【存続か?】象徴天皇制を問う14【廃止か?】

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25tooo ◆s/lQJB6p9w
 現行の皇室典範の制定作業は、日本国憲法の制定に伴い生じる諸法制の整備に関する重要事項を
 調査審議するため、会長を吉田茂総理とし国務大臣以下25名の各省から抜擢された官吏と、
 学者・識者・政党関係者など25名、計約50人からなる「臨時法制調査会」において行われた。 

 皇位継承資格者に皇族女子を加えるか否かについて、宮内省は、
 @ そもそも「女系」は『皇室典範義解』に示された皇位「世襲」の観念に含まれない
 A 歴史的に女帝の例はあるが、しかし、それは「一時の摂位」に過ぎない
 B 皇位継承資格を有する者は国民の一部であり、そのごく一部の国民の間で、
  「文明の程度、生理上の差異等」を考慮し、長幼・男女の区別を設けることは不合理ではないとして、
  女帝を認めなくとも違憲とは必ずしも言えない
 とした。
 これに対し、宮沢俊義委員、鈴木義男委員等は女帝を認める意見で、
 また杉村章三郎委員は、配偶者のない内親王及び女王の皇位継承資格を認めた上で、
 皇位継承順位は皇男子孫の次とするという考え方を示した。

 杉村委員はその後、結論的意見(昭和21年8月24日)において、女帝について、
 「女子の継承は皇族男子の皆あらざる場合に限る」とし、
 「女帝の冊立(サツリツ・勅命によって皇太子・皇后などを正式に定めること)は
  宮内省側の意見のごとく望ましくないが全然拒否する理由もないから
  現在の摂政の場合のごとく存在だけを認め事実実現しないようにすればよいと思う。」
 などと結論に至った理由を述べている。
26tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/06/17(金) 01:12:43 ID:/vhZKLcX
 以上のように女帝まで認めない皇室典範案について、GHQのピーク博士(Dr.Cyrus H.Peake)は、
 昭和21(1946)年8月30日の事前審査で、多少の疑問を差しはさんだ。
 ピーク
  「女帝を認めぬことは男女平等の原則に反せぬか。」
 井手法制局部長
  「女系を認めぬ以上、女帝を認めても一時的の摂位にすぎず、胎中皇子の場合、
   直系を維持するといふ場合以外大なる意味なし。
   dynastic (王朝・王家の)の意は日本古来の歴史から見て男系と考えている。
   この男系世襲の原則が男女平等原則を超ゆるイギリス、日本のごときも弟が姉に優先し
   完全な男女平等ではない。」
 ピーク
  「日本にも推古天皇の如く女帝はあった。ただし女系がなかつたことは承認する。
   大体その考え方を支持するが、継承権の範囲から全然女子を外さず範囲も定めず、
   むしろいきなり順序を書いて後順位に女子をおいたらどうか。
   理論的に承継し得ることにして、事実は全然承継せぬこととすればいかが。
   また皇族が全然なくなる場合など承継させればいかが。
 井手
  「女帝を認めても一時の延長となり、その後継なきため大した効果なし。
   むしろ皇族の範囲の減少を防ぐ措置を採るべきであろう。」
27tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/06/17(金) 01:13:06 ID:/vhZKLcX
 皇室典範案は、枢密院への諮詢を経て、昭和21(1946)年11 月26 日に第91 回帝国議会に提出
 (衆議院先議)され、衆議院では12月14日、貴族院では12月24日に、いずれも原案のとおり可決され、
 翌年1月16日に昭和22年法律第3号として公布された。

 議会の審議では、「女帝、すなわち女天皇又は女性天皇を認めよとの論は、
 両院を通じ、むしろ支配的であったとすらいえる」状況であったという。
 「第九十一議会を通過せる新法律の解説 皇室典範及び皇室経済法」を書いた渡邊氏によれば、
 女帝を認めるべしとする論拠は、以下のようなものであった。

 @ 天皇の地位は、象徴となったのであるから、
  例えば統帥大権を行使されていた従来と異なり、女子にも皇位継承資格を認めても支障はない。
 A 日本国憲法第14条のいわゆる男女同権の趣旨を生かすべきである。
 B 女帝を率先してみとめることにより、一般に男女同権の普及に資するべし。
 C 女帝を認めておいて、男子の皇胤の絶える万一の場合に備えよ。
 D いわゆる胎中天皇を認め、その胎児が女子であった場合にのみ過渡的に女帝を認めよ。
 E 史上、十代御八方(二代重祚=一度退位した天皇が再び皇位につくこと)の先例があった。

 こうした主張に対し、政府側は、おおむね以下のような答弁を行っている。
 歴史上男系ということに例外はなく、男系を原則とする限り女性天皇は意味が少ない。
 また、女性天皇を認めても、その継承順位を男子の後とするならば、
 差当りその必要を生じることはなく、現時点で結論を出すには及ばない。

 しかしながら、こうした女帝を認めるべしとする議論が多くなされながらも、
 「注目すべきは、両院の議論を通じ、男系主義に対する批判、女系を認めよとの論は、ほとんどなかった」