徹底討論!果たして朝鮮人に「被害者」の資格はあるのか?

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1朝まで名無しさん
★日韓併合は韓国の要請で行なわれた!

■一進会(韓国最大の政治団体)の幹部、宋秉oの言葉(大意)
日韓双方の国力の差・文明の程度の差から「日韓対等合邦」は事実上不可能だ。
「連邦制」では欧米列強に対抗する様な強固な国家は建設できない。
従って、日韓が一体となり列強に伍す強固な国家を建設するには、大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に委譲するのが、最も現実的である。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nikkan4.html

■アメリカを訪れた朝鮮全権大使、李成玉『李完用侯の心事と日韓和合』
現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。
亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。
そして併合相手は日本しかない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。
日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。
我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。
※朝鮮人の生活がインディアン以下だった事に衝撃を受けた発言

↓↓↓↓↓一進会や李成玉の意見が韓国政府に上奏される↓↓↓↓↓

■韓国三大紙『中央日報』2001.08.27の記事
本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。
総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=18651&servcode=100&code=100

>まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。
>まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。

…どう見ても韓国の要請です。本当にありがとうございました。
2朝まで名無しさん:2006/01/16(月) 14:33:38 ID:zMeiyMOE
★韓国人 崔基鎬加耶大学客員教授が叫ぶ!…「戦争に熱狂したのは朝鮮人だ!」

■80歳の覚悟!
私は80歳になります。
ここまで生きてきて、やはり韓国のためにも日本のためにも、自分の思うことを正直に語りたい。
それが本音です。
ご承知の通り今の韓国では、植民地時代の日本統治を肯定的にとらえて発表することは、相当の覚悟がいります。
極端な話、身の危険も覚悟しなければなりません。
しかし私の使命として、どうしても言わなければならないと思っています。

■搾取されたのは日本人!
例えば1907年度、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上ありましたから、その差額は全額日本が負担しています。
1908年には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出しています。
総監府時代の四年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にものぼっています。
そればかりではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達しています。
現在の朝鮮・韓国の歴史では、このような日本の特恵的支援には一言の言及もありません。
そして侵略だけを強調していますが、これがいかに偏狭な歴史観であるかということが分かると思います。
日韓併合によって、搾取されたのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきでしょう。

■大東亜戦争に熱狂したのは朝鮮人!
戦前の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。
映画館に行くと映画の前にニュースがありました。
例えばニューギニアで日本が戦闘で勝利したニュースが映画館で流れると、韓国では殆ど全員が気違いのように喜びました。
私は映画が好きで、日本の映画館でも見ていましたが、韓国で見るような姿は僅かでした。
http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu.htm
3朝まで名無しさん:2006/01/16(月) 14:34:10 ID:zMeiyMOE
★戦争中、アジアで最も嫌われたのは朝鮮人だった!

■中国人 謝永光著『日本軍は香港で何をしたか』
(朝鮮人は)一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。
当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。

■当時の中国人が描いた漫画「日本の軍旗を振り回す朝鮮人が中国人を殺す!」
http://nandakorea.sakura.ne.jp/img/spiral.jpg

■仏誌Paris Match元特派員アルフレッド・スムラー著『ニッポンは誤解されている』
別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4531080548/249-1372373-3521946

■ある医師の述懐『キヤンガン、山下将軍降伏の地』
(登山中の)小休止の時アンがコリアンと知らないフィリピン人の彼が言った。
「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」
一気に遭難しそうになったパーティを何とか支えつつ、私はキアンガンの将軍の亡霊を見たような心持だった。
その後も各地でこの噂のような言説をきくたびに、愛国者たるアンの胸中が想われてならない。
http://www.net-ric.com/advocacy/datums/95_10irohira.html

■オーストラリア人ケニス・ハリスン著『あっぱれ日本兵』
その日の締めくくりとして、コリア人に引き合わされた。
彼らは(日本人に比べ)大型で、顔は平たく、知性に劣り、日本人が与えた屈辱を我々に転嫁した。
どんなに試みても、我々は彼らと本当の付きあいは確立できず、体罰となると、日本兵よりも彼らをはるかに恐れた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4425946316/qid=1099204982/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/250-8480028-1317830

━━━━━↓↓↓戦後はこのように豹変↓↓↓━━━━━

■『はだしのゲン』の名場面
http://nandakorea.sakura.ne.jp/img/gen.jpg
4朝まで名無しさん:2006/01/16(月) 14:34:55 ID:zMeiyMOE
★これが創氏改名の真実だ!併合直後から朝鮮人は改名を熱望していた!

