対外戦争を早期化したり加速化するおそれもある。

>実態は土地税制の改革でしかなかったモノを解放令などと必要以上に賛美しては
>実状を見誤るよと言うお話

じゃあ実態で農奴的状態から脱出させられなかった「奴隷解放宣言」は、
解放宣言ではなかったと言うんだな。
そんなことは誰からも認められない。
リンカーンが「奴隷解放宣言」を発して100年以上経っているという自覚が、
偏見や差別を真に否定するイデオロギーを形成してきたのだからね。
95tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 02:58:02 ID:wNlfwfl+
>様々な要因が背景にあった事を抜きにして、これこそ庶民が差別を求めた証など
>雑ぱくな解釈を語るのは勘弁してくれ

個別要因を考慮しすぎると、すべてが前には進まないですよ。

http://www.weblio.jp/content/%E8%A7%A3%E6%94%BE%E4%BB%A4%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E4%B8%80%E6%8F%86
解放令反対一揆

 解放令反対一揆(かいほうれいはんたいいっき)は、
 日本の明治時代はじめに各地でおきた暴動、襲撃事件で、被差別部落民の解放に反対して起こされた。

 江戸時代に様々に差別されてきた穢多・非人などの身分及び呼称(とそれに伴う死牛馬取得権など)が
 1871年(明治4年)8月28日の太政官布告(解放令)で一挙に廃止されることになった。
 しかし従来彼らを差別してきた他の民衆の中にはこれに反発するものがあり、
 一揆をなして被差別部落民を襲撃する事件を起こした。これが解放令反対一揆である。
 1871年から1873年(明治6年)まで散発的に起きた。

 明治4年に広島県で2名死亡、高知県で部落70戸中67戸破壊、明治5年に岡山県で4名死亡、
 1873年(明治6)に岡山県で18名死亡、福岡県で大量放火により64000人処罰、
 香川県で部落へ通じる橋3つの破壊、などの記録が残されている。

 上杉聰らはこれらを日本での賤民制度の廃止から部落問題の発生の移行期とみている。
96tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 02:58:38 ID:wNlfwfl+
>一方で強権こそ解決になったとか強権でこそ解決する的な・・・・・

我々が劣っていれば(その数が一定数以上居るならば)、対抗措置が必要になってくるということ。
開国当初は意味もなく(てか、彼らには意味ありだったわけだが)、欧米人を斬りつけただろ。
なので欧米人を個別に守る武士まで動員されてただろ。
民族浄化をやらかした旧ユーゴスラビアについては、セルビア空爆をNATOが実行しただろ。

強権でしか解決できないときに、強権は発動を求められてくるんですよ。
不正義があるから正義が求められてくるの。ワカリル、お古ちゃま?

>併合はイイコトだったんだとか言い出す程、馬鹿ではないとは思いたいがな

良いも悪いも無いだろ。
列強が資源強奪的に植民地を求めていったのとは違って、市場開拓的要素が大きかったこと、
そのため発展の機会を与えたというに等しいことが、幸いなだけだろ。

>支配の思想をもって支配に臨んだ側と弾圧の果て被支配側となった側
>被支配となった側から支配側に迎合する動きがあったからといって、支配していた側が
>>必ずしも鋭く反目しあってたわけではない など傲慢以外のなにものでもない意見だわな

と言って、かつて支配者側だったことを忘却してのけるってのは・・・・・?(w
支配地だった歴史を悪く言いたいなら、
被支配がどのような傷痕を残しているか指摘出来なきゃウソだろ。
ロシア(ソ連)と中国人民軍の援軍で成立しちまった北朝鮮の惨状を見れば、
自由権でいられた韓国の発展も、それに基礎を与えた旧大日本帝国の莫大な投資も明らかだろ。

韓国映画『ブラザーフッド』を見ると、最初のシーンで朝鮮戦争前の朝鮮半島の様子が描かれてますよ。
戦前の日本の中都市にも似た、市電が走り人が行き交う、活気に溢れた様子がね。
日本からの解放を祝ったことも事実なわけだし、日本のように太平洋戦争で被災したわけでもない。
共産主義という名の愚劣な経済運営と独裁政治を企む一味が、
同胞殺戮戦争さえ仕掛けなければ、極めて順調に発展していっただろう素地は与えていたんですよ。
97tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 02:59:16 ID:wNlfwfl+
しかし愚劣な一味が分割割譲した結果、韓国に残されていたのは食うや食わずの焼け野原だ。
前線が半島を何度も上下するなど、戦後の日本より悪い状態に落ちぶれていた。
日本統治の時代に大きく発展していた、それがすべて水泡に帰さされたのだ、
アメリカからの多額な援助も間に合わなくなるほど。
なので、日本から独立させたはずのアメリカもスプーンを投げ、
日本に援助するよう求めてきた。

日本が韓国を援助する謂われも所以ももはや無かった。
朝鮮半島へ投じた資産はすべて朝鮮半島へ寄付させられ、
朝鮮半島にいた日本人も皆帰国させられたのだから。
朝鮮人も物乞いじゃないわけだから、日本から援助を引き出そうにも、
自国民を説得できる正当性がどこにもない。

そこで苦肉の策として発案されたのが、「賠償」という概念だ。
袂を分かって以来感情をもつれさせた日本人も朝鮮人も反対する中、
締結された日韓協約の韓国側文書には「賠償」の文言があり、
その正当性を根本的に認めない日本側文書にその文言はない。

そして韓国側の意向を汲んで日本の野党や教育界が「賠償」概念を言い続け洗脳してきた。
日本の与党議員も韓国への援助がリベートに繋がるから実利へとなびき、
日本という国家の歴史的対面をあえて無視して、それを看過してきたようだ。

八百長の猿芝居だが、これが幅を利かして今があり、
謝罪しなければならないような強迫観念を日本人個々に与え続け、
しかしその無理が高じて、本音トークの2ch上で嫌韓厨がたくさん出現しちまう事態だ。

もちろん、援助という形式も、それが被援助国家の国力を上げ、
先進国が生産する物品やサービスの購買層を創出するなら、援助する国家とその国民にも利はある。
事実、韓国への援助は、1.共産圏に対する防波堤の役目を果たし、直接的な戦闘態勢を忌避できた、
2.日本の機械製品などを購入することによって、バブル崩壊後の日本経済の緩衝材となってきた、
3.文化的な交流を深め、実感できない好況下で韓国人旅行者が増加している、などの効用をもたらした。
98tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 02:59:56 ID:wNlfwfl+
>必ずしも鋭く反目しあってたわけではない
と言ったのは、韓国映画『力道山』や『風のファイター』を興味深く拝見しましたが、
その両者に共通して日本人側の朝鮮人蔑視がもう完全にオーバーに表現されながら、
しかし『風のファイター』の主人公・大山倍達は、
映画が言ってるように朝鮮人名を誇張的に何度も名乗ったという事実もなく、
どころか、宮本武蔵をこよなく尊敬しながら、
石原莞爾の東亜連盟に属し、民族の区別を超えた思想に共鳴している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE

反目してたように言いたててるのは、嫌韓厨と左翼のオッサンだけですよ。
両者とも江戸時代に郷愁を持ちながら、かたや思想的・かたや経済思想的な拝外主義者。

>>87
>国家神道を国教として、庶民に新たな制約をかけた大日本帝国の創成

宗教の自由っていつからでしたっけ?

>日本人、朝鮮人、満州人と一等、二等、三等国民と区分けしていた政権

もそっと、詳しくお願いできますか?
沖縄人が本土人をわざと区分しようとする以上の区分けなど、存在してましたか?
またそれを残存させてたのは、国家側ですか?、民心ですか?

(嫌韓厨に論拠がないとオイがつくづく思ってきたのは、
 朝鮮を自由貿易主義で開国した日本という自負があるからですよ。
 日本人が朝鮮半島に居住するのも当然なら、朝鮮人が日本に居住してるのも当然の話でしか無く、
 それを先行して求めたのが日本だったのだから、さらに当然という組み立て。)
99tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 03:00:37 ID:wNlfwfl+
>>因習との闘争
とは、産業革命以降世界のどこでも起こってることですよ。

>朝鮮人であろうと日本の意に沿い、日本の益になる人物ならこれを用いた事をもって

意に沿う沿わないじゃないでしょ。
教育勅語を読んだら解るように、ちゃんと勉強して職を見つけなさい、ってことだろ。
封建社会の主従関係じゃなく、もうこれからは個人と国家の関係になってる、
その中で頑張りなさい、ってことだろ。

>>91
>教育勅語と軍人勅諭、それへの異論反論は不敬罪として断罪された

ちょっと列挙してみてよ。
不敬罪になったって例。
教育勅語と軍人勅諭、それへの異論反論オブジェクションってやつ。

てか、軍人勅諭を承知してるはずの陸奥宗光は、
「政治はアートなり。
 サイエンスにあらず。
 巧みに政治を行ない、巧みに人心を収めるのは、
 実学をもち広く世の中のことに習熟している人ができるのである。
 決して机上の空論をもてあそぶ人間ではない」
とまで言ってるよ。
どっかのバカに爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだわ。

100tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 03:01:21 ID:wNlfwfl+
>>仏法僧
>帝が位を譲って上皇となり、号したのは「院」だって事くらいは理解できているよな?

あのさ、
>>『禁中並公家諸法度』
決めたのが、「院」の要請じゃないって理解でけてるよね?(w

江戸時代にも天皇がすげぇ権威あったなんて言ってるのは、一部のバカ右翼とアンタぐらいだぞ。

>地方自治は政治に関係ないと?

あのね、
>確かに百姓町人には国際情勢を含めた政治的大局を見るための情報が圧倒的に欠けており
>近視眼的な利権をめぐる争乱が主体だった
という百姓町人が、どうしていきなし国際政治にあれこれ意見言えるんだよ?

マジであほちゃう?
ちなみに1874(明治7)年に出された『民選議員設立建白書』だって
旧志士階級の政治参加を求めたもんですだよ。
ットーにあほちゃう?

(何が、>それが大正デモクラシーに続くという事だね  だよ?
 資本主義が進行して諸要求が現れるって、社旗主義思想でも基本中の基本だぞ。)

>同時に治安維持法も成立した

国体の改変要求などという事態が、当時の世界のどっかの国で通ったと思ってるわけ?
今でも通らない国だらけだよ。
自由貿易で繁栄するシンガポールだって、政体批判は出来ないぞ。
101tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 03:01:56 ID:wNlfwfl+
>小学校の時からそういう環境にあったものが、後に皇軍として兵士になった訳で
>>天皇崇敬が強まったのは、日中戦争の長期化と軍国支配が強まった結果
>強まるのは当然の結果だった

あのね、イギリスでは今でもフォークランド紛争(アルゼンチンとの領土紛争)で
戦死した兵士が畏敬されてんだよ。
「勇敢」と「犠牲」の二文字でね。
女王に対する崇敬概念は後付の理屈なの。
イギリス国民が出征兵士を思う場合には。
しかし出征兵士に女王を尊敬する心があったかどうかは定かじゃない。
やっぱり国家が先行しちゃってるわけ。(決めたのはサッチャー内閣)

戦前の日本でも特攻隊員の言葉に、
「決して天皇のためじゃない。妻を守るため」ってあるわけ。
国家を守ろうとするその先に天皇があって、
それを国家が利用したって使い回しの陳腐なお説は、もはや当然の話でしか無く、
まず国家概念があって、それがやばくされてるって国民の個々が思わなきゃ、
戦争なんて永久にないよ。

>>何か特別に権限を発揮してた
>ように教え込んでいた

やっぱ戦前の日本国民をバカだと思ってるでしょ。(w
大所高所にいるような気になって。

日中戦争ではこぞって賛成してた国民も、太平洋戦争方面では
かなり悲壮な決意になってる感じなの。
もち勇敢な学者の「これでアメリカも解るだろう」みたい意見もあったようだけど、
海軍とかはアメリカの指導を仰いできたわけだし(それが現・海自の湾岸派遣に繋がっている)、
国力差は明白なので、もうヤケのヤンパチみたいな調子なわけ。
102tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/20(火) 03:03:39 ID:wNlfwfl+
アメリカは1940年の9倍の軍事費を1941年に捻出して待ちかまえてたわけ。
なので、こうすれば日本に利するようこうするって具体的な案の書かれていない
ハルノートを突きつけれたわけ。
これが最後通牒と思えなきゃ、マジで日本はバカだとしか思いようがない状況にまで追い込まれたわけ。
それが太平洋戦争開戦の原因。
103朝まで名無しさん:2007/02/20(火) 03:18:37 ID:B4bQieL7
徳川慶喜や勝海舟のように恭順を貫いて、
国際世論の同情を得る様に宣伝すればよかった。
104朝まで名無しさん:2007/02/20(火) 11:12:21 ID:LI7W14CQ
11連投とはな(呆
>>92
>文学とかで
一般庶民と知識層とそれぞれに違う天皇像を解釈して見せたという説明はこれまでさんざ繰り返してたよね

>お母さんと言って死になさいと言った上官の例
カワイイ氏にも指摘されていたようだが、ある一例を一般例かのように語るのも勘弁して
>崇敬概念も戦時の必要から来たタテマエ
で、立前を立前に止めずそれこそが真正の絶対価値として特攻や玉砕していった事が問題だろうに

>決起書は昭和天皇の御前で
天皇にとってナニより大切だったのは「朕の軍が朕にのみ従う事」だった

>>93
>日中戦争が長期化したから、対中国を旗印に国内を纏めようとする力学
戦争をはじめたのは誰でドコなんだ、つか戦争って準備も軍備も無しにはじめられるとでも思っているのか??

>「基本教育」が可能になるのも、国家が纏まって
で、教育勅語と軍人勅諭は国をまとめるために必要な基礎教育だとしながら
一方の差別解消への教育にはいっさい手つかずだった以上、言い訳にはならない
>民族蔑視状のものは影を潜め
で、「植民地朝鮮の日本人」を読んだ上でこんな寝言が吐けると言うなら
toooには一欠片の読解力も資料検討能力も無いと断言できる

>道徳観念の育ってない
本気で失敬な子なんだね、江戸期の犯罪件数がいかに少なかったか
治安の高さはそこに済む住民の公徳心道徳心、相互扶助精神の高さの証明でもある
>教育勅語と御真影と奉安殿 は単に現人神天皇への崇拝を押し進める教育だったという事だよ

>一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
朕に従い朕に義と勇を尽くせ、洗脳教育の基本だよね
105朝まで名無しさん:2007/02/20(火) 11:13:55 ID:LI7W14CQ
>>94
方や奴隷を解放するために出された「奴隷解放宣言」、方や土地税制改正のための「廃止令」
理念からして最初から違いが歴然たるものを同列に並べる誤魔化しも勘弁してくれ

>>95
解放令反対一揆なんても冠自体が誤りだって事だよ
それまでの地域事情故の部落民との身分差が廃止される懸念が
当時の一揆の際に掲げられた数多ある明治政府政策へ反駁の中に盛り込まれた結果の争乱
つか、全国で100を超える争乱があった内の数例だって事を無視して、庶民全体の意識だと拡大解釈するのも勘弁してくれ

>>96
強権の発動は為政者側の無能の証、強権での押さえ込みは結果更なる反発となり
解決を遠のかせるものだなど、数多の歴史と事例が証明済みだよね

>列強が資源強奪的に植民地を求めていったのとは違って
同じだよ、列強の支配と違う点がある理由は
相手が、キリスト教圏がはじめて知るそれまで見も知らぬ異国ではなく長く文化交流もあり
知らない故の未開の蛮族などと扱えなかった点に尽きるだろうね

>被支配がどのような傷痕を残しているか
現在にまで至る日韓日朝のしこりが見えないとでも言い出すのかな??
>素地は与えていた
つかなぁ、日本が植民地化する上で、日本の都合で促した発展をそこまで臆面もなく自慢できるってナニ?

>>97
>日本が韓国を援助する謂われも所以ももはや無かった
で、嫌韓厨まんまの論を語るなら以降放置するよ
106朝まで名無しさん:2007/02/20(火) 11:14:26 ID:LI7W14CQ
>>98
支配と被支配の立場にあって、被支配の側が拠りよい生活状況を求めるために
思想を学び共感して行くことでそれを叶えようとするのも仕方ない事だ
で、「必ずしも鋭く反目しあってたわけではない」と言っていいのは被支配にあった側であり
支配側がそれを言い出せばただの傲慢野郎に成り下がるよね というお話

>宗教の自由
国家神道を奉じなくて良しとかされていたとでも?

>またそれを残存させてたのは、国家側
つかなぁ、「植民地朝鮮の日本人」マジちゃんと読んだの??
食糧の配給から差別されていたと記述があったよね

>>99
新たな因習を造り上げ染め上げていったというお話
>意に沿う沿わないじゃないでしょ
意に沿わない者へは弾圧を、一方で意に沿わせる教育を施し沿ったものは重用した
>個人と国家の関係
朝鮮人に朝鮮国ではなく、日本という国への服従を求めたって事だね

>異論反論オブジェクション
内村鑑三と美濃部達吉とか超メジャーどころだと思うんだが知らないで議論してたのか??
107朝まで名無しさん:2007/02/20(火) 11:16:27 ID:LI7W14CQ
>>100
江戸時代となっても、朝廷と帝が宗教的権威システムの頂点にあった事を否定する研究者はいない
だからこそ薩長の田舎侍が担ぎ出した
>いきなし国際政治にあれこれ意見
だから大正期までかかったと指摘している訳だが
>資本主義が進行して諸要求が現れる
江戸期、流通と販売を一手に仕切っていた百姓町人からの諸要求は幕府の政策すら覆したよね
自治の精神は極めて高かった、明治大正と時代を経てそれが末端の庶民まで国策を考える事が出来うる
知識を得るに至ったからの大正デモクラシーなんだよ

>世界のどっかの国で通った
革命とか通った事例をよく解っていたからこその枷だったという話だろうに
民衆の政治参加意識は高まっていったが、為政者側はそれが大きくうねり台頭する事は望んでいなかった
という事だね

>>101
職務を果たす事へ称賛は職業を問わず行われている
>まず国家概念があって、それがやばくされてるって国民の個々が
思う他ない状況に陥らされた事を都合良く失念するんだね
国家が政策を誤っていったツケをそれと知らせないまま国民に支払わせたのが先の大戦だろうに

>戦前の日本国民を 小学校の時から一つの価値観こそスバラシスと
ある意味馬鹿になるように、目線を一方向に向けるように教育していったと言う事だね
>太平洋戦争方面ではかなり悲壮な決意
日中戦争が泥沼化し、食糧は統制され国民が総動員され働き手が次々徴兵され帰ってこない現実が
目の前で展開しているんだ、気づかない方がおかしい程の状況だろうに
だがおかしいと思ったその時は既に、治安維持法や憲兵により何かを言える状況ではなくなっていたという事だね

>>102
で、冷静に考えれば戦える状況では全くなかったにも関わらず対英米開戦に踏み込んだ
当時の指導者層が度し難い愚か者だったという事になるんだろうね
108tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/21(水) 01:49:33 ID:5Pv5myFg
>>104
>一般庶民と知識層とそれぞれに違う天皇像を解釈して見せた

まったくピンと来ませんね。
違う天皇像を国民に提示という面倒をわざわざしますか、政府が?
夏目漱石や森鴎外など明治・大正・昭和期の文豪たちの作品に、
天皇を畏敬するなんてのは一行もないよ。(たぶん)

それを読んでたのは一般庶民なんだから、推して知るべきだ。

>ある一例を一般例かのように語
っているのではなく、タテマエをそのまま信じてるのはバカという事。

反日左翼史観が吹聴してきたように崇敬概念があったというなら、
洗脳教育の北朝鮮の一般人が口にするような、
天皇にまつわる信仰心の吐露みたいなんがほうぼうに噴出してても良いはずだ。
ところが、かなりカルトな右翼方面以外には発見しようがなく、
泪無くして読めない特攻隊員の手記にも、「陛下」など天皇を意味する文言など見あたらず
「国」や「大和」がわずかに散見されるぐらいで、
しかし圧倒的に父母兄弟知友個々人への想いを綴ったものが多い。
http://www.tokkotai.or.jp/isyoiei_shinjyou/isyoiei_shinjyou.htm
http://www.tokkotai.or.jp/isyoiei_shinjyou/fubokyoudai_ni_yoseru/mitsuyama_shoi.htm
 光山少尉は朝鮮半島出身、初の名は卓庚鉉という。

タエマエを鵜呑みにしてると、京都じゃぶぶ漬け出されちゃうよ。
これが解らないと「ほんまもんのアホやなあ」言われはりますよ。(w
109tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/21(水) 01:50:11 ID:5Pv5myFg
てか、戦時中の軍国教育の存在を以て、洗脳されてたと言い張るほうがオカシイんちゃう?

226事件に対する軍法会議の主席検察官匂坂春平は、
皇道派のボスだった真崎大将が知らぬ存ぜぬを通すのを執拗に追求したんだ。
反乱幇助のかどで起訴にまでこぎ着け、罪状の立件に全力を傾注した。
ところが盧溝橋を発端とした事変の拡大で、内部分裂を引き起こしたくない軍から圧力がかかった。
軍を内部告発してきた者が死刑となり、真崎は無罪放免。
すべては戦争が眼前だったことによる。

その真崎は、川島陸相に戒厳令を勧奨し、伏見宮邸で新内閣創設の提言までしている。
真崎に唆された川島陸相が、昭和天皇に青年将校の蹶起趣意書を詠み上げ、
「国体を明徴にし、国民生活を安定させ、
 国防の充実を図るような施策を強く実現する内閣を早く作らねばならぬと存じます」
と上奏までしている。
これに対する昭和天皇の回答が、
「陸軍大臣はそういうことまで言わなくてもよかろう。
 それより反乱軍を速やかに鎮圧する方法を講ずるのが先決要件ではないか」だ。
(朝日新聞社『軍国太平記』)
天皇は政治のことは政治家に任せていたんだ。

>天皇にとってナニより大切だったのは「朕の軍が朕にのみ従う事」だった

・・・・・3月3日は・・・・・絶句!
「朕にのみ」という判断はオカシイだろ。
だったら、226の青年将校に同調したっておかしくはない。
(そうすりゃ右翼が念じるところのメデタク天皇親政の完成だ。)
110tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/21(水) 01:50:54 ID:5Pv5myFg
そのアナタの頼みとしている軍がw、
満州方面でまったく天皇の意なんか介さない状態だったことは、
氏にお読みいただいた『「満州帝国」がよくわかる本』で明確に語られていたことです。

ただ、この本では氏にもご指摘いただいたように、移民政策の「無理」を表現してましたが、
これは戦後のアメリカが戦前とは一転して開放経済政策(グローバリズム)を展開し、
日米の絆も深くなって日本が市場をアメリカに求めることが出来たこと、
そのお蔭でとくに近隣を求める必要が減じたこと、その一連をすっかり看過している。

ちなみに井上清の『日本の歴史 下』では、明治憲法発布から始まる22頁に以下の表記があります。

 「東洋の危機」論と「人口過剰」論

    政府方面ばかりでなく、政党や民間の政論家の間にも、「東洋危機」をさけび
   「東方政略」を説くことが、1891年からにわかにさかんになった。
   この年3月、ロシアがシベリア鉄道計画を公表し、5月、ウラジオストックからの
   工事の起工式をおこない、ロシアの東洋侵略の新しい段階が展望されるにいたったことが、
   日本の朝野をしげきしたのである。・・・・・
    かつて「朝鮮改革」をたくらんだ大井憲太郎は、この年「東洋倶楽部」をつくり、
   「支那の傲慢不遜の鼻っぱしをたたけ」、「日本は東洋の覇権をにぎるべし」と演説し、
   樽井藤吉は立憲自由党機関誌・・・日本と朝鮮が誠心誠意の協議をとげて国を一つに合わせ、
   新たに「大東国」をたて、清国と同盟して西洋列強の東亜侵略に対抗せよというのだが、・・・
   大井と樽井は翌92年「東洋自由党」を創立し、・・・・・
   「対外政略の国是を定め、対外経済の長計をとり、兵略商略をして並行進取せしめ」、
   「海軍拡張の規画」をたてるのを急務とした。
   大井によれば、いたずらに「民力休養」「政費節減」をさけんで、
   「東洋危機」に対処することを知らないのは、今日の政治家たる資格なしという。
   彼らもまた(tooo註・他には「副島種臣・近衛篤麿・陸羯南らの東方協会」)
   専制政府との闘争の場を(←井上清らしいw)、
   政府を上まわる軍国主義の強調に見いだそうとするにいたった。
111tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/21(水) 01:51:30 ID:5Pv5myFg
    この空気の中で、1891年5月、日本に来遊したロシア皇太子が、
   大津市で警衛の巡査に斬りかけられるという事件がおこった。
   犯人津田三蔵は、皇太子は日本侵略の下心から、地理形勢を視察に来たのだと信じて、
   この兇行に及んだのであった。

    この前後に早くも日本の「人口過剰」論もあらわれる。
   91年4月30日の政府系の『東京日々新聞』に曰く
   「都下に近頃の奇現象は、婦女労働者が日に月に増加することなり。
    ……是は全く我国の人口が土地に過剰したるの結果に外ならず、
    故に差当り植民政庁を拡張するか、人口制限を立つるか、とにかくその急を救うに非ざれば、
    社会党共産党の如きもの踵を接するに至るやもはかられず」と。
   自由党総裁板垣退助も、92年には『植民論』を書き、
   日本はやがて人口過剰になるから今のうちに早く植民をさかんにせよ、
   たとえ人口過剰にならなくても、世界各国はみなさかんに植民しているから、
   日本もおくれをとってはならない、わが国が東洋に独立し富強の各国と勢を競うには、
   海権と商権をもたねばならないという。
   93年には子爵榎本武揚を会長とする「植民協会」が設立され、多くの資本家も加入した。
   これら「植民」論が90年以来の「社会問題」の発現に対応するものであることは、
   明らかであろう。

   tooo註:90年以来の「社会問題」とは、その年の5月に日本最初の恐慌的不況が生じ、
   「無銭飲食」の窮民が大量発生しながら、東京・京都などに餓死者まで生じたことを指す。

さて、大正期〜昭和期に満州への移民論が席巻したのは、
ただ単に政府の思惑によるものだったでしょうか?

