狭山事件 推理論議スレ【オカルト古参禁止】 その2

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90朝まで名無しさん
898 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/07/22 10:24
たびたびレスさせていただいています文系崩れの小僧です。
実は私には大宮に伯父がいまして私の父の8人兄弟の長兄なのですが元警察官なの
です。で最近私が狭山関係の本を図書館から借りたりしているのを見た父が一言
「大宮の大きいアンちゃんは昔狭山事件にかかわったことがあるぞ」と。
私の幼少の頃は伯父はまだ現役で大宮の警察署のちょっと偉いさん、といった印象
でした。しかし実は警官としてのキャリアは所沢と大宮を10年周期くらいで往復
するような感じだったようです。
で昭和38年当時は所沢署で警備課の主任という役職であったようです。
そこで私は本や雑誌で得られない、疑問の部分を伯父に直接聞いてみようと十何年
ぶりに大宮を訪れました。日曜の午後で時間的制約もあるのがわかっていたのと
伯父がどの程度事件にかかわっていたのかがわかりませんでしたので、かなり大
雑把に質問を考えていきました。
1)事件当日のこと
2)被害者の家族のこと
3)上記以外でわかる範囲で細かいこと(脅迫状、自転車などなど)

最初にお断りをいれますが伯父は現在77歳で自分ではしっかりしているつもりの
ようですが記憶違いやあとからの新聞などの情報などがごっちゃになっている
部分があるかもしれません。しかし職業的なものか当時のことも手帳にびっしり
とメモをしている一面もあり少しは頼りになるかなと言った感じもあります。

つづく
91朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:41:24 ID:ikHBEhSE
902 名前:898投稿日:02/07/22 13:39
伯父から聞いた話(テープ&筆記)をいったん文章に起こしてレスしようと思いました
ら以外と困難な感じがしてきました。
なのでのんびりレスさせていただきます。ただビックリするような新事実はありま
せんのと実名が出てくるところは意識して仮名とさせていただきますご了承くだ
さい。

1)事件当日の記憶
5月1日はメーデーであったので市内各所、とくにH製作所やNなどの警備に当たっ
ていた。特に大きな混乱は無く署に戻ったのは15時くらいであったはずである。
その後は交通課のMらとPCにて市内を巡回し再び署に戻ったのは16時半から17時く
らいであった。
当日報告を書くか書かないか課内で雑談したり出前をとったりしている内に18時か
18時半くらいであったかH署長名で召集がかかった。
会議室に集まるとすでに20名ほど署員がおり署長の報告があった。
「本日夕刻狭山市内にて営利目的による誘拐事件が発生した」と。
「所沢署捜査課捜査員がすでに4、5名狭山署に応援に行っているので、ここに
いる署員は西武園、狭山湖周辺の不審者または被害者の捜索にあたること」
不審者、捜査対象者は不明、被害者は女子高校生一年生十六歳と被害者の特徴が
発表された。自分の課は課長が不在であった為自分が班長となり交通課の協力も
あり12名ほどで狭山湖の捜索および警備に向かうこととなった。
車両の手配、雨中装備など準備を整え署を出発したのは召集がかかって一時間ほ
どしたころであった。(ちなみに西武園および狭山湖は所沢署の目と鼻の先である
そうです)

つづく
92朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:43:24 ID:ikHBEhSE
903 名前:898投稿日:02/07/22 15:07
902のつづき
雨の中狭山湖を捜索しつづけ考えたこと。
署長の「誘拐事件が発生した」との言葉を聞いたときの署員の雰囲気だ。
有名な3月の吉展ちゃん事件の話題がいまだ冷めやまぬどころか数分前ま
でああでもないこうでもないと推理をしていたところに自分達の身に降り
かかった本物の誘拐事件、息を呑むのもやむをえない。
今では誘拐事件は犯罪として公に認知されているが当時としてはやや物語
の中のものという感じが強く犯罪者が金を欲した時に人を略し金を要求す
るというのは今一つピンと来なかった。
どちらかと言うと犯罪者が金を欲すれば刃物を携えて強奪に至る、と考え
たほうがわかりやすい時代ではあったからだ。
5月1日の夜の捜索は23時近くまで行われたが大きな成果も無く終了した。
2日の朝8時半に再度召集命令があったのは官舎に戻った零時前後であった
と思われる。