@1910年、日韓併合。
A直後、総督府が朝鮮半島を把握する為に「民籍」(≒戸籍)の作成に取り掛かる。
Bなんと!大量の朝鮮人が「日本名」で民籍に登録する騒動が勃発!
Cケジメがつかなくなる事を恐れた総督府は「改名禁止」の法令を出す。
※1911年11月1日総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」
※「内地人ニ紛ハシキ姓名」を禁止。
※既に改名していた朝鮮人には圧力をかけて「復姓」させた。
■(  ´∀`)「併合直後なのに図々しい!さっさと元に戻せ!」
■< *`Д´>「アイゴ!」
D1932年「満州国」が出来る。
http://www.bunsei.co.jp/NRoss/img/2_manchuria.jpg
E「満州国」に朝鮮人が入植するが…。
■<丶`∀´>「ウリは日本人ニダ!」
■(# `ハ´)「名前が朝鮮人アル!元々は我々の奴隷民族アル!偉そうにするな!」
■< *`Д´>「アイゴ!もうウリは立派な皇国臣民ニダ!日本名が欲しいニダ!」
■(  ´∀`)「…仕方がないか」
F1939年「創氏改名」が発令。
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朝鮮には「姓(氏族名)」はあっても「氏(苗字)」が無かった。
内鮮の融合が進み、戸籍管理を統一する為にも、「創氏」が強制された。
「創氏」の登録は日本名でも朝鮮名でも良かった。
しかし8割の朝鮮人が「日本名での創氏」を望んだ。
日本名で創氏した朝鮮人は名前(下の名前)も合わせて変えたがった。
それが「改名」であり、これには手数料が取られた。
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Gこの「創氏改名」に伴い、大量の朝鮮人が日本名を名乗る事になる。

…つまり朝鮮人は併合直後から日本名を名乗りたかったのだが、総督府は許さなかった。
それが許されたのが「創氏改名」なのである。
5朝まで名無しさん:2006/01/16(月) 14:35:27 ID:zMeiyMOE
★在日の徴用者はたった245人!終戦後75%が帰国!(朝日新聞)

■1959年7月13日 朝日新聞
http://www.nikaidou.com/clm2/0512/zainichi.jpg
http://www.nikaidou.com/clm2/0512/zainichikakudai.jpg

■記事内容と補足「在日朝鮮人の徴用者は245人」
・終戦直前、日本には200万人の朝鮮人がいた。
・その内、140万人は終戦直後に朝鮮に帰った。
・更に北朝鮮帰還事業などで10万人が朝鮮に帰った。
・つまり200万人のうち、150万人…つまり75%が帰国した。
・国民徴用令は1939年7月から施行された。(日本人と台湾人)
・しかし朝鮮人には1944年9月まで適用されなかった。(つまり優遇されていた)
・1945年3月には日韓フェリーが停止されたので、徴用が可能だった時期はたったの7ヶ月。
・1959年の調査では在日における「徴用者」の人数は…たった245人だった。
・現在、日本に残留している朝鮮人は「自由意志」による残留である。(犯罪者を除く)

■まとめ
「徴用」や「徴兵」で日本に来た人は元々、僅かです。
「徴用」や「徴兵」によって「朝鮮の家族や友人や恋人から引き離された人」が、どうして日本に残るのですか?
家族に会いたくないのでしょうか?
200万人の内、140万人が終戦直後に帰国しています。
僅かな徴用者、徴兵者は、その時、帰国していると考えるのが当然です。
つまり日本に残った人は「家族で日本に移住して来た人」です。
つまり「自由意志」で日本に来て、「自由意志」で日本に残ったのです。

それなのに「強制連行された!戦後は帰りたくても帰れなかった!嫌々ながら住んでやってるんだ!」と叫んでいるのです。