アナタの屁理屈が、新大陸を人口排泄地としたヨーロッパや、
現代の中国国内における沿岸部への大きな人口移動について
何の説明にもならないって所を理解してよ、ジイさん!
112tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/21(水) 02:04:49 ID:5Pv5myFg
>「植民地朝鮮の日本人」を読んだ上でこんな寝言が吐けると言うなら

創氏改名を調べてたら、韓国の新聞社のウェブに
その「強制」に反対して自殺した人も現れた、って記述があったから少し探ったんだよ。
ところが、どこの誰と、まったく判らなかったんだよ。
この手の、相手を黙らすような誇張表現に事欠かないのが、韓国から提示される情報(?)。

もち「植民地朝鮮の日本人」には、創氏改名に対する朝鮮人側の憤怒が表現されている。
しかし自決までする抗議があったなら、この書に描かれてるはずでしょ、絶対。

>toooには一欠片の読解力も資料検討能力も無いと断言
してくれちゃう1000年前に、
ちゃんとした証拠を出してくださいよ。

言っておくけど、日韓協約にまつわるオイの話は推測という以上の事実だかんね。
韓国側は「賠償」の文言を載せ、日本側文書にそれは絶対にないはず。
113朝まで名無しさん:2007/02/21(水) 11:48:56 ID:5r6hAiBx
昭和天皇、“天皇放棄" を最初に表明

なら、賛成だ!
114朝まで名無しさん:2007/02/21(水) 23:48:41 ID:IIR/FaQT
>>108 >>109 >>110
>文豪たちの作品に、天皇を畏敬する
文豪ってのは知識人文化人、庶民のように崇拝対象としての教え込教え込まれる事とは無縁
で、自らの書きたいものを書く、政府の提灯担ぎが書くようなの啓蒙ネタをなんで作品に盛り込む義理がああるんだ?

>天皇にまつわる信仰心の吐露
バンザイ突撃ってのは用語にすらなっている、当時、「国」や「大和」である日本は、すなわち国体、天皇のそのものであった
家族や友人に思いをはせながら、彼らは天皇の赤子として死なねばならなかった、これを洗脳と言わずに何と言うのかな?

>陸軍大臣はそういうことまで言わなくて
政治に軍が口出しする、将校の勝手な反乱と同根をそこに見たんだよ
2.26は反乱だ、掲げる看板が何であるかより、現実の反乱行為を大元帥である天皇は容認しなかった

>満州方面でまったく天皇の意なんか介さない状態
『「満州帝国」がよくわかる本』のドコを読んでそんな解釈が湧かせられるんだ?
天皇の意など関係ないと思うなら、参謀総長が辞表を覚悟する事も無かったし、戦果報告を頼りにお許しを頂きにくる事もしなかったろうに
軍にとってナニより必要だったのは、現人神であり大元帥である天皇の命だという錦の御旗だったんだよ

>政府の思惑によるものだった
第三次産業主体の当時の産業構造で土地面積あたりの就労人口、生産性からも移民や植民政策が必要となるのは当然だ
だからといって、収奪して当然でありそれに反論するものは殺すなどという主張まま
それに沿った政策をやらかして良いなどという話は、一緒くたに語るよな事ではないくらい解ると思っていたがな

>>112
>「植民地朝鮮の日本人」
は、当時の朝鮮に対する政策の驕りと、日本の一般民衆にすら蔓延った慢心を述べた書籍
で、この新書に無いからではなく創氏改名についての専門研究書とか読んでから韓国側の情報は嘘なのだとか言い出すべきだろうね

>ちゃんとした証拠
>>93>>民族蔑視状のものは影を潜め
>で、「植民地朝鮮の日本人」を読んだ上でこんな寝言が吐けると言うなら
>toooには一欠片の読解力も資料検討能力も無いと断言できる
115朝まで名無しさん:2007/02/22(木) 14:49:21 ID:Q5FlqEd6
>>114訂正
呆れたかえったままにレスをしちゃうと色々間違いしてるなぁ
次からは推敲してからにするよ

>文豪ってのは知識人文化人、庶民のように崇拝対象としての教え込教え込まれる事とは無縁
>で、自らの書きたいものを書く、政府の提灯担ぎが書くようなの啓蒙ネタをなんで作品に盛り込む義理がああるんだ?

文豪ってのは知識人文化人、庶民のように天皇を崇拝対象として教え込まれる事とは無縁
で、自らの書きたいものを書く、政府の提灯担ぎが書くようなの啓蒙ネタをなんで作品に盛り込む義理があるんだ?

>第三次産業主体の当時
第一次産業主体の当時
116tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:13:55 ID:NJwGrR++
なんだか常識にも適ってなさそうな爺さんなので、も少しお付き合いしてあげるわ。

>>104
>江戸期の犯罪件数がいかに少なかったか

当たり前だろ。
社会主義国だって同じ。
そもそも個別的な利害関係てか、もっと根本的には
利益そのものが醸成されてくる社会だったかよ?

(それでも江戸時代にネズミ小僧のような「義賊」信仰は発生しているし、
 商業の隆盛とともに豪商が現れると、徒党による押し込み強盗のような犯罪も発生している。
 本来てか理論上?殺人事件の発生しないはずの社会主義圏でも、
 性的倒錯型の連続殺人は発生していた。・・・・・ポーランドだったかな?東ドイツだったかな?
 ・・・マンガ喫茶の手塚治集で知った。
 妻子のあるちゃんと家庭のある男性による連続死姦事件で、幼女の多数が犠牲になった。
 精神鑑定が実行されたが特に異常は発見されなかった。精神の不思議を現す内容。
 ・・・・・この話題は、オイの頭が少し追いつかないところ。
 しかし問題は、事件が表沙汰にならなかったために、犠牲者が拡大したこと。
 管理国家・タテマエ国家は、二重の意味で個人を犠牲にしているのだと解る。
 北朝鮮で90年あたりに巷で囁かれていたのは、
 あまりにも頻繁化する自転車泥棒だったわけだし、物的不足が深刻化した現在、
 北朝鮮人民軍兵士による中国方面への女性の人身売買まで行われているのが実態で、
 こと権力を悪用する愚者の横暴に歯止めがかからないのが、独裁国家の常。)
117tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:14:33 ID:NJwGrR++
>(教育勅語は)洗脳教育の基本だよね

教育勅語の内容で、国民皆兵教育に影響してしまったように思えるのはその一条文だけ。
あとはだいたいが道徳律で、努力目標のような感じもあるし、特に問題があるとも思えない。

重要なのは、これも天皇が決めたというより、新設の学校制度に反対する一揆が各地で起こり、
それを諫めようとした政府が天皇の権威を利用したってこと。
もちろん欧米の教科書の、わけわからん難しい直訳的翻訳を教科書とし、
知育偏重で脱落者(落第→退学)を続出させるなど。
学制の導入当初には問題が山積状態だったわけけど、
こと農村部(これが当時の日本の大部分)では、児童も労働力だったわけだから、
いきなしの学制の導入そのものに、極めて強い反発が民心から起こってたわけ。

なので、知育偏重の文部省方針に反抗し、徳育を強調する元田永孚(ながざね)が現れ、
自由主義者森有礼が一介のバカ国粋主義者に暗殺された後に、『教育勅語』を起草したわけ。

しかし明治時代に不平等条約の撤廃に尽力した陸奥宗光の放った言葉、
「政治はアートなり。 サイエンスにあらず。
 巧みに政治を行ない、巧みに人心を収めるのは、
 【実学をもち広く世の中のことに習熟している人】(←ここ重要)ができるのである。
 決して机上の空論をもてあそぶ人間ではない。」
を読んでみても、政教分離的思想は当初から存在してたって解るわけですよ。

「忠君愛国」も掛け声だけだったことは、
大正デモクラシーに繋がっていく明治中期からの騒擾の多発をみたって明らかじゃん。
「忠君愛国」なんて概念そっちのけで、教育勅語で教育されたはずの大衆が
権利の伸長と拡大を謳いはじめたわけ。
118tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:15:06 ID:NJwGrR++
そして『教育勅語』が無かったら、戦争が起こらなかったか?と考えると、
たぶんまったくそうはならないわけ。
てのも、学校を義務教育化した森有礼が導入したのが兵式体操だったり、
行軍からの敷延で修学旅行だったり、集団化を図ってるんだな、これが。

つまり、教育勅語が戦争に利用された、ってのは国民の精神面でそのように思えても、
実際にはけっこう後付の理由になってるってこと。
戦争の犯人捜しを、国家権益の衝突ではないと言いくるめるための
観念論の始まり始まりとござ〜い。♪・・・(占領軍が用意しまき散らした。)
119tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:15:42 ID:NJwGrR++
>>105
>方や奴隷を解放するために出された「奴隷解放宣言」・・・・・
>理念からして最初から違いが歴然

アメリカの歴史を知らないにも程がありますよ。
>それまでの合衆国の法律では、北軍が確保した南軍の奴隷たちを、
>その後南側に明け渡さなければならないことになっていた。・・・・・
>奴隷解放宣言は、解放された元奴隷たちが、連邦軍隊に入ることを許可した。
>ただし、元奴隷たちの軍隊とその他の軍隊とは分けられていた。
>これによって、北軍は、新たな200,000人近くの黒人兵士たちを獲得し、
>南軍との戦いでは、さらに有利になった。・・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%AE%A3%E8%A8%80

ウィキペディア以外の、共産主義系からなされる概略論では、
工業国連合だった北軍にとって、農奴制的奴隷制の維持より
黒人労働力の流動化が工業の発展にもたらす効果が大きく、
その結果としての「奴隷解放宣言」がなされたとする考え方があります。
(これも個々人の権利の伸長をもたらす資本主義の一面であって、事実と思います。)

さて、その後100年間以上偏見と差別の中におかれ
白人との通婚など拒否されてきた黒人「奴隷解放宣言」と、
明治に行使された「賤民廃止令」、どちらが解放令でしょう?(w
120tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:16:16 ID:NJwGrR++
>庶民全体の意識だと拡大解釈するのも勘弁してくれ

国家に影響を与えるほどの一定数だったなら、全体と言って差し支えないですよ。
全国の30カ所以上で、穢多非人部落への襲撃事件が起きたんだ。
平民身分が強い拒否感情を、「賤民廃止令」に向かってさらけ出したんだ。
それほど過激な行動を伴わないまでも、
身分秩序に対する庶民の帰依感情が、相当強かったと考えるべきです。

カースト制から決して脱出できないインドを思い浮かべれば解りそうなもんだ。
ま、脳軟化なインドの爺さんがそのうち、カースト制などというものは
インド国民全体の意識で構成されてきたものではなかった、とほざいてることを祈るわ!
(ともなれば、すっかり消失してるはずだからね。(^^)v)

>強権の発動は為政者側の無能の証

じゃあどうやって民族浄化を止められるんだよ?
アホちゃうか?

>相手が、キリスト教圏がはじめて知るそれまで見も知らぬ異国ではなく長く文化交流もあり
>知らない故の未開の蛮族などと扱えなかった
ことも確かだが、それ以上に開発地としたことが、その後の朝鮮半島と満州部における
重工業の発展にまでつながってるんだよ。
121tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:16:48 ID:NJwGrR++
>現在にまで至る日韓日朝のしこり

だ〜か〜らッ、その基本部分は、「賠償」の正当化にあるって言ってんじゃんか。
それが同情する日本の世論まで創出してきた。
もち同情は、嫌悪や忌避よりマシな感情だろうが、対等な関係を形成はしない。

韓国も立派に独立したのだから、反日教育なんか止めればいいものを
必要以上に歴史の捏造を繰り返すから、中国よりも昔すでに国家があったなどという
無茶無謀な自国史そのものの捏造になってくる。

止められない反日教育は、左傾化した教育と相まって、
日本に核爆弾が落ちて消失するというくだらな杉る絵を小学生に描かせて、
満足する教員まで養成してる始末なわけだし、
日本に来て刃物をふりまわす、実に立派な(?)スリ団の創出にも繋がっている。

人間そのものをくだらなくしていることに気づけない政治が、もはやアホそのものだ。
日本方面に対する二枚舌外交の主因たり得てることだろう。
加えて北朝鮮に拉致された自国民の人権をさえ、看過する方向にあることは、
本質的には韓国の国際的なポジションをさえ、さげすまさせるものだ。

>日本が植民地化する上で、日本の都合で促した発展
は、今でも続行中だよ。

経済的な植民地化は、世界のいたる所で続行中。
第三世界は、先進国の資本輸出に見合う金額を、やがては支払わざるを得なくなる。
もちろん支払いようがなければ、先進国の困らない範囲で減額や債権放棄などされ、
しかしそれは先進国からの新たな投資は忌避される方向となってしまう。
122tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:17:22 ID:NJwGrR++
>自慢できる
のは、日本の植民地政策が、政治面ではともかくとして、
経済面では発展を多いに促進する方策だったことから来る。

資源収奪だけにとどまらなかったこと、日本の国費の大幅な投入だったことを
まったく評価できないって、それこそどいった歴史の理解?

>>日本が韓国を援助する謂われも所以ももはや無かった
んだよ。
独立したのだから、国際的にも正当性が生じない。

朝鮮戦争によってさんざんな姿になった同情からなされた援助について、
賠償概念を普及させることでしか、自国民を説得することができなかったのが韓国政府。

それが巡り巡って、北朝鮮が90年あたりに日本に言ってきたのが「戦時賠償」という
とてつもない概念。
つまり日本と北朝鮮はかつて戦争していた、戦勝国の北朝鮮に賠償せよ、という考え方。
当然、こんな歴史の捏造は認められず、90年あたりの日朝交渉は決裂した。
王様気取りの頭のイカレタ乞食など、誰も認めないってこと。

>「必ずしも鋭く反目しあってたわけではない」と言っていいのは被支配にあった側であり
>支配側がそれを言い出せばただの傲慢野郎に成り下がるよね というお話

『植民地朝鮮の日本人』でも、正しく朝鮮文化を評価していた先人たちを紹介している。
そのうちのごくごく若干名を韓国が評価するようになったのは、ごく最近のこと。
ステレオタイプな、拒否感情を互いに維持してて、この先どうするのか?って問題。

(実際、経済動向での歴史評価は、
 朝鮮半島は日本統治下でずっと発展しっぱなしだったというもので、
 韓国の学者がこれを公表している。)
123tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/23(金) 02:18:25 ID:NJwGrR++
>>宗教の自由
>国家神道を奉じなくて良しとかされていたとでも?

奉じてた?(尊重するの間違いじゃないの?)
江戸時代からの禁教令が続行だったとでも?

宗教の自由は明治時代になっても認められなかったなどと回答したら
即×ですよ。
124くるくるぱぴんちょパピプペポ (*^о)ゞ うふふ:2007/02/23(金) 03:50:39 ID:i06eAgyr

天皇陛下バンザイ
125(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/02/23(金) 08:55:08 ID:uevG5BWk
>>117
>知育偏重の文部省方針に反抗し、徳育を強調する元田永孚(ながざね)が現れ、
おまいさ、元田がどんな人物か知ってるか?
天皇親政運動を推進してたのが元田なんだが。
あとさ、森有礼が日本の国語を英語にすべしと言ったのを知ってるか?

どうもオマイのレスからはそれらの周辺的な事実関係をよく知らずに書いてるフシがある。
「教育勅語」は明治天皇がその発令を望み、「軍人勅諭」の成功に見習って
山縣が推進したモノだ。それを元田が受けて書かれたのだが、余りに天皇主義的で
井上が書き直したとゆ〜経緯もある。山縣がこれを出す必要性を感じていたのは、
その時期隆盛してきた民権運動を抑制したいとゆ〜意図があった事実もあるんだよ。
126朝まで名無しさん:2007/02/23(金) 10:08:33 ID:0/7UmPaU
>>116
>当たり前だろ
じゃtoooの>>93、道徳観念の育っていないってのは錯誤って事で

>>117
>政府が天皇の権威を利用した
解ってるじゃないか
>「忠君愛国」も掛け声だけ ではなかった事は、後の歴史が証明している
大正デモクラシーとされている庶民の自覚意識の発芽をねじ曲げ歪に育てる肥料は
現人神天皇を奉じる義務の元、教育勅語と軍人勅諭によって醸されてもいたって事だね

>>118
>『教育勅語』が無かったら、戦争が起こらなかったか?
で、こーいう脳内飛躍に至れるステップこそが解らない
昭和の戦争時になってイキナリ天皇マンセーになった訳ではなく
政府軍部指導者側のやらかして政策の結実故にそこに至った、そしてその根幹に
明治維新の際の天皇の意味づけが、知識層と一般庶民向けの二元解釈の元に行われた事が
理由の一つにあるよね という議論をやっているんだろうに

>>119
意識の変わらないボケが居る事については、目糞鼻糞
で、奴隷から労働者への転換を目指した「奴隷解放宣言」と土地税制改正のための「賤民廃止令」
対象「者」を念頭にしたのがどちらかなど聞くまでもない話だろうに
127朝まで名無しさん:2007/02/23(金) 10:10:33 ID:0/7UmPaU
>>120
異界だと信じていたものと命令により同化を強制される事への反発
カーストあたりを例に出すトコロから見て勘違い小僧状態なのかな?
部落民は百姓町民の下位身分などでは無かった、つことで身分秩序などと解する事がすでに誤り

>民族浄化を止められる のは他でもない地道な教育
つーか、まつろわぬ朝鮮人などとして、広場での公開処刑の様を報道させたりする事を
まず政府がやらかした状態でナニを言うやらって話だよね

>発展にまでつながって
結果豊かになったんだ、いーじゃないか
と、そこに収奪目的で根城を構えた強盗団が捕縛されて後に言い訳を語るって情けないとか思わない?

>>121 >>122
結果豊かになったんだ、日本はナニも悪くないと?w
つかなぁ、反日教育をしていると叫ぶtoooは韓国の教科書とか読んだ事があるんだろうか?
日本にも嫌韓厨が存在するように、韓国側にも過激な阿呆は存在するだろう
互いに度し難い誹謗中傷合戦をやらかしているのも確かだろうが
その極大デンパをもってそれこそが韓国の真実とか言い出すとすれば
それを言い出すヤシこそが紛れもない日本側の馬鹿、嫌韓厨だってお話ですよ

>日本の国費の大幅な投入
すべて日本のための投資、侵略の果ての結果論を自慢したい恥知らずに付き合う義理は感じない
>正しく朝鮮文化を評価していた先人たちを紹介
日本側から彼らが受けた弾圧も異端視も紹介されているよね

被支配されていた韓国側がそれを感謝しない認めない事に苛立つ性根こそ傲慢の現れ
つーか、ステレオタイプな嫌韓厨ままの発言をしているのはtoooの方だろうね

>>123
キリスト教者も仏教徒も全て国家神道を奉じた上で許された信仰の自由
128tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/24(土) 02:09:37 ID:1Gmmextf
>>127
>キリスト教者も仏教徒も全て国家神道を奉じた上で許された信仰の自由
というのも、戦争が長期化する中で起こったこと。
アナタの言ってるのは、昭和に入って戦争へと傾斜していった時点のそれ。

もともと神道は宗教ではないという認識が広まっていた。
(なので、歯止めがかからなかったという側面もある。)

帰属意識と規範意識を表現することを国民に求めるのは、近代国家の特徴。

例えばアメリカの市民権を獲得した認証式では、
星条旗のある裁判所などで、合衆国への忠誠を誓わされる。
(ま、アメリカ修正憲法第一条の「表現の自由」は、
 星条旗を破棄する自由も認めてはいますけどね。)

神道があったから戦争が起きたと言いたいなら、
ヨーロッパ方面の戦争についても立証してくださいな。
神道があったってところをね。(w

>toooは韓国の教科書とか読んだ事があるんだろうか?

韓国で教えていた日本人教師によるHPで、概略をサクッといきました。
(最初は嫌韓厨に対抗する必要から。・・・・・徹底交戦状態)
129tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/24(土) 02:10:38 ID:1Gmmextf
問題点は多々あるんですけど、ポイントは、
「一九四五年八月一五日、ついにわが民族は日本帝国主義の植民地支配から解き放たれ光復を迎えた。
 わが民族の光復は連合軍の勝利がもたらした結果ともいえるが、より重要なことは国内外において
 わ が 民 族 が 独 立 運 動 を ね ば り 強 く 展 開 し た 結 果
 にほかならないということである。
 民族の独立運動は政治、外交、軍事、社会、文化などあらゆる分野にわだって連綿と続けられた。
 その方法も武装闘争、外交活動、民族文化守護運動、実力養成運動など多様であった。
 とくに第二次世界大戦中、大韓民国臨時政府は 対 日 宣 戦 布 告 をし、
 連 合 軍 と と も に 参 戦 することによって国際的に韓国の独立が保障された。」
http://members.at.infoseek.co.jp/ST22/k/8.htm#8-2-1

なぜだか「戦勝国」と名乗りをあげてるんですよ。
戦時中、日本に多大に貢献していたにかかわらずにね。
レトリックなんかじゃなくて実際なんだよと証明できるんでしたら、証明していただけますか?
韓国通のアナタでも構わないですから。

「日帝植民地化の経済は日本経済に隷属し、資本と技術が日本人に独占されていたために、
 光復後に、 日 本 人 が 撤 収 し、日本との 経 済 交 流 が 断 絶 してしまうと、
 韓国内の工場は稼動できなくなった。」@
 他方、国土の分断にって地域交流が阻害され、経済活動は萎縮した。
「アメリカ軍政は米穀の自由販売を許し、
 日帝侵略期に実施された 経 済 統 制 を 撤 廃 するなど自由経済体制をとった。
 この政策は一時的に景気を活性化させたが、やがて物資が底をつき、
 通貨の増発により物価が上昇し 国 民 経 済 は 大 混 乱 となった。」

あの〜、日本やアメリカのせいにしちまうどこに独立性や主体性があるんでしょうか。
こんな調子を、いつまで維持しちゃうんでしょ?
130tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/24(土) 02:11:07 ID:1Gmmextf
@については、それを裏付け捕捉するものと、また逆に技術移転に尽力したものが、
『植民地朝鮮の日本人』には載っています。

 しかし、それ以降も北朝鮮側の要請に応えて残留した人たちがいた。
 約300人は、日本人技術者連盟を作って、興南地区人民工場技術専門学校を設立し、
 朝鮮人の技術教育にあたった。48年7月、家族を入れて約500人が引き揚げた。(p.195)

 兵隊(日本兵)たちは約1カ月、武装解除をしなかった。
 その間、「朝鮮人にくれてやるぐらいなら」と、ミシン工場をハンマーで叩き壊したり、
 劇場に火をつけたりした。そして、10月、博多に着いたときには、
 引き揚げる朝鮮人が集まっていた納屋を打ち壊し、朝鮮人を蹴飛ばした(『聞書 水俣民衆史』)。
 自暴自棄になっていたのである。(p.198 京城=ソウルの項)

>ステレオタイプな嫌韓厨

オイがステレオタイプとまで言ったのは、旧来の侵略・被侵略観を維持し、
栄えある社会主義的な思想的枠組みを崩さず、ついに北朝鮮を餓死破綻させた、
悪意はなく満面笑みの、しかしその実態は悪魔にすぎない、空想型経済理論の保持者に言ったんです。
悪しからず。

また、文化の差異性を、従属と非従属でしか思い浮かべられず、
偏見についてはタテマエ上これをいったん拒否して見せながら、
しかし競争社会の流動性ある社会が発展の基礎であることまで看過してのけるから、
ボスニア・ヘルツェゴビナやドイツ統一時のトルコ人排斥運動(旧東ドイツの国民がやらかした。
 競争力を失う社会主義教育を受けてきたから。ネオナチにまで転落した)については、
お手上げのグリコランナーよろしく逃亡しちまう、思想的な脆弱性を誇示する、
おバカな社会主義者のオッサンたちに、言ってるんですよ。

それがついでに、資本主義化を導入した維新の日本で、
民衆から噴出した秩序維持観への理解まで阻んでいるからです。
131tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/24(土) 02:11:40 ID:1Gmmextf
アナタの考え方は、偏見を解消するためにあるのではなく、
一種の理性主義で得意がりたいだけ。

>部落民は百姓町民の下位身分などでは無かった、つことで身分秩序などと解する事がすでに誤り

穢多・非人という言葉と江戸時代の実態について、もう少し調べましょうよ。
一面的な理解にすがってるなら、も、良いです。

>>民族浄化
って何のことか解ってます?

>収奪目的で根城を構えた強盗団が捕縛されて後に言い訳を語る
って状態じゃないんだってば。

ケ小平以降、資本の輸入を求めてきた中国とか、ちゃんと目を見開いてくださいよ。
オッサンに解りやすいように言うと、
労働の提供が成立するのも。工場なり職場があるからだひょ。
それには資本が必要なわけ。

ちなみに、働いてます?(w
132tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/24(土) 02:18:09 ID:1Gmmextf
>>125:(○´ー`○)はカワイイ 氏
珍しく、参考になるレスをサンクスです。

森有礼や元田永孚についてのオイの理解は、
NHK歴史発見を超えるものではありません。(森有礼の逸話があと少しぐらい)

>どうもオマイのレスからはそれらの周辺的な事実関係をよく知らずに書いてるフシがある。

図、図、図星かも〜。);;;

>あとさ、森有礼が日本の国語を英語にすべしと言ったのを知ってるか?