905 名前:898投稿日:02/07/22 15:50
5月2日午前8時半、本来召集がかかるはずであったが9時に延期された。
理由はすぐにわかった。県警の機動捜査隊が協力にくることになっていた
ようであるからだ。再度9時に召集し昨日の20数名とは違い60名を超え
ようかというほど会議室は人であふれかえっていた。
まず昨日までの報告が署長からあると思っていたら県警の捜一(捜査一課)の
おそらく課長クラスの人物が今後の指揮系統の説明をしだした。
結局署長は口を開かず捜一課長が現場指示責任者となり昨日までの報告は
一切なかった(はず)それとともに本日も西武園、狭山湖周辺の不審者、被害
者の捜索が厳命された。伯父は裁判所関連の用事で午後まで班から離れる事
になったが裁判所でも誘拐事件のことは頭から離れなかった。
誘拐事件であるからには犯人との交渉は進んでいるのか、しかし捜一の課長
が不審者の捜索はともかく被害者の捜索も厳命するとは、これは被害者は
かなりの確率で死亡、遺棄されているのではないか。そう思えてくるからだ。
捜査一課は殺人、強奪、強盗などが専門でそういった部署が専従班を率いて
所轄にやってくる、これはただ事で無いとこの頃思い出したそうである。
93朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:46:24 ID:ikHBEhSE
906 名前:898投稿日:02/07/22 17:43
905のつづき
午後より捜索班に合流しようとした伯父はいったん立ち寄った署で捜索班は一時
狭山署預かりとなったことを告げられた。
それでまだ向かっていなかった者達と狭山署に向かった伯父は「ただ事でない」
事象を実際に目にすることとなった。狭山署に刻々とマスコミが集まって来ている
ことであって、そのトドメは狭山署に県警本部長がいたことであった。
伯父はそれまでかなりの数の事件に関係してきてはいたが本部長が指揮をとる(実
際の指揮系統の頂点は捜査一課部長クラス、本部長はお神輿だが)のをみたことが
なかった。マスコミが集まるのと比例して捜査員の数も増えていくようであった。

捜索範囲は西武線と川越街道を挟む四角区間を4等分に、その周囲を8等分にして
ローラー作戦で行われた。伯父ら所沢組みは結局再び周囲の南側にあたる西所沢
周辺の担当となった。狭山署を離れる際所沢署より応援で出ていた捜査員のTを見か
けたので捕まえて捜査状況を聞き出そうとしたが脅迫状が来ているそうだが内容は
しらない、被害者宅には十数名の常駐の捜査員が張っている、これくらいであった。
この日の深夜取り逃がしがあるのだがほかの所轄の応援組である叔父らにはそれが
事前に知らされる事はなかったらしい。2日は20時くらいまで地域の巡査の協力の
もとに捜査を進めたが狭山署の本部に21時集合して明日朝9時集合を命令され解散と
なった。
94朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:47:46 ID:ikHBEhSE
908 名前:898投稿日:02/07/22 18:47
犯人取り逃がしの時間は・・・・家で寝ておった。大きい事件にかかわっている
期間のくせに割合早く帰れたので風呂に入って、テレビを少し見て0時には寝てい
た。実は5時くらいに起きて署(所沢)に行って持っている事件の報告書を仕上げね
ばとも考えていた。それが本当に4時か5時に電話で起こされた。
電話の相手は課長ですぐ署に来い、狭山でなく所沢のほうだぞ、と。
署に着くと名ばかりのロビーに記者が3、4人来ていた。どうしてここにいるの、
狭山はいいの?と言うとSさん(伯父)知らないのですか、と記者にいわれた。
すごく悪い予感がしたのですぐに課部屋に逃げ込んだ。そこで聞いたのが狭山の
犯人取り逃がしだった。朝の6時半くらいだっただろうか会議室に狭山の応援組み
がほとんど集まって捜一課長から説明があった。そこから出た言葉は忘れもしない
県警の不備により犯人を取り逃がした、所轄の諸君には不備は無いというものだっ
た。日頃ならばこれほどの言葉を聞くとすっきりするはずがまったくしなかった。
これからくる大変な事態が予想されていたからだ。
95朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:49:20 ID:ikHBEhSE
912 名前:898投稿日:02/07/23 09:58
5月3日の狭山署は蜂の巣をつついたような騒ぎであった。あの狭い署内は人で
溢れかいり前の県道にはテレビ局や新聞社の通信車で通行もままならぬ感じがした。
記憶が間違っていなければ捜査会議らしい物がはじめて開かれたのは3日の午前で
あったと思う。これまでは捜査会議と名がついていても一方的に指示をだされる
だけであったからだ。脅迫状の文面を見たのもおそらくこの時が初めてと思う。
実物を拡大した物で無く、黒板に似せて書いたものであったと思う。当然それを
手帳に写した。それと同時に西武園の捜索の意味もわかったが同時に被害者は助か
らないと悲観的な空気が流れたのも確かである。
これまでの捜査状況の擦り合わせが行われたのもこの頃であったと思う、午後には
本部長らの記者会見があるためと考えられた。
午後には県内より150名に及ぶと思われる警察官が応援に到着した、その中に川越で
巡査をしている甥のS・Sも応援に来た、それと同時に狭山署以外に所沢署にも合同
捜査本部が開設された。これは狭山署の手狭なこともあるが地域的な問題が大で
あったと思う。今後は所沢組みは県警の応援を含めて200人体制で所沢を本部に
捜査を進めていくこととなった。

