拉致事件を本音で語れ! 偽善排除 27

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私は、一九四四年九月、当時居住していました平澤郡浦升面新栄里から
徴用されました。当時私は数えでニニ歳、満で二一歳でした。私は、満で
二〇歳で結婚し妻とともに暮らしていました。
徴用当時の家族は、私の父母、弟四人と祖父母夫婦及び私の妻でした。
私の家族の仕事は、当時も農業であり、田が約七五〇坪、畑が約七五〇坪
の自己所有地を含む約四五〇〇坪の農地を耕作していました。家族のうち、
私の父とすぐ下の弟は、「勤労報国隊」に動員され、平澤郡の飛行場の
建設に従事させられていました。そのため、家の農業は私か支えとなって
おりました。私は、同年同月二〇日頃、突然、面の役人より、徴用令書を
示され、そのまま連行されて、平澤の松本旅館(日本人兵営)に宿泊させら
れ、翌朝地元の城東普通学枚の運動場に連れていかれました。
松本旅館では面の役人と警察官が監視している状況でした。城東普通学校の
運動場には、約一〇〇名の徴用された人達が集められ、ここで、日本人に
引き渡されました。その日本人の中には、二〜三人の三菱のマーク
ついた帽子をかぶっている人達がおり、彼らが指揮をとっていました