これについては導入してても、良かったかも。
英語が国際通用語になって、インド人や香港人に対して分が悪い。
表音語であるヨーロッパ言語は、文章・文法より、喋れることが大事と痛感させられる。
(最近、英語教育でも教育改革が進行中なので、一安心・・・・・てか、オイはどうなるの?)
133朝まで名無しさん:2007/02/24(土) 02:26:26 ID:u5kDMRTB
つーか、降伏して一ヶ月もたたないのに
#軍隊を再建してリターンマッチやります。
なんて言う訳無いだろwww
134朝まで名無しさん:2007/02/24(土) 08:11:35 ID:ib4UbWkQ
力をつけて「軍隊を再建」しようが所詮無資源国だよ。
大国アメリカでさえ戦争で数度に亘り疲弊している現実。
戦費捻出で自国住民から搾り取った結果、あの超格差社会。
>>133 は楽観的すぎる。
135朝まで名無しさん:2007/02/25(日) 04:58:07 ID:dpq1aHVS
>兵隊(日本兵)たちは約1カ月、武装解除をしなかった。
米軍に打診したら、現状維持との司令だったはず。
だから帰れなかった。
>その間、「朝鮮人にくれてやるぐらいなら」と、ミシン工場をハンマーで叩き壊したり、
>劇場に火をつけたりした。
ほんとは、朝鮮人が戦後のイラクみたいに、カッパラッタンジャ?
>そして、10月、博多に着いたときには、
>引き揚げる朝鮮人が集まっていた納屋を打ち壊し、朝鮮人を蹴飛ばした(『聞書 水俣民衆史』)
私の知っている歴史だと、
「引き揚げるはずの朝鮮人が集まって、日本人の納屋を打ち壊し、日本人を蹴飛ばした。
そして、戦勝国民として、女性を輪姦し、男をなぐり、土地や財産は収奪した。
その結果、駅前の主要な土地は、朝鮮人によって占有。
日本の警察がそれに対処する権限がなかったため、非道はまし、GHQも対処をはじめた。
日本政府は、右翼、ヤクザを裏で支援し、日本人右翼・ヤクザと朝鮮人との間で抗争が勃発。
その後、日本政府の権限、機能が回復すると、警察は、ヤクザの取り締まりを開始。
朝鮮人は、朝鮮戦争で、逃れてきた人民を加えて勢力をUP。
ギャンブルと収奪によって得た資金力も使いつつ、宗教、政治と公式なパワーに進出。
結果、日本の一大特権勢力として力を得た。
136tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/25(日) 23:56:53 ID:N2otlwPB
>>135
書物に書いてあることからだけしか、ここでは判断しない。

もちろん、
>米軍に打診したら、現状維持との司令だったはず
なので、
>>兵隊(日本兵)たちは約1カ月、武装解除をしなかった
んだろう、という判断についてはたぶん正しいだろうし、
>「朝鮮人にくれてやるぐらいなら」と、ミシン工場をハンマーで叩き壊したり、
>劇場に火をつけたりした。
という情報も、そのまま鵜呑みには出来ないおそれはある。

それでも以下を読むと、やはり何よりも先に日本人からの差別意識があった、と判る。
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4883230341.html
『聞書水俣民衆史』 第五巻「植民地は天国だった」1925〜1948年頃

 植民地は、物価は安く収入は多かった。水俣では夢にも考えられなかった、
 栄耀栄華な暮らしができた。出世も早かった。
 万国の労働者などというものはなかった。末端労働者でも、支配民族の一員だった。
 日本人と朝鮮人の間で、個人と個人の関係は、存在しなかった。
 あるものは、民族と民族の関係だけで、蔑視と憎悪に満ちていた。
 「朝鮮人は…と思え」という公式だけが、通用した。暴力がまかり通った。
137tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/25(日) 23:57:41 ID:N2otlwPB
なので、鵜呑みに出来ないはずの情報もあり得るのだし、
結局、伝聞は事実と類推がつく。

現在のように海外投資家が紳士然として渡り、互いに斟酌しながら
相互利益の追求が可能となるような社会じゃなかった。

と同時に、ポジショニングに差があるはずもない日本人労働者が、
差別意識を有しながら乗り込んでは、より強い憤怒を朝鮮人側がもったって当然だろう。
日本人と朝鮮人が実際に接する大半が、そこにはあるのだからね。

わかるかい?>嫌韓厨さん
138朝まで名無しさん:2007/02/26(月) 02:16:06 ID:zBrrVIlL
よくわかんないよ。
中途半端にかしこい人の文章の典型的なパターンだね。
139tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/02/27(火) 02:21:33 ID:+FhM8Wlu
>>138
半端じゃなくバカと言われ続けておりますが、何か?
140朝まで名無しさん:2007/02/27(火) 11:37:29 ID:L6H2xIKp
>>128
>昭和に入って
制度的完成期と言われる明治30年末から昭和初期、日本資本主義が帝国主義化した時代でもあり
内務省による神社行政が確立した時期でもあった
資本主義の発展が招いた社会的矛盾の激化は、民主主義・社会主義の思想と運動への発展に結びつき
政府がそれを弾圧、そして思想的に対抗するために諸宗教を動員し、国民の思想を政府の望む形への「善導」を図った
そして神社と氏子組織を地方行政のイデオロギー拠点として強化したことで神社の社会的機能は強化され一般の宗教との矛盾を顕在化させた
という背景があって満州事変以降のファシズム的国教期と言われるものに至ったんだよ
つーか、継続する歴史の一部を取り上げる事を批判していたのはtoooの方では無かったのかな

>神道があったから戦争が起きたと言いたい
で、こちらが書いてもいない事を勝手に読んだつもりでの言い掛かりもいい加減にしてくれ
141朝まで名無しさん:2007/02/27(火) 11:37:47 ID:L6H2xIKp
>>129
日本にすら未だ大東亜戦争は自衛戦争で正しかったとかいう馬鹿もいる
つーか、村山談話が出されるまで日本政府は歴史認識問題が存在する事にすら目をつぶっていた
戦争責任問題から逃げまわる、それを誤魔化そうとする姿勢でしか無かった事を忘れてはいけない
被支配の立場にあった朝鮮半島は、朝鮮戦争と分断、軍事政権を経てようやく今に至ったんだ
韓国が自国の歴史の事実を真摯に認め、教育の場に表せる状態になる過程が日本と異なる
あるいは遅いといった事をもって、かつての支配国側が愚かさを指摘するのは傲慢だよね というお話だよ

>>130
中国にも居たね、断れないまま残らざるを得なかった人々への日本側からの保障もなかった
むろん、相手国の戦後の復興に寄与しようと本気で考えた日本人が居た事は否定しない
東南アジアを含めかつて日本が占領した国々の中から、結果として良い部分もあったという評価が頂けるのも
幾人かの本当に真摯な、あるいは大東亜の理想論を信じ切った人々の献身的な行動があった故だろう
だが、そういった個人の思いや功績をもって、日本が国として何をしでかしたのか
軍としての非道の言い訳にはならない、そういう事例があったから良いことだったのだなどと
支配側が口にするのは恥知らずな傲慢さ以外のなにものでも無いという事だよ

>>131
>穢多・非人という言葉と江戸時代の実態について、もう少し調べましょう
これはこちらの台詞だな、下位身分であったなどと解しているならその誤りはマジで払拭しておいてくれ
で、得意がってはいない、呆れているだけ
toooが「明治維新スバラシス」「戦争が長期化したため狂っていった日本」といった
ステレオタイプな理解の上でしか論を組み立てられない事を心底惜しいと思っているだけだよ
142tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/02(金) 20:23:46 ID:zSDaccfy
>>140
やっぱりアナタのは、予め結論ありきでチト観念的に過ぎると思う。

>資本主義の発展が招いた社会的矛盾の激化は、民主主義・社会主義の思想と運動への発展に結びつき
>政府がそれを弾圧、そして思想的に対抗するために諸宗教を動員し、
>国民の思想を政府の望む形への「善導」を図った

マジで意味不明だ。

>民主主義・社会主義の思想と運動を弾圧

>思想的に対抗するために諸宗教を(どいった宗教を?)動員
して
>国民の思想を政府の望む形への「善導」を図った
とおっしゃるけど、具体的にどのような例があります? そして誰が?

>そして神社と氏子組織を地方行政のイデオロギー拠点として強化したことで
>神社の社会的機能は強化され一般の宗教との矛盾を顕在化させた
>という背景があって満州事変以降のファシズム的国教期と言われるものに至ったんだよ
とまで言うなら、
いついつのいかなる具体的政策が、それを可能としてしまったのか?、ご指摘下さい。

年表形式でも良いし、満州事変へと国民を駆り立てせ際だたせてしまう、
何かエポックメーキングな事象の摘出でも構わない。

しかし、神道に対し国民が必要以上に傾倒したり、まして洗脳されていた様子など、
こと史料から(昭和の文学方面や新聞の紙面などから)発見できるわけもなく、
本質的には、「神道」といった儀礼形式上のことに対し、追求の矛先をいくら向けたところで、
握った手のひらからこぼれ落ちる砂粒のように、実体がなくなってしまうはずです。
143tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/02(金) 20:25:08 ID:zSDaccfy
アルカイーダが911テロを実行した理由を、
イスラム教という思想の本体に求めても話は難しくなりすぎるだけだし、
じゃあ他のイスラム諸国が、テロ国家になるのかといえば、まったくそうはならないわけ。
(アルカイーダは国家というレベルにも達してない。)

もちろん、イスラム圏の人々はイスラム(教典)への信仰を厚くすることを悦びとしているわけだし、
アフガニスタンを部分的に支配していたアルカイーダが、信仰心自体を悪用したとは言える。
「聖戦」の美名によって。
ところがここでも、イスラムが戦争へと駆り立てたなどという理屈は成立しない。
信仰がどのようなものであっても、「悪用」したはずだからだ。
(宗教が戒律を含むことは、大前提でしかない。)

911テロの報に沸きたったイスラム圏の国民は、アルカイーダを別とすれば、
フセイン時代のイラク国民しかなかったわけ。
(あと希望を消失させていたパレスチナ人か。)

もし戦前の国民を統一(的に)してしまった国家主義的発想を追い求めるとしたら、
それは「教育」の中にしか、問い訊ねられないはずだと思います。

しかしその教育も、昭和8年以前のものから、国家主義的思想を摘出することは難しいし、
昭和15年以前でもパーシャルに留まってしまっていて、「洗脳教育」とは呼べない。
そう呼べるとしたら、(太平洋戦争)開戦の年と年度を同じくするものでしか無く、
それをして開戦に向かわせたと考えるのは、難しすぎる。(事実上、不可能。)

やはり日本が開戦を選択してしまったのは、
「時代のムード」としか言いようのないその時代の「時代性」にあって、
神権ではなく、ちゃんと真剣に突き詰めていくなら、
やがてそれを勘案せざるを得なくなるはずです。
144tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/02(金) 20:26:08 ID:zSDaccfy
教育面での参考資料↓
http://s-opac.sap.hokkyodai.ac.jp/library/shiryou/kokutei/kokutei3.html
第3期 「尋常小学読本」「尋常小学国語読本」各巻1〜巻12
  使用期間・・・・1918(大正7)〜1932(昭和7)年
  使用者出生年・・明治44年4月〜大正15年3月

 内容的には、児童自身を主人公にしたものや、童話・童謡などの文学教材をはじめ、
 外国紹介あるいは外国人の主人公など国際的視野に立っ た教材が多く採用された。
 これが、児童に親しまれ歓迎され、
 同じ時期の黒表紙本に比べて、全国各府県の三分の二以上で使用される人気であった。

http://s-opac.sap.hokkyodai.ac.jp/library/shiryou/kokutei/kokutei4.html
第4期 「小学国語読本」巻1〜巻12
  使用期間・・・・1933(昭和8)〜1940(昭和15)年
  使用者出生年・・ 大正15年4月〜昭和9年3月

 「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」で始まる通称「サクラ読本」と言われ、
 この本から挿し絵、表紙とも色刷りが採用された。
 巻頭が、単語からではなく「サイタ サイタ・・・」の文で始まる、
 いわゆる文章法の採用は教科書史上特筆されることであり、新鮮な挿し絵の色刷り相俟って人気が高い教科書である。
 国定教科書のなかも、文学的教材の比率が最も高く、対話的、劇的教材など文学的精神が豊富と言われる。
 しかし一方、教材の中には、「空中戦」「東郷元帥」などの軍事教材、
 「天の岩屋」「神武天皇」「羽衣」などの神 話・古典教材、
 「サルトカニ」 「浦島太郎」 などの昔話・伝説教材が採用されており、
 これらの教材から大正期のデモクラテックな雰囲気を感じさせる第3期とは反対に、
 忠君愛国的な軍国主義の教科書 へ と 予 感 さ せ る 。

 (ここで注意したいのは、本質的に「途上」である、「途上」でしかないという認識です。)
145tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/02(金) 20:27:01 ID:zSDaccfy
http://s-opac.sap.hokkyodai.ac.jp/library/shiryou/kokutei/kokutei5.html
第5期 初等科第1学年「ヨミカタ 一、二」「コトバノオケイコ一、二」
    初等科第2学年「よみかた 一、二」「ことばのおけいこ 一、二」
    初等科第3〜6学年「初等科国語 一〜八」
    高等科「高等科国語 一〜三」
  使用期間・・・・1921(昭和16)〜1945(昭和20)年
  使用者出生年・・昭和9年4月〜昭和14年3月

 昭和16年「国民学校令」が公布される。これによって義務教育の年限が、8年間となるとともに、
 従来の国語、修身、地理、歴史が統合して国民科となり、国語は国民科国語と位置づけられた。
 初等科第1学年「ヨミカタ」が「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」で始まることから、
 通称「アサヒ読本」と言われる。表紙、本文とも色刷りの国民学校時代の教科書である。

 軍国における忠君愛国の精神を鼓吹し、教育目的を『皇国民の練成』へと導く、
 極めて軍国主義的色彩の濃い教科書である。

 (昭和16年からという「使用期間」に、特にご注意ください。
  戦争の要件とはなりませんよね。)
146tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/07(水) 02:36:39 ID:pgLfa97R
>>141
>日本にすら未だ大東亜戦争は自衛戦争で正しかったとかいう馬鹿もいる

正しい正しくないじゃなく、事実上その選択肢しか、ついに無くされたということ。
1941年のハルノートは事実上の最後通牒だった。
何しろ、日本が承諾した場合にアメリカが与える見返り条項や条件など、
すべて削りとられていたのだから。

日中戦争から派生する最終局面に太平洋戦争が存在することはもちろん事実ですが、
日中戦争は侵略戦争と正しく指摘することができても、
(その日中戦争が、広範囲な国民の支持があって確定的になっていったことも注意しておくべき)
太平洋戦争=大東亜戦争については、
それが帝国防衛的な選択であったことを否定する者はいません。

そこに満州と中国戦線の拡大が混入してくるから、形式上は
拡大する一方の帝国圏に米英から待ったをかけられた状態に思えるが、
それまでの米英が大々的に行使してきた侵略の歴史を想えば、
遅れてやってきた日本(それは台湾や朝鮮半島の領有を認められた存在だった)が
その勢力の拡大を、これ以上は許されなかった、と考えても良いでしょう。

すでに第一次世界大戦後の世界で、日本とアメリカ・日本とイギリス・間は、
日本の製品コストが安かったために、様々な製品分野で競合をくりかえしていた。
安い労働力がそれを可能にした、そう目されてイギリスから文句をつけられたこともある。
(日本は発展途上にあったのだから、欧米からすれば賃金は安かったが、
 それは経済社会が欧米のように熟成していなかったからだとも言えるし、
 じゃあアメリカやイギリスの労働者が厚遇されていたのかと思って調べると、
 『我が谷は緑なりき』や『チャイナ・タウン』などの様々な映画にも反映されているように、
 日銭を稼ぐような状況に民衆が置かれていたことが浮かびあがる。)
147tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/07(水) 02:37:21 ID:pgLfa97R
市場としての中国の人口に狙いを付けていたのは、実はアメリカの方が先行していて、
しかし歴史の経緯から、日本を含めた列強の中で最も遅れをとっていた。
アメリカにとって、中国戦線を拡大させている日本が
列強を追い出すほどに支配圏を拡げたり支配を強めることは、
挽回不可能な失点になりかねなかった、その危惧を高めた、と断言できる。

 日本を占領したマッカーサーが、二度とアメリカとの競争が起こらないように
 日本を農業国にしようと意図していたのも事実なら、
 そのマッカーサーが朝鮮戦争で北朝鮮側の後方基地となっている中国を叩けと
 アメリカ本国に進言し、本国によって更迭されたのも事実で、
 すべてアメリカが太平洋開戦前から中国市場の将来性を念頭に置いていたからです。
 (その目論見は、中国の共産化によって阻まれ、
  しかし中国は共産化のせいで歴史的ともいえる長期停滞を余儀なくされる事態となった。)

加えて、アメリカにはニューディール政策による経済的効果が
思うようにいかないという側面があった。

 緊急銀行法の施行、TVA(テネシー渓谷開発公社)設立は国民の広範な支持を受けた。
 さらにF.ルーズベルト大統領は、AAA(農業調整法)によって作付割当政策を含め、
 農作物の価格安定に乗りだし、またNIRA(全国産業復興法)によって最低労働条件を規定する一方、
 反トラスト法を停止して企業のカルテル化をうながし、連邦政府が産業再建にとりくむという
 方向をうちだした。1933年前半のことである。
 こうしてニュー・ディール政策は経済活動のほとんどすべての分野にわたって
 政府の介入をひきおこした。
 しかし一般に信じられているように、それはケインズの経済学にもとづいて立案され、
 実施されたものではなかった。
 破局的な経済的状況という病状が、ルーズベルト大統領をして
 ニュー・ディール政策という処方を余儀なくさせたのであり、
 かれがケインズ流の経済学に通暁していたという証拠はない。
 むしろ、ニュー・ディール政策がケインズ経済学の実験になった、というのが実情に近い。
148tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/07(水) 02:38:00 ID:pgLfa97R
 ・・・・・こうしてみると、ケインズ的処方箋にもっともよく合致していたのは、
 1933〜34年の冬季乗切りのためなされた、民間事業局による「人道主義的な」
 救済支出政策だけであったかもしれない。 (西川俊作著『経済学』)

 修正資本主義に基いたニューディール政策を掲げて当選した民主党のフランクリン・ルーズヴェルト大統領は、
 公約通りテネシー川流域開発公社を設立、更に農業調整法や全国産業復興法を制定し、
 更にラテンアメリカとの外交方針を以前の棍棒外交から善隣外交へ転換した。
 ただ、ニューディール政策は1930年代後半の景気回復を前に規模が縮小されるなどしたため、
 1930年代後半には再び危機的な状況となった。
 このため、同政策にどれほど効果があったかについては、今日でも賛否両論がある。
 アメリカ経済の本格的な回復は、その後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。
 (以上、ウィキペディア『世界恐慌』)

アメリカの軍事費関連では、1940年の9倍強の支出が1941年には確認できます。
ドイツの開始した戦争に対抗するため、一気に武器製造を開始したからです。

太平洋戦争を、日本による先制攻撃(真珠湾攻撃)→報復による敗戦、
という単純で形式的な理解に留めたいなら、もはや何も申しません。
それは今ある幸福を再確認できる、充分な手だてでもあるからです。
しかし、幸福を享受するに留まるなら、戦争の抑止を考えることにはなりませんよね。

単刀直入に言えば、経済権益の衝突こそが戦争の本体であり本性です。
今でも、それは特に資源収奪の方向で、続行中です。
民主主義を匂わす美辞麗句に彩られながらなので、相当わかりにくくなってるけど、
注意深く見つめれば、誰にでも看破できる。

戦争は悪いと言って、勝者が正しかったという憶測に傾きやすいのは、
競争社会から来る帰結でもあるので、一概に否定はいたしませんが、
敗者が「道徳的に」悪かったからだ、という妙な思いこみの混入はいただけません。
149tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/03/07(水) 02:38:58 ID:pgLfa97R
歴史はいつも強者側の論理で組み立てられ、
それに踊らされているのがアナタなのではありませんか?
自国に対する卑下や誹謗が、あたかも個人の学的ステータスを高めているように
錯覚してるかのようなアナタを何度も見せつけられると、
悪くもないのにやがて自分の所為と考えるようになってしまう被虐待真っ最中の児童とか、
概念上の自分をいったん外に置いてイジメを開始しはじめる、かつてのイジメられっ子、
(イジメの対象が世情だったりすると、呪詛にしかならない)
それらに酷似しているように思えてきます。

どこのインディアンが、白人は我々の解放軍などと思うのでしょうか?
戦った、弱いから負けた、ただそれだけのことです。
戦わざるを得なかったのも、矜恃を失わなかったから、ただそれだけです。
戦っても或いは戦わなくても、土地を逐われることに変わりはありません。
強者の論理が現実を支配してきた、それが歴史です。(ただし皮相なもの)

それでも荒野を眺めながら、黄色人種のペルーの老人はつぶやく。
我々の祖先には二通りの部族がいた。
支配者のスペイン人と戦った部族は皆殺しにされた。
戦わなかった部族は生き延びられた。
もちろん彼は、滅亡した側の部族であるはずはない。
しかし彼は、遠い昔に想いを馳せ、誇り高くいたことを再び誇ってみせる。
それがあたかも、彼が生きてきた証であるかのように。

同じです。
官軍に敗れた幕府軍だからといって、誹謗したり貶めることなど愚の骨頂だ。
時勢にそぐわなかったからといって、過度に思い詰める必要なんて無いし、
思い詰めさせようとするなら、それは人権への重大な挑戦にしかならない。

立派に戦った、しかし敗れた。
我々は戦いそのものの無意味さもすでに充分承知している。
しかしそこに、故人への冒涜なんか含ませちゃならないはずだ。
150tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/04/03(火) 02:23:51 ID:k3I8XRHt
部落問題と朝鮮問題の意見が纏まらないオイだわ・・・・・OTL

イチオ論破完了とみなしていいのかな? んっ?(w
151朝まで名無しさん:2007/04/24(火) 02:13:15 ID:g6Sm/DVq
昭和天皇って、もともと戦争反対だよね。

松岡洋右の日独同盟や、対米強硬路線がなかったら、
こんな戦争やらずに済んだよ。

この罪は、簡単には、つぐなえない。

政治家には優秀な人えらばないと、大損する。民衆も反省すべき。
152朝まで名無しさん:2007/04/30(月) 17:30:07 ID:3bKih3gd
これって何のスレかわかんなくなってきたな
153朝まで名無しさん:2007/04/30(月) 21:49:47 ID:mfA8JNw8
tooo の長駄文のせいだろナ。
154tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/05/01(火) 00:35:39 ID:BV/IYnIl
>>153
悪かったな、赤腹巻き君。
155朝まで名無しさん:2007/05/01(火) 11:16:50 ID:9MYNVSz+
赤腹巻き君。
ってどういう意味?
赤胴鈴の助か?
156tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/05/01(火) 11:34:37 ID:BV/IYnIl
>>155
説明不足、ゴメン。

http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news2/1175039088/995
995 :朝まで名無しさん :2007/04/30(月) 22:46:39 ID:mfA8JNw8
   天皇は、「閣議で決定した案は意に満ちても満たなくても裁可した。故に立憲君主
   であった」といいます。

   しかしそれにはからくりがありました。
   政府は国会に提出する案を作ると先づ天皇に報告しました。大本営が作戦計画をた
   てた場合も同じです。これを内奏といいます。

   天皇は内奏の時、細部にわたって質問し、意見をいい、政府も大本営も天皇が納得
   するまで案を練り直して、国会や大本営政府連絡会議に提出しました。
   従って国会や大本営政府連絡会議で可決された案を天皇が裁可を拒否する筈はなか
   ったのです。

   天皇は「開戦は閣議の決定」といいますが、開戦は憲法に規定もない、大本営政府
   連絡会の天皇が出席した御前会議で決定しているのです。

   又、天皇は「戦争を起こした責任は内閣や軍や国民にあり、戦争を終わらせた功績
   は自分にある」といい、自分が憲法に定められた政治的、軍事的絶対者であり、陸
   海軍大元帥(最高司令官)として軍事作戦に関しては天皇の統帥権によって内閣に
   も国会にも干渉を許さなかったことや、天皇が絶対権者ということを意識して行動
   していたことは一切覆いかくしています。

これって、昔あかはたで読んだことあったから。
・・・・・ウソと誤謬、コジツケだらけ。(w
157朝まで名無しさん:2007/05/02(水) 03:13:51 ID:xTuQ0pir
赤旗ってことか?
158朝まで名無しさん:2007/05/05(土) 11:04:26 ID:OwVyTFA+

A級先般合祀は御意に召さず
卜部侍従日記が明かした真実
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070427_urabe/index.html
159朝まで名無しさん:2007/05/05(土) 16:33:01 ID:C0wSGoLl
毎度の事ながら関係者がみんな死んで裏づけが取れなくなってから出てくる新資料w
160tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/05/05(土) 20:18:52 ID:s2pV0/8+
>>158
情報サンクスです!

 昭和14年7月5日、板垣陸相が参内した際の記録。
 「后三・三〇より五・四〇位約二時間半に亘り、板垣陸軍大臣、拝謁上奏す。
  直後、陸軍人事を持ち御前に出でたる所、
  『跡始末は何うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。
  人事上奏、容易に御決済を遊ばされず
  ……今日の如き御忿怒に御悲しみさへ加へさせられたるが如き御気色を、
  未だ嘗て拝したることなし」
 これは、ノモンハン事件がはじまったばかりの時点の記述である。
 「跡始末はどうするのだ」とは、ノモンハン事件の後始末、ソ連軍との衝突の後始末の意味である。
 この事件をめぐって、天皇がどれほど悩んでいたかがよくわかる。
 玉座で「跡始末をどうするのだ」と大声でひとり言を言っていたとか、
 「憤怒に悲しみさえ浮かべていた気色」といった表現に、天皇の苦悩がよくあらわれている。

 このとき、天皇が強い怒りをぶつけていた板垣陸相は、満州事変を起こした男であり、
 三国同盟の推進者でもあるなど、あの戦争を起こした主要な責任者の一人だった。
 天皇は、歴史の分岐点となったこの2つの事件(満州事変と三国同盟)に
 当時から強い不信感を持っていたことがよくわかるくだりだ。

 東京裁判でも、板垣はA級戦犯の筆頭格の一人と認定され死刑になっている。
 天皇がこの板垣の一連の働きに強い不快感を持っていたから、板垣に面と向かって、
 「お前ぐらい頭の悪いものはいないのではないか」
 と問詰したこともある、と半藤の注にある。

ですか。
松岡と白鳥の勝手に三国同盟に怒ってたのは有名だけど、他にも色々あったんですね。

>>159
お気楽バカはいいな。無知の喜び?(w
161朝まで名無しさん:2007/05/06(日) 04:42:42 ID:C61FFAT0
>>160
>発表されたのは、まだほんの一部だが
このまえのメモも大半が非公開だよね
それどころかAERAの記事にあった
最初はメモは手帳に貼り付けてなかったてのはどうなったんだ?
訂正記事を見た覚えがないんだが。
162tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/05/06(日) 13:28:55 ID:V00jiPUt
>>161
「卜部侍従32年間の日記」は朝日新聞の予告公開だけど、
先行した「小倉侍従日記」は文藝春秋の既に公開で、
2007年5月号(『昭和天皇 孤独な君主の闘い』p.129)では、
 阿川(弘之)
  それでまずお聞きしたいのは、この日記が「新発見」された経緯です。
  半藤さんの解説ではその点、あえて触れるのを避けておられるようだけど……。
 半藤(一利)
  実は、史料の提供者と編集部(文春)との約束で、
  現時点ではまだ経緯を公開しないことになっているそうです。
  これが日記原本のコピーです。
  宮内省(当時)の用箋六百枚あまりですから、かなりの分量ですね(と阿川氏に示す)。

富田メモを裏付ける格好になってるのが、文春や朝日から出てくる天皇側近の日記で、
文春5月号では「やはり陛下は軍部に騙されていた。驚きの新事実の数々」と副題まで付いてるよ。
163朝まで名無しさん:2007/05/06(日) 17:40:59 ID:LmmBZ3RT
>驚きの新事実の数々
いつもの通り、みんな死んじゃってから出てくる新事実w
164朝まで名無しさん:2007/05/06(日) 18:22:48 ID:WC1jixZw
逆に言えば生きているうちはやばくて出せなかったということか
165朝まで名無しさん:2007/05/06(日) 18:54:01 ID:V00jiPUt
やばいってか、存命中の関係者に、要らぬ心配はさせたくないという大御心。

昭和の最初に、田中義一首相叱責があって、
1年後、この元首相は死んでしまった。

とゆ経緯から(あとイギリス留学も)、立憲君主になっていった昭和天皇、
自分の発言には慎重で、好きなTV番組を言うさえ憚った。
166朝まで名無しさん:2007/05/14(月) 01:45:13 ID:WZaqh+qL
天皇ってなかなかセンスあるね。

日本の民度に問題があったとしかおもえない。
167tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/05/15(火) 03:16:51 ID:wHFZYVFE
民度の問題ってか、昭和天皇の認識では、
あくまで政権側の問題ってところには落ち着きそう。
(特に、日独伊三国同盟の締結には、それが英米を敵とするものであることから、
 かなり立腹していて、これと板垣陸相への怒りがホンモノ。)

もち、日中戦争→太平洋戦争とゆ流れの一連を考えれば、
日中戦争に踏み切り、それを強力に応援してた国民の勢いも無視できない。

かと言って、果たして日中戦争を起こさずにいられたかどうかも甚だしく疑問。
168朝まで名無しさん:2007/05/16(水) 00:58:21 ID:xxjWqtQF
良い指摘ですね。

さすがに、通州事件みたいなのがおきたら、ズルズルいくと思う。

返す返すも残念なのは、満州をアメリカと共同運営できなかったこと。
これができていたら、リットンもなかったし、
国際連盟脱退もなかった。

そして、WW2の戦争の構図も大きく変わっていたと思う。




あのころは、日本は強いと蒙昧していた人間が多いように思える。


169朝まで名無しさん:2007/05/19(土) 07:50:55 ID:ztswgfuN

JAPS天皇癌で死ね

JAPS天皇癌で死ね

JAPS天皇癌で死ね
170朝まで名無しさん:2007/05/19(土) 09:51:24 ID:w1VQKIr+
>>168
>満州をアメリカと共同運営できなかったこと。
これも悩ましいな、資本、技術、国力全般で格差のある
アメリカと共同経営したら軒を貸して母屋を取られるな。
満州をくれてやる覚悟で日米安保条約(のようなもの)を
結ぶぐらいじゃ無いと無理だな。
171朝まで名無しさん:2007/05/20(日) 00:09:02 ID:qRZrhF+g
日本が生き残るには、それぐらいの貢物が必要だったが、
当時は、連勝、三国同盟でうかれていたから、
わかっていたのは、国内の国際通のみ。

松岡洋右が生まれていない、
または、満州鉄道に関する米国との協定固辞しなければ、WW2の日本の立場はかわっていた。
おそらく、中国は、北は日本、南はアメリカが占領統治。

不可能な仮説だが、蒋介石の奥様なみのロビーストがアメリカにいたらなぁ。
172朝まで名無しさん:2007/05/22(火) 01:50:14 ID:daQNRTyv
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20070512
明仁さんは、右派が支配した過去の悲惨を忘れないよう、呼びかける。

「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。
この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって,また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。
戦後60年に当たって過去の様々な事実が取り上げられ,人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され,将来にいかされることを願っています。」

「この過去の(右派が支配した悲惨な昭和の初めから昭和20年の終戦までの)歴史を、
その後の時代(過去の侵略戦争を正しかったと考え、昭和の初めから昭和20年の終戦までの日本にシンパシーを感じる右派が、政権をとってしまった現在)と共に、
正しく理解しようと努めることは、日本人自身にとって、また日本人が(現在の右派政権が引き起こした靖国問題や従軍慰安婦問題で世界の非難を浴びているが)世界の人々と交わっていく上にも、きわめて大切なことであると思います」
173tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/06/09(土) 17:16:35 ID:Me+zwZ9K
>>172
左派的曲解をご苦労さん。

どこに、(過去の侵略戦争を正しかったと考え)てる人間がおるん?