915 名前:898投稿日:02/07/23 11:44
912のつづき
5月4日からは狭山の特捜本部と所沢の臨時本部を往復することが多くなっ
た。4日朝所沢にて刑事部長による特別な訓示があった。
内容は被害者の早期発見と容疑者の情報収集についてであった、同時に警察
の信頼復活に努力を惜しまないようにとあったかもしれない。
4日午後狭山より一報あり、被害者が堀兼の通称吉田農道より発見されたと
の報告。4日夕刻には空には新聞社のセスナ機が飛び交い、各本部はテレビ
カメラや記者で混雑した。
4日20時くらいに所沢本部にて被害者発見時死亡の報告を受ける、細かい
検証は5日午後検死の結果を受けてからとなり。各班の捜査結果の発表があ
った。この日堀兼駐在所の巡査と面会かなう。追ってN課長より取り逃がし
時の詳細の報告を受ける。容疑者が自動車で現れるとの思いこみが人員配置
に穴を作った、とのことであった。
96朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:51:53 ID:ikHBEhSE
917 名前:898投稿日:02/07/23 12:44
915のつづき
5月5日朝特捜本部より重要容疑者が発表(計3人、この日より市民による
通報が増え出す)追って捜査方針が検討され実行に移される。
正午頃、浦和より検死結果到着(内容は告げられている通り)
続いて正午頃警察庁長官、引責辞任を発表。これは捜査員間でもかなりの
話題になる。
不審者の補導、尋問が始まる(当時は祠を住家にするような不良少年や乞食
は非常に多かった)
22時頃帰宅すると、親戚の巡査であるS・Sが泊まりに来ていた。被害者宅
周辺の警備を担当していたSに聞くと被害者宅は相当な豪農といった雰囲気
であるそうである、昔で言う間続きの屋敷で農機具や自動車なども充実して
おり、Sいわく裕福な農家が金目当てに狙われたとの説を論じた。


919 名前:898投稿日:02/07/23 16:15
917のつづき
5月6日午前重要参考人が一名追加され四名とされ任意による聴取が始まるが、その
中の一名が特捜部の監視をのがれ自殺。
重要参考人の四名のうち三名はすべて被害者家族および親類からの聴取による参考人
であった、自殺した人物はその三名の中のひとりであった。
所沢署ではその内のひとり17歳の無職の少年を聴取、結果シロ。
この頃より市民情報(たれこみ)が日に百軒を超えるようになり厳選して捜査員を
派遣しても手が足らない状態となった。
機捜が日に3、4人引っ張ってくる為留置場が足らず川越、大宮その他まで留置
場を使用することとなる。全県を挙げての捜査という雰囲気となっていった。

