┫スーパーフリー┣輪姦事件、残党は就職活動・資格試験/コバジュン服役へ…164
【立件されていない事件、未逮捕者に関する証言リスト 日付順 3】 最新版 6/25更新
@第17回公判(-小林大証言)ほぼすべてのイベントで輪姦が行われた。(2001年入会後)
@第19回公判(-小林潤証言) 1〜2軍で輪姦に参加しなかったのは3人。
@第29回公判(-藤村証言) 2002年12月のイベント準備中、「甘太郎の非常階段はアツい」という会話を聞いた。 小林大輔は甘太郎でアルバイトをしていた。
@第30回公判(行為岸本) 沖縄(日付不明)
@第31回公判(-関本雄証言)2001年頃から輪姦が活発に行われた。(1999年入会)
(-和田証言)スピリタスの「実用化」は2001年4〜5月。シナガワゼンジロウが慶應のサークルでスピリタスにより酔いつぶされたこと。
「女は撃つための公共物だ」というのはサクライカツノリ(未逮捕)の言葉を真似た。その言葉の初出はサクライが掛け持ちしていた明治大学のイベントサークル。
@第56回公判(-和田証言) 輪姦を活発に始めるきっかけとなったのはサクライが掛け持ちしていた明大のイベントサークルで輪姦が活発に行われており、
「スーフリでもマワしをやりましょうよ」と提案された。
@第58回公判(若松証言)
・マワしに参加しない者がいたといってもそれはごく少数でしかなく、圧倒的多数は参加していた。
・また、直接姦淫行為に及んでいなくとも、ブロッキング等には参加していた。
・マワしに反対していたというよりは異を唱えなかっただけで黙認していた。
・1998年頃、積極派だったのはシナガワゼンジロウ サクライカツノリ タナミマサカズ ムライシタケヒコ等。