(昭和の初めから昭和20年の終戦までの日本にシンパシーを感じる右派が、政権をとってしまった現在)
というのは、まったく余分な恣意性を露わにするだけの言葉だ。

http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h17.html
天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの1年のご動静 平成17年12月19日

天皇陛下

 先の大戦では非常に多くの日本人が亡くなりました。
 全体の戦没者310万人の中で 外地で亡くなった人は240万人に達しています。
 戦後60年に当たって,私どもはこのように大勢の人が亡くなった外地での慰霊を考え,
 多くの人々の協力を得て,米国の自治領である北マリアナ諸島のサイパン島を訪問しました。
 そこにはこの地域で亡くなった戦没者のために国が建てた中部太平洋戦没者の碑があります。

 ドイツ領であったサイパン島は,第一次世界大戦後,国際連盟により日本の委任統治領となり,
 多くの日本人が移住し,砂糖産業や農業,漁業に携わっていました。
174tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/06/09(土) 17:17:28 ID:Me+zwZ9K
 昭和19年6月15日,米軍がサイパン島へ上陸してきた時には日本軍は既に制海権,制空権を失っており,
 大勢の在留邦人は引き揚げられない状態になっていました。
 このような状況下で戦闘が行われたため,7月7日に日本軍が玉砕するまでに,
 陸海軍の約4万3千人と在留邦人の1万2千人の命が失われました。
 軍人を始め,当時島に在住していた人々の苦しみや
 島で家族を亡くした人々の悲しみはいかばかりであったかと計り知れないものがあります。
 この戦闘では米軍にも3,500人近い戦死者があり,
 また900人を超えるサイパン島民が戦闘の犠牲になりました。
 またこの戦闘では朝鮮半島出身の人々も命を落としています。
 この度の訪問においては,それぞれの慰霊碑にお参りし,
 多くの人々が身を投じたスーサイド・クリフとバンザイ・クリフを訪れ,
 先の大戦において命を落とした人々を追悼し,遺族の悲しみに思いを致しました。

 61年前の厳しい戦争のことを思い,心の重い旅でした。
 ただ,高齢のサイパン島民にはかつて日本の移住者が島民のために尽くしたことを
 今も大切に思っている人がいることはうれしいことでした。
 私どもが島民から温かく迎えられた陰にはかつての移住者の努力があったことと思われます。

 この度のサイパン島訪問に携わった日本側の関係者を始め,
 米国側並びに北マリアナ諸島側の関係者に深く感謝しています。

 日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。
 この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって,
 また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。

 戦後60年に当たって過去の様々な事実が取り上げられ,人々に知られるようになりました。
 今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され,将来にいかされることを願っています。
175朝まで名無しさん:2007/06/30(土) 22:42:10 ID:WafKLfca
反論待ちage
176朝まで名無しさん:2007/07/06(金) 22:14:57 ID:SKwDbRFw
語れ!ゴルルルルルラア!
  ↓↓↓
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1183214332/
第46夜・徹底■天皇制廃止を考える■討論

 1 :Classical名無しさん :07/06/30 23:38 ID:x6IteZzA
       明治憲法から日本国憲法への転換の中で特筆すべきは、御承知のように、
       天皇主権から国民主権へ、それから臣民の権利から個人の基本的人権へ・・・。
       人の支配、権力の優位を否定する法の優位の思想が
       日本国民の血肉と化したときこそ、この憲法の真に実現されたときであり、
       それが理想とする立憲民主政の完成したときである・・・。
       〜第154回国会 参議院憲法調査会 第2号平成十四年二月二十七日 参考人佐藤幸治
177朝まで名無しさん:2007/07/07(土) 14:31:42 ID:vjsyMnTi
 昭和帝はGHQ作製の人間宣言までは、アラヒトガミ現人神であり伊勢内宮のアマテラス天照大神の代理格を有していた。靖国社の神々をなだめる地位にあった菊の支配の秘密。
178朝まで名無しさん:2007/07/07(土) 15:07:51 ID:FYoj2YhT

昭和天皇は自分の戦争責任から逃れる為に必死だった訳だw

これほど欺瞞に満ちて卑怯な人間を今まで見たことがない。
179朝まで名無しさん:2007/07/07(土) 16:50:50 ID:jCE9QZSI
戦争は軍部の独走だって?
天皇は戦争に反対で早く止めたかった、って?
関東軍にお褒めの詔書を出したり、下記のような事を言ったり、どう見ても軍と同罪としか思えんわナ。

近衛「沖縄で勝てるという目算がありますか」
天皇「統帥部は今度こそ大丈夫だといっている」
近衛「彼らのいうことで今まで一度でも当ったことがありますか」
天皇「今度は確信があるようだ」
180tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/09(月) 01:58:49 ID:+l5+yMw7
>>179
>関東軍にお褒めの詔書を出したり

新聞も国民も、こぞって軍を支持していたからだ。
愛想も使えないような天皇なら、すでに信任失ってるY。

>近衛「沖縄で勝てるという目算がありますか」
>天皇「統帥部は今度こそ大丈夫だといっている」

日中戦争の初期にも、太平洋戦争の開戦にも反対だったが、
いざ戦争が始まってしまえば、形式上の大元帥として振る舞わざるを得ないのは、
明治憲法が規定していたことだ。
(現在は、首相がその任に就く格好だ。)

実際、明治天皇も日露戦の時には、広島に大本営を置き、
その掘っ立て小屋の中の椅子に鎮座して、終日を過ごした。
寒風が入りこむ粗末な施設だったので、侍従がもうそろそろと勧めるのも断り、
灯が消えるまで国務を遂行していたそうだ。

万一、日露で日本が敗戦していたと仮定して、明治天皇にその責があるか?
開戦の決定は、小村寿太郎や山県有朋らの外務省&軍部の主戦派が、
伊藤博文や井上馨といった回避派を押しのけて実現させたものだ。

大事なことは、全体的な作戦の遂行について、
日露戦争当時の明治天皇がどうこう口を挟んだところで、
また沖縄戦を目前とした日本の昭和天皇がそれに疑義を唱えたところで、
大本営はそれらを無視して決行していただろうということ。
181tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/09(月) 01:59:31 ID:+l5+yMw7
また、このあたりの昭和天皇は未だ、軍事体制がセッティングした「玉砕」を
自身の方針としてもいた。
軍が方針とした「本土決戦」を自身も覚悟していた。
負けそうだからやめよう、とする不定見な見識を示して、どうして天皇でいられるんだ?

近衛文麿は、国民からの信望厚く首相となった人物だ。
しかしその第一次内閣、盧溝橋事件の勃発から始まった支那事変(1937年)では、
陸軍が要求もしないうちから事変拡大の追加予算を閣議決定した人物でもあった。
また事変当初は、国会で不拡大を主張するという二枚舌ぶりを演じた。

そして第二次近衛内閣(1940年7月)の発足前には、
「東亜新秩序」を東條英機や松岡洋右らと密談し、事実上、
その後の日本がアメリカとも開戦せざるを得なくなるようなレールを敷いた。
八紘一宇を言い出したのも、ここだし、
この内閣の松岡外相が使って巷にも流行ったのが「大東亜共栄圏」だ。
182tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/09(月) 02:01:12 ID:+l5+yMw7
天皇制に反対する史家井上清も、近衛には手厳しい。

 近衛は組閣前に陸・海・外相に予定した東條英機、吉田善吾、松岡洋右と会談し、
 新内閣の基本方針を(1)戦争経済体制の強化、(2)日独伊枢軸の強化、
 (3)対ソ不可侵条約を結び、その間に「対ソ不敗の軍備」を充実する、
 (4)東南アジアの英・仏・蘭・ポルトガルの植民地を「東亜新秩序」にふくめるため
 「積極的な処理をする」、
 (5)前項にたいする「米国の実力干渉はこれを排除する堅い決意をもつ」、
 (6)中国征服完成のため作戦の徹底と中国の封鎖を完全にする、
 (7)国体精神をたかめ「全国民を結合する新政治体制をつくる」と定めていた。
 この申し合わせは、組閣4日後の閣議決定とその翌日の政府・大本営連絡会議決定の
 「世界情勢の推移に伴う時局処理要項」で正式に国策とされた。

  これは一口にいえば後の「大東亜戦争」の軌道をしいたことである。
 そして万事がこの軌道通りに進行した。
 重要なことは、この国策は軍部の圧力できめられたのでもなく、
 松岡外相の独善で思いがけなくこうなったのでもなく、
 重臣、政党、財界の希望をになった近衛自身が組閣の前に発意し、これを国策とすることに、
 軍部をはじめ支配層のすべての意見を一致させた上で、第二次近衛内閣を発足させ、
 内閣はこれを忠実に実行したということである。
 太平洋戦争を軍部や松岡外相のみの責任とし、近衛らはその戦争に反対であったというのは、
 自分でしいた軌道を自分で走らせた列車の終点にいたって、
 恐れをなしたもののいいわけにすぎない。
 (以上、『日本の歴史』下巻 p.198-199)

日本を矮小化させ、局部情報を採りあげて、
政治や外交の動きの報告を受けるだけだった者に責任を転嫁するのはやめろ!

それを強調することは、天皇親政という独裁体制を
やがての日本に用意させる仕草に外ならないのだからな。
(独裁主義しか最終的に理解しようのない共産主義者でもなければ思いつかない悪戯だぞ!)
183朝まで名無しさん:2007/07/09(月) 11:00:44 ID:vetG2Nx4
都合の悪い時は立憲君主で誤魔化し、
何か良い事があれば、天皇のお陰。
あいも変わらず天キチ共は進歩がない。
184朝まで名無しさん:2007/07/09(月) 12:43:50 ID:A/FT1JLr
>180
明治天皇は、天皇機関説の説く権限の天皇として振舞ったから反対できなかったろう。
だが、天皇機関説事件がおき、昭和の帝国議会で天皇機関説は正式に否定された。
もし、そのとき昭和天皇が天皇機関説を擁護し、
天皇機関説のように朕は行動するぞとでも言っていたら、あんたの言うことも説得力があるが、
負けた後になって、天皇機関説のように朕は行動するしかなかった
なんて言い訳で言い逃れることはできないよ。  見苦しい。
185朝まで名無しさん:2007/07/09(月) 22:26:29 ID:TXO9K7qF
昭和天皇が「米英と戦争をすることにした。全国民は命をかけてこの戦争を遂行しろ」と命じた。
そして300万余の国民が死に、原爆2発が落とされ、昭和天皇の「降伏することにした」の一言で戦争が終わった。
戦後昭和天皇は、国民に一言も詫びることは無かった。
186朝まで名無しさん:2007/07/09(月) 22:34:17 ID:TXO9K7qF
天皇は、天皇機関説でも、天皇主権説でも根本は変わらないと考えているが、
その根本には、日本では、君主(天皇)と国家は同一であるという考えである。

「天皇に事故あらば、国家も同時にその生命を失うことになる」
「日本のような、君・国同一の国ならば・・・・」というのが裕仁の主張である。

しかし、機関説は、実はこういう考え方と前面的に対立する。
美濃部機関説とは、詔勅といえども、憲法に合わないなら、国民は批判する自由があり、
勅命といっても、場合によっては国民の代表である議会は従わなくても良いとするものである。

しかし、天皇は、美濃部説の生命線ともいうべきこれらの点を否定した。
すなわち天皇は、機関説は悪くないというが、実は基本的には、猛烈に機関説を排撃した、
軍部、右翼などと同じ観点に立っていた。

そして、彼自身が認めていた、無制限絶対の日本国統治主権者として、ファッショ化、
軍国主義化の最高の指導者の役割をになった。
187tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/10(火) 23:19:24 ID:w0fa3n1D
>>183
残念ながら「天キチ」じゃねーんだよ。
歴史をひもとくうちに、天皇に戦争の責任がないことを思い知ったというのが実情だ。

>>184
>昭和天皇が天皇機関説を擁護し
てたら、政治に口出しすることになって、すでに立憲君主じゃねーじゃねーかよ!
アホか?

昭和天皇は美濃部達吉の言うとおりと理解していた。
アホ丸出しなのは、天皇親政を実現したがった右翼と、
政治に口出しすべきだったと矛盾を吹聴して歩く左翼だ罠。

>>185
政治家が政党を捨てて、戦争を支持したのは、
開戦よりも後の1947年になってからだが(翼賛選挙)、
開戦の詔勅よりずっと前に、近衛文麿の用意した一丸体制(総翼賛体制)は築かれていた。
188tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/10(火) 23:20:54 ID:w0fa3n1D
>>186
ハイハイ、相変わらずのコピペ、ごくろーさん。(w

http://hissi.dyndns.ws/read.php/news2/20061013/M0w3blIvQm4.html
http://hissi.dyndns.ws/read.php/news2/20061228/dWF6bmhvUEs.html

ネットサヨかよ?(w
おまけに常駐なんだし。(ww

>美濃部説の生命線
どこが?

>天皇は、美濃部説の生命線ともいうべきこれらの点を否定した。
どこにそんな史料がある?
(まさか、著しく時間差のある史料じゃないだろうな!)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87
昭和天皇

 1935年、天皇機関説が排撃された天皇機関説事件について、
 昭和天皇は侍従武官長・本庄繁に「美濃部説の通りではないか。自分は天皇機関説で良い」と言った。
 昭和天皇が帝王学を受けた頃には憲法学の通説であり、
 昭和天皇自身、「美濃部は忠臣である」と述べていたにもかかわらず、
 直接・間接にはなんら行動を起こすことはなかった。

自分についてのことを、どう論陣が張られようが天皇は天皇だった。
なので、イギリスなど長期訪問した結果の昭和天皇が、
ほとんど立憲君主としてふるまっていたという事実のほうが重大だろう。

何か、「独裁的」権限を発揮して政治を動かしていたというのなら、
ちゃんと立証してごらん。
その努力を放棄していて、こう思うから独裁者じゃ誰も納得しないよ。(w
189朝まで名無しさん:2007/07/11(水) 16:30:53 ID:EhPc8rbA
で、なんでtoooは
大元帥であった天皇についてはスルーなんだ?

戦時体制下にあった、軍国主義国家となった大日本帝国において
政治的な「独裁的」権限など意味はない
統帥大権を有する大元帥の権限こそ、絶対と言えるものだったろうに
190朝まで名無しさん:2007/07/12(木) 00:27:52 ID:eOSltuP7
>>189
門番の兵隊を右から左に動かすことも出来ない
大元帥閣下の絶対的な権限w
191朝まで名無しさん:2007/07/12(木) 10:37:17 ID:UpFOrFgI
小林よしのり著『平成攘夷論』はおもしろいぞ
コヴァは嫌いでも、とりあえず読め!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093890587/
192朝まで名無しさん:2007/07/12(木) 21:52:25 ID:RSby42HY
>>190
>門番の兵隊を右から左に動かす
近衛兵の配置転換まで大元帥が指図するって
どんな小さな軍隊なのよ?
193tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/13(金) 15:46:36 ID:dwNMW0rw
>>190が言いたかったことは、些事を動かせずの大元帥の実態だったんだろうし、
これに軍事作戦の指示は言うに及ばず、開戦の決定まで加わる。
194tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/13(金) 20:30:05 ID:dwNMW0rw
>>189
>なんでtoooは
>大元帥であった天皇についてはスルーなんだ?
>戦時体制下にあった、軍国主義国家となった大日本帝国において
>政治的な「独裁的」権限など意味はない・・・・・・・・・・・・・・・・@
>統帥大権を有する大元帥の権限こそ、絶対と言えるものだったろうに・・・A

ついに天皇による独裁政治が行われたことはなかったとの理解、
一般常識でもあるし、ここはオイと同じですね。(@)

たしかに明治憲法上、「統帥大権を有する大元帥」は「絶対」とされていたが(A)
それは紙の上のお約束ごとに過ぎない。

教育面では(>>144)、1933年(昭和8)から、
「忠君愛国的な軍国主義の教科書へと予感させる」小学校国語の教科書が使われ始め、
「空中戦」「東郷元帥」などの軍事教材、「天の岩屋」「神武天皇」などの神話教材を
その一部の内容としていたが、
この時、すでに国民の大半は、軍だけを信頼するという姿勢になっていた。
これは日中戦争が本格化していたことに拠っている。(by井上清『日本の歴史』)

昭和初期の金融恐慌(昭和恐慌)にニューヨーク発の世界恐慌が重なって、
都市は倒産企業と失業者を溢れさせ、農村も農作物価格の下落で疲弊していた。
ここに冷害とのダブルパンチに見舞われた東北の寒村は、娘の身売りまで行うようになり、
普選法が施行された事実を以てしても、国民の政治への信頼は大きく損なわれた。
(それがテロを生み、ついに5・15事件を発生させた。)
195tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/13(金) 20:30:47 ID:dwNMW0rw
「軍国における忠君愛国の精神を鼓吹し、教育目的を『皇国民の練成』へと導く、
 極めて軍国主義的色彩の濃い教科書」に完全になったのは、1941年から(>>145)。

つまり天皇そのものを崇敬させようとする教育は、昭和10年生まれを中心として行われ、
しかしその世代は、選挙権があるはずもないわけだから、
軍国主義へと向かわせた主体であるはずもない。

日本の恐慌からの脱出は、列強と比べて早かった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%81%90%E6%85%8C
「高橋是清蔵相による積極的な歳出拡大(一時的軍拡を含む)、円の切下げ、アジア貿易への依存、
 重工業化へ向けた官民一体の経済体制転換を打ち出す。
 安価な綿布や雑貨を大量に輸出して1930年代後半には、世界に先駆けいち早く大恐慌前の水準を回復したが,
 ブロック経済政策をとる欧米諸国との貿易摩擦が起こった。
 この間にも,財閥は産業界を支配し,利権を求めて政治や軍に対する影響力を強めた。
 その後も目白押しの大規模プロジェクトなどで経済的成長が図られたが、
 資源配分転換と国際協調を背景にした軍縮への軍部の抵抗を止められず、太平洋戦争へと向かうことになる。

 この間「満州は日本の生命線である」と言った言葉の通り、日本は大陸進出へと進んでいくことになる。
 ドイツやイタリアのようにファシズムを唱える政党の躍進はなかったものの、
 軍部の発言力は強まり、政府を無視して満州事変を引き起こし、さらに五・一五事件で政党政治の幕引きをし、
 ワシントン海軍軍縮条約、ロンドン海軍軍縮条約の破棄、二・二六事件、日独伊防共協定の締結、
 そして日中戦争、第二次世界大戦という経緯で十五年戦争に突入していく。」

俯瞰すれば、日本に天皇がいようがいまいが、日本は戦争へと突入していたと理解できる。
それは、近代のヨーロッパで植民地の争奪戦に明け暮れたイギリスやフランスが、
そろってキリスト教国であって、戦争をとめどなくしていたことからも解る。
196tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/13(金) 20:33:35 ID:dwNMW0rw
戦争は、国家同士が利害を競合させることから発する。
重工業国から製品輸出にまで発展していた日本は、イギリスともアメリカとも貿易面で衝突していた。
イギリスなどは、その原因を日本の安い賃金にあるとしたが、
遅れてきた日本が、円をポンドに対して高い状態にしているわけもない。(固定相場だったこともある。)

誰か一個人の責にしようなどというのは、ことマルクス主義の見地で考えても、
そうとう無謀で野卑、かつ無理強いしたような見解なのだと断じるほかにないでしょう。

ただ一言、言い添えておくなら、実は大正末期に学生を中心に、軍国教育への反対運動が起こっている。
それは警察の取り締まるところとなった。
昭和は始まった瞬間に、軍国主義へと国民が一丸になる要素しか残されてはいなかった、とは言える。
197朝まで名無しさん:2007/07/13(金) 21:07:27 ID:Eo6EM2Qe
戦争を始める時は
天皇の言葉を無視して戦争を始め
戦争を終わる時は
天皇に決断させる
いつの時代にも無責任で無能な政治家がいるんだね
198朝まで名無しさん:2007/07/13(金) 22:50:11 ID:okhjDXOP
戦争を始める時も
戦争を終わる時も
天皇が決めたことなのに
わたしは関係ありませんなんて顔して、天皇はずるい香具師だな
ちゃっかり、終戦の御聖断のお手柄だけは自分のせいにしてるけど。
199朝まで名無しさん:2007/07/14(土) 01:51:02 ID:Y5qeNTeC
>>192
は指図しないと指図できないが区別できないかわいそうな子。
200朝まで名無しさん:2007/07/14(土) 10:46:42 ID:P+fnDJJe
>>196
> 誰か一個人の責にしよう
このスレの誰が、天皇一個人の責であるなどと主張しているのかな?

天皇一人だけは責が無かったなどという話には成り得ない
という指摘が繰り返されているんだろうに
201tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/14(土) 19:56:50 ID:RXAJQUlO
195の「近代のヨーロッパ」は「近世のヨーロッパ」の間違い。

>>200
>天皇一人だけは責が無かったなどという話には成り得ない
どころか、
満州某重大事件(張作霖爆殺)の田中義一首相を叱責したり(1929年)、
柳条湖事件に始まる満州事変(1931年)についてリットン調査団の報告が出されると、
関係者を叱責したり、またその処罰が減俸1カ月に過ぎないことを知ると、
「あんな大それたことをしてたった1カ月の減俸か」と嘆いたりしている。
(だからといって、法治国家大日本帝国の処罰が変更されることはない。)

さらに1937年の盧溝橋事件に際しても、
「之は支那の方から、仕掛けたとは思わぬ」と看破していた。
(『昭和天皇独白録〜寺崎英成・御用掛日記〜』文芸春秋社)

責が無いどころか、逆なのだと知らなければならない。
しかし満州事変を考えても、当時の新聞各紙は、
政府にも天皇にも遠慮や臆面はなく、軍の行動を支持していた。

同じように世論をリードした例で、近場にイラク戦争が挙げられるが、
この時もアメリカのTV各社は、たいした検証もなしに大量破壊兵器の存在を喧伝しつづけ、
ついに開戦直前には3分の2ものアメリカ市民を主戦論へと駆り立てた。
(戦争報道内では、ジェシカ・リンチ救出の神話まで創られた。)

ただアメリカのイラク戦争は、戦争をしたがっていたブッシュ政権が
意図的に捏造された情報をリークするという、用意周到というか準備万端というか
背後に悪意を潜ませた戦争へのアクションがあったが、
日中戦争の悪意は、主として関東軍から発したものであって、
その背後の国内方面では軟弱外交(幣原喜重郎)を徹底的に嫌った政治家に限られていた。
202tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/14(土) 19:57:27 ID:RXAJQUlO
そして重要な事実は、日本では昭和が始まると同時に普選法が施行されていたことだ。
国民の意思がダイレクトに反映されやすい状態だった。
(戦後長く続いたというワイロ政治を横行させたのも、そういう議員を選び、
 またワイロが明らかになっても「禊ぎ」選挙で投票してきた人間の責任だろう。
 政治の良いも悪いも、代議士を選択できる民主主義下では、最終的には国民の責任だ。
 もちろん、ワイロ政治に目を瞑ってでも、
 利権誘導を図りたいという気持ちが上まわった結果ではあるだろうと想われるが。)
(国民の意思とは言っても、当時社会の中心であった成人男子に限られる。
 大正時代は教育を中心として女性の権利の拡大が著しく女性参政権も検討されたが、
 貴族院で見送られた。
 農耕を中心としてきた文化的な馴染みもなく、
 また女性の家事労働を必要とする分担された状態でもあった。
 ・・・・・今とあまり変わりないようにも思えるが。);;;

アンド、選挙史を調べれば即座に判明する事実がある。
日中戦争(中国側見解による柳条湖事件と満州事変を発端とする認識に従う)の開戦後は、
主戦派(初期には政友会、幣原喜重郎の外交策を軟弱外交と批判)が選挙で選ばれている。
しかも圧勝と言っていい。
 参考 1928/02/20   総選挙[16] (政友会217、民政党216、無産諸派8、他25)
    1932/02/20   総選挙[18] (政友会301、民政党146、無産諸派5)
これで日中戦争へと向かう方向は完全に確定的になった。

実際に1932年6月14日の衆議院は、満州国を全会一致で承認した。
新聞が盛んに煽っていたこと、それが国際連盟を脱退までする行為まで呼び込み、
しかも時の外相松岡を英雄視させ「凱旋帰国」(1933年)させたことは、
天皇すら予見するところではなかった。

さて、責任とは何の誰に対する責任だろう?
203信じる者は騙される:2007/07/14(土) 22:35:01 ID:orp0Ijvo
天皇戦犯起訴回避の為の言い訳集『昭和天皇毒吐く録』を、そのまま信じている tooo は、痛い奴だナ。
204朝まで名無しさん:2007/07/14(土) 22:41:58 ID:P+fnDJJe
>>201-202
>柳条湖事件に始まる満州事変
大元帥として最高の称賛を贈ってもいる
つーか、大元帥の決定には
時間的にも世論など反映する余地が無かった事は
以前にも指摘した

軍の行動について、統帥大権を一手に握る大元帥に責が生じない
などという事はあり得ないんだよ
205朝まで名無しさん:2007/07/14(土) 23:07:04 ID:orp0Ijvo
「要するに戦争について御責任はあり。
即ち一国の統治者として、国家の戦争につきロボット
にあらざる限り御責任あることは明なり。」(木下道雄「側近日誌」)

 tooo の天皇擁護の屁理屈長駄文は、もういいよ!
206tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/16(月) 02:40:11 ID:HpvIYV6/
>>204
>軍の行動について、統帥大権を一手に握る大元帥に責が生じない
>などという事はあり得ないんだよ

世界史のどこに、「統帥大権を一手に握る大元帥に責」を生じさせた例があるんだ?
フランスやスペインと長く戦争を繰り返し、時に何度も負けたりしたイギリスで、
そういう事態が一度でも発生したか?