1)終了。

次は2) 3)の謎について聞いたことを書きたいと思います。
97朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:54:31 ID:ikHBEhSE
939 名前:898投稿日:02/07/25 09:44
919のつづき(事件の謎)
919で自殺した人物というのは紛れもないO氏ですが、接点というのは意外な部分な
ようです。

「Oという人はな、聞くことはまずまずあったと思うが早い時点で毒を飲んじまった
だがな、毒を飲んだ時点では聞くことはあったが、ほぼノーマークだったよ。興味
を引くネタがづるづる出てきたのは、そうさな死んで3日位してからかな意外な人
が背後にいたんだ、これはそうそうに事件に関係なしと言ってしまってまずかった
なと思ったね」

919にある早期の重要参考人、その一人を取り調べたわけだが。
「俺達が調べたCだがな、ありゃ白だった。だけどね、Cの親分格Aは限りなく黒だ
と確信したよ。なにより度胸が据わっている。18の小僧の癖にね。大柄な捜査員
5、6人に恫喝されて顔色一つ代えやしない。惜しかった。一つでも何かでれば
すぐに逮捕だったよ、だけどね何も出ないんだ。背後関係しかね。目(目撃情報)
のひとつもあればね、拘留も伸ばせたのに」

当時の中田家について
「中田さんの所はね、事件当時はそりゃあS・Sの言ったとおり大農家だったよ、だ
けどねあれだけ裕福になったのは昭和も三十年代になってからだろうね。昔はさ、
土地もあるし小作もいたし、しかし金がドーン動くようになったのは三十年代に
なってからだね。どこに道路引くとかどこに宅地つくるとか。それと同時に栄作
さんは力付けて事件の前年には区長になるまでになった。それで面白くないのはさ
前の区長や取りまきだよ。区長てのは、今は農協とか助け合い組織あって便利だけ
ど昔はその土地の作物の取引は区長に裁量があった、俺は被害者の葬儀の時に長女
Kさんにツテを使って面談したんだ。ホンの5分くらいだったけど。Kさんは早々に
他所に出ていて今の家のことはわからないと言っていたけどヒントがあったんだ。
これはその時は気がつかなかったけどね、あとからアッと思ったよ」
98朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:56:16 ID:ikHBEhSE
940 名前:898投稿日:02/07/25 11:29

重要容疑者A,B,C、そしてBの逃走。

「Aがどうにもこうにも臭い、というのはさっきも言ったけど、拘留期限が来てAと
Bは一度出した、それでAは尻尾を出さなかったが、Bのほうがすぐに建築資材の盗難
に関して容疑が出て引っ張ろうということになった。しかしドロンしちまった。
結局数年か永久かわからないけど出てこなかったんじゃないかな。Bに関しちゃ実は
4月30日に車を運転しているところを見られている。A,B,Cの中で免許を持ってた
のはBだけ。まあ時代がおおらかだったんで無免で運転している奴は多かったけど、
とりあえず事件の前日車を転がしているのをBは見られている。Aを引っ張りたかった
けど肝心なBが姿を消したことでAにはますます手が届かなくなった、残念なことに
ね。」


脅迫状のこと

「取り逃がしのあった次の日だったか特捜部で堀兼の駐在と面談がとれた、で聞きた
い事は山とあったけど一番聞きたかったのはどう言う経路で脅迫状が届けられたか
だった。家族と親類の調書を取った捜査官と駐在とその他の捜査官が質疑したのだ
けど、足跡の事が大きく扱われた、駐在が狭山署の依頼を受けて中田家に行った時は
親類の捜索隊が大勢出入りしていて土間に足跡どころじゃなかったと言うんだ。で誰
がどの時点で脅迫状を見つけたかというとたぶん親類の誰かが見つけて中田のボン
(長兄)が開いて読んだというんだ。あとからでは誰が見つけたかわからない。たぶん
その場にいて10分後に誰が見つけたんだとやってもわからなかっただろう、と
いうのが駐在の意見だった。調書では中田の長兄が見つけたことになっていたと思う
(親父(栄作氏)の具合が悪く、私がその場で読んだ)となっていたのでイコール見つけ
たのも中田の長兄と調書では解釈してしまったのかもしれない、なので結局脅迫状は
土間の何処かにあったのは事実でそれ以外のことは曖昧になってしまったというのが
事実、ちょっと残念だがね。」
99朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:58:01 ID:ikHBEhSE
941 名前:898投稿日:02/07/25 12:26

