【鎮魂の】改憲問題で如何なる?靖国神社総合スレ【祈り】 その六

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徳川義寛『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(岩井克己 聞き書き・解説。
朝日新聞社、一九九七年二月)、一八〇〜一八二頁。 しかし、靖國神社宮司が
松平永芳氏に代つて間もなく、昭和五十三年(一九七八)十一月、秘密裏に極東
軍事裁判A級戰犯合祀が實施された(それが新聞に報道されたのは翌年四月)。

『入江相政日記』によると、松平宮司は、宮内廳に、徳仁親王[浩宮]が
「御成年におなりになつたのだから靖國神社に御參拜になるべきだ」と言つて
來たり、徳仁親王[浩宮]のオックスフォード留學に反對するといふ「馬鹿な
こと」を言つて來たりしたといふ。また、松平永芳宮司は、新發現の『高松宮
(宣仁親王)日記』を如何にすべきかといふ喜久子妃の相談に對しては、之を
燒却すべきとの意見を述べてをり(高松宮妃喜久子『菊と葵のものがたり』中央
公論社、一九九八年十一月、四八頁)、歴史に對する認識に於ても著しく缺けて
ゐる人物であつたことが窺はれる(『入江相政日記』昭和五十五年五月三十日、
昭和五十八年三月十四日)。
昭和天皇の侍從長を勤めた徳川義寛氏は、この極東軍事裁判A級戰犯合祀に
ついて、「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」
と、松平永芳宮司の措置を批判的に語つてゐる(「昭和天皇と50年・徳川前侍従長
の証言」(『朝日新聞』一九九五年八月十九日)