逆にイギリスやアメリカが、他国の王を無謀にも退位させたり、その血を絶やさせた例はある。

19世紀末期のミャンマーの国王ティーボーは、英緬戦争の末イギリス領インドに幽閉されたわけだし、
その直後にミャンマーはインドに併合され、イギリスの植民地にされた。
その時、王子たちすべてが虐殺されたわけだし、
王女の多くもインド兵の「戦利品」になってしまった。イギリスの了承の下に!

1893年にハワイ王国を途絶えさせたのはアメリカだった。
リリウオカラーニ王女は勝手につくられた共和制の臨時「革命」政府から逆賊の汚名まで着せられ、
幽閉された挙げ句に、廃位させられた。

いったいどこまで奴隷根性を染みつかせれば気が済むんだ?
抜きがたいほど大馬鹿なのか?
207tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/16(月) 02:43:42 ID:HpvIYV6/
>>205
意見は意見で様々に成立するだろう。

近衛文麿からなされた退位論など、枚挙にいとまはない。
近衛は戦争を用意していって、敗戦の現実に臆するなど、
当時の日本国民の大半が待望して、首相となったに相応しくない状態だ。

ところが戦後まもなく共産党の野坂参三でさえ、
 ソ連のスターリンは、東京裁判に調査団を派遣するに際して、昭和天皇をどのように扱うか迷っていた。
 そこで、当時モスクワにいた野坂参三氏を呼んで、昭和天皇をどうしたらいいか意見を求めた。
 野坂氏は、「天皇を裁判にかけるな」と応えた。
http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai25-Shoochoo.html

すでに、
 1929年には野坂は天皇制の撤廃を共産党が掲げるのは誤りだと考えていた。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/shohyo/umeda458.html
 和田春樹著『歴史としての野坂参三』)

天皇が人格ではないことを見抜いていた証拠だ。
(201で大統領の「悪意」を問題視したのには、その事情がある。w)
208朝まで名無しさん:2007/07/16(月) 06:25:52 ID:2DjFjTmV
相変わらず誰も説明出来ていませんね
出来ないのですよ
要らない物だからです。
国民主権が有るので天皇制は
要らないわけです。

天皇制の生き死には国民が決める
事になっていますから
憲法改正出来るのは国民であり
天皇ではありませんからね
209朝まで名無しさん:2007/07/16(月) 10:14:50 ID:Ua7oFmul
>>206
>いったいどこまで奴隷根性を染みつかせれば気が済むんだ?
これはこちらの台詞だな
軍の最高指導者であった軍人天皇の一面を
なぜそこまで誤魔化そうとするのかな?

中世の十字軍の時代ならまだしも
第一次世界大戦以後のの世界情勢の変化
国際連盟といった国際協調の考えなどが確立して以降
統帥大権を一手にした上に、現人神であるなどと
神格化された一個人を旗頭にして戦争を繰り広げた国は
大日本帝国だけだ
その特異性を無視して、他国の例を引き合いにするなど
まさに誤魔化しだろうに
210tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/17(火) 00:29:17 ID:5KVC4DKJ
>>209
おまえはアホだね。根っからの。

ほとんどの主権者が象徴天皇と皇室制度の維持を願っている。
女性天皇容認派は日本の圧倒的多数でもある。

女性天皇容認派すなわち廃止派だ、と言いくるめてるのか?(嘲笑
211tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/17(火) 00:41:08 ID:5KVC4DKJ
>>209
>軍の最高指導者であった軍人天皇の一面を
>なぜそこまで誤魔化そうとするのかな?

陣頭指揮の一つでも行ったのか?

形式に過ぎないところに実権ありと強調するなんざ、
機関説批判をやってのけた右翼方面のカスと遜色ないレベルだな。(呆れ〜すけん固め!

>神格化された一個人を旗頭にして戦争を繰り広げた国は
>大日本帝国だけだ

その神格化のタテマエ(明治憲法)で、日本は明治維新を無事やり終えた。
産業が勃興し生活に余力が生じた結果、
大正デモクラシーもあったわけだし普選法の要求も実現していった。

昭和に入ってからの「神格化」は、戦争を行使中という現実がもたらしたものだ。

対外危機意識が、自然と国内世論をまとめ上げていたことは、
満州事変における新聞各社の報道や、英雄として祭りあげられた国際連盟脱退劇から明白だが、
日中戦争の長期化(蘆溝橋〜)が、大本営の設置(以上1937年)や
国家総動員法(1938年)を用意させていった。

日々の戦争の中で行われていたことが、
「神国日本が負けるはずがない」という自己暗示だろ。
特にアメリカという強大国を戦争の相手とした太平洋戦争勃発後に、
その観念は膨張的に国民を支配したはずだ。

神頼みの対象なんかに責任が発生してると考えるのは、異常者だけだ!
あと、冤罪を創りあげてでも政治的ポジションを得たいという共産主義者の残党。
212tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/17(火) 00:41:39 ID:5KVC4DKJ

イスラム圏へ十字軍が何度も略奪戦争に出かけたのは、
間違っても、キリストにそそのかされたからではない。
213天皇真理教:2007/07/17(火) 05:43:22 ID:GHIvMOrN
toooの天皇立憲君主擁護論は、もう秋田。
214朝まで名無しさん:2007/07/17(火) 11:10:51 ID:jjznFFaw
>>210
天皇の軍事戦略と作戦指示については既に指摘している
膨大な戦史資料も残っている
それを見ないように無かった事のようにしているのは
toooだろうに

>神格化のタテマエ
それ故の近代化への成果もあったなどという話は
天皇が大元帥だった事を誤魔化すネタにはならない
戦争によって国力を充実させていった明治大帝の偉業こそ
見習うべきものだとして育った、大元帥でもある昭和天皇という実像を
戦後になって、平和主義者の立憲君主という虚像に作り替えていった経緯に
toooはあまりにも無知すぎる
215朝まで名無しさん:2007/07/17(火) 11:23:33 ID:GHIvMOrN
天皇の発言は天の声、
支示してないように見せて、支示するのが天皇。
気にいらない上申は、机の引き出しの中にポ〜イ。
216(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/07/17(火) 12:03:08 ID:rELkQuw+
大本営海軍部・軍令部作戦部長富岡定俊少将の回想(ミズーリ号降伏調印式で)

マッカーサー連合軍最高司令官が、マイクの前に立った。無造作な軍服姿だが堂々たる態度、
声量豊かな声。「…戦は終わった、恩讐は去った。神よ!この平和を永遠に続けさせ給え!」
最後の言葉を述べるとき元帥の目は空の一角に向けられその敬虔な態度と声音は、
人に対して語る姿ではなかった。日に見えぬ神に捧ぐる誓いと祈りのほかの何物でもなかった。----
しかし元帥のこの言葉と態度には心の底から組伏せられてしまった。恩讐の彼方にあるおおらかな気持、
キリストの愛があの大きな胸に包まれている。それに引替え何と小さな島国根性であったかと
心の底から打ちのめされた気持であった。不覚の涙で目尻が熱くなる。
217朝まで名無しさん:2007/07/21(土) 17:24:49 ID:XoAmU5jE
でもその数年後マッカーサーは満州に核ぶち込めと言って解任されますからw
218朝まで名無しさん:2007/07/21(土) 17:57:49 ID:kwOwx/o0
>>217
それがどうした。

そんなことで、昭和天皇の臣下の少将が感じたマッカーサーの偉大さは
なんら損なわれない。

貴公の発言は、>何と小さな島国根性であったか という少将の感慨が
当てはまり、益々際立つだけだ。
219朝まで名無しさん:2007/07/21(土) 20:17:00 ID:VMHkkMWI
旧日本軍は「上官の命令は天皇陛下の命令である。」という縦社会
38式歩兵銃にも菊の御紋
戦争で犠牲を出した責任、侵略した責任はあって当然!!
220朝まで名無しさん:2007/07/21(土) 22:01:23 ID:2uxdFiwc
悪い事は部下に責任を押し付けて、良い事は自分の手柄にする上司って良くいるが、
天皇は、まさにこの典型で根っからの悪党、恥知らずですナ。
軍の独走を抑えるのは天皇しかいないだろ。なのに、お褒めの詔書を出すようじゃ〜おしまいだ!
221朝まで名無しさん:2007/07/21(土) 23:59:00 ID:m4xmt7R4

さっさとクソ天皇死ねって言ってんだよ

クソジャップスのクソ天皇死ね死ね癌が悪化しろクソ天皇死ね死ねクソジャップス

クソJAPS天皇クソウヨク死ね死ねクソジャップクソ天皇死ねクソJAP
222tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/22(日) 02:24:21 ID:a0TOCs+u
>>214
>天皇の軍事戦略と作戦指示
の、全部と言っていいほとんどが、ガダルカナル以後だろ。

戦争中に、また海軍が敗退一方だったたときに、
「大元帥」がその職責をまっとうしないでどうなるんだ?
しかしその戦争を開始したのが天皇ではない、ということがポイントだ。

昭和天皇が希望した戦争は唯一点、中国国民党蒋介石と決戦を交えることだった。
早期の和平のためだ。
しかしその希望は叶わず、やがて蒋介石を相手とせず(交渉相手としない)の
近衛文麿内閣になだれ込んでいったのが史実だ。

その近衛文麿が、国民からの信望が厚かったのも有名なことだ。
国民から一気に英雄視さえされた国際連盟脱退劇の松岡洋右とともに。

>平和主義者の立憲君主という虚像に作り替えていった経緯

それが事実なら、列挙して証明すればいいだけの話だ。
それも出来ずに、わめき立てれば責任が発生すると考えてるなんざ、
ずいぶんと頭のテードのおよろしいお左翼ぶりじゃねーかよ!(嘲笑

ところが、最近明らかになってくメモや侍従の日記のすべてがすべて、
歴史的な限界がある中で、太平洋戦争や日中戦争を
心情的に強く忌避していたという事実が明白になるばかりだ。

もちろん戦争が始まってしまえば、国民の信望通りに義務は遂行しているという
形式的理解も生まれる。1945年の6月に入るまで自身が玉砕を覚悟さえしていたのも事実だ。

虚像それが実際で実質だとあくまで言い張りたいなら、史実を列記しろよ!
テーノーの左翼なんざ、朕もとい、珍なること風評火山の如しだぜ!(バ〜カ!w
223tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/22(日) 02:53:59 ID:a0TOCs+u
>>216 >>218
>マッカーサーの偉大さ

それは昭和天皇に責なしと看破したことで完全に立証されている。

ただし日本を平和で牧歌的な農業国にしようとしてたというマッカーサーの目論見は、
かなり当てが外れたようだ。

戦争が終われば平和がやってくる。
総力戦を展開した日本は疲弊し、しかしその日本から
収奪するような愚劣を犯さなかったことが、アメリカの大国たる所以だ。
(民主主義からファシズムになだれこんだドイツの先例があったわけだが。)

国民は玉砕(すること)を信じていた。
それが特攻隊の悲劇も生んだわけだし、大和出撃の悲劇も生んだ。
終戦間際の昭和20年6月14日まで、
昭和天皇もまた国民とともに玉砕する覚悟でいた。

昭和17年12月11日(『小倉日記』)、
「戦争は一旦始めれば、中々中途で押さえられるものではない。
 満州事変で苦い経験を嘗めている。
 従って戦を始めるときは、余程深重に考えなければならぬ。・・・・・
 戦争はどこで止めるかが大事なことだ。」
「自分は支那事変はやりたくなかった。
 それは、ソヴィエトがこわいからである。
 かつ自分の得ている情報では、始めれば支那は容易のことでは行かぬ。
 満州事変の時のようには行かぬ。
 外務省の情報でも、海軍の意見もそうであった。・・・・・」
と戦争観を2時間延々と語っていた昭和天皇をして、玉砕を覚悟させたのだ。
224tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/22(日) 02:56:13 ID:a0TOCs+u
>>221
モマイのような愚劣を極めた度カスが現れ出るということは、
国家が総右傾化する端緒についているのだとも考えられるだろう。

大正デモクラシーを経た昭和初期の日本が、野放図な言論の自由をもたらしながら、
しかし最終的に国家そのものの軍事化に拍車を駆ける効果しかもたらさなかった。

そこにはモマイのような無責任なカスが、たくさん排出されていたという事情もあった。

竹山道雄の『昭和の精神史』(講談社学術文庫)

  関東震災を一つのエポックとして、それまでは思いもよらなかった新しい社会相が現出した。
 突如としてひらけた近代生活に対しては、
 むかしから日本人がもっていた良識や節度はふしぎなくらい無力だった。
  あのころは、世上に既成体制に対する不満が一杯だった。
 見るもの聞くものが、政党・財界・官僚に対するはげしい呪詛だった。
 私はさる大新聞の寸言欄に、
 「世界に三つの悪がある。アメリカのギャングと、シナの軍閥と、日本の政党である」
 と書いてあったのを覚えている。
 こうしたことは数かぎりがなかった。
 旧日本は言論が不自由だったと今は信ぜられているが、
 やがて拘束がはじまるまでの一頃はそれどころではなく、きわめて破壊的だった。
 くる日もくる日も、辛辣に、手軽に、巧妙に、無責任に、揶揄し罵倒する言葉をきいて、
 すべての人々の頭にそれがしみ入った。
 しかもなお、乱闘、汚職、醜悪な暴露・・・・・はあきれるほどつづいた。
 分裂と混乱は見込みがないと思われた。
 軍人の政党に対する不信反感は非常なもので、これは最後まで消えなかった。
225tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/22(日) 02:56:50 ID:a0TOCs+u
  インテリのあいだには左翼思想が風靡して、
 昭和のはじめは「赤にあらずんば人にあらず」というふうだった。
 指導的な思想雑誌はこれによって占められていた。
 若い世代は完全に政治化した。
 しかし、インテリは武器をもっていなかったから、その運動は弾圧されてしまった。
  あの風潮が兵営の厚い壁を浸透して、その中の武器をもっている人々に反映し、
 その型にしたがって変形したことは、むしろ自然だった。
 その人々は、もはや軍人としてではなく、政治家として行動した。(・・中略・・)
 いかに陰謀的な旧式右翼がいたところで、
 それだけで若い軍人が「青年将校」になることはありえなかった。
 これを激発させたのは社会の気運だった。
 このことは、前の檄文(=二・二六事件の蹶起趣意書)の内容が雄弁に語っている。(・・中略・・)
  青年将校たちは軍人の子弟が多く、そうでない者もおおむね中産階級の出身で、
 自分は農民でも労働者でもなかった。
 それが政治化したのは、社会の不正を憎み苦しんでいる人々に同情する熱情からだった。
 インテリの動機とほぼ同じだった。
 ただ、インテリは天皇と祖国を否定したが、国防に任ずる将校たちは肯定した。
 ただし、かれらが肯定した天皇と国体は、既成既存の「天皇制」のそれではなかった。
  私は一人の青年将校を知っていた。職業軍人ではなくて教師だったが、
 つねにはげしい調子でブルジョアを攻撃していた。
 この人にすすめられて、教典の一つである権藤成卿の『自治民政理』を読んだ。
 これは、日本上古の社会を理想としつつ、農業中心の共産制度を主張しているものだった。(・・中略・・)
 そして、この将校が熱心に説く国体明徴をきくと、そこに思いうかべられている一君万民の天皇とは、
 国民の総意の上にたつ権力者で、何となくスターリンに似ているもののように思われた。
226tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/22(日) 02:57:36 ID:a0TOCs+u
  あのいたるところに腐敗した現象がはびこっていた時代に、
 軍人だけは純潔だと考えられていた。
 (そして、事実利欲に関しては純潔であったのだろう。
  戦後に極東裁判の調査官たちは、ナチスの巨頭とおなじようなつもりで
  軍の巨頭たちの財産をしらべたところが、その貧しいのにおどろいた。)
 満州事変はその自信をたかめた。国民は「軍に感謝」し信頼した。
 この気持は、テロが相つづき軍の横暴が誰の目にもあきらかになり
 前途の不安が予感されるに及んで消えたが、
 そのときには軍はもはや圧倒的な力を確立していた。
 この「国を救う者は自分たちだけである」という自信が、
 軍の独立を主張させるにいたったつよい動機だった。
  この自信と信頼を端的に示したのは、五・一五事件の裁判だった。
 白昼首相を殺した軍人の徒党が、軽い刑ですんだ。
 明治時代だったら考えられないことだったろう。
 (封建時代には、赤穂浪士は切腹させられた)。
 また、政治悪を憤慨する世論の背景がなくては行われないことだったろう。
 世人はその動機の純真に同情したのだった。(・・中略・・)
  青年将校たちは「天皇制」を仆そうとした。しかも、天皇によって! (・・中略・・)
  天皇が悪しき「天皇制」の首となっているのは、
 天皇と民との中間に介在するものがいて、その聖明を覆うからである。
 これを芟除すれば、歴史の悪しき段階は克服され、
 民を苦しめる「天皇制」の暗雲ははれて、天皇の光はただちに四民を照らすであろう。
 そして、この革命を遂行することは天皇の意思であり、「これこそ聖旨に添い奉るもの」である。
  革新派の軍人が考えていた「国体」は、「天皇制」とはあべこべのものだった。
 このころには、天皇は二重の性格をもっていた。
  その第一は、政党・財閥・官僚・軍閥の頂点にあって、機関説によって運営される。
 いわばイギリスの王のようなものだった。(・・中略・・)
 これをかりに天皇の機関説的性格とよぶことにする。
  その第二は、御親政によって民と直結して、平等な民族共同体の首長であるべきであり、
 国難を克服する、国家の一元的意思の体現者だった。一部軍人はこの性格の天皇を奉じた。
227tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/22(日) 03:01:46 ID:a0TOCs+u
 これは、それから後の対外的危機の度がすすむにつれて、
 その軍事的な面のみが強調されるようになった。
 そして、かれらは統帥権を手がかりとして自分の立場を強化しようとして、ついにそれに成功した。
 これをかりに天皇の統帥権的性格とよぶことにする。(・・中略・・)
  昭和の動乱には、この二つのものがからみあい争いあった。
 ついには後者が前者を圧倒してしまったが、しかしまったく消すまでにはいかなかった。
 軍は天皇の第二の性格を生かして自分のものにすることによって
 その目的を遂げることができたので、制度としての革命はついに行われず
 後者は前者の形式(重臣の奏請や議会の決議など)を通じて実現した。
 何よりも戦争の大きな圧力があって、すべては最後まで合法的だった。
  (・・中略・・)その開戦の詔勅にも「豈(あに)朕が志ならんや」とて、
 これがまだ機関説的天皇制の声をかすかに残していた。
 そして、終戦の決定は、(・・中略・・)
 ようやく機関説的天皇制が息をふきかえして統帥権的天皇制を抑えたのだった。
  このように天皇の性格が二重のものとして作用していたということは、
 裕仁天皇自身の意思とは別だった。
 裕仁天皇はつねに合法的に合慣例的に、機関説的態度に終始した。
 その局にあたる責任者の言をきいて自分のイニシアティヴをとらないという、原則をつらぬかれた。
 じつに、統帥権に関することがらについてすら機関説的態度に終始して、
 忠言暗示をあたえることはあっても、軍に関することは軍の責任者の言にきいた。(・・中略・・)
 つまり、統帥権的天皇とは、結局の事実としては中堅将校のことだった。
  裕仁天皇は、例外的に、ただ二度だけ機関説的性格をすてて、御親政をとられた。
 それは二・二六事件の際と終戦の際だった。(・・中略・・)

どこに責任があるんだ?
普選法が開始されたことにか?
祖先が排斥的心情を極めて強くしていたことは、国際連盟脱退劇にも明らかだ。
責任を転嫁する者にこそ最大の責任がある。
普選法施行後なんだからな。
228朝まで名無しさん:2007/07/22(日) 06:22:39 ID:iMJWCsva
相も変らぬ、tooo の長文、駄文の天皇擁護論(こじ付け立憲君主弁明論)は、もう秋田。
229朝まで名無しさん:2007/07/22(日) 09:46:01 ID:IYwoz0D7
>>228 ただ二度だけ機関説的性格をすてて、御親政をとられた

何度だかには異論もあるし、とにかく御親政をとる権限があり、実際に行使できたわけだ。

それを行使せず、奉勅命令なしの出兵や制令線を越えた進軍などの統帥権干犯を放置し
軍部の際限ない戦争拡大を追認した大元帥の責任はあるだろう。
230229:2007/07/22(日) 09:47:54 ID:IYwoz0D7
すまん、229の>>228は間違い、>>227に対してだった
231朝まで名無しさん:2007/07/22(日) 10:26:43 ID:9/o0qUXs
>>222
>ガダルカナル以後
それまでなーんにも関与していなかった大元帥が
イキナリ指示を出し始めて通用する筈 とか思える現実感の無さってナニ?

つーか、御前会議を求めたのは天皇であり
天皇立憲君主像を世に知らせるために、広くアピールされているものとは別の
軍事における御前会議は満州事変以降恒常的に開催され
大元帥である天皇は、積極的に発言していた
という点もとっくに指摘済みだよね

>心情的に強く忌避
好戦的な人物でなかった事は、他の側近の軟弱ぶりを誹った日記からも明らかだ
だが、一個人としての天皇の心根など
大元帥である天皇という立場において反映される筈もない
明治大帝の築いた、大日本帝国の威信を陰らせるような事があってはならない
それこそが昭和天皇の目指すものだったのだからね

>>223
統治に利用した方が便利≠昭和天皇に責なし
toooは、ここら辺の自慰的解釈から一歩も抜け出せないよなぁ
232228:2007/07/22(日) 10:41:06 ID:iMJWCsva
>>227
>ただ二度だけ機関説的性格をすてて、御親政をとられた

常に言い訳で出てくる大嘘二度親政論(226と終戦聖断神話)
これが大嘘であることの一例、tooo の大好きな立憲君主弁明論の拠り所「昭和天皇毒吐く録」より。

「ノモンハン方面のソ満国境は明瞭でないから不法侵入は双方から言いがかりが付く
 訳である。当時関東軍司令官山田乙三(正しくは上田謙吉)には満州国境を厳守せよ
 との大命が下してあった。」

 大命(天皇の命令)と、書いているじゃん。これは、ほんの一例。
233朝まで名無しさん:2007/07/22(日) 10:44:55 ID:9/o0qUXs
>>224
>大正デモクラシーを経た昭和初期の日本が、野放図な言論の自由をもたらしながら

>>196
>実は大正末期に学生を中心に、軍国教育への反対運動が起こっている。
>それは警察の取り締まるところとなった。
>昭和は始まった瞬間に、軍国主義へと国民が一丸になる要素しか残されてはいなかった、とは言える。

toooは引用をしてはいるが、実は中身を全然読み込めておらず
自らの論の根本すら固まらないまま、ただレスを投げているって事だよな
その時々の論に都合の良い引用を
場当たり的に長文で引っ張ってくる癖からは、そろそろ卒業して欲しいものだね
234(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/07/22(日) 12:34:56 ID:XA2HexnB
>>233
まあ、本人は
>大正デモクラシーを経た昭和初期の日本が、野放図な言論の自由をもたらしながら、
>しかし最終的に国家そのものの軍事化に拍車を駆ける効果しかもたらさなかった。(>>224
その、軍事化(正確には軍国化だが)への拍車を掛ける効果の具体例が、
>実は大正末期に学生を中心に、軍国教育への反対運動が起こっている。
>それは警察の取り締まるところとなった。
>昭和は始まった瞬間に、軍国主義へと国民が一丸になる要素しか残されてはいなかった、(>>196
と、言いたいんだろう。

香具師の描く構図は、

・大正期に自由主義が蔓延して世の中が乱れた。(政界の汚職や社会風俗など)
  ↓
・そうした傾向に対するカウンターとして軍事化(くどいようだが軍国化)が進んだ。
  ↓
・つまり、昭和から隆盛した軍国主義への傾倒は必然だった。

と、まあ、短絡的思考の人間が陥りやすいロジックではあるよな。
235朝まで名無しさん:2007/07/22(日) 13:37:35 ID:IuujNAxl
昭 和 天 皇 の お 言 葉

「エー、原子爆弾が、エー、投下されたことに対しては、エー、エー、遺憾には思ってます
が、エー、こういう戦争中であることですから、どうも、エー、広島市、市民に対しては気の
毒であるが、やむをえないことであると私は思ってます。」

(日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」1975年10月31日)
http://www.youtube.com/watch?v=4b6VuxlBUYI

236tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/24(火) 01:17:45 ID:MzKAdVIK
>>231
>それまでなーんにも関与していなかった大元帥が
>イキナリ指示を出し始めて通用する筈

何も関与してないとどこで言った?
証拠キボンヌ、と、軍への直接的な指示については軍令部が崩れた段階だろ。
海軍と陸軍が和を以てやってくことを望んでたことは、
ここで言及する必要がないほど有名だぞ。
任せていたその態度から、日本の立憲主義観を酌みとれないのは、
もはや冤罪を創る勢いでしかないぞ。

てかモマイ、戦前の日本を極端に矮小化された・・・家庭とか考えてない?
それって稼ぎ頭とヒッキーのモマインチだけだから、ヨロピク。(w

>軍事における御前会議は満州事変以降恒常的に開催され

トーゼンでしかないぞ。
第二次世界大戦中のアメリカやイギリスも同様だ。
『パットン』でも観て、頭をヒヤシンス。

>大元帥である天皇は、積極的に発言していた
>という点もとっくに指摘済みだよね

どこで指摘してる?(w
妄想、乙!
237tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/24(火) 01:18:35 ID:MzKAdVIK
>好戦的な人物でなかった事は、他の側近の軟弱ぶりを誹った日記からも明らかだ
>だが、一個人としての天皇の心根など
>大元帥である天皇という立場において反映される筈もない
>明治大帝の築いた、大日本帝国の威信を陰らせるような事があってはならない
>それこそが昭和天皇の目指すものだったのだからね