佐野屋の件、同時にAらの素性。

「俺が思うに石川さんには申し訳ないがAと石川さんを比べたら十倍以上Aの方が
臭かった。佐野屋に現れたのもAだと確信している。証拠はずばり佐野屋から逃げ
果せたことが大きい。地図で書くとわかりやすいが佐野屋からAの自宅まで薬ケン
坂の雑木林を通れば奴なら8分で帰られる。石川さんでは包囲網から出るのも容易
ではなかったはずだ」


*佐野屋では声からして中年男との説が多いですが。

「声からは年齢を特定するのは難しいよ。大体男なら声変わりして五十の終わりまで
声質が変わらないということも珍しくない。高校生くらいに電話に出てお父さんと
間違えられたことがあるだろう?それと昭和四十四、五年大宮で郵便局に強盗が入った
ことがあって犯人は一人で覆面していたんだ。それで局員と客七人くらいは声から
して四十前後の男と証言していたんだがいざ捕まえたら二十歳の男だったということ
もあった。声紋でも取っていれば別だが印象に捕らわれると間違いやすいよ。」
「佐野屋は当時地域のための雑貨と食料品店という店で塩とタバコの公社の小さい
看板しか出していなかった、一見すると大きい民家に見える。その佐野屋を指名して
くるということは地の利に精通していることが想像されるのと佐野屋の位置、道路
状況が理想であったと考えられるね。もしかしたら最初は車で行くつもりだったの
かもしれない、しかし要所要所に追跡車両を隠したり捜査員を納屋に隠したりしてい
るのは地元民のAからしてみたら筒抜けだったろうね。それで裏を取って雑木林から
暗闇を利して佐野屋の横の畑まで行くことができたのだろうと思う」
100朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 02:59:17 ID:ikHBEhSE
944 名前:898投稿日:02/07/25 13:38
*危険を侵してまで佐野屋にくる理由はやはりお金ですか?

「いや、金ではない。一種の虚栄心だろうね。俺はこれだけ出切ると親分に
アピールする意味もあったろうて。しかし危ない橋には違いない、だけど
逃げ切れる自信は10割あって実行したと思うよ。佐野屋からAの家までの
経路をいろいろ復習してみると危ないのは1箇所どこで道路を横切るか、く
らいであったよ。恐らく入間川線まで出て道を横切って家に逃げ込んだ。こ
れが最も早くて交差点などにポイントを置いていた捜査陣に一度もはち合わ
ず家に帰れる。

*親分とは?

まあ後で説明するがUという議員だよ。ちょうどAの逃走経路に薬ケン坂が
出てくるので言うけど薬ケン坂で怪しい人間を見て、それを証言後自殺した
田中某はUの子飼いの人物だったよ。

*よく目撃者は自殺他殺問われ亀井氏などは他殺と解きますが?

ます゛頑張って7割は他殺だろうと思っている、今も昔もね。実感したのは
検死書を取ってみた時だね。大体自分で心臓を刺す時刃を立てには刺さない、
横にするのが手首が返らず力が入って刺しやすい。それに戦中派はね。当時
米軍が本土にきて陵辱されるよりは死を選べって時が合ったのよ。その当時
のことを知っている人は刺し方を知っているんだ。本当は青酸ソーダでも
あればかなり楽だけど、そこらにある物でもない、そこで何処にでもある
包丁で心臓をこう、サクッと刺すと薬の次に楽に逝けると聞いたもんさ。
その時刃は縦にしてはいけない、横にして肋骨を避けてミゾオチより一握り
上の少し左を刺すのさ、そうすると苦しまずに死ねる。縦に刺すとね肋骨に
当たったりしてうまく行かずに苦しむ、戦中派なら知っていることだ。む
ろん田中氏もね。しかし刃の跡は縦だった、こりゃ殺しの線もありだなと
思った。問題なのは奥さんがすぐ見つけたことだね。ただしUから奥さんに
何かのアプローチがあれば別になるけども。」
101朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 03:01:08 ID:ikHBEhSE
947 名前:898投稿日:02/07/25 16:47
*では田中某さんは殺されたとしたら何故ですか。

