__政教分離 第42夜・徹底■天皇制廃止を考える■討論__

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18朝まで名無しさん
テレビ「火垂るの墓」を見て最後のテロップ
「このドラマの作中のような出来事は、今でも現実に世界中で起きています。」
を見て、この歌を思い出した。

    與謝野(与謝野)晶子
君死にたまふことなかれ(旅順口包圍軍の中に在る弟を嘆きて)
あゝおとうとよ、君を泣く、
君死(きみし)にたまふことなかれ、
末(すえ)に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
堺(さかい)の街のあきびとの
舊家をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの、
家のおきてに無かりけり。
君死にたまふことなかれ、

つづく
19朝まで名無しさん:2006/01/31(火) 17:34:55 ID:YN2UpdG9
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出(い)でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝおとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきのなかに、いたましく
我子を召され、家を守(も)り、
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。
20朝まで名無しさん:2006/01/31(火) 17:36:01 ID:YN2UpdG9
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出(い)でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

結局、国家だ、民族だ、領土だ、意地だ、神が、
とかどんなもっともな”正しい理由”をつけても一度、戦争が起きれば
一番傷つくのは、何の罪もない子ども。
上の与謝野の歌は天皇(すめらみこと)と言う「絶対的存在」の怪しさを、
日露戦争のときに既に訴えていた。
そこにあるのは、小難しい理屈じゃなく、普通の人の「やんごとない人」に対して抱く、
「あなたたちは簡単に死んで来い、って言うけど、結局、他人事なんでしょ。
自分は死ぬことはないのだから。」という素朴な気持ちだ。