拉致事件を本音で語れ! 偽善排除 27

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農閑期である冬の間は、カマス(米をいれる袋)の供出が割り当てられて
いました。一冬に一家族八〇〇枚から一〇〇〇枚を越える数の割当でした。
カマスは、稲のワラを編んで作るのですが、この割当数は非常に厳しく、
朝の四時や五時頃から起きて、冬の同家族金員で必死に作りました。
また、私たちが徴用される少し前から、平澤の近くに設営されていた
日本軍の飛行場の建設のために勤労報国隊が組織され、それに動員されて
いった人たちも多くいました。また、徴兵や徴用で連れていかれた
人たちの留守家族は、農業の担い手がいなくなりますので、残された
人たちがその手伝いに行く等して助け合っていました