「田中は薬研坂で怪しい男たちが、それもよそ者風で何か重たい物を抱えていたの
を見た、と出頭してきた。当時重要容疑者は100名にも上がっていたがこれと言って
成果はなかった、一部はスコップの土を調べたり一部は前述のAやBの足取りを調べ
たり、そんな壁に当たりかけているところに怪しい男たちの証言は普通に考えてどう
写る? 捜査のかく乱と思えはしないか?まず実際そういった男たちを本当に見たと
しても、その出頭者がどう言った人物かは調べなければならない。で出た結果がUと
言うわけだ。もう言わなければならんけどUは中田栄作さんと対立している元区長の
Oとは懇意にしている、確か姻戚関係があったのではないかな。それでUやOは否定
するだろうがAやBなどの愚連隊を都合のよいように使っている。
今の時代では信じられないだろうけどA、Bやその仲間のような奴らは利用する側に
してみたら良く働く、ライバル会社の工事を妨害したり、恐喝したり、捕まること
がまるっきり怖くないんだ。で特捜部としては田中さんにはかなり揺さぶりを掛け
た。しかし掛けすぎたのかも知れない、Uらにしてもかく乱するつもりが田中が
かなりおびえながら帰って来たらどういった対応をとるだろうか。少し予想が入っ
ているけどもどう転んでも田中さんにしては不幸なことだったと思います」
102朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 03:02:06 ID:ikHBEhSE
954 名前:898投稿日:02/07/26 09:58
被害者中田家とA、そして元区長のO

「事件から10日経った頃、俺達の班の班長であったT警部は俺達のいわゆる怨恨
説班としての捜査を支持してくれたよ、それで地域的な背景、地元への捜査を人員
をこれまでより割いて行うことになった。まあ他の線も行き詰まっておったからね
。調べる内にネタは沸くように出てきたよ。地区に投入される金の動きに驚いたね
。河川整備事業、上下水道整備事業、宅地造成事業、道路計画による保証金などな
ど、どれがどの地主どのように働いているかも一目瞭然であった。
時代はもう戦後を過ぎて大きく膨張を続けざる時期に来ていたんだ、オリンピック
に新幹線、高速道路、日本中に大金持ちが溢れだしておった。しかしねホンの10
年前にはみんな慎ましやかな生活をしておったんだよ。中田の川辺りの土地の横に
はAの親父の土地が合った。水害で川が溢れたりしたら皆して力合わせて土手を直
したりしていた、むろん元区長のOらもね。それが金が人間を狂わせ始めたのかも
しれない。俺達はひとつの事業に目を付けたよ、事業主が中田栄作さんの土地にか
かる事業の選定にOが取り入っていたというものだった。
Oは家族経営でちょっとした規模の土建会社を持っていた、その役員はかねてから
出てくるUだ。この件を洗っていくと意外な人物が出てきた、井戸に身を投げたO
なんだ。」
103朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 03:03:06 ID:ikHBEhSE
956 名前:898投稿日:02/07/26 12:56

