JAL123ののこしてくれたもの

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1朝まで名無しさん:04/07/10 14:09 ID:VemcuW0A
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ochiai.htm
呼吸は苦しいというよりも、ただ、はあはあ、とするだけです。
死んでいく直前なのだ、とぼんやり思っていました。ぐったりして、
そのとき考えたのは、早く楽になりたいな、ということです。
死んだほうがましだな、思って、私は舌を強く噛みました。
苦しみたくない、という一心でした。しかし、痛くて、強くは
噛めないのです。

墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。
ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえて
きました。まわりの全体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。
どのくらい時間がたったのか、わかりません。すぐ目の前に座席の
背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。私は座ったまま、
いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。
左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座っていたKさんだと思い
ますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息は
していません。冷たくなっていました。

この事件のちょうど10年後、去年1995年6月頃、あのときちょうど偶然現場
近くを飛行していた米軍ヘリのパイロットの手記が雑誌に載せられた。彼は救助に
向かう許可を彼を管轄するところに求めながら現場上空にいた。しかし、管制は彼
の救助を認めず、すぐに現場を去るようにと命令を下した。彼は軍人であるからそ
の指示に従った。立ち去るとき彼は近くにヘリの機影を認めた。彼はそれらのヘリ
が救助に向かうものだと考え、自分の目的地に向かった。しかし報道では、初めて
現場に救助隊が着いたのは翌朝だということになっている。そして、真相は闇。
10年たたないと,事実の輪郭すら出てこないのである。