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右の徴用の際、私は、「留守中のことは心配しなくてもよい。給料の半分
を送金する。もし逃げたら家族が罰せられる。」と言われました。
松本旅館でも、また普通学校の運動場でも常に監視されており、
行動の自由は全くありませんでした。
その後、平澤から鉄道(貨車)で釜山に運ばれましたが、その間も貨車には
日本軍の兵隊が銃を持って監視し、三菱の社員も同乗していました。
釜山からは下関まで連絡船に乗せられ、下関から広島まで鉄道、広島に
ついてからは、観音町まで電車、後に徒歩で三菱重工広島機械製作所西
寮に着きました。そこでは一〇名程度の三菱の社員か待ち溝えていました。