__政教分離 第42夜・徹底■天皇制廃止を考える■討論__
テレビ「火垂るの墓」を見て最後のテロップ
「このドラマの作中のような出来事は、今でも現実に世界中で起きています。」
を見て、この歌を思い出した。
與謝野(与謝野)晶子
君死にたまふことなかれ(旅順口包圍軍の中に在る弟を嘆きて)
あゝおとうとよ、君を泣く、
君死(きみし)にたまふことなかれ、
末(すえ)に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
堺(さかい)の街のあきびとの
舊家をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの、
家のおきてに無かりけり。
君死にたまふことなかれ、
つづく
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出(い)でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
あゝおとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきのなかに、いたましく
我子を召され、家を守(も)り、
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出(い)でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
結局、国家だ、民族だ、領土だ、意地だ、神が、
とかどんなもっともな”正しい理由”をつけても一度、戦争が起きれば
一番傷つくのは、何の罪もない子ども。
上の与謝野の歌は天皇(すめらみこと)と言う「絶対的存在」の怪しさを、
日露戦争のときに既に訴えていた。
そこにあるのは、小難しい理屈じゃなく、普通の人の「やんごとない人」に対して抱く、
「あなたたちは簡単に死んで来い、って言うけど、結局、他人事なんでしょ。
自分は死ぬことはないのだから。」という素朴な気持ちだ。