一般的理解として、これ(上記の文章)はアリだろう。
ただし「威信を陰らせるような事があってはならない」というのも、
欧米と渡り合いたくなかったという天皇の本音からすれば、
完全にそうは言えない有様だし、昭和天皇は当時の一般人より、
かなり左傾化していたとも言えるだろう。

>統治に利用した方が便利≠昭和天皇に責なし
>toooは、ここら辺の自慰的解釈から一歩も抜け出せないよなぁ

アメリカに媚びへつらい、上目遣いでおまけに穿ちがちなら、この認識だろう。(w
ところがすでにポツダム宣言で宣言したように、
アメリカは天皇の上位にマッカーサーを置きそれを日本に呑ませた。
責ありもなしも、もはやアメリカの合理的判断の中にしかない。

アメリカが過剰に防衛(攻撃)したことは本土空襲と沖縄、最後の原爆でもはや明白だった。
これ以上、日本の本義を失わせることは、忍びない?
と思いきや、実際にはアメリカ本国では、天皇を戦犯として訴追したい意向だった。
正義の戦争という大義名分が完全成立するからだ。

すでにムッソリーニはイタリア国民に殺され、ヒトラーは自殺しちまってるので、
天皇を戦犯として裁ければ、自由を守ったという画竜点睛(我領天晴れ?)がクリアされる。
1945年11月の末に、「アメリカ統合参謀本部」はマッカーサーに、
天皇の戦犯行為の証拠提出を命じた。
すでに9月27日天皇との接見を実現させ詰問していたマッカーサーは、
1946年1月25日、天皇に犯罪事実無しと回答した。
238tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/24(火) 01:19:21 ID:MzKAdVIK
もちろんそこには、「アメリカ統合参謀本部」が納得するような事由が書かれていた。
天皇を起訴すれば治安悪化を招き、GHQの大幅増員を余儀なくされる。

モマイの言ってるのはココであって、その前段階の
「戦犯ではない」というマッカーサーの判断ではない。

自慰して最後まで言っちゃってるのは、結果論の得意なモマイだけ。(w

>>232
>満州国境を厳守せよとの大命が下してあった。」
>大命(天皇の命令)と、書いているじゃん。

当たり前だろ!
満州がすでに建国されてる1939年なんだからな。

もっとガッチリした例、出せんのか?(w
239tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/24(火) 01:20:13 ID:MzKAdVIK
>>233-234
お宅ら・・・・・OTL

大正末期に起きた軍国教育への学生の反対運動とゆ〜のはですね、
軍事教練が正教科とされたことに対する反対。
これは、軍縮会議で4個師団が廃されたので、
将校がたくさん路頭に迷うことがないようにと文部省令。
1924年のお話し。

このとき馘首された将校は、二千人。
ここへの危惧が、反軍縮の気運と統帥権干犯の名目を軍にもたらしたことを指摘したのは、
松本清張(『昭和史発掘』)。

宅らのよーなインテリが雁首そろえてるとなると、
再戦への道も・・・・・早そうね。(w

>>234 :(○´ー`○)はカワイイ 氏
>香具師の描く構図は、・・・・・うんたらかんたら、ンコ垂れ噛んだら
>と、まあ、短絡的思考の人間が陥りやすいロジックではあるよな。

学にしがみついて現実世界が動くと想ってる香具師にこそ、言ってもらいたい言葉。
たとえばカワイクナイ氏のような。(w

軍国主義への傾倒を解析している井上清でさえ、
破綻した経済からの回復と、満州進出が期を一にしていたことを喝破し挙げる。

下部構造ぐらい理解してからレスしろよ、せめて。
古株なんだから。(w
240朝まで名無しさん:2007/07/24(火) 02:01:04 ID:IwzShbqq
下部構造は上部構造を規定する

いくらもっともらしいことを言っても、失業対策には勝てないw
ML主義こそが革命で一発逆転を狙う落ちこぼれのインテリの失業対策運動w
241tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/24(火) 02:25:09 ID:MzKAdVIK
>>240
モマイ、違うだろ。

天皇個人に帰趨させようと魂胆する戦前から続く共産党系(の階級的天皇論)に、
述語矛盾を気づかせてやってるだけだ。
242(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/07/24(火) 02:28:28 ID:tb9Pdl+v
意味不明
243朝まで名無しさん:2007/07/24(火) 02:48:33 ID:IwzShbqq
>>241
ML主義も国家社会主義もニューディール政策も結局は失業対策をカッコヨク言い換えてるだけだってw
244朝まで名無しさん:2007/07/24(火) 02:51:19 ID:IwzShbqq
穴掘って埋めろと言ったケインズは正直でよろしいw
245tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/24(火) 02:53:06 ID:MzKAdVIK
戦前の共産党の主張は、天皇制の打倒。
「農奴制的」の接頭辞を付けて、天皇制を否定した。

これは、階級史観の単純理解に端を発し、
あまり関係ないよな、と考えられる経済学部生をしり目に、
世相を呪いたい反治安分子には受け、勢力を一定には拡大した。
(格言「悪貨は良貨を駆逐する」)

しかしこれでは、タイでもサウジアラビアでも果てはイギリスでも、
政党として成立できない。
(イギリスの現代では例外的に、反王室を標榜する政党はあるが、
 誰もそこには投票してないような状態。)w

その失敗にいち早く気づいてたらしいのが野坂三蔵で、
戦後直後は世間を席巻していた共産党の指針として、
天皇問題に執着しないことを提言していた。

それでも2ch上の悪貨は、良貨を駆逐する。
具体的な一行の証明も無く、責任はあるだろうと宗教的心情だけで信じ込む。

・・・・・ごくろーさん!

???氏だっけか、個人的には、
冷戦で敗戦した責任こそとれよ、って意見にかなり賛同できる。

それこそ世界の各所に困窮をもたらし、大量の死者を発生させ、
さらに、粛正を含んで政治的自由の剥奪を行使させた元凶だからだ。
246tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/24(火) 03:03:43 ID:MzKAdVIK
>>243
>ML主義も国家社会主義もニューディール政策も結局は失業対策をカッコヨク言い換えてるだけだってw

かなり違うでしょ。
MLは、直接的な人民の管理を実現しながら、
経済施策を失敗すれば(初期の集団農業)、強制労働させられる存在にまで、
人間を落とし込んだ。

ニューディール政策は、失業対策を中心としながらも、
政治的権利(労働条件の良化)の付与に努め、貧しても自由という精神を育んだ。

国家社会主義(ドイツ)は、50%の失業率の解消が主目的で、
労働の集約を実現させる一方、機械化を意図的に遠ざけ、
やはり国家に奉仕する状態の人民を発生させた(やや後日談的だが)。

特に国家社会主義のケースは、公共事業一辺倒になって、
拡大するしかない、戦争するしかない、体制を形成した。

>>244
>穴掘って埋めろと言ったケインズ

それが無駄だと知ることになったのが、現代の日本の姿(財政破綻)。
247朝まで名無しさん:2007/07/24(火) 03:13:50 ID:IwzShbqq
>>246
Ml主義は労働価値説なんだから強制労働でも構わない。

>貧しても自由という精神を育んだ。
飢え死にする自由って奴かw
結局戦争を起こして軍事支出によるケインズ政策に突入する訳だが。


>それが無駄だと知ることになったのが
はて?200兆円を超える特別会計を放置しといて何を言ってるんだか
管理通貨制度なんだから無限にお札を刷れるからハイパーインフレーションでチャラ
100年毎にリセットすれば問題ないよw
248朝まで名無しさん:2007/07/24(火) 05:36:40 ID:V+6dxh+Q
toooと議論するのは、オームやエホバの信者と議論するのと同じ。
249朝まで名無しさん:2007/07/24(火) 09:25:34 ID:3+1j2khZ
>>236
戦史記録

大元帥である天皇の作戦指示は満州以降から出されていた
> 任せていたその態度
だのは大元帥として職務を真っ当しようと努力していた天皇への侮辱でだ
>日本の立憲主義観
軍の最高指導者である大元帥だった天皇像を、なんとしても誤魔化すための
印象操作にまんまと染まっているtoooこそ
不明を恥じるべきだろうね

>>237
> 欧米と渡り合いたくなかった
天皇は皇太子時代に、その目で欧州の繁栄を見ているんだ
近代工業化による国力差、日本のような明治以降の付け焼き刃ではない
歴史を踏まえた立憲君主制の重みを実感している
そんな実体験を持ちながら
まともな戦いをできれば避けたいと思い至れないとすれば
よほどの虚けだって話だろうに

>>238
天皇を日本統治に利用するという決定は、マッカーサー着任前から
占領政策計画の過程でなされていた
マッカーサーはそれを裏付ける「現地報告書」を求められ、それに沿う回答を示した
それを「責なしと認めたんだい」とか言いだしてしまうトコロが
toooの自慰的解釈の真骨頂

>>239
井上が記した時期には「東宮文書」は公開されてなかった
満州移民と爆発的拡大は、軍が計画し民を煽った事例である事も
すでに示したよな
250朝まで名無しさん:2007/07/24(火) 09:51:28 ID:3+1j2khZ
>>249追記
相手はtoooだったよな補完しとこうw

>そんな実体験を持ちながら
>まともな戦いをできれば避けたいと思い至れないとすれば
>よほどの虚けだって話だろうに
立憲君主としての己と、大元帥としての己
日記に残る、天皇の心情の揺れの根幹はここにある

で、前者としての判断より後者の判断こそが求められるのだと
心底実感したのが2.26でもあった訳で
大元帥である自分こそ、事態収集に当たれるのだという自覚を
はっきりと認識した、大きな転換点でもあった

大元帥である軍人天皇像に蓋をする、評価を避けようとする視点から
いーかげん脱して欲しいものだね
251tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/25(水) 02:32:18 ID:ypsGQo5W
>>247
>Ml主義は労働価値説なんだから強制労働でも構わない。

人類史的にも、極端な退行状態であることは間違いない。
(てか、最近は古代の「共産制」なる存在そのものが否定されまくり
 かつ古代の奴隷制も想像上の産物状態なんだが。)

>飢え死にする自由って奴かw

ニューディール下のアメリカの映像は、特に南部でひどく、
街道に沿って歩く黒人労働者の群れというのもあったと思ったが、
餓え死にするまでにはなってないと思った。
(極端に痩せた人が多かったのはその通りみたいけど。)

>結局戦争を起こして軍事支出によるケインズ政策に突入する訳だが。

それもまた結果論のような所があって、
ニューディールで好転しなかったアメリカが、
軍需への集中で経済を復活させ、戦後の世界を支配するまでになったのは確実でも、
長期戦となったベトナム戦争のツケが双子の赤字に反映されてるわけだし、
いずれ世界に対してその対価をきちんと払わなければならないでしょう。
自国を切り売りしてでも。

>管理通貨制度なんだから無限にお札を刷れるからハイパーインフレーションでチャラ
>100年毎にリセットすれば問題ないよw

んなことすれば、世界経済に波及すること必至だ。
結果、戦争の火種を与えることにもなる。
日本発のブロック経済化とそれによる経済摩擦を世界の各所に与えるわけにはいかない。
日本はアメリカのように愚劣であってはならないのだから。
馬鹿のウォールを馬鹿方面に超えるわけにはいかない。
252tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/25(水) 02:32:48 ID:ypsGQo5W
>>249
>軍の最高指導者である大元帥だった天皇像

もそっと具体的に述べられないんか?
てか、それって当時の国民が念願としていたことで、仮想でしかないだろ。

あんど、第二次世界大戦前に、戦争という手段の行使を全否定していた国家があったなら、
そっちこそ立証してくれへん?

てか、宅は眼を持ってない?
>>227
 裕仁天皇はつねに合法的に合慣例的に、機関説的態度に終始した。
 その局にあたる責任者の言をきいて自分のイニシアティヴをとらないという、原則をつらぬかれた。
 じつに、統帥権に関することがらについてすら機関説的態度に終始して、
 忠言暗示をあたえることはあっても、軍に関することは軍の責任者の言にきいた。

 軍は天皇の第二の性格(統帥権条項)を生かして自分のものにすることによって
 その目的を遂げることができたので、制度としての革命はついに行われず
 後者は前者の形式(重臣の奏請や議会の決議など)を通じて実現した。
 何よりも戦争の大きな圧力があって、すべては最後まで合法的だった。

>天皇は皇太子時代に、その目で欧州の繁栄を見ているんだ
>近代工業化による国力差、日本のような明治以降の付け焼き刃ではない
>歴史を踏まえた立憲君主制の重みを実感している

そりゃそうでしょう。あと海外渡航も多い貿易業者や、
アメリカに赴任したり指導を受けもさえしていた海軍の将校、
ここらへんは対米開戦を避けたかったのが本音。
253tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/25(水) 02:33:28 ID:ypsGQo5W
>>250
>立憲君主制の重みを実感
していたこと、それが、
>大元帥としての己

>心底実感した
>2.26
への決断を生んだ。

5・15とは違って、1400もの兵が決起したのが2・26事件だった。
軍部にもつながりがあって日本の右派だった政友会が
大きく議席を減らした(241→171議席)20日の総選挙から、1週間を待たない。

「国体破壊の不義不臣を誅戮」する、
「統帥権干犯の賊類を討つ」という決起の主旨に天皇が賛同し
その新しい親政的ポジションに就くことも可能だったわけだし、
それは比較的、簡単なことだった。

しかしそれはしなかった。
昭和初期から続いた政治テロ、それを一気に粉砕するべく行動した。
27日、鎮圧を命じても動こうとしない軍に怒りを露わにし、
自ら近衛師団を率いて鎮圧するとまで、天皇は声を荒げた。

>大元帥である軍人天皇像に蓋をする、評価を避けようとする視点から
>いーかげん脱して欲しいものだね

誰に向かって一点高?
ブーメランだよ、まるで。(w
254tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/25(水) 02:34:20 ID:ypsGQo5W
>>249
>天皇を日本統治に利用するという決定は、マッカーサー着任前から
>占領政策計画の過程でなされていた

ちゃんと証拠を提出してくんない?
アメリカ政府に都合の良いのは、戦犯として裁ける方向だろうに。

>マッカーサーはそれを裏付ける「現地報告書」を求められ、それに沿う回答を示した
>それを「責なしと認めたんだい」とか言いだしてしまう

あのな、丸2カ月弱もかかるかよ、宅のソーテーするケースで?

スターリンのように友軍ポーランド軍の将校数千名の虐殺を命じたわけじゃない。
特攻隊を命じたこともその発案すらもない。
軍の行使も最小限かつ効率的に行わせようとした。
しかもそれは当時の天皇の責務であり、「忠言暗示」でしかない。
イギリスの首相もアメリカの大統領も行っていたことでしかない。
しかしこっちはもっと直接的命令だったりする(ノルマンディー上陸を命じたアメリカ)。

証拠もなしに何が何でも冤罪つくりたいとなると、
シーソーゲームで反体制政党(例えば共産党)のポイントを高めたい輩か
自慰的満足感だけを求める悪徳刑事のようなハイエナでしかないな。

それとも、ついにペンペン草も生えなくなった全学連世代のハゲエナ?
お見事な後光が差しまくりなようで。(w
255(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/07/25(水) 06:42:17 ID:OhiEZTtL
>ちゃんと証拠を提出してくんない?
相変わらす頭の作りが単細胞だよなあ〜w
イラク戦争の米国政府を見ても分かるとおり、国家戦略ではあらゆるオプションを勘案し
最適と判断して方針を打ち立てる。米国では天皇の戦争責任を追及すべきとする世論が
メディアなどで取り上げられる一方、政府内ではグルーらの知日派が、「女王蜂論」によって
戦後統治に利用した方が占領政策を円滑に進められるとゆ〜意見もあった。そこで、
実際にマッカーサーが来日して占領政策を進める中で、グルーらの意見と同様の認識を
示したために方針として最終的に判断されたワケだ。そうした方針を受けて極東裁判は
オランダやオーストラリア、ソ連などの反対意見を封殺して天皇不起訴で勧められた。
こうした事実は、保坂正康などの戦史関連書籍で紹介されてるから読んでみろよ。
256朝まで名無しさん:2007/07/25(水) 12:37:08 ID:jsb/bEGn
>>252
昭和天皇はどこまでも立憲君主だったという印象操作から
いーかげんに、目覚めて欲しいものだね

>仮想でしか
大元帥である昭和天皇による戦略や作戦指示は
防衛庁戦史室・戦史叢書に記録され学術研究対象でもあり
研究書籍も存在する、これは以前にも繰り返し指摘したと思うがな

大元帥でもあった昭和天皇の実像を、とにかく隠したいという思惑により
その戦略や軍事思想が不当に低くどころか
まるで無かったかのように流布されていったのは、まさに捏造に値するとさえ思うね

>>253
>動こうとしない軍に怒りを露わに
彼らは逆賊であるとして
事件直後にすでに大元帥として指示を出しているよ
動かない軍に対し辛抱を重ねた結果的な印象操作も勘弁してくれ

>>254
資料日本占領

>アメリカ政府に都合の良いのは
アメリカは分割占領という事態をなんとしても避けたかった
そのためにも、占領統治を円滑に実施する最優先だった
むろん、SWNCC内部に天皇訴追は避け得ないという意見もあったが
それすら、占領政策の遂行に差し支えなければという前提付きだった
>丸2カ月弱もかかる
また、訴追を求める他の連合国側をなだめ
納得させるだけのネタを揃えるためにも、充分な現地調査の結果と言えるものに
しておく必要があった
257tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/26(木) 02:12:27 ID:1W4nFqyU
>>255 :(○´ー`○)はカワイイ 氏
>イラク戦争の米国政府を見ても分かるとおり

例えが卑劣的に悪すぎるし、アメリカの戦前と現代が
異口同音であるかのような愚劣さだ。

何がイラク戦争だ?
大量破壊兵器は持ってない、アメリカを唯の一度も脅迫したことすらない、
主権国家への侵害じゃねえか!
マイケル・ムーア監督が『華氏911』で指摘したことなんざ、
アメリカ人みんなの常識なんだそうだ。
(『ボウリング・フォー・コロンバイン』を含めて
 子供だましなそこを過大評価するじゃない、が一在日アメリカ人の意見。
 ただし、オイ的反論では、ブッシュ・サウジラインが
 イラクの石油利権を求めたことを敢えて指摘し、大統領と一国の政治を
 まとめて笑い飛ばしたことに最大の意味がある、と思う。
 「卑劣」を勲章化した映画だからだ。
 しかし庶民の頭上に爆弾が落とされ、女性や子どもに最大の犠牲が出た
 イラク戦争の現実をしっかりと映し出していた。
 世界に神が存在するなら、ブッシュ・ラムズフェルド・ネアンデルタール人の女史は、
 決して許さないだろう。
 このうち2名は、大量破壊兵器の存在を半年間もアメリカ議会に強弁し続け、
 ネアンデルタール人は、ありもしない「911テロとイラクの関連」を
 あたかも伝聞情報であるかのように吹聴しまくったからだ。
 ただし、ラムズフェルドはその形相からして、正しく悪魔の化身で、
 元々悪意と戦争災害を世界に及ぼすことが目的だったのかも知れないが。)

オイが言ってるのは、民主主義である限り世論の趨勢に同調してったほうが圧倒的に楽、
ってこと。
戦前、戦中、日本の敗戦後、アメリカ国内の知日派は少なかった。
ポツダム宣言は、原爆を落とすために日本の国体を不明確にしていたと思えるほど。
258tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/26(木) 02:13:08 ID:1W4nFqyU
ヒトラーやムッソリーニ、さらにはスターリンのような悪意のむき出しがあったなら、
昭和天皇も、アメリカの餌食にされていただろう。
ハワイ最後の女王のように。

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/003shoshi.html
グルーのシカゴ演説 1943年12月29日

 この演説においてグルーは、日本の軍国主義は徹底的に罰しなければならないが、
 戦後改革の際には、偏見を捨て日本の再建と国際復帰を助けるべきだと主張した。
 そして、天皇を含む日本国民を軍部と区別すべきことを強調し、
 具体例を挙げて、日本人の多くが友好的であり「羊のように従順」であることを論じた。
 またグルーは、神道は軍国主義者によって教条的に利用されたが、
 天皇崇拝という面は平和国家再建のために利用できると主張した。
 さらに、明治憲法は天皇に主権を与えているため、どの政党も国民主権を主張できない
 と指摘したうえで、憲法が改正され日本国民が十分な時間を与えられれば、
 日本に議会制度を再建し政党制度を確立することができるだろうと論じた。

 天皇制の存続と穏健な改革を提唱したグルーの論調は、国務省知日派の構想と類似していたが、
 こうした天皇制存置を訴えるグルー演説には、幅 広 い 層 か ら 反 発 が巻き起こった。

http://blog.goo.ne.jp/heywa/e/629b6f8af079fe71dae40fbf5c9b25ba
原爆が戦争を終わらせたのか(5)

 「無条件降伏」という言葉は、アメリカの南北戦争ではじめて登場したと言われています。
 ルーズベルトは日独に対する戦争で、この言葉を再び持ち出し、アメリカの世論を戦争へと煽ったのです。

 しかし、敗れた敵国にいっさいの権利も名誉も認めないこの言葉は、
 敵方の死にものぐるいの反撃を呼び、戦争の終結を送らせました。
 ヨーロッパ大戦の名将で、のちにアメリカ大統領になったアイゼンハワーは戦後、
 ルーズベルトが無条件降伏にこだわったために、ドイツの降伏が数ヶ月遅れ、
 そのため死ななくてもすんだ米兵が死んだ、と批判しています。・・・・・
259tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/26(木) 02:14:12 ID:1W4nFqyU
 グルーは1932年に駐日大使となって来日し、1941年の日米開戦まで日本に滞在していました。
 彼は日本の政治、軍事、文化、国民性をよく知っていました。
 と く に 昭 和 天 皇 が 日 米 戦 争 に 反 対 で あ っ た ことを知っていました。
 日本を愛するグルーは、アメリカの空爆によって
 東京をはじめ日本の大都市が焦土となりつつあることに強い衝撃を受けました。
 グルーは、戦争を早期に終結するために、立憲君主制の天皇制存続の保証と引き替えに日本に降伏を促す
 「対日宣言」を出すことを構想しました。・・・・・
 
 グルーの案文はスティムソン陸軍長官に手渡されました。
 やはり知日派でソフト・ピース派のスティムソンはグルーの案文をほとんどそのまま生かした案文を、
 ポツダムに向かうトルーマンに渡しました。
 ですから、この案文には天皇制存続を保証する文言が含まれていたのです。

 しかし、トルーマンに同行してポツダムに行ったのは、スティムソンではなく、
 ハード・ピース派のバーンズでした。
 そもそもトルーマンは、大統領になる前は、アメリカの国内政治家で、
 グルーやスティムソンのような広い外交的視野も日本に関する知識も有していませんでした。
 そういうトルーマンは、アメリカ世論の対日憎悪を体現するバーンズに
 完全にコントロールされることになりました。・・・・・

 ・・・曖昧化されました。「日本国国民が自由に表明する意思」ということであれば、
 国民の意思によっては天皇制廃止も可、ということになります。
 このことが、日本政府内で議論を呼び、結局、ポツダム宣言の受諾が遅れ、
 その間に原爆が投下されることになったのです。

>保坂正康などの戦史関連書籍で紹介されてるから読んでみろよ。

あのさ、保坂正康がどこで天皇の戦争責任なんか述べてるよ?
権威に頼りながら、冤罪つくろうとする卑劣な態度、もうやめへん?
260tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/26(木) 02:34:07 ID:1W4nFqyU
>>256
>大元帥である昭和天皇による戦略や作戦指示は
>防衛庁戦史室・戦史叢書に記録され学術研究対象でもあり
>研究書籍も存在する、

じゃあ、サクッと提示してごらんよ。
そっから対米戦にサンセーしてたって結論、導き出しておくんなさまし。

すべて開戦後の話でしかないだろ。(それは責務だってこと)

>動かない軍に対し辛抱を重ねた結果的な印象操作も勘弁してくれ

1日間は、軍は動かなかった、それは事実で史実。

261tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/26(木) 02:35:13 ID:1W4nFqyU
http://www.h-hasegawa.net/2.26jiken.htm
昭和史2・26事件の歴史観  長谷川 博

 昭和11年(1936年)2月26日 東京は昨夜から30年ぶりの大雪。
 26日午前5時過ぎ、岡田啓介首相官邸襲撃(岡田は私設秘書と間違えられ一命が救われる)、
 斉藤実内大臣私邸(射殺)、渡辺錠太郎教育総監私邸(射殺)、高橋是清大蔵大臣私邸(射殺)、
 鈴木貫太郎侍従長官邸(重症)、後藤文夫内相官邸(不在)、牧野伸顕元内大臣別荘(脱出)。

 殺害された重臣や警官、9人。クーデターに動員された兵1400名という前代未聞の大規模なクーデター。
 陸軍省、参謀本部、そして警視庁も決起軍に占拠され、朝日新聞も襲撃。・・・・・

 8時半頃、青年将校たちが最も信頼し首相にしたいと考えていた真崎甚三郎大将が陸相官邸に来る。
 磯部は「閣下、統帥権干犯の賊類を討つために決起しました」と報告。
 真崎は「とうとうやったか、お前たちの心はヨォッわかっとる。ヨォッわかっとる。」と語る。

 9時30分。川島陸相、天皇に拝謁。青年将校たちの行動を説明。決起趣意書を読み上げる。
 天皇は、不快感をあらわにし「陸軍大臣はそういうことまでいわなくてもよい。
 それより反乱軍を速やかに鎮圧する方法を講じることが先決要件ではないか」と申し渡した。

 10時。真崎、伏見官軍令部総長邸訪問。伏見宮宮中へ。
 天皇に会い真崎の言葉を自分の言葉として上申。
 これに対し、天皇は川島にいったと同じ内容をより厳しく繰り返した。

 翌27日。天皇が「鎮圧」と命じても事態ははかばかしく動かなかったので、
 側近たちに怒りを剥き出しにして叱り、
 ついに「朕自ら近衛師団を率い、鎮定に当たらん」とまでいいはじめる。

 青年将校たちは、決起部隊の討伐があるという噂を知るが、御聖断を待っていた。
 28日午前5時8分。ついに「奉勅命令」が下達された。
 反乱軍は原隊に返れという命令である。現状のままでは逆賊になるという命令である。
 しかし、命令は直接届いていなかった。
262tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/26(木) 02:36:49 ID:1W4nFqyU
 命令から18時間後「反乱軍」は命令に背いたとして討伐命令が下された。
 戒厳司令部、攻撃開始を29日午前9時と決定。
 29日。討伐軍行動。飛行機ビラ撒き。「下士官兵に次ぐ」ラジオ放送。決起部隊原隊に帰る。・・・・・

宅の冤罪への情熱的加担こそ・・・勘弁して欲しいY!

>アメリカは分割占領という事態をなんとしても避けたかった

それは史実と一致する。
ただし、「占領統治」を優先させたというのは、
マッカーサーが名目としたことで、本国が意志を強力に露わにするなら、
廃するという方向があったことも事実だ。

結局、親日派のグルーが看破していたように、
対米開戦の意志が昭和天皇には希薄だったことが大きい。

結果論からの組み立て、かつ抽象論の展開、ごくろーさん!