「元区長のOはそれ以前に栄作さんに農業技術会の役員の件で蹴られたことがある、
それで双方の溝は深まったのだけど今度の事業だけは逃すことはできなかった、
なにかプランがあったんじゃないかなOの頭には。それでそのアプローチ以前か以後
かわからんが元作男のOがあるネタ、中田の家を揺さぶるネタを持って登場したと
考えられる。最初は小遣い稼ぎ程度に元作男のOも考えていたかも知れないが、交渉
役として使われるようになって後悔し始めたんじゃないかな。死ぬ1ヶ月前くらい
から大変な事になったと家族や同僚に繰り返している。
おそらく元区長のOやUの圧力は凄かったんじゃないかな、事件後元作男のOはUらの
本当の怖さを知ったことになった。Oの神経は一杯一杯だったと思うよ。
それでどうにも首を縦に振らない栄作さんにUや元区長のOはゆするネタをそのまま
に娘に手を掛けたんじゃないかと思う。Aを使ってね。
俺はAを見て最初から殺す目的でさらったのでは無いと思っている、顔見知りだしね、
一日二日連れ出して家に心配を掛けさせる、言ってみれば揺さぶりを掛けるのが目的
だと思うよ。揺さぶるのが目的だから事前に脅し文句もあったかもしれない。
そう考えると居なくなった時の家の対応の早さもわかる。居なくなった時点で助か
らないと捜査陣に漏らしたこともうなずける。
それで我々は西武園を早い時期で捜索したんだ、最初に誘拐ありきなら捜索は少し
先になるからな」
104朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 03:04:27 ID:ikHBEhSE
959 名前:898投稿日:02/07/26 15:01
* それだけ事象があって被害者の家族はなぜ訴え出なかったのでしょうか?

「それがこの事件の一番大きなポイントなんだよな。肝心なことに踏みこむと中田
の家族はだんまりするんだ。一度班長と家を尋ねたことがある。すると親父は具合
が悪くて息子(健治氏)が出てきたけど、事前にゆすり、脅しがなかったか?と聞い
ても(そういった事実はありません)と言うんだ。そのあともう一度行ったが同じ
だったよ。これは、もうOの持っていたネタ、中田の家の秘密が外に出ることが
一番恐れていることなんだと確信したよ」

5月18日特捜部を離れる事に。

「Oの持っていた秘密についてね、確認することがあったので同じ班のTとKが川越筋
にでかけた、その帰りに狭山の駅を出たところで特捜部の狭山署の捜査員G警部補と
かちあった。俺はその場に居なかったので聞いた話だけどAやUの話しになったらし
い。でGはいつまでもその線を追っても何も出ませんよ、と言ったらしい。なかば
凄みさえしたそうなんだ、あとで何となくわかったんだけどね、その日18日に刑
事部長から捜査員の削減と捜査本部の縮小の発表があった。特に所沢組みは初期か
らの捜査員5名以外は全て外されることになった。もちろん俺もね。それで次の日
県警からの捜査員Hに引継ぎをした、Hは非常に有能な捜査員で安心して引継ぎでき
た。それで所沢に戻ってまた通常勤務に戻ったんだけど次の日だったかなHから
電話があって石川一本で行くことになりましたって、残念だったね。すでに部外
者であったことがね。T警部に電話したんだけど何も出ないのだから仕方ない、と
残念そうだった」
105朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 03:05:33 ID:ikHBEhSE
974 名前:898投稿日:02/07/27 10:30
被害者の家の秘密に付いて

「中田の家の秘密にしたいことなんだけど俺達が調べたことが全貌だったのか一部
だったのか実は整理がついていない。最初は見当もつかなかった。栄作さんの兄弟
なんかにかなり取り入っている捜査員などに頼んでも何も出なかった。だけど思い
出したんだ、長女のKさんの言葉を。それで川越方面を中心に調べてみたらポッと
出たんだ、被害者達のお母さんのことだった。健治さんにさぐりを入れた時に外殻
の部分を言って見たんだけど否定されたよ、当然だわな」
「お姉さんが言ったことはヒントになっただけだったよ、お母さんのことでもひど
い事なのに何故善枝がこんなことに、て言われたと思う。恐らくこのことが白日の
元に出れば良くても栄作さんは今の地位を追われ悪くて土地を後にしなきゃならな
いかもしれん。土地にとどまっても今までの生活は無理だろうからね」
「事件のあと、もしかしたら栄作さんとUの間で手打ちがあったかもしれない、もう
これ以上踏みこまないということでね。それは暗黙のうちであったかもしれんし、誰
か間に入ったかもしれない。だけど耐えられんよ普通の人間には。犠牲になったのは
お姉ちゃんじゃないかな(次姉)、丸い顔した愛嬌のある子だった、あの子には耐えら
れない、事実が全て伝わったらね」

