トリビアの泉と百人切りの矛盾

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601朝まで名無しさん
>>589>>599
また否定派の、粗悪な「昭和刀」を「日本刀」と混同させる印象操作が始まったよ・・・。

どうも百人斬りというと、日中戦争期→量産された安物の軍刀→切れない、
といった安直な発想をしてしまう人が多いようです。
しかし実際には、昭和初期の段階でまだ江戸期以前の日本刀が約二百万振も残っていたと推定されているくらいで、
「帯刀本分者」として軍刀の所持が許された軍人の家に先祖伝来の刀があれば、
その多くが軍刀に仕立てられて海を渡ったであろうことは容易に想像できます。
その結果、「斯く大量的に、しかも異国に於て日本刀の威力を発揮した記録は、
まったく前例のない事といへよう」(成瀬『戦ふ日本刀』p.43)と評されるような事態に至ったのです。

 さらに言えば、負荷をかけると簡単に曲がり、
またその曲がりが容易に直せるような軟弱な昭和新刀でさえ据物斬りになら十分使えたことは、
実体験者である鵜野晋太郎氏の証言が明らかにしています。

http://homepage.mac.com/apple1974/kousatu.html
白兵戦用の刀剣武器の中では間違いなく世界最強の刀剣だと思われる。
 まず強度もそうだが、力学的に見ても実に「斬る」事に優れており、
また攻撃だけでなく守備をも兼ねた造りは他の武器で見ることが出来ない。

 良く、「日本刀は数人斬ると血脂で刃が斬れなくなる」と言われるが、実際銘刀になるほど「血脂」はのらなくなる。
なぜならば、当時の刀工はそこの部分を重点的に考え刀を打ったからである。 
その例として、和包丁の存在がある。ステンレス製の洋包丁で魚をさばくと脂によって切れなくなるが、

 きちんとした製造過程を得た和包丁は最後まで斬れ味を失うことはない。