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家族との通信は可能でしたが、検閲があり、安否の問い合わせ以外は
書くなと言われていました。右の内容以外の手続は送付を止められ、
賃金等の待遇のことや、家族に給料の半額が送金されているか等の内容は
記載できませんでした。一九四五年(昭和二〇年)二月頃からは戦況が
悪化し、手紙のやり取りも途絶えてしまい、家族の状況はよく分からない
状態となっていきました。
寮では朝鮮人徴用工だけが集められて収容されており、日本人労働者との
待遇面での格差がどの程度あったか、定かではありませんが、食事は粗末
で量も少なく、若い者はいつも腹をすかせている状況でした。