いずれにしたって、2・26への処断を熟視すれば、
立憲君主たろうとした昭和天皇像しか出てこないのは明白なんだが。
263朝まで名無しさん:2007/07/26(木) 04:37:58 ID:cMPyysv1
ファンというのは誰のファンでもそうなんだろうけど、昭和天ファンもよく
調べてるなあ。だけどなんで昭和天皇の名を叫んであれだけみんなが死んだ
のに、自分だけいつまでも生きたの? 良心の呵責というか、死んでいった
者に哀れみと責任みたいなものは感じなかったのかな? アメリカかなにか
が天皇の戦争責任は問わないと言ったのかどうか知らないけど、自分自身の
心の問題としてさ。
264朝まで名無しさん:2007/07/26(木) 08:13:07 ID:cG1pjUpn
天皇曰く、
「若し、私が戦争に反対したり、平和の努力をやっていたらならば、国民は
 私をきっと精神病院か何かに入れて戦争が終わるまでそこに押し込めて
 おいたにちがいない。」

天皇は、「戦争を避ける為に考えられるだけ考え、打てる手は悉く打った。」
 と、言ったのは嘘であったことを自ら語っています。

 この天皇は言い訳だらけの、無責任、無神経、無能のクズと言う外ない。
265(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/07/26(木) 10:00:03 ID:ImsZTpnp
>>257
>例えが卑劣的に悪すぎるし、アメリカの戦前と現代が
>異口同音であるかのような愚劣さだ。
相手の論旨を把握できない、トンチキなレス乙。
オレがイラク戦争の米国政府の動向を例示したのは、政府が大きな決定を下す場合
可能なあらゆるオプションを勘案して決定を下すとゆ〜事実を示すためだ。
事実、日本への占領政策に対して天皇を戦犯として裁くべきとゆ〜意見とは別に
グルーら知日派は天皇を利用すべきとする「女王蜂論」で反対した。
同様にイラク戦争に対してはラムズフェルドらの開戦派に対して、パウエルら国務省は
慎重な態度を示して対立したのは周知の事実。

>あのさ、保坂正康がどこで天皇の戦争責任なんか述べてるよ?
ああ、そう受け取ってるのか・・・w
保坂は当時の米国政府の動向を歴史の事実として書いてるだけなんだが。

>権威に頼りながら、冤罪つくろうとする卑劣な態度、もうやめへん?
だから、権威云々ではなく、事実を確認するためには歴史家の書籍が教えてくれるって意味で
読んでみろと(親切心から)勧めてるだけ。本人が事実を知る意志がないなら別に構わない。
一生知らぬままアホで間抜けなコトを考えてればいい。
少なくともオレの発言は、オマイが常に使う的はずれな長文引用よりは全然マシだと思うぜw
266朝まで名無しさん:2007/07/26(木) 11:40:26 ID:XIC9kBTq
>>260
「昭和天皇の軍事思想と戦略」
研究書籍だから捻りも何もないタイトルだけどね
昭和天皇は生粋の軍人でもあった
戦争という手段でなく、日本の経済や軍事力の維持拡大が行えるなら
それに越した事はないと考えてはいたるが、手段としての戦争を忌避した事は一度もない
明治以降、戦争による戦果によって領土を拡大し国力を増大させていった
祖父である明治大帝こそ理想の君主像としていた以上、むしろ当然の意識だった

>軍は動かなかった
だからといって、見かねて指示を出したんだい、なんて嘘を広めるのは勘弁して
で、>>261参考書籍は、「本庄日記」と甘露寺受長「背広の天皇」
事件勃発直後の26日午前5時40分頃
宮内省と内大臣邸からの電話で事件を知った当直侍従だった甘露寺受長が
すぐに天皇を起こし事件を知らせている
午前6時に本庄侍従武官長が天皇に事態報告をした時点で
天皇は大元帥の軍装を着用し「暴徒ノ鎮圧」を指示している
で、午前9時になってかけつけた陸相川島に対して
鎮圧の厳命をくだしている

つかマジ、参考書籍の質から見直した方がいいだろうね

>>262
マッカーサーは所詮軍人だよ、敢えて強権があるようにふるまい見せかけていたが
占領政策の基本はすべてアメリカ本国が決定していた

2.26への対処は、言い訳の余地のない大元帥の強権発揮だったからこそ
それを誤魔化す必要があったって事だね
267tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/31(火) 00:18:09 ID:mThGi9PZ
>>263
>昭和天ファン

別に昭和天皇のファンじゃないので、あしからず。

一括りにはできないが、国旗国歌の「強制ということがないように」
と言った今上天皇といい、太平洋戦争の開戦に抗っていた昭和天皇といい、
全体を見渡せるポジションにいた人は、
ひと味ちゃうし、一味にならないな、って思ってるってこと。

>だけどなんで昭和天皇の名を叫んであれだけみんなが死んだのに

昭和天皇の名を叫んだ?
映像資料のどっからも「ヒロヒト〜!」なんて・・・聞いたこともないぜ。
そんなやつ居るんか?・・・・・おらんだろ〜!

>名を叫んであれだけみんなが死んだのに、自分だけいつまでも生きたの?

つまりモマイは、肉親が臨終の際にあってモマイの名を呼んだとき、
後追い自殺しようと思ってるのだな。
・・・・・やめとけ、下らんことは!(w
268tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/31(火) 02:03:17 ID:mThGi9PZ
>>265 :(○´ー`○)はカワイイ 氏
>オレがイラク戦争の米国政府の動向を例示したのは、政府が大きな決定を下す場合
>可能なあらゆるオプションを勘案して決定を下すとゆ〜事実を示すためだ。

これって嫌韓厨が日韓併合の正当性を言うときにもよく用いるパターンだよな。(w
日本は併合したくはなかったが頼みこまれたんだ、朝鮮に、と。(w

>日本への占領政策に対して天皇を戦犯として裁くべきとゆ〜意見とは別に
>グルーら知日派は天皇を利用すべきとする「女王蜂論」で反対した。

ホントのところは、ポツダム宣言受諾前には強硬に無条件降伏を迫ってたわけで、
なおかつ、当時の日本人にあった天皇崇敬観を尊重しようとする親日派の意見は
完全に退けられていた。(>>259
原爆が使用されたのもこれに因るわけ。
(戦後日本をまやかし続けたという、歴史文化を大事にするアメリカは
 京都への原爆投下を見合わせた、という情報も、その後虚偽に過ぎないことが判明した。
 原爆投下候補地として、京都が一度も削除された事実がない、という証拠とともに。)

なので、知日派の意見が通って天皇は占領統治に利用される存在となった、
と言いたいのなら、アメリカ本国の指示文書でその手の物が発見されないと駄目。
(すべて公開済みwww)

むしろ露見している指示文書はまったくそれとは逆の、
戦犯の証拠を挙げよ!、という性格の物なんだから、宅の具申はもろに却下!

>パウエルら国務省は慎重な態度を示して対立したのは周知の事実

あのさ、カワイイ氏って、引退間際で教授職が約束されてる人がさ、
大量破壊兵器は皆無、隣国との戦闘能力もありはしないってイラク戦争の真実を
無視すると思ってるほどアホウだっけ?(w

その他、悔し紛れの捨て台詞は読まなかったことにしといてあげる。(w
269tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/31(火) 02:56:13 ID:mThGi9PZ
>>266
>明治大帝こそ理想の君主像としていた以上、むしろ当然の意識だった

で、それのどこに問題が?(w

>事件勃発直後の26日午前5時40分頃
>宮内省と内大臣邸からの電話で事件を知った当直侍従だった甘露寺受長が
>すぐに天皇を起こし事件を知らせている
>午前6時に本庄侍従武官長が天皇に事態報告をした時点で
>天皇は大元帥の軍装を着用し「暴徒ノ鎮圧」を指示している
>で、午前9時になってかけつけた陸相川島に対して
>鎮圧の厳命をくだしている

午前9時とは30分の隔たりがあるけど、上記と下記に何の矛盾がある?
  ↓
 >9時30分。川島陸相、天皇に拝謁。青年将校たちの行動を説明。決起趣意書を読み上げる。
 >天皇は、不快感をあらわにし「陸軍大臣はそういうことまでいわなくてもよい。
 >それより反乱軍を速やかに鎮圧する方法を講じることが先決要件ではないか」と申し渡した。
 >10時。真崎、伏見官軍令部総長邸訪問。伏見宮宮中へ。
 >天皇に会い真崎の言葉を自分の言葉として上申。
 >これに対し、天皇は川島にいったと同じ内容をより厳しく繰り返した。
 >翌27日。天皇が「鎮圧」と命じても事態ははかばかしく動かなかったので、
 >側近たちに怒りを剥き出しにして叱り、
 >ついに「朕自ら近衛師団を率い、鎮定に当たらん」とまでいいはじめる。
 >青年将校たちは、決起部隊の討伐があるという噂を知るが、御聖断を待っていた。
 >28日午前5時8分。ついに「奉勅命令」が下達された。
 >反乱軍は原隊に返れという命令である。現状のままでは逆賊になるという命令である。
 >しかし、命令は直接届いていなかった。
 >命令から18時間後「反乱軍」は命令に背いたとして討伐命令が下された。
 >戒厳司令部、攻撃開始を29日午前9時と決定。
 >29日。討伐軍行動。飛行機ビラ撒き。「下士官兵に次ぐ」ラジオ放送。決起部隊原隊に帰る。・・・・・
270tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/07/31(火) 02:57:45 ID:mThGi9PZ
宅に提示していただいた、
>午前6時に本庄侍従武官長が天皇に事態報告をした時点で
>天皇は大元帥の軍装を着用し「暴徒ノ鎮圧」を指示している
なんて、
昭和天皇が間然とする隙もなく敢然と判断していた、良い実証じゃないの!?

相次いだ政治テロへ業を煮やし(そのうち4年前の5・15は
 国民100万人の減刑運動がくりひろげられたことも記憶に新しい時代)、
立憲君主制の政体を守るべく行動しようとしたという。

>2.26への対処は、言い訳の余地のない大元帥の強権発揮

どうして逆立ちさせるのかな?
変態的なラーゲがお好み?(w

じゃあ、どうすれば良かったわけ?
鎮圧するもしないも軍に任しちゃうわけ?
なら、軍が支配する状況が一段と早まっちゃうじゃない?
前年の12月に抗日運動は中国の民衆レベルにまで拡まり、2・26のあった年に、
中国共産党が国民党へ抗日呼びかけの第一声があったんだからね。
2・26を鎮圧しなかったら、日中戦争も一気に拡大してんだよ。
中国へ進軍一辺倒になるのは火を見るより明らかなんだかんね。

逆に鎮圧せず、2・26の将校の求めに応じて
親政的政体にすることも可能だっただろ。

日本国民のためと反対方向に用いたなら、糾弾すべき事でも、
国家国民のための立憲政体を守備しようとしたことなら、
誰も批判のしようがないだろ!
ハッキリ言って、共産党系だけだぞ!
コジツケの理屈で、「独裁者的」と勝ち誇ってしまう万年猿わっ!(w
271朝まで名無しさん:2007/07/31(火) 07:49:39 ID:21UYDbQp
レースが終わってから、やっぱ4−8だと思ったんだよな、って言うことはどんな
馬鹿にだってできる。「銃剣や武器で恒久平和が確立されるとは思えない。平
和の問題を解決するには勝者も敗者も軍事力に頼らず自由な諸国民の協調によっ
て達成されるであろう」。そんな当たり前のことを、何百万も自国民を死に至らし
めたのちでなければわからないようなDQNを頭に置いて戦争なんてしてんだか
ら、勝てるわけなんかないやなあ。
272朝まで名無しさん:2007/08/01(水) 04:13:41 ID:38u9f/bO
     ::|
     ::|    _,___
     ::|   /   __`ヾ),_   ≡三< ̄ ̄ ̄>
     ::| /〃 (⌒゛`ヾv"ヽミ、     .≡ ̄>/
     ::| i / /´ _ニ=-=ニ .i l|  ≡三/ /
     ::| | 彳  〃_.   _ヾ!/   ≡/  <___/|
     ::| | _ !"  ´゚`冫く´゚`l  ≡三|______/
     ::| (^ゝ "  ,r_、_.)、 |
     ::| ヽ_j   、 /,.ー=-、i リ
     ::| __/\_ "ヽ  ^ )ソ__   <Как для меня мы любим съесть экскремент.
     ::||ロ|ロ|   ー--ィ´|____  Оно молодо, раскрывающ сексуальные органы женщины,
     ::|:|ロ|ロ|_____/ロ|ロ|ロ,|`ヽ  до тех пор пока оно не умереть, мы хотел было бы вылизать.
     ::| |ロ|旦旦旦旦旦/ロ/ロ|旦,ヽ
     ::|ロヽ 旦旦旦旦旦./ロ,/|::旦旦)
     ::|ヾ旦旦旦旦旦旦,,,/::::|、 旦旦|
273朝まで名無しさん:2007/08/01(水) 14:51:15 ID:MjJbGcZf
>>269 >>270
昭和天皇は敗戦になって以降、占領政策のための
あるいは国内勢力の天皇保存のための外的圧力がかかるまで
自らを欧米と同様な立憲君主であるなどと思ってもいなかった

陸海の軍隊を統率し、覇権をもって国威を高める大元帥である事を
しっかりと認識していたという事だね
で、2.26の事件を知らされた瞬間から
躊躇いなく当然の事として、大元帥としてふるまい粛正を命じた
>軍が支配する状況 を
確立し、その権力発揮に墨付きを与えていたのが大元帥であった
天皇は単なる立憲君主ではなく
軍を統率し、強権を発揮できる唯一無二の大元帥でもあった事を
toooが理解できればおkだよ

つかなぁ、このスレで天皇のみに責があったなどと言う者がドコに?
tooo一人が、天皇だけは真っ白だと主張しようとしているのだと
気づいているのかな?

ま、toooの参照にした>>261
天皇の道義的責任についてあったと指摘してるじゃん
toooの、あくまで立憲君主としてしか解そうとしない
その異常な庇い立ては見直すべき時だと思うよ
274(○´ー`○)はカワイイ ◆cwkQcZxsX6 :2007/08/02(木) 08:26:00 ID:V5hzcBOW
>>268
>これって嫌韓厨が日韓併合の正当性を言うときにもよく用いるパターンだよな。(w
>日本は併合したくはなかったが頼みこまれたんだ、朝鮮に、と。(w
「政府が大きな決定を下す場合可能なあらゆるオプションを勘案して決定を下すとゆ〜事実」に
対するレスとしては不適切。つうか、なんの関連性もないし。

>ホントのところは、ポツダム宣言受諾前には強硬に無条件降伏を迫ってたわけで、
>なおかつ、当時の日本人にあった天皇崇敬観を尊重しようとする親日派の意見は
>完全に退けられていた。(>>259
これも論外。戦後統治を知日派が天皇を利用すべしとした意見を退けたとするには
根拠として希薄すぎる。米国政府は特に極東委員会の存在があったために、決して
フリーハンドを持っていたワケではなかった。戦後統治の方法については様々なオプションを
勘案して時局に対処してきた。

>むしろ露見している指示文書はまったくそれとは逆の、
>戦犯の証拠を挙げよ!、という性格の物なんだから、宅の具申はもろに却下!
何を言いたいのか意味不明。
そもそも極東裁判開廷は既定路線なのだから、「戦犯の証拠」が求められるのは当然。

>あのさ、カワイイ氏って、引退間際で教授職が約束されてる人がさ、
>大量破壊兵器は皆無、隣国との戦闘能力もありはしないってイラク戦争の真実を
>無視すると思ってるほどアホウだっけ?(w
これも意味不明。オレはイラク戦争の正当性に関してレスしているのではなく、あくまでも
政府が意志決定をする際には様々なオプションを用意するものである事例として、
開戦に至った経緯を示している。イラク戦争の是非論など語っていないんだがw

つうか、毎度の論旨ずらしはtoooお得意のバカ手法だから、何を今更だけどな。
275朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:20:09 ID:87aQoDVF
>>271
>「銃剣や武器で恒久平和が確立されるとは思えない。
> 平和の問題を解決するには勝者も敗者も軍事力に頼らず
> 自由な諸国民の協調によって達成されるであろう」

これってマッカーサーと会う数日前に、昭和天皇が外国人記者に語ったことだろ。(>>1

テレ朝はこれを報道することで、9条問題について護憲的方向へと考える機会を与えた。
それが報道の主旨。
なのに、宅はひどくいびつに歪み杉。(w

日本国憲法前文と9条で表明された日本の国家意志が、平和主義を本分としていて、
そこに上記の昭和天皇の意向が強く影響を与えただろうことは、>>1の見立ての通りだろうけど、
それを敗戦の結果と卑下するには当たらない。

そこには新たに始まる占領下の日本国民を心配する心の作用が存在するからだ。
占領軍は武器を携え乗り込んできてるわけだが、
そこへの牽制の意味合いもあっただろうことを推察できない宅って・・・・・OTL

そして2点。
>そんな当たり前のことを、・・・・・

当たり前になってっか?
イラク戦でも州兵だったりしてる若者に派遣命令が下されイラクに飛ばされる。
敵兵かイラクの一般市民か判別できない中で、テロや狙撃に遭い絶命していく。
(ベトナム戦争時、ゲリラと農民を区別できないアメリカ軍兵士は、
 ジャングルへ向け無差別発砲を繰り返したり、無辜の農民を
 ゲリラと誤認して殺害するケースが多かったのだそうだ。
 それでも上官は許容した。
 「死んだベトナム人は解放戦線兵士だと思えばいい」との助言付きで。
 [以上、『そうだったのか!現代史』池上彰著より])
276朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:20:55 ID:87aQoDVF
パナマ侵攻とパナマ運河の従属的な運営決定もあったわけだし、国権としての戦争を
世界中のどの国家も手放してないのが現実なんだよ。
(集団的防衛体制を確立中のEUだって、
 国家や民族単位で守ろうとする個別的防衛権まで捨象したわけではない。)

>レースが終わってから、やっぱ4−8だと思ったんだよな、って言うことはどんな
>馬鹿にだってできる。

結果論を云々してるのは完全にオマエのほうだ!

憲法9条第2項は、国民という主権者を最終的に守らない宣言であると考え、
改正すべきだと頑強に思うオイでさえ、それが創出された時点での
日本が置かれていたポジションと、選択肢には平和主義しか残されていなかった、
痛切な状況は理解できる。

>勝てるわけなんかないやなあ。

勝てると僅かでも思っていたのは、陸軍首脳ぐらいだ。
しかしそれでも、アメリカへの占領などといった発想すらなく、
タテマエ上だけの勝利だっただろうことは疑う余地が少ない。
結局のところ日本は、アメリカに対して矜恃を示そうとしただけだ。
277朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:21:44 ID:87aQoDVF
よーするに、すでにヨーロッパへの参戦を決意していたアメリカから提示されたハルノートで、
1.フランス領インドシナから撤兵
  ・・・・・当時のフランスはナチス公認のヴィシー政権で、日本軍の駐留を許可していたが。
2.中国からの完全撤兵
  ・・・・・満州国は遡ること14年前の1932年にできちゃってたが。
       国際社会で満州国を是認したのは、ドイツ・イタリアや東欧諸国の枢軸国と
       タイや中国の王兆銘政府という明らかな親日国を除外しても
       自由インド政府・スペイン・デンマーク・ポーランド・バチカン市国だったりなんだが。
       なのにハワイと来たら、当のアメリカ議会や民主党の大統領も併合を承認しなかったほど、
       無茶苦茶ないきさつで併合されちゃってるんだが。
       http://moritagen.blogspot.com/2007/03/blog-post_09.html
3.中国の租界における日本権益の放棄
  ・・・・・自分つまり英米の権益について放棄することへの言及も発想も皆無なんだが。
       これを呑むことは、完全に屈服することだと多くの日本人は考えた。
4.日独伊三カ国同盟の廃棄
  ・・・・・これについては近衛・松岡ラインで決定されてしまったことなので、
       また松岡の皮算用はソ連も含めた4カ国同盟にあって
       ヒットラーの意志から考えておおよそ実現不可能なので、従っても良かったが、
       ほいほいと外交政策を転換する国家はないことと、
       加えてアメリカが過剰にドイツを敵視しなければ起こりえない提案だ。
       (ヒットラーのユダヤ人殲滅計画は、このとき未だ明らかではなかったことに
        注意しなければならない。
        ・・・・・アウシュビッツが知られることになったのは、戦争末期以降。)
と、日本が呑めなそうな条件のすべてが書き連ねられていた。

278朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:22:46 ID:87aQoDVF
しかも、これを日本が呑んだ場合にアメリカが石油を供与するといった交換条件の提示もない。
戦前の日本の化学工業生産高は、全工業生産の5割を完全に超えていた。
石油がなければ、軍の維持が出来なかったとは良く言われる通史だが、
それだけで済むわけもないことは、アメリカに召還されたマッカーサーが
「1千万人の失業者」と看破したとおり。

「(日本がその8割をアメリカに依存する石油輸入のための)交渉の再開」という、
仮に日本が条件をすべて呑んだと仮定しても、ずっーーーっと引き延ばせる、
あるいは結局日本に供与しなくても構わないことが書かれていた。
つまりアメリカには譲歩する気持ちが、毛頭一本の毛ほどもなかったということ。
化けの皮がはげちょびれだった。

日本がこれを、アメリカからの「最終通告」と受け取ったのも無理はない。
すでにルーズヴェルトは、1939年から始まった第二次世界大戦に
アメリカが参戦することに完全に照準を合わせていた。

アメリカ軍は40年7月にはイギリス海軍に協力して、
ドイツに降伏したフランス海軍に攻撃を加えていたが(カタパルト作戦、フランス兵戦死者千名以上)、
本格的な長期戦への参戦を実現するには、議会の承認と
それを後押しする合衆国市民の積極的同意が必要だった。

1941年度のアメリカの軍事予算は、前年の9倍を超えた。
同年3月に武器貸与法が議会を通り、大規模な武器の生産を開始したためである。
(議会はヨーロッパにおけるアメリカ資産の心配はしていた。
 ただし市民レベルでは、第一次世界大戦後の経済破綻への嫌悪から忌避する傾向が強かった。
 こうしたアメリカの孤立主義の傾向を、
 相互不可侵をヨーロッパに求めた第5代大統領の名にちなんでモンロー主義と呼ぶ。
 最終的に国連を無視する姿勢を堅持していることから、未だにモンロー主義ではないか?
 というアイロニーはよく囁かれるところだ。・・・大国主義ってこと。)
279朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:23:18 ID:87aQoDVF
8月、日本軍のフランス領インドシナへの進駐に直ちに呼応し、対日石油輸出を完全停止した。
(それより過去にルーズヴェルトは言っていた。
 「日本が三国同盟から離脱し、南進もせず、中国と泥沼戦争をつづける枠内で、
  必要最小限度の石油を供給する」。
 アメリカが中国のために行動した、それが太平洋戦争を招いたとする歴史判断は間違いである。
 アメリカは中国へ援助する一方、本来戦争当事国への石油輸出はできないはずが、
 日本が「事変」と称するのを良いことにして日本への石油供給を維持したからである。
 そうする一方、中国への援助には強く条件が付けられていた。
 曰く「対日戦を継続すること」。
 アメリカが期待していたのは中国の市場にあって、中国人ではなかった。)

10月、日本が真珠湾の調査を命じた暗号電文を解読し、アメリカ政府に報告されたが・・・・・

   米国は日本の暗号通信(外交暗号)を解読しており、日本が戦争準備に入っていることを知っていた。
   ただ攻撃がどこを目指しているのかわからなかった。
   ルーズベルトは11月下旬、ハワイ、グアム、フィリピンの米軍司令官に戦争警告を発していた。
   その警告にはこうあった。
   戦争が避けられない状況になった場合、日本がまず好戦的行為にでることが望ましい
   (アメリカ・ハイスクール用歴史教科書『ジ・アメリカンズ』 産経新聞ワシントン 前田徹訳)

インディアンをネイティブ・アメリカンと認め、黒人奴隷の過去を反省し、
メキシコ人英雄のアメリカ軍兵士虐殺にまで理解を示し、ベトナム戦争時の自国兵士の暴虐を自己批判し、
太平洋戦争についても双方の事情を記述するほど客観性を誇るアメリカの教科書でさえ、
「攻撃がどこを目指しているのかわからなかった」と曖昧にする。
(原爆の記述も、日本がすでにポツダム宣言を受諾する意向だったことから
 その不要性を表記した歴史教科書は唯一のみ!だけ!)
280朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:23:50 ID:87aQoDVF
そのアメリカは、核戦争まで想定された冷戦のなかで、
自国兵士を原爆実験地に直ちに投入するという無謀を冒し、たくさんの被曝兵士を創りあげた。
イラク従軍で戦死した兵士への見舞金は日本円にして約300万円だった。
しかしそれもブッシュ大統領は、大きく減額させた。
第二次大戦やベトナム戦争に従軍した兵士への恩給とともに。

アメリカは今や、テロ予防の名目で電話通話やメールの会話内容を調べられることを許容した。
図書館で借りた本、その思想傾向まで取りざたされて調査されている公安国家だ。
年寄りしかいないような穏健な市民活動にさえ、警察官がスパイとして乗り込み公務する。

イギリスは戦後に気象兵器の開発に着手し、その失敗による洪水で田舎の町が壊滅に瀕したが、
そうした実験をしたことさえ記録から抹消した。
(それが明らかになったのも、同種の兵器をアメリカがベトナム戦争で使用し、
 北ベトナムからのルートを豪雨で寸断した成果が報告され、
 もともと農業のためと発案した科学者が想定外の武器使用の事態に徹底的に抗議した結果だ。)

さて、
>「銃剣や武器で恒久平和が確立されるとは思えない。
> 平和の問題を解決するには勝者も敗者も軍事力に頼らず
> 自由な諸国民の協調によって達成されるであろう」
とインタビュアーに答えた昭和天皇と、戦勝国、
そのどちらが本当の愚か者だったのかな?
281朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:37:52 ID:87aQoDVF
>>273
昭和天皇は、
>軍を統率し
ていたと言えるレベルじゃないだろう、断じて。

>ま、toooの参照にした>>261も・・・・・

宅が喜々として意趣返ししてるそれを、ちゃんと読んでみろよ。

http://www.h-hasegawa.net/2.26jiken.htm
 軍の発言権が強まった原因は、満州事変(昭和6年、1931年)である。
 それに火をつけたのは張作霖爆破事件(昭和3年、1928年)である。
 いづれも関東軍の佐官の暴走である。
 これに対し、政府も軍中央部もなす術が無く内閣が潰れている。
 さらに、政治家の暗殺がある・・・・・

