【存続か?】象徴天皇制を問う14【廃止か?】

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20tooo ◆s/lQJB6p9w
 明治政府による旧皇室典範の起草は、明治19(1886)年頃より始まった。

 起草に携わったのは、伊藤博文(当時、宮内大臣)、井上毅らである。
 女性の皇位継承権をめぐっては、旧皇室典範の制定過程においても議論がなされている。
 起草の初期段階において作られたと考えられる「皇室制規」においては、
 皇男子及び男系を優先としつつも、皇女及び女系による皇位の継承を認めるほか、
 胎中皇子や女帝を立てた場合の配偶者についても規定するなど、
 後にできた皇室典範とは考え方を異にするもので、現行の皇室典範より画期的なものだった。
21tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/06/17(金) 01:11:45 ID:/vhZKLcX
 皇室制規(抄)
  皇位継承ノ事
   第一
      皇位は男系をもって継承するものとす
      もし皇族中、男系絶ゆるときは、皇族中、女系をもって継承す
      男女系各嫡(嫡子・正妻の生んだ子)を先にし
      庶(庶子・正妻でない女性の生んだ子)を後にし、嫡庶各長幼の序に従うべし
   第三
      皇位を継承すべき皇子もし薨去のときは皇孫に伝うべし
   第四
      皇位を継承すべき皇子孫なきときは皇兄弟およびその子孫に伝うべし
   第五
      皇兄弟およびその子孫なきときは皇伯叔父その子孫に伝え
      皇伯叔父およびその子孫なきときは皇太伯叔父以上およびその子孫に伝うべし
   第六
      皇族中、男系ことごとく絶ゆるときは皇女に伝え
      皇女なきときは皇族中他の女系に伝うること、第三第四第五条の例に拠るべし
   第七
      皇女もしくは皇統の女系にして皇位継承のときは、その皇子に伝え
      もし皇子なきときは、その皇女に伝う
      皇女なきときは皇族中の他の女系に伝うること第三第四第五条の例に拠るべし
   第十二
      皇后は皇族および公爵の中より迎うるものとす
   第十三
      女帝の夫は皇胤(コウイン・天皇の血統、皇統)にして臣籍に入りたる者の内、
      皇統に近き者を迎うべし
22tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/06/17(金) 01:12:02 ID:/vhZKLcX
 これについて、井上毅は伊藤博文宛に「謹具意見」を提出。
 @ 我が国の女帝即位の先例は、実際には摂位の類である。
 A 女帝と皇夫との間に皇子が誕生すれば、第七により、皇太子として跡を継ぐことになるが、
  この皇太子は、女系の血統ではあっても氏は源姓となってしまう。
  皇位継承には祖宗の大憲があり、ヨーロッパ諸国のように女系異姓を認めるべきではない。
 B ヨーロッパ諸国においても、サリック法の国家(サリカ法典“Lex Salica”フランク王国など)では、
  女性による王位継承を認めていない。
 C 婦人参政権を認めずして女性が最高政権を握ることを許すというのは、理の矛盾である。
 D 起草者は将来、万一にも皇胤が絶えたときのためにこのような条項を設けたのであろうが、
  皇胤を繁栄させるためには他にも種々の方法があり、このような憂慮を払拭するに十分である。

 以上の井上毅の意見は、伊藤博文に容認され、新たに起草された「帝室典則」で
 皇女及び女系による皇位継承条項は削除され、さらにその後「帝室典則修正案」では
 「皇位ヲ継承スルハ男統ノ男子ニ限ル」との明文規定が設けられ、それを元に旧皇室典範が制定された。