>>901 言葉遊びに付き合う気は無い。
レーニンの革命は、つまりところ貴族により独占された土地と農奴の解放であり、目的でもある。
問題は共産主義体制がどこに向かったかだろう。
ソ連を中心とする東欧の共産圏は独裁制と経済破綻で見事にぶっ潰れた。
西側諸国との対立関係ゆえに生まれた強権体制であったと言えなくもないが、とにかく持たなかった。
一方中国を中心とするアジア的共産主義国家はまだまだ生き延び、繁栄が予想される。
共産主義といっても、地域、国によっはやり方は色々あるがら評価は難しい。
ただ、私としては民主主義とセットであるのが真の共産主義であると考えているので、共産主義国家は
まだ歴史上、現れて無いと考えている。
彼等にとっての共産主義とは、国家をに必要な権威ではないかとも考えている。
人間が作った国家を神、天、天皇等が権威付けするのはよくあることで、それと似たようなものだろう。
まあ、マルクスにありもしない神の権威を持たせ利用したというところだろう。
>>902、
>>903 私が述べたいのは、民族主義を扇動するファシズム体制が取れる政策は民族主義の
枠から逃れられないということである。
民族主義を扇動したのに、隣の民族と仲良くしましょうという政策は筋が通らない。
そういう意味では、共産主義体制もとれる政策は共産主義である点では同じだろう。
つまるところ、大衆をある方向に扇動したら、柔軟な選択は取れないということである。
壊レコ氏的価値観なら革命マルクス主義は扇動を主にしてることを怖いとなる。
私的価値観なら、中韓バッシングは扇動を主としてるから怖いとなる。
どちらが正しいかどうかはわからないが、その違いはどこから生まれたかには興味がある。