皆さんたどたどしいレス読んでいただいてありがとうございます。
もうお気付きと思いますが勤め先でレスしてますので次が少し先になります。
次はAのことが少しとマトメとなります。次スレで書きこめたらと思います。
106朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 03:07:31 ID:ikHBEhSE
979 名前:898投稿日:02/07/29 09:54
「さっきも言ったけどAもBもあるいはOにしてもUにしても娘を殺すつもりで連れだ
したとは思わないし思いたくない。いくらUが心底極道でもそうは思いたくないよ。
一晩くらいかな連れ出して栄作さんらにたっぷり冷や汗かかせりゃ良いくらいに
考えていたと思う。なので連れ出す以前に娘には気おつけろよ、くらいは言ってた
かもしれない。だけども実行犯であるAは娘さんをあやめてしまった。予想以上に
手がかかったか、逆にたしなめられてかっとしたのかもしれない」
「それで泡くってUに連絡したと思う、Uは裏の仕事に精通しているO(Oが多くて迷
いますが、このOは実質Uが経営している飲食店の経営者で893です、ちなみにAとB
の5月1日のアリバイはOの飲食店(キャバレー)の改装の手伝いをしていたことにな
っている)に指示して事件の隠匿、あるいは偽装を敢行したんだと思う。それが
脅迫状であり誘拐事件と言うことと思う」
「あの脅迫状は娘が居なくなったのは脅しの方向ではなく誘拐事件ですよ、と行為
をぼやかす意味と時間稼ぎが目的と思う。5月1日に誘拐しておいて5月3日の未明に
金持って来い、というのは時間が空きすぎる。当然それはUらが自分達に塁が及ぶ
のを避けるためにAとBにも十分なアリバイを作るための時間稼ぎであったと思う。
警察としても誘拐事件ならば脅迫状の取引時間まで相手の出方を待たねばならない
、なのであの脅迫状で重要だったのは3日の午前0時まで興味を引きつけておくこ
と、その間に実行犯はその後に容疑が及んでも大丈夫なようにアリバイをしっかり
作っておくことが大事だったと思う」
「あの脅迫状はいろいろ脚色されているとは思う、特に思慮の無い者が20万ぽっち
の金欲しさに子供をさらったと方向付けしているが、金の引き渡しがさきすぎる、
思慮の無い者の仕業とするなら当日の夜でも良いし、二日の朝方でも良い、金は早
く欲しいとなるだろう、だけど脅迫状の犯人はのんびりしているね、時間を稼ぎ
たかったんではないかな」
107朝まで名無しさん:2006/07/26(水) 03:08:09 ID:ikHBEhSE
983 名前:898投稿日:02/07/29 13:24
979のつづき
「アリバイの偽装にそんなに時間がかかるかというとかかるんだ。詰めのあまい偽の
アリバイほど崩しやすい。AとBのものに関してはほぼ完璧だった。O(飲食店)の書いた
筋書きとおもうけどね。あそこで崩せなかったのが惜しい、何度思いかいしてもね」

「石川さんがやってないとしたら、それはそう大変なことだとおもう。だけど石川
さんはもう刑期を追えて市井の人として無実を訴えている、それは立派と思うよ。
再審は難しいではないかな。真犯人が名乗りでもしない限りはね、無実の証拠を
積み上げても今になっては、どうかな。時間が経ちすぎている。未公開の証拠と
いっても大した物は無いと思うよ、特に真犯人を判断する材料はね」 終わり

長々とお伝えしてまいりましたが最終回となりました。伯父は特に司法の側にいた
者として何かにつけ「石川さんがやっていないとしたら」を前提に話しをしてくれ
ました。なので僕達の感覚では石川さんは99%やってないだろ、というところが
伯父の感覚では未だに50%くらいはやっていないのでは、とややづれがあります。
しかし石川さんはすでに刑期を終えた人という最後の文の通りの認識の上で、で
は石川さんがやってないとしたらどうか、ということを当時の消え立った捜査を
もとに考察してもらいました、当初は僕の推理と全然違う方向に話しが進んでし
まい、どうかなーと思ったりしました、しかし他の方のレスで少しは読み応えが
ありそうと思われましたので何とか最後まで進められました、ありがとうござい
ました。