 選挙権を持たない軍人を統制できなかった政党政治家は暗殺を恐れた。
 そして、当時若かった天皇には実質的に軍部を抑えるだけの力がなかったものと思われる。

太平洋戦争もそうだ。
非戦をあからさまに口頭にし、また「毒を以て毒を制す」の東條英機に対して
開戦せずを厳命しながら、立憲君主として臣下に任せすぎていたために、
臣下たちは、自国兵士の一部を犠牲にしてでも開戦させたいルーズヴェルトの術中に
まんまと嵌っていった。
282朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:38:22 ID:87aQoDVF
(ハル・ノートが、交換条件なき一方的命令であったことは、誰の目にも明白だ。
 これを呑んでいたと仮定しても、日米の衝突は一時的に回避できて、
 ドイツが単独的に悪者になるだけの話で、
 製造品の消費地だけではなく資本の投下地まで求める日米両国間の相克に、
 終止符が打たれるわけもない。
 日米が協調して中国の植民地化を進行させるというトンデモな意見もあったが、
 それではアジア全域の解放が進むわけもないので、
 日本以外は欧米の直轄地という最悪の構図の中で、
 決してかなえられない独立運動の死者の山を築き上げてるのが、関の山だ。)

>軍を統率し
ていたように思えてしまうのは、日中戦争の長期化が日本をして翼賛体制を整えさせ、
一律的な軍国が完成してしまったからでしょう。

>toooの参照にした>>261
>天皇の道義的責任についてあったと指摘してるじゃん

http://www.h-hasegawa.net/2.26jiken.htmの考える責任は
もともと責任を問えない性格のものだ。

 ここですこし天皇制について私見を述べたい。
 私は、明治憲法の天皇は天皇機関説が正しかったと思っています。
 伊藤博文が明治憲法を作った。天皇が主権を持っているが実際には天皇は動けない。
 天皇の名において明治時代には元老、大正から昭和にかけては政党(衆議院)が動くシステムが
 天皇機関説です。
 2・26事件当時の岡田内閣は、天皇機関説問題で大きく揺らいだ。・・・・・
 3月23日、民政党寄りの岡田内閣を倒そうと政友会は衆議院で、天皇機関説の否定決議をし、
 天皇親政派に加担してしまった。
 10月15日、広田弘毅政府は親軍的性格を余儀なくされ、日本の国号が「大日本帝国」となっていった。
283朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:38:55 ID:87aQoDVF
ところが、
 2・26事件に影響を与えた北一輝は、・・・・・
 さらには日本での左翼運動に対し、右翼には理論が無く右翼のリーダ大川周明などに担がれ、
 「日本改造法案大綱」で反抗した。
 北の理論は、天皇大権を発動して3年間憲法を停止し両院を解散、戒厳令を布くというもので、
 国家社会主義構想で私有財産の制限等自由主義経済を否定している

その北一輝を、
完全にとばっちりだったとはいえ教唆煽動した者として裁いたのだから、
立憲的君主制の政体を天皇が率先して維持しようとした、
それの司法への強い反映だったと考えるのが自然だ。

じゃあこのとき国民の動向はどうだったかといえば、
血盟団事件の30万人、5・15の百万人、のそれぞれ減刑助命嘆願運動が起きてるわけで、
2・26の時の世論がよく解らないのは、ひとえにただちの戒厳令のせいと認識できる。

http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode19.html

 さて、二・二六事件が起こると、決起を事前に聞いていた真崎は、大喜びの英雄気取りであった。
 陸軍の主導権は真崎らが握り、反乱を賞讃するともいえる陸軍大臣告諭が出された。
 翌日戒厳令が出されると、反乱部隊は戒厳部隊へ編入、つまり政府軍となり、クーデタは成功したかに見えた。
 反乱軍の要求は、真崎を首相にし、処理を一任するというものとなった。

 しかし、真崎らの思いもかけなかった事態が起こる。

 側近を殺された昭和天皇が激怒し、鎮圧を厳命したことである。
 昭和天皇が「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは真綿にて朕が首を締むるに等しい行為である。
  朕自らが近衛師団を率いて鎮定に当らん」と言った話は有名である。
 海軍も連合艦隊を東京湾に集結し、反乱に対決する姿勢をとった。
 政財界や世論も味方せず、29日になって陸軍は一転して「反乱を鎮圧する」という姿勢に変わった。
 ・・・・・
284朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 03:40:37 ID:87aQoDVF
 ラジオでも中村茂アナウンサーが、「兵に告ぐ、今からでも遅くないから原隊へ帰れ。そうすれば許される」
 という感涙窮まるアナウンスを流した。「今カラデモ遅くない」は流行語となった。
 事件後、統制派は陸軍の実権を握り、粛軍の名のもとに反対派を追放するとともに、組閣人事をも左右し、
 国家総動員体制の構築へと向かっていくこととなった。
 事件の中心となった17名は死刑となった。ところが真崎は裁判の結果、無罪となる。
 代わりというべきか、クーデタには明らかに直接関与してはいない北一輝らが死刑となった。
 責任が陸軍の上層部の者に及ぶことはなく、事件は処理された。

 一連の出来事を見て、為政者の危機管理能力の乏しさや無責任主義を責めることは簡単である。
 しかし、国民の意識も問われなければならない点があると僕は思う。
 例えば、血盟団事件では井上日召らの裁判に、減刑嘆願書が三十万通も届けられたという。
 確かに『女子の身売り』などの当時の世情を抜きにして事件を語ることは、一面的ではある。
 だが戦後になっても「団琢磨を暗殺した人物が、関東のある県の県議会議長にまでなったという事実」を、
 この国で生活する者として考えてみる必要がある。

上の最終文を反芻し咀嚼して理解できるテードにならないと、
宅の支持する政党の凋落にも加速が掛かると思うよ、たびん・・・・・不憫さん!

(少なくとも、アナウンサーについての記述部分から、
 2・26への一般人の同調は読み取るべきだろ。)

>異常な庇い立て
と思ってる香具師がかなりオカシイと思われてるのが現代なんだよ。
ってところを理解しようね。(w
285朝まで名無しさん:2007/08/07(火) 21:20:38 ID:8RN4XyMB
>>284 一連の出来事を見て、為政者の危機管理能力の乏しさや無責任主義を責めることは簡単である。

簡単じゃないって。
そこをきちんっとやらなかった、無責任主義を放置したことが最大の問題。

一億層懺悔とか一般人の責任を言い立てることは、結局、大きな権限があった
大きな責任があった人たちの責任をうやむやにしただけだった。
286tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/11(土) 00:34:25 ID:0PhGT3tF
>>285
>無責任主義を放置したことが最大の問題。
>一億総懺悔とか一般人の責任を言い立てることは、結局、大きな権限があった
>大きな責任があった人たちの責任をうやむやにしただけだった。

無責任主義を放置といっても、2・26のそれはまっさきに真崎に集約されるだろうし、
じゃあ真崎を叩けばその後の日本の戦争史が起きなかったかと問えば、
それはあり得ないと解る。(満州事変はそれにも先行しているからね。)

重要なのは、5・15に同調する市民が多かった(署名レベルで100万人!)のは
経済的困窮から仕方ないとしても、血盟団事件など一連のテロについてさえも、
大規模な減刑嘆願の署名運動が起きてしまっていることだ。

直ちに戒厳令が出されたため国民の動向が必ずしも明らかではない2・26でも、
むしろ政治の重鎮たちを粛正した兵士への同情票が多かっただろうことは想像するに難くない。

政治に頼まない風潮が蔓延しながら、軍を信頼する気風が育っていったから、
政府や天皇を無視した満州事変への熱狂的な応援にもなるのだろうし、
満州国を承認しない国際連盟を脱退することへの、
国民あげての応援にもなってしまったのだろう。(松岡外相の「凱旋」帰国)

これでは、責任を当時の政治家や天皇に問いようがない。
(昭和天皇は、2・26に対して毅然としたが、結局統制派がのさばっただけだった。)
287tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/11(土) 00:35:46 ID:0PhGT3tF
むしろ逆に、ノモンハン事件(1939年)敗戦の責任を取らされ、
割腹まで含む自決を強要された部隊長が続出した状態が、
その後の日本を規定していったと捉えることも出来る。
(それを英霊と捉える国民も多かったわけだし、
 軍は尊敬てか体面を失わないもとにもなった。)

それは、部隊そのものを失い戦闘不可能となれば自決するという、
太平洋戦争時に蔓延した、異常な責任の採択法を市民レベルに拡げてしまった。(沖縄戦)

悪意で開始した戦争でもなく、責任の追及を出来ないところに責任を問うことは、
放った矢がブーメランになる効果しかもたらさない。
最大の犠牲者が国民だったことは、その結末であるともいえる。
(最終的にアメリカは、日本の一般市民を敵として行動していた。)

日本人みんなが一億総玉砕する気でいたのは本当のところなのだから
(昭和天皇は1945年6月まで)、
それを停止してくれて、自分の今があるって知れよ!

(減刑嘆願運動が大規模だったところに、
 当時の国民が司法にまで民意を反映させたがっていたということも、ね。)
288朝まで名無しさん:2007/08/11(土) 05:34:43 ID:UY/ZOFT+
天皇の終戦判断ミスにより日本中が焼け野が原にさせられ、原爆2発落とされたには常識だよネ。
こんな愚帝はさっさと処刑しとけばよかったのに。
289朝まで名無しさん:2007/08/11(土) 05:45:24 ID:pnK4vvGr
さっきテレビで放送されてたけど、まだまだ戦死者の遺骨とか遺品とか見つかってないみたいだね。
偽善者ぶってないで、そういうところを慰問したらどうなのかな。
それが戦争責任ってもんでしょ。
290朝まで名無しさん:2007/08/11(土) 14:25:10 ID:CjYAohd3
>>289
昭和天皇を島流しにし、遺骨収集にあたらせればよかった。

沖縄、ガダルカナル、パプアニューギニア、インパール、まだまだいっぱいある。
「戦争責任、言葉のあや」などという無責任発言をせずに済んで裕仁も本望だったろうに
残念なことであった。
291朝まで名無しさん:2007/08/11(土) 21:23:55 ID:L4Fv00UG
イタリアみたいにさっさとつるして連合国側で参戦すれば戦勝国になれた
292tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/13(月) 00:40:02 ID:32kGxSlM
>>288
>天皇の終戦判断ミス・・・日本中が焼け野が原にさせられ、原爆2発落とされたのは常識

「常識」だと立証できるんだったら立証してごらん。
(そんなことを信じ込んでいるのは、
 共●党にブレインコントロールされ続けてる馬鹿だけだ。)

国民とともに玉砕する意向だった昭和天皇が、それを已めたのが6月。
アイゼンハワーやマッカーサーなど共和党の反対論を押さえ、
トルーマンが原爆投下の命令を下したのが7月25日。
ポツダム宣言の発表は7月26日。

日本が降伏するよりも前に原爆を落とそうとしていたのは明白だ。
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news2/1183645001/232

ポツダム会談の席上、トルーマンがスターリンに原爆の存在を耳打ちしたのも、
確信犯的に原爆投下を実現しようとしていたことを、証明し続けている。
293tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/13(月) 00:42:04 ID:32kGxSlM
>>291
そのように節操のないイタリアだったから、戦後王制が廃された後、
王制支持者の多かった南部は、マフィアをアメリカに大量輸出する状態となりながら、
戦後ようやく工業化を実現した北部でも、
「1970年代は政治的に非常に不安定な状態に陥る。
 これは1980年代初頭に収束するまで続き、リード時代として知られる。
 広範な社会的対立やテロなどが急進的政治集団によって引き起こされた。」
(『ウィキペディア』)

70年代〜90年途中までイタリアは長期の不況に喘いできた。
(イタリアの労働争議の多さが、経済の低迷を必然化させたことは、
 現代のイタリア人が自覚していることでもある。)

ドイツと日本という敗戦国が飛躍的に発展できたのは、
リセットされて再構築できたことも大きいが(専念できたということ)、
戦前すでに戦争を開始するほど工業化が進展していたことが大きい。
(戦後工業化を実現したイタリアも、原子力発電所が一基もなく、
 電力を輸入にたよるなど、エネルギー方面の不安定性には事欠かない。)
294朝まで名無しさん:2007/08/13(月) 00:53:29 ID:+Go81LRn
あのー、イタリアは枢軸についたサロ政権と真っ二つに割れて本土決戦+内戦
やったんですけど。
295(○´ー`○)はカワイイ ◆Sa5SBMSRMc :2007/08/13(月) 01:13:40 ID:2Bbha1ml
あのお〜、
スターリンに耳打ちしたのはトルーマンじゃなくて
ルーズベルトなんですけど。
296tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/13(月) 01:22:12 ID:32kGxSlM
>>294
何が言いたいのか不明。
内戦の結果としての長期の経済低迷?

一度は自分たちが崇めたムッソリーニを吊すような節操の無さは、問題外だろ。
(未だにイタリアのワイン農場主たちの中には、この後の共和制下で、
 労働争議が多発する混乱が長期化したことが、自分たちの経済を
 フランスやイギリス、ドイツなどに比べて劣らせたと自嘲してるんですよ。
 それは一時期、共産党政権まで誕生させた・・・違ったっけ?)
297tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/13(月) 01:27:51 ID:32kGxSlM
298tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/13(月) 01:43:55 ID:32kGxSlM
>>292に追加

http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/35848943.html
  原爆の都市実験を終えるまで、日本を降伏させない
  ことが、トルーマンのもっとも留意することになった。

  そこで、ポツダム宣言なるものは、日本側が必ずや「黙殺」するようにつくった。

  まずは正式な外交文書ではなく、宣伝文書の形にした。
  もともとあった天皇保全の条項をトルーマン自身が削った。

  広島・長崎での実験終了のあとに、トルーマンがそれを復活させる術策をとったのである。

 鳥居 民「原爆投下と終戦の3つの誤解」産経新聞「正論」2007年8月12日より


>>288
>天皇の終戦判断ミス・・・日本中が焼け野が原にさせられ、原爆2発落とされたのは常識

結果論からふざけたことを考えついて吹聴し続ける。
なので、宅の支持する政党は、やがて国民からそっぽを向かれていく。
捏造にいつまでも浮かされるほど、日本国民は愚直ではないからだ。
そして、戦争被害を内心喜んでるような欺瞞性に、腹立たないわけにはいかないからだ。
299朝まで名無しさん:2007/08/13(月) 02:09:23 ID:+Go81LRn
>>396
イタリアは単純に寝返った訳じゃないんですけど
国内が真っ二つに分かれて
ドイツVs連合軍
サロ政権Vsバドリオ政権

て二つの戦争が戦われて
戦線が国土縦断

>>291 見たいな単純な事は起きていないって事。
300299:2007/08/13(月) 02:11:15 ID:+Go81LRn
アンカー訂正

>>296
301tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/13(月) 02:42:57 ID:32kGxSlM
>>299
解説、サンクス!

(詳しい方居てくれると、オイも勉強になるわ。)

つまり司法手続きもなしにムッソリーニ夫妻を吊した愚劣なイタリア国民は、
それまでムッソリーニを支持してきた者どもでは無かったってこと?

サロ政権が枢軸側は事実として、その時にパルチザンの抵抗があった、
てーどに捉えてきちゃったんで、スマソ・・・・・OTL

軍を引き連れ逃亡途中のムッソリーニが田園地帯の屋敷を
居住者とチェスしてるようなイタリア映画観たんだけど、
オイももそっと詳しく知らないと、口開けて観てるだけって馬鹿構図になってそうね。

先日、NHK衛星でアウシュビッツの楽隊員だった、
ドイツ系だったりポーランド系だったりするユダヤ人女性の述懐やってたんだけど、
あまりの痛々しさと重さに口をつぐんでしまった。
その後に、最初にアウシュビッツを告発したイタリア系ユダヤ人の回顧録も放映されて、
こっちは自分が入っていたアウシュビッツを訪れながら、
どこか楽観的に解説をつけていたので、救われた。
(といっても、その人は最後に自宅で自殺してるわけだが。)

見てて思ったのは、ヨーロッパに散らばったユダヤ人も、
所在してきた国家の国民性がかなり反映しているだろうことと(会話の仕方とか)、
それは顔まで含めた容姿の点にも強い影響を与えていて(食生活から来るのだろうか?)、
映像で観るイタリア系ユダヤ人は、イタリア人そのものとしか思えなかった。
302朝まで名無しさん:2007/08/13(月) 05:15:34 ID:NivFTZKX
オリックス社代表の宮内義彦という政商がいた!! オリックス社代表の
宮内義彦は、外貨獲得で大貢献していたトヨタ社の社長よりも政治発言
がはるかに多かった!!

在日華僑、宮内義彦の会社が何か日本に貢献していたことがあったのか!!
宮内義彦という在日中国人のたんなる実業家が、なんであれだけ多くの
政治発言を日本国内でやっていたのか!!

華商であった宮内義彦の最後がITバブルの大黒幕だったという噂だけで、
華商の宮内義彦がどれだけ巨額のカネを持ち逃げしたのかがわからない
ままだ!!

日本の警察と防衛省は、何もやっていない!!!!
税金ドロボーの日本国政府!真面目に仕事をやれ!!!!!!
303朝まで名無しさん:2007/08/13(月) 06:26:21 ID:udlt4JIX
愚帝ヒロヒトラーがもう少しだけ戦争を引き伸ばせば、3発目の原爆は皇居に落とされたのに、残念!
304(○´ー`○)はカワイイ ◆a7G9QH2uOQ :2007/08/13(月) 07:50:14 ID:FEWFI6Bl
>氏にしては、珍しく勘違い、ですよ。
ああ、すまんな。
ヤルタ会談と間違えた。
305朝まで名無しさんオレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2007/08/13(月) 07:56:46 ID:/9vcK7vi
天皇はアメリカの犬 くっせー日本w
306tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/08/25(土) 03:04:28 ID:AKr47mgI
ま、賢い人の勘違いは、定式化していることから派生するものが多い。

ルーズヴェルト、ニューディール政策という社会主義的施策を行った、
第二次世界大戦中はソ連へ経済援助するなど、反共色がない、
対してトルーマン、冷戦の創始者、原爆もソ連へ見せつけるためではなかったか!?
(この説は長く家永教授の歴史資料集の中にあって、オイも勘違いしてきたところ)
反共色ありあり、なのでスターリンに耳打ちするなんて
・・・って類推から誤解したものと了解。
307革命的ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2007/08/29(水) 17:43:22 ID:aMmWEa0L BE:105620437-2BP(210)
■■■■■沖縄県は琉球府に名称変更せよ!■■■■■                
 近年、国連地名標準化会議において日本海を東海表記とする論争が続いている。  
 その理由として、日本海は植民地時代に付けられたものであり不当であるとしたものである。
 もしこれが真実であるならば、沖縄県についても同様のことが言える。    
 沖縄という名称は日本の植民地化によって勝手につけられたものだからであり、皇室天皇制という名の軍事政権によって500年の歴史的重みを弾圧するためであった。
 そこで、沖縄県を琉球府として名称変更を求めるものである。        
 これにより沖縄は植民地支配における軍事拠点とその風評被害に対して、地域格差解消のための理由が明確に存在することとなる。
 ひいては、琉球府の主権を国際社会において尊重することとなり、国際社会と同調して日本政府及び米軍基地に対して歴史的根拠に根付く強い発言を期待できるのである。
 沖縄県は、500年の国際的な歴史に相応しく、連邦政府のような強い主権の相続権を有しているのであるから、決して軍事政権を踏襲する皇室天皇制のために主権放棄すべきではない。
308朝まで名無しさん:2007/09/14(金) 00:18:29 ID:jQt9qfO6
過疎保守
309tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/09/14(金) 14:25:33 ID:BmVzUXZA
>>308
保守サンクス!(w

307って爆弾発言で悪名高きゴルゴルモアか?(w
形式大好き左翼の特徴ありあり。(w
310朝まで名無しさん:2007/09/14(金) 16:40:29 ID:W+IYIrYm
「その時歴史が動いた」の「広田弘毅」
最近のNHKには無かった踏み込みネタだと思ったのだが
見事に話題になってないねぇ
311tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/09/16(日) 01:35:31 ID:0vAULMx2
>>310
>見事に話題になってないねぇ

そうね。一因には、NHKの歴史シリーズが
飽きられたことがあるんじゃないかな?
そして、歴史をふりかえる余裕の無さも。
312朝まで名無しさん:2007/09/16(日) 11:44:07 ID:WS2LE/r4
>>310
番組での評価はどうだったの?
時代に翻弄された可愛そうな人?
軍部の言いなりの無能?
313tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/09/16(日) 13:10:01 ID:0vAULMx2
>>312
時代てか、統帥権を振りかざす陸軍におしきられてった感が強い、半藤さんの分析。
「統帥権」が、陸軍を増長させたってあたりもちゃんと押さえてた。
あと、中国との和平ラインを乗せようとしてた矢先の南京陥落の報せ。
国民に祝賀ムードが拡がってしまって、講和という感覚を完全に失わせた。
314朝まで名無しさん:2007/09/16(日) 13:27:00 ID:AjiSGxWk
軍部(皇軍)を抑えることが出来たのは天皇のみ、
それをしなかった天皇は軍部と同罪。
315朝まで名無しさん:2007/09/16(日) 13:28:58 ID:WS2LE/r4
勝ったときが講和のチャンスって国民に訴える根性がなかったんだな
広田はその手の強引なところがないから。
だから首相に押されたんだろうが。

統帥権の問題でも首相就任で同時に征夷大将軍にすればよかったんだなw
316朝まで名無しさん:2007/09/16(日) 17:22:51 ID:/lf9ACRl
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      /\丶     / |:::::::ヽ
    /::::::  | \ o/ / 人:::::::::ゝ
317tooo ◆s/lQJB6p9w :2007/10/02(火) 02:48:18 ID:gZw1fUFI
あげとく
318自由の具現者ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2007/10/03(水) 15:24:16 ID:fkvdcOUX BE:407390099-2BP(210)
■■■■沖縄は自由を享受せよ、その皇室概論。■■■■                 
 1.皇室天皇制は、軍事経済を主体とした沖縄には適しておらず、むしろ自由主義に対する阻害要因である。
 2.日本の伝統文化と単一民族主義を標榜しているが、その実態は植民地侵略のイデオロギーとして異民族を圧殺する強烈な脅迫観念を形成するものであり、今上天皇もまたそれを継承したものに過ぎない。
 3.沖縄に日本皇室思想文化を植え付ける国家計画は、大東亜戦争の誘因となり20万人もの戦死者を招いた沖縄戦の結果により中断された経歴がある。
 さらに、過度の言論統制と反米プロパガンダにより集団自決が誘導されたり、指令に従わなかったため殺されたという証言記録が刻銘に残されていることから、この計画の達成は困難であり、若干の修正を要すべきものである。
 4.皇室の権威は、本土の日本国民に対して成り立つものであって、世界的な立場から見れば、到底、神聖な存在とは認められない。
 日本国民は思想破綻者であり、これに対して日本政府は沖縄戦の具体的事実を意図的に歪曲している。また、沖縄の義務教育はニライカナイ神話を組み込むべきであり、暴力的な日本史や日本神話は不必要である。
 5.沖縄の赤化を阻止し、実質的に高尚なる自由主義を享受するためには、その活性化を支援する国立図書館の建設整備が必要不可欠である。
319自由の具現者ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2007/10/04(木) 06:12:28 ID:ggYQNzMC BE:45266033-2BP(210)
            、             
           ) |  ■■■■■■■■日本政府に告ぐ。■■■■■■■■
         ( ノノ   我々の要求は沖縄県における皇室放送コードの廃止だ。
       , --" - 、  歴史歪曲工作という退廃したイデオロギーに対して沖縄は
スチャ    / 〃.,、   ヽ 爆発寸前のマグマであるから、自由主義革命を執行する。
  ∧、   l ノ ノハヽ、  i   
/⌒ヽ\ i | l'┃ ┃〈リ  ▽琉球の伝統文化を尊重して皇民化政策を廃止する事。
|( ● )| i\从|l、 _ヮ/从   ▽大東亜戦争を誘因したことに対してお詫びする事。
\_ノ ^i |ハ  ∀ \     ▽沖縄県を昇格して名称を琉球府と変更する事。
 |_|,-''iつl/  †/ ̄ ̄ ̄ ̄/  ▽共栄圏を尊重して国立大図書館を建設する事。
  [__|_|/〉 .__/ 魔 法 /__ ▽日米両軍事施設を本土移転する事。
   [ニニ〉\/____/      
        
        
320朝まで名無しさん:2007/10/26(金) 17:01:55 ID:ph0ixIKc

<防犯情報>

朝日新聞を契約していると、空き巣に入られやすい。その理由は

朝日新聞配達員を逮捕…留守の顧客宅に空き巣
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20061023-OHT1T00182.htm
>男性は兼久容疑者が勤める新聞販売店の顧客で、数日間留守にするため、
>新聞を止めるよう依頼していた。同署は兼久容疑者が事情を知っていたと
>みている。
>ことしに入り、この販売店の顧客が留守にした間に空き巣に遭う被害が十数件
>発生しており、同署は余罪を追及する。


朝日新聞を解約しましょう
321朝まで名無しさん
        ..,,,,,ll,,,,,,,|||Illllla,,_
      : .,,,illlllll゙゙¬゙|ll|l》゙|ト砲,、
     、,llllll゙゙`″  : : `:   ``ミi、
    .:ll感l″          ..゙lL
    ..,,,l巛゙l,!:      、 i、    法    
    .i'フ,,l,゙l": .:igl絲!llト:″|: .,,,,iig,,,,永   
    .`;ll,lト  : ]″_,,,,,┐._ .,i´  .゙て″   
    : ;,lレ-・''゙‐'ゼ゙゙”`,ア~`゚゙|,゙゙゙゙lト,レ⊥  まあ 
   广'i、ァ   ゙゙‐'‐'" : :::  ゚"ー'″ .|i、
   .;ヒ'::;,il|      _.:::::::  .=@  ||   小泉も安倍も
   .'fi,;゙l;ヒ  : : ;:  :":・lll゙l,.'l・!°   |′  
     ゙'!,,,い:    ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\  .,l゙  朝鮮人なのでしょうがない
      .”゙l   /゜,,,,,lwew-ii,, ゝ ,l′
       ll,  ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i´
      ,,,i'llr゚''ri,,,,,_ : :   : : _,r°
    ,,,iilllli,゙h,、`゚゙゙゙lllllllllilllllll"】
>小泉純一郎の父、小泉純也は豊臣秀吉の頃の朝鮮出兵で
>日本に来た人の子孫部落出身で苗字を10回変えている
>純也は、鄭という苗字の頃 (1930年代)に朝鮮総督府で事務官として働いていた。
>鄭純也は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、
>その後 又次郎が上野のソウルクラブのエスコートガールを妾にして生ませた娘
>芳江の婿になって選挙区まで受け継いだ。 このことは当時新聞でも報道された。

>小泉純也は社会党議員と組んで終戦後の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていた。
>当時、韓国系団体のみならず日本人の中にも北朝鮮を「夢の楽園」とする思想の体現である
>帰国事業は売国行為だと多数の反対があった。

>売国行為を平気で行う父と
>チョンで風俗嬢をやっていた妾の娘を母に持つ 傍流、母系の子、小泉純一郎にとって
>2600年の日本の伝統である男系皇位継承をないがしろにすることは、
>何の抵抗も無く当然のこととして出